それでも僕はテレビを見る

社会‐人間‐テレビ‐間主観的構造

日記2

2011-04-15 18:09:49 | 日記
もうすぐイギリスに戻る。

今日は日本の指導教官ふたりと会う。どちらとも、たっぷり話した。

勉強になった。

後輩たちも含め飲み会。問題の後輩君とも何か通じた気がする。

気持ちよく出発できる(しかし飲み会のあとに、彼女の家に行けないことがとても寂しかった)。


僕は迷いながら書いている。

深く迷っている。

その深さが強さなのだ。

日記

2011-04-15 17:21:50 | 日記
今週は再びの田舎暮らしだった。

研究をしながら、家で料理をつくり家人の帰りを待つ。主夫的なそれである。

料理は前よりうまくなったと思うが、まだまだだなと思う。

研究でもなんでもそうだが、「もうだめ、もう何も浮かばない、何をしたらいいのか分からない・・・」から本当の勝負が始まる。

そこから真の実力が出るのであり、蓄積するのである。

今回、3日間、昼・夜を作り続けたあと、材料に限りがある中で何を作ればいいのか分からなくなった。

つまり4日目、頭が空っぽになった。

買い物に行って、大胆に新しいものに挑戦するか、あるもので工夫するか。

思考錯誤のなかで、なにかひとつ見えたような気がする(笑)

人に食べさせる料理をつくるのは難しい。

レシピは頭のなかに沢山あるのだが、材料や相手の好き嫌い、色々な制約に神経質になりすぎたかもしれない。

そして、やはり彼女の料理はおいしいなあと思ったり、僕が育った家の料理は素晴らしいなあと思ったりした。



研究は思いのほか早いペースで進み、持ってきた二次資料のノートをつけ終わったので、すぐに一次資料読解に入った。

発見が多い。

そろそろ英語の論文の新しい章の執筆に入らねば・・・。それは渡英後、始める予定。