彼女が運転していた車がエンストした。バッテリーがあがったらしい。
助手席か運転席のドアが開いていたのか、いずれにせよ、思いもよらないハプニングだった。
彼女がお父さんに電話する、そしてロードサービスに電話する。
そして、少し愚痴をこぼす。
お父さんの車への文句。お父さんへの文句。
それが一体どこに向けれられているのか僕には判然としなかった。
その文句は単にエンストした車の問題に対するものだけなのか?それとも、もっと根源的な話なのか?
修理屋が来てひとまず助けてくれる。そして彼女に色々アドバイスをし、「車は父のものだから、父に言ってください」と彼女が言うので、修理屋は会ったことも見たこともない「お父さん」と電話で話す。
修理屋は車は修理してくれたが、この親子のちょっとした不和を若干悪化させて帰って行った。
僕らはお父さんのもとに直行した。
*******
彼女のお父さんは車のことをよく知っている。
僕はそういうお父さんの能力を心から尊敬している。
(ついでに言うと、そういう能力がある僕の友人も尊敬している。つまり、車をいじれる人はすごいと思っている。)
お父さんはいつもの妙に陽気な感じの口調と、若干苛立った口調を織り交ぜながら、車を直しにかかった。
僕は彼が何にイラついたのか、分かるようで分からなかった。
彼は明らかに疲れていたし、その原因が娘の引っ越しの無茶苦茶な要求のせいであることは間違いなかった。
もちろん、その無茶苦茶な要求を彼自身が娘にさせた側面もあった。
彼にそうさせたのはやはり責任感なのか、それとも親近感なのか、一体何なのか。その飄々とした様子からは全く読み取れなかった。
親子の不和をとりなすのは、彼氏や彼女の責務である。というのは、まあ一般常識というか、一種の「あるあるネタ」だ。
無愛想な娘に代わって、僕が彼の話を聞く。
彼女はお父さんをなじるのではなく、軽く僕をなじったり、フォローしたり、なじったり、甘えたり、いつもの(陽気な)ツンデレぶりを発揮した。
とにかくケンカなんかしないでくれ、というのが僕のメッセージだというのは、僕の調子から伝わったと思う。
実際、ふたりは大したケンカなどしていなかった。
ただ、失礼を承知であえてここに書くが、僕は彼女が少しだけ復讐しようとする欲望と戦っているのかなと思った。全く無意識に。
あるいは、全く別の不安と戦っているのかもしれないと思った。
*******
このお父さんに僕はどう映っているのだろう。娘との間をとりなす彼氏というより、なんだかよく分からない若者と見えただろうか。
研究をしている人間が放つ特有の幼さを、彼はこの数日で受け入れ、「まあ、そういうものか」と思ったかもしれない。
こうした僕の推測は、自分がいつまでもイニシエーションが終わっていないという不安と、そもそも男性性に対する違和感と、しかしはっきりと内在する女性への欲望の間の矛盾が、色々組み合わさって形成されたものだと思う。
車は男根崇拝の一種なのだろうか?
お父さんは自分の車に誇りを持っていた。
バッテリーがあがったことが未だに信じられない様子だった。
僕は彼に車のことを(彼女の代わりに)謝り、そういう謝罪の気持ちも込めて、しばらく使いませんと伝えた。
すると彼は逆に驚いた様子で、いや、ちょっと憤慨した様子で、車は大丈夫だから使って構わないと僕らに伝えた。いつもの陽気な調子で。
僕(ら)は少し驚いた。車を貸すことは彼にとって負担ではなかったのかもしれない。
娘に愛車を貸す、ということを彼がどう認識しているのか知りたくなった。
良く知らないが、しかし確実に自分の娘であるこの女子に、彼は自分が大事にしている車を貸している。
彼なりに、それは結構大切なことなのかもしれなかった。
きっとそれは大切なことだった。
どう大切なのかは分からない。でも、きっとそうだった。
彼の車はとてもお洒落でかわいい。
ある量販店の駐車場で、小さな男の子が急に立ち止まって、その車を指差した。
気に入ったのだろう。
子供が本能的に気に入る車。それがお父さんの愛車なのだ。
メンテナンスも運転も玄人向けの愛車。
彼女の娘は父親ゆずりなのか、運転手さんだったお爺さん譲りなのか(血縁関係はないけど)、とにかく運転がうまかった。
その愛車をこれまでお父さんのレベルとまではいかなくても、確かに乗りこなしていたのだ。
彼女とお父さんは妙なところで色々似ていた。親子だから。でも、会ったのは最近だけど。
その奇妙な符号点を僕が指摘すると、ふたりははにかんでいた。
僕はそういうふたりが好きだった。
ふたりとも、とても面白い。
僕には沢山知りたいことがあった。でも、深く掘ると、きっと予想もしない深淵が待っていることを僕は知っている。
僕の心の中にも、そして、あなたの心の中にも、深淵は存在するのだ。
ただ、その場所やアクセスの方法が分からないだけで。
******
人間の車への愛着は妙なものだ。そのフェティシズムの正体は何なのだろう。
僕はそのことをずっと考えている。
あの親子のことよりもずっと気になる。
でも、今は忙しいから、この問題はしばらく放っておこうと思う。
助手席か運転席のドアが開いていたのか、いずれにせよ、思いもよらないハプニングだった。
彼女がお父さんに電話する、そしてロードサービスに電話する。
そして、少し愚痴をこぼす。
お父さんの車への文句。お父さんへの文句。
それが一体どこに向けれられているのか僕には判然としなかった。
その文句は単にエンストした車の問題に対するものだけなのか?それとも、もっと根源的な話なのか?
