昨晩、この映画もみた、と書いた。忘れないうちに感想を書きたい。
邦題は「恋人までの距離」というそうである。
結論から言いたい。なるほど、この映画はすごい。ドキュメンタリータッチというか、主人公ふたりのリアリティが秀逸。
セリフがセリフではないようであり、表情など演技が本当にその人なんじゃないかと思うようなもの。
しかし、僕はこの映画は今まで見た映画のなかで最も嫌いだ。
出来の悪い映画は別に嫌いにはならない。ただ忘れるだけだ。
けれど、この映画は良く出来ているがゆえに嫌いだ。
映画の出来・不出来とは全く関係ないところで、僕はこの映画が大嫌いなのでそれについて書いていこうと思う。
ただ、あんまり僕がこの映画を嫌いな理由は伝わらないかもしれない。
この映画のなかの英語は素晴らしい。
英語初学者には本当に勉強になるだろう。
どのようにか?英語圏でよく耳にする表現、日常的に使う表現がたくさん出てくる。
そして何よりコミュニケーションの在り方が完全に西洋的なそれなのだ。
僕がイギリスで見聴きしてきた沢山のコミュニケーションがこのなかに詰まっていた。
僕にとってこれは「西洋コミュニケーションあるある」の映画なのだ。
どんな「あるある」が見えたか書いていこう。
1、たわいもない冗談を言う
男女の間でたわいもないことをすぐに冗談にできる男性は出来る人だというのが僕の意見。
西洋ではこれが当たり前。どこでもすぐにジョークを言う。ちょっと気の利いたことを言う。
あーーー、本当イライラする(笑)
日本でこれが出来る人と言えば、デーブ・スペクター。日本で西洋的な冗談を言いまくると逆に寒い人だと思われるので注意したい。
しかし日本人でも今は積極的に冗談を言う時代だ(内容は違えども)。黒船来航ですよ、もう。
2、すぐにダンスをしたがる
音楽があるとすぐにダンス。
街かどでもすぐにダンス。
ダンスは西洋において重要なコミュニケーション方法のひとつ。
日本人にはダンスが足りないというのが菊池成孔の意見。
3、宗教とか哲学の話をすぐにしたがる
西洋のひとたちと話すと、宗教や哲学の話がしばしば出てくる。神秘主義も含めて、この話はよく盛り上がる。
この映画では子供のころの記憶などを絡めて何度も宗教的な話が登場するが、要するにこれは対話している相手と自己の内面にある特別なもの共有しようとしている、ということを意味する。
共有できたら「僕たちウマが合うね」という意味になる。
映画では占いも効果的に出てくる。
4、言語の話をすぐにしたがる
ヨーロッパは多言語の国。
西洋人が沢山集まれば、しばしば言語も多様。
アメリカ人やイギリス人が英語しか話せないことも含めて、言語ネタはもはや鉄板。
5、芸術などの自分なりのアイディアを話したがる
「こういう映画を撮ってみたいんだ」とか言う男にろくなやつはいない!というのが男性としての僕の意見です(笑)
リリー・フランキーも言ってたけど、自分の空想を凄く魅力的に語る男性はもてます。でも、そういうやつにろくな男はいない!(リリー)。
西洋の男性たちはとりわけこういうことを話すのが好きだと僕は思う。
6、家庭環境を分析しながら自己分析
「どういうふうに育って、こういうことが欠如している気がする」みたいな話がまあ良く出てくる。これも宗教・哲学と同じで、内面の特別なものを共有するという話。
この映画では男女の不均等感がいい。恵まれた家庭で育った女性と、そうではなかった男性。
自分たちの生い立ちを語り、主人公たちの一種のコンプレックスが紹介される。
そこからは、ふたりの「恋愛の後に続く愛情のモデル」の微妙な差異が何度も示唆されていて、そのたびに僕はふたりのことが心配になってしまった。
こういう語り口っていうのは、うーん、やっぱり精神分析の国って感じがしたんだよなあ。もちろん、どの国の人(おそらく特に先進国)でもそういう話はある程度するんだろうけど、ここまでしないような気がしている。
7、パブで恋愛の話を面白おかしく話す
ヨーロッパのパブと日本の居酒屋の違いは沢山あるが、基本的にパブは店が汚く(基本的にご飯を食べることが主な目的ではないことが多い)、客が好きなように移動し、好きなようにお酒を飲める自由な空間。
パブにはしばしば独特の落ち着いたおしゃれな雰囲気があり、居酒屋よりもむしろプライベートで落ち着ける空間の演出、ということが感じられる。
映画で登場する場所はクラブのなかにある、もう少しやんちゃな雰囲気のパブ。イギリスでもよく見かけるような感じ。そこで恋愛遍歴について話すという場面が出てくる。
8、絵画やクラシックなどのハイカルチャーの話、歴史や建築などの教養的な話が好き
基本、ヨーロッパの人はハイカルチャーや教養が好き。それこそがインテリの証しなのだ。
日本のアカデミックでも、そういう知識が一種のステータス・シンボルになっている。
どうです?この「西洋コミュニケーションあるある」。
僕はこのすべてが嫌いです。
ないですか?あるよ、絶対あるよ。だって僕、毎日なんとなく目にしてるもん。
イギリスに来て、その日常の生活にちょっと疲れて、逃避しようとしたときにこの映画。
逆に日常で耳にしてきたものを凝縮した世界に入った瞬間の僕のイライラと言ったら!!
