このブログにもすでに書いたかもしれないのだけれど、また書く。
イギリスの食べ物はよくマズイでしょ、と聞かれる。
確かにイギリス伝統の食べ物はマズイものが多い。
フィッシュ&チップスは毎日食べるものじゃないし、英国式の朝食は笑えるくらい不味い。
前にバレの家族が来たとき、英国式の朝食をあるお店で食べたのだが、その不味さは英国を象徴する不味さだった。
クセしかないマッシュルーム、小麦の入ったソーセージ、やる気のないハム(イタリアではこのハムをスコットランド式ハムと呼ぶらしい)、薄いトマト味の豆の煮物などなど。
イタリアのハムやベーコン、トマト料理と比べてしまうと、イギリスは何とも形無しである。
もちろん、さすがのイギリスと言えども、最近では美味しいレストランも多いし、そもそも移民の料理は多様でレベルも高い。
しかし、平均的に言えば、やはり英国内の料理の水準は高いとは言い難い
けれども、だからと言ってイギリスの野菜や肉すべてを否定するべきではない。
外国人はイギリスの肉や野菜をバカにしがちだ。
確かにスーパーで売っている野菜の大半はどうにもならないものが多いことも事実。
けれど、イギリスの野菜をよくよく観察してみてほしいのである。
例えば、うちのフラットのアレックスはこう言っていた。
「イギリスの野菜はまずいけど、ジャガイモに関してはギリシャのものよりも上だね。ポテトフライにすると全然違うんだ。」
そう、味に疎いイギリス人も、ある程度野菜の品種改良を行ってきたはずなのだ。
そして、彼らがよく食べる料理で使う野菜は、それなりに発展してきたのだ。
北海道の野菜はうまい。めちゃくちゃうまい。
例えば、玉ねぎ。
水分がとても多く糖度も高いため、生で食べても美味しい。
それに比べてイギリスの玉ねぎはとてもじゃないが生では食べられない。
しかし、よくよく火を通してみよう。
オーブンに丸ごと入れて焼いたり、トマトソース用に炒めてみたりしてごらんなさい、イギリスの玉ねぎは急に、そしてほどよく甘くなる。
日本人の発想はこうだ。
みずみずしくて、甘いのが良い野菜。
果たして本当にそうだろうか?
トマトソースに合うか、オーブンで焼いたらどうか、ローストチキンの付け合わせとしてはどうか。
北海道の野菜には、そういう料理の視点が欠けている。
果物も肉も同じことなのだ。
アップルパイにして美味しいリンゴと、そのまま食べて美味しいリンゴは同じではない。
オーブンで焼くことを前提にした肉と、すき焼きのように料理することを前提にした肉も、やはり違う。
小麦もそうだ。
私はイギリスの小麦で何回もうどんを作った。
しかし、日本で作った時とやっぱり全然違った。
小麦も水も違うのだ。
その小麦でピザを作ったら、とても美味しかった。だから、今年はピザを作りまくっている。
餃子も水餃子より焼き餃子が美味しかった。
水餃子を作る中国人の子たちは普通のスーパーで売っている小麦粉は使わない。
以上から何が分かるかというと、イギリスで手に入る小麦は茹でるよりも、焼く方がおそらく向いているということだ。
私が言いたいことは単純だ。目の前にある材料をよく見ろということだ。
自分が勝手に思っている基準を押し付けて、美味しいの、マズイだの言うのは失礼なのだ。
そんな基準、誰も望んじゃないない。
第一、損をしているのはその基準を押し付ける自分自身だ。
材料がどのように作られてきたのか、どういう長所があるのか、どういうものと相性が悪く、相性が良いのか。
それを見ずに、「この料理はうまいはずだから、どんな材料でもいいんだ」というのはひどく乱暴なのだ。
イギリスの食べ物はよくマズイでしょ、と聞かれる。
確かにイギリス伝統の食べ物はマズイものが多い。
フィッシュ&チップスは毎日食べるものじゃないし、英国式の朝食は笑えるくらい不味い。
前にバレの家族が来たとき、英国式の朝食をあるお店で食べたのだが、その不味さは英国を象徴する不味さだった。
クセしかないマッシュルーム、小麦の入ったソーセージ、やる気のないハム(イタリアではこのハムをスコットランド式ハムと呼ぶらしい)、薄いトマト味の豆の煮物などなど。
イタリアのハムやベーコン、トマト料理と比べてしまうと、イギリスは何とも形無しである。
もちろん、さすがのイギリスと言えども、最近では美味しいレストランも多いし、そもそも移民の料理は多様でレベルも高い。
しかし、平均的に言えば、やはり英国内の料理の水準は高いとは言い難い
けれども、だからと言ってイギリスの野菜や肉すべてを否定するべきではない。
外国人はイギリスの肉や野菜をバカにしがちだ。
確かにスーパーで売っている野菜の大半はどうにもならないものが多いことも事実。
けれど、イギリスの野菜をよくよく観察してみてほしいのである。
例えば、うちのフラットのアレックスはこう言っていた。
「イギリスの野菜はまずいけど、ジャガイモに関してはギリシャのものよりも上だね。ポテトフライにすると全然違うんだ。」
そう、味に疎いイギリス人も、ある程度野菜の品種改良を行ってきたはずなのだ。
そして、彼らがよく食べる料理で使う野菜は、それなりに発展してきたのだ。
北海道の野菜はうまい。めちゃくちゃうまい。
例えば、玉ねぎ。
水分がとても多く糖度も高いため、生で食べても美味しい。
それに比べてイギリスの玉ねぎはとてもじゃないが生では食べられない。
しかし、よくよく火を通してみよう。
オーブンに丸ごと入れて焼いたり、トマトソース用に炒めてみたりしてごらんなさい、イギリスの玉ねぎは急に、そしてほどよく甘くなる。
日本人の発想はこうだ。
みずみずしくて、甘いのが良い野菜。
果たして本当にそうだろうか?
トマトソースに合うか、オーブンで焼いたらどうか、ローストチキンの付け合わせとしてはどうか。
北海道の野菜には、そういう料理の視点が欠けている。
果物も肉も同じことなのだ。
アップルパイにして美味しいリンゴと、そのまま食べて美味しいリンゴは同じではない。
オーブンで焼くことを前提にした肉と、すき焼きのように料理することを前提にした肉も、やはり違う。
小麦もそうだ。
私はイギリスの小麦で何回もうどんを作った。
しかし、日本で作った時とやっぱり全然違った。
小麦も水も違うのだ。
その小麦でピザを作ったら、とても美味しかった。だから、今年はピザを作りまくっている。
餃子も水餃子より焼き餃子が美味しかった。
水餃子を作る中国人の子たちは普通のスーパーで売っている小麦粉は使わない。
以上から何が分かるかというと、イギリスで手に入る小麦は茹でるよりも、焼く方がおそらく向いているということだ。
私が言いたいことは単純だ。目の前にある材料をよく見ろということだ。
自分が勝手に思っている基準を押し付けて、美味しいの、マズイだの言うのは失礼なのだ。
そんな基準、誰も望んじゃないない。
第一、損をしているのはその基準を押し付ける自分自身だ。
材料がどのように作られてきたのか、どういう長所があるのか、どういうものと相性が悪く、相性が良いのか。
それを見ずに、「この料理はうまいはずだから、どんな材料でもいいんだ」というのはひどく乱暴なのだ。