修理屋が来てひとまず助けてくれる。そして彼女に色々アドバイスをし、「車は父のものだから、父に言ってください」と彼女が言うので、修理屋は会ったことも見たこともない「お父さん」と電話で話す。
修理屋は車は修理してくれたが、この親子のちょっとした不和を若干悪化させて帰って行った。
僕らはお父さんのもとに直行した。
*******
彼女のお父さんは車のことをよく知っている。
僕はそういうお父さんの能力を心から尊敬している。
(ついでに言うと、そういう能力がある僕の友人も尊敬している。つまり、車をいじれる人はすごいと思っている。)
お父さんはいつもの妙に陽気な感じの口調と、若干苛立った口調を織り交ぜながら、車を直しにかかった。
僕は彼が何にイラついたのか、分かるようで分からなかった。
彼は明らかに疲れていたし、その原因が娘の引っ越しの無茶苦茶な要求のせいであることは間違いなかった。
もちろん、その無茶苦茶な要求を彼自身が娘にさせた側面もあった。
彼にそうさせたのはやはり責任感なのか、それとも親近感なのか、一体何なのか。その飄々とした様子からは全く読み取れなかった。
親子の不和をとりなすのは、彼氏や彼女の責務である。というのは、まあ一般常識というか、一種の「あるあるネタ」だ。
無愛想な娘に代わって、僕が彼の話を聞く。
彼女はお父さんをなじるのではなく、軽く僕をなじったり、フォローしたり、なじったり、甘えたり、いつもの(陽気な)ツンデレぶりを発揮した。
とにかくケンカなんかしないでくれ、というのが僕のメッセージだというのは、僕の調子から伝わったと思う。
実際、ふたりは大したケンカなどしていなかった。
ただ、失礼を承知であえてここに書くが、僕は彼女が少しだけ復讐しようとする欲望と戦っているのかなと思った。全く無意識に。
あるいは、全く別の不安と戦っているのかもしれないと思った。
*******
このお父さんに僕はどう映っているのだろう。娘との間をとりなす彼氏というより、なんだかよく分からない若者と見えただろうか。
研究をしている人間が放つ特有の幼さを、彼はこの数日で受け入れ、「まあ、そういうものか」と思ったかもしれない。
こうした僕の推測は、自分がいつまでもイニシエーションが終わっていないという不安と、そもそも男性性に対する違和感と、しかしはっきりと内在する女性への欲望の間の矛盾が、色々組み合わさって形成されたものだと思う。
車は男根崇拝の一種なのだろうか?
お父さんは自分の車に誇りを持っていた。
バッテリーがあがったことが未だに信じられない様子だった。
僕は彼に車のことを(彼女の代わりに)謝り、そういう謝罪の気持ちも込めて、しばらく使いませんと伝えた。
すると彼は逆に驚いた様子で、いや、ちょっと憤慨した様子で、車は大丈夫だから使って構わないと僕らに伝えた。いつもの陽気な調子で。
僕(ら)は少し驚いた。車を貸すことは彼にとって負担ではなかったのかもしれない。
娘に愛車を貸す、ということを彼がどう認識しているのか知りたくなった。
良く知らないが、しかし確実に自分の娘であるこの女子に、彼は自分が大事にしている車を貸している。
彼なりに、それは結構大切なことなのかもしれなかった。
きっとそれは大切なことだった。
どう大切なのかは分からない。でも、きっとそうだった。
彼の車はとてもお洒落でかわいい。
ある量販店の駐車場で、小さな男の子が急に立ち止まって、その車を指差した。
気に入ったのだろう。
子供が本能的に気に入る車。それがお父さんの愛車なのだ。
メンテナンスも運転も玄人向けの愛車。
彼女の娘は父親ゆずりなのか、運転手さんだったお爺さん譲りなのか(血縁関係はないけど)、とにかく運転がうまかった。
その愛車をこれまでお父さんのレベルとまではいかなくても、確かに乗りこなしていたのだ。
彼女とお父さんは妙なところで色々似ていた。親子だから。でも、会ったのは最近だけど。
その奇妙な符号点を僕が指摘すると、ふたりははにかんでいた。
僕はそういうふたりが好きだった。
ふたりとも、とても面白い。
僕には沢山知りたいことがあった。でも、深く掘ると、きっと予想もしない深淵が待っていることを僕は知っている。
僕の心の中にも、そして、あなたの心の中にも、深淵は存在するのだ。
ただ、その場所やアクセスの方法が分からないだけで。
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人間の車への愛着は妙なものだ。そのフェティシズムの正体は何なのだろう。
僕はそのことをずっと考えている。
あの親子のことよりもずっと気になる。
でも、今は忙しいから、この問題はしばらく放っておこうと思う。