要するにこういうこと。疲れたサラリーマンが疲れたサラリーマンの話を見るって感じね。
だから見ていて、すっごく疲れたんだよね。
ああ日常・・・、ああ日常が襲ってくる・・・って感じで。
この映画は海外に行きたい人と、それが終わって懐かしんでいる人が見た方がいい。
僕があまりにも日常のなかに観察していることが出てき過ぎる。
ストーリーには一寸の無駄もない。主人公ふたりのあらゆる行動に十分な理由がある。いかにも西洋の人たちの旅の仕方。
突飛なシチュエーションのようで、全くそうではない。
要するに「この奇跡、あるかもしれない」と思わせる強靭な説得力。
しかし僕はここに出てくる恋愛に全く感情移入できなかった。
お互いにお互いのことが全然良く分かってないじゃねーか、自分のことを相手のなかに見ているだけじゃねーか、と感じた。
っていうか、この男の子大丈夫?だめんずっぽいよ!
それと女の子。劇中でも過去の恋愛の話になってましたけど、だめんずウォーカーっぽいぞ!!気を付けて!!
総じて、恋愛中毒者の恋愛・・・って感じ。これ、冷めたらどうなるんだよッ!
だからこそ恋愛映画としていいんだと思うんです、特定の人にこれは本当に効果的なストーリーだとも思うんです。
冷めたらどうなるかを知るために、映画「Blue Valentine」も観ろよ!!
邦題は「恋人までの距離」というそうである。
結論から言いたい。なるほど、この映画はすごい。ドキュメンタリータッチというか、主人公ふたりのリアリティが秀逸。
セリフがセリフではないようであり、表情など演技が本当にその人なんじゃないかと思うようなもの。
しかし、僕はこの映画は今まで見た映画のなかで最も嫌いだ。
出来の悪い映画は別に嫌いにはならない。ただ忘れるだけだ。
けれど、この映画は良く出来ているがゆえに嫌いだ。
映画の出来・不出来とは全く関係ないところで、僕はこの映画が大嫌いなのでそれについて書いていこうと思う。
ただ、あんまり僕がこの映画を嫌いな理由は伝わらないかもしれない。
この映画のなかの英語は素晴らしい。
英語初学者には本当に勉強になるだろう。
どのようにか?英語圏でよく耳にする表現、日常的に使う表現がたくさん出てくる。
そして何よりコミュニケーションの在り方が完全に西洋的なそれなのだ。
僕がイギリスで見聴きしてきた沢山のコミュニケーションがこのなかに詰まっていた。
僕にとってこれは「西洋コミュニケーションあるある」の映画なのだ。
どんな「あるある」が見えたか書いていこう。
1、たわいもない冗談を言う
男女の間でたわいもないことをすぐに冗談にできる男性は出来る人だというのが僕の意見。
西洋ではこれが当たり前。どこでもすぐにジョークを言う。ちょっと気の利いたことを言う。
あーーー、本当イライラする(笑)
日本でこれが出来る人と言えば、デーブ・スペクター。日本で西洋的な冗談を言いまくると逆に寒い人だと思われるので注意したい。
しかし日本人でも今は積極的に冗談を言う時代だ(内容は違えども)。黒船来航ですよ、もう。
2、すぐにダンスをしたがる
音楽があるとすぐにダンス。
街かどでもすぐにダンス。
ダンスは西洋において重要なコミュニケーション方法のひとつ。
日本人にはダンスが足りないというのが菊池成孔の意見。
3、宗教とか哲学の話をすぐにしたがる
西洋のひとたちと話すと、宗教や哲学の話がしばしば出てくる。神秘主義も含めて、この話はよく盛り上がる。
この映画では子供のころの記憶などを絡めて何度も宗教的な話が登場するが、要するにこれは対話している相手と自己の内面にある特別なもの共有しようとしている、ということを意味する。
共有できたら「僕たちウマが合うね」という意味になる。
映画では占いも効果的に出てくる。
4、言語の話をすぐにしたがる
ヨーロッパは多言語の国。
西洋人が沢山集まれば、しばしば言語も多様。
アメリカ人やイギリス人が英語しか話せないことも含めて、言語ネタはもはや鉄板。
