それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

餃子とビールとワークショップ

2012-06-14 21:10:34 | イギリス生活事件簿
ワークショップとは、一種の研究報告会のようなものだ。

学生たちが報告をし、それに対して色々な意見をもらう。

司会の先生がいて、報告者が3人くらいいて、観客がいる。

今日はあるワークショップで報告した。



このワークショップはラケルの紹介で知った。

彼女に「報告人数が少ないから報告しに来て」と言われて、報告申請したらそのまま通ったのだ。

ワークショップは必ずしも面白くない。

報告者は発展途上の研究を発表するのであって、計画だけで結論がないものが多い。

僕はもう結構研究としては進んでいるわけではあるのだが、あまりにも短い時間しか与えられてないので、大して議論も出来ないまま、報告に起承転結を与えなくてはいけない。

今回の報告はまあ、まあまあだった。

ただ、もらった質問はとても有用なものだった。だから参加して良かった。



時系列的に振り返ると、僕とラケルは朝早くに会議参加登録に行き、一度家に帰って各々の研究を行い、僕の報告間近になってまた会場に戻り、それぞれの報告を行った。

登録に行ったとき、会場は一種のパーティのような感じで、自己紹介したり、久し振りに会った人と挨拶したりしていた。

あんなにナーバスになったのは久しぶりだ。

とんでもなく人見知りしてしまった。

今回のワークショップは僕が所属している学部とは別の学部が主催したものだ。

だから、関係者は基本的にもうある程度関係性が出来ている。

全然馴染めない僕は、とりあえずそそくさと会場を後にして、研究に戻ったのだった。



緊張した。

やっぱり緊張した。

自信が無かったんだと思う。

英語だからというよりも、報告内容がまだ十分鍛え上げられていない内容だったから。

でも、だからこそ、このワークショップで自分の弱い部分の研究を試したかった。

正直言って、セッションの組み方がめちゃくちゃで、全然関係ない研究と一緒に発表するはめになった。

今回主催したのは、教授陣ではなく、あくまで博士課程の学生だったため、セッションの組み方にアラが目立った。センスがない。



そんな文句を言いつつ、それでも公金をとってきて会議を開くのは大変だ。

沢山の事務仕事をこなさなくてはいけない。

ラケルの発表を見届けてから、ふたりでロビーに行ったら、ちょうど終わりの挨拶だった。

そこでは主催者たちがお互いの労を演説調子でねぎらい合っていて、面白かった。

イスの上に立って、そして「今回の本当の立役者は、マークです!」と女性が言ったと思ったら、今度はそのマークがスタッフそれぞれをねぎらい、さらに特別な功労者とハグとキス、花束の贈呈。

もう、なんだこれ!!!!

日本では考えられないが、でも、必ずしも悪くないとも思う。

日本の場合、事務仕事をしても全く公には認められない。花束もキスもハグももらえない。褒められもしない。

それどころか、事務仕事がうまければ評判を呼び、さらに事務仕事が来てしまうという悪循環に陥る。

それこそ不公平だ。

そういう意味では、この内輪受け的な、調子に乗っている大学サークル的なノリは決して悪くない。



帰宅後、餃子を作る。

ナスなどの野菜とナッツを使ったベジタリアン用の焼き餃子。

それと、ビールとワイン。

帰国したばかりのラケルは、スペインでも大変忙しかったそうで、かわいそうにヘトヘトになっていた。

ジミー・スミスの曲をかけたら、僕らの雰囲気は一層まったりし、ラケルに選曲を褒められるような具合だった。

エースとラケルとともに労をねぎらう。

バレとアレックスは不在。

たまに3人なのも大事。色々な話で盛り上がる。

色々発見があった一日だった。