5、芸術などの自分なりのアイディアを話したがる
「こういう映画を撮ってみたいんだ」とか言う男にろくなやつはいない!というのが男性としての僕の意見です(笑)
リリー・フランキーも言ってたけど、自分の空想を凄く魅力的に語る男性はもてます。でも、そういうやつにろくな男はいない!(リリー)。
西洋の男性たちはとりわけこういうことを話すのが好きだと僕は思う。
6、家庭環境を分析しながら自己分析
「どういうふうに育って、こういうことが欠如している気がする」みたいな話がまあ良く出てくる。これも宗教・哲学と同じで、内面の特別なものを共有するという話。
この映画では男女の不均等感がいい。恵まれた家庭で育った女性と、そうではなかった男性。
自分たちの生い立ちを語り、主人公たちの一種のコンプレックスが紹介される。
そこからは、ふたりの「恋愛の後に続く愛情のモデル」の微妙な差異が何度も示唆されていて、そのたびに僕はふたりのことが心配になってしまった。
こういう語り口っていうのは、うーん、やっぱり精神分析の国って感じがしたんだよなあ。もちろん、どの国の人(おそらく特に先進国)でもそういう話はある程度するんだろうけど、ここまでしないような気がしている。
7、パブで恋愛の話を面白おかしく話す
ヨーロッパのパブと日本の居酒屋の違いは沢山あるが、基本的にパブは店が汚く(基本的にご飯を食べることが主な目的ではないことが多い)、客が好きなように移動し、好きなようにお酒を飲める自由な空間。
パブにはしばしば独特の落ち着いたおしゃれな雰囲気があり、居酒屋よりもむしろプライベートで落ち着ける空間の演出、ということが感じられる。
映画で登場する場所はクラブのなかにある、もう少しやんちゃな雰囲気のパブ。イギリスでもよく見かけるような感じ。そこで恋愛遍歴について話すという場面が出てくる。
8、絵画やクラシックなどのハイカルチャーの話、歴史や建築などの教養的な話が好き
基本、ヨーロッパの人はハイカルチャーや教養が好き。それこそがインテリの証しなのだ。
日本のアカデミックでも、そういう知識が一種のステータス・シンボルになっている。
どうです?この「西洋コミュニケーションあるある」。
僕はこのすべてが嫌いです。
ないですか?あるよ、絶対あるよ。だって僕、毎日なんとなく目にしてるもん。
イギリスに来て、その日常の生活にちょっと疲れて、逃避しようとしたときにこの映画。
逆に日常で耳にしてきたものを凝縮した世界に入った瞬間の僕のイライラと言ったら!!
要するにこういうこと。疲れたサラリーマンが疲れたサラリーマンの話を見るって感じね。
だから見ていて、すっごく疲れたんだよね。
ああ日常・・・、ああ日常が襲ってくる・・・って感じで。
この映画は海外に行きたい人と、それが終わって懐かしんでいる人が見た方がいい。
僕があまりにも日常のなかに観察していることが出てき過ぎる。
ストーリーには一寸の無駄もない。主人公ふたりのあらゆる行動に十分な理由がある。いかにも西洋の人たちの旅の仕方。
突飛なシチュエーションのようで、全くそうではない。
要するに「この奇跡、あるかもしれない」と思わせる強靭な説得力。
しかし僕はここに出てくる恋愛に全く感情移入できなかった。
お互いにお互いのことが全然良く分かってないじゃねーか、自分のことを相手のなかに見ているだけじゃねーか、と感じた。
っていうか、この男の子大丈夫?だめんずっぽいよ!
それと女の子。劇中でも過去の恋愛の話になってましたけど、だめんずウォーカーっぽいぞ!!気を付けて!!
総じて、恋愛中毒者の恋愛・・・って感じ。これ、冷めたらどうなるんだよッ!
だからこそ恋愛映画としていいんだと思うんです、特定の人にこれは本当に効果的なストーリーだとも思うんです。
冷めたらどうなるかを知るために、映画「Blue Valentine」も観ろよ!!
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