消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

野崎日記(9) 新しい金融秩序への期待(9) 証券化とハイリターンの出自

2008-11-16 00:43:46 | 野崎日記(新しい金融秩序への期待)

 証券化とLBOは、ともに、一九八〇年代の米国で生み出されたものである。

 
LBOは、金融と金利の自由化に伴う預金の流出に見舞われたS&L(貯蓄投資組合)という小口預金組織が相次いで破綻したときに多用された。破綻したS&LをLBOによって次々と買収して、まとまて転売するというビジネスが注目された。加えて、海外からの膨大な資金流入が、市場の利子率を下させた。それが住宅価格を上昇させ、LBOを刺激した。借金を梃子とする過剰投資がなされたのである。利子率低下は年金基金の収益を悪化させた。やむなく、危険ではあるが高い収益をもたらしてくれるヘッジファンドに年金基金は資金を預けるようになった。

 債権の証券化は、メキシコのデフォルト危機に対処するために、米国政府によって編み出された手法である。一九八〇年代のメキシコ政府の持続的な債務返済危機によって、米国の銀行は深刻な経営困難に直面した。これを救済したのが、「ブレイディ・プラン」(Blady Plan)であった。ニコラス・ブレイディ(Nicholas Blady)は父ブッシュ政権下の財務長官であった。

 まず、米銀がもつメキシコ政府の債権(ドル建て)を額面から割り引いて「ブレイディ証券」という新証券(ドル建て)に組み替え、それを世界銀行などの国際金融機関や日欧の銀行が買い取る。銀行は、その新証券を、メキシコに進出したい多国籍企業に転売する。新証券を買った多国籍企業は、それをメキシコ政府に買い取ってもらう。

 しかし、メキシコ政府にはそもそも外貨がない。そこで、新証券を株式と交換する。その株式は、民営化された元政府系企業が発行したものである。こうして、メキシコで民営化が実施され、多国籍企業は、民営化された企業の株式を取得することによって、メキシコに足掛かりを掴む。これは当時、「債務の株式化」と言われ、国富の切り売りではないかと批判されたものである。

 しかし、ことは、たんなる債務の株式化で終わらなかった。メキシコ政府は経済支援を受けることと引き替えに、国際金融組織から民営化、金融の自由化、外資導入、等々の構造改革を迫られたのである。「債務の株式化」は、他の途上国の国家資本主義的傾向を、強引に市場化に向けたものに変えた。これが、ワシントン・コンセンサスと言われるものである。一九八〇年代末から一九九〇年代初めにかけて行われた政策である。こうした措置によって、米銀は息を吹き返し、以後、米国の金融は証券化が一般的になったのである。

 理由は分からない。なぜか凄腕の金融マンには慈善事業家や敬虔な宗教家が多い。彼らら収入は、もう想像を絶する多さである。ウォール街では、金などのコモディティを扱うトレーダーは、経験一年目の新人でも一二〇〇万円、中堅クラスで六〇〇〇万円、上級職で二億四〇〇〇万円という途方もない金額が通常の給与以外に臨時ボーナスとして支給されている。債券のディーラーになるとこれよりもはるかに大きく、一〇〇億円を支給される人すらいるという(http://www.mmc.co.jp/gold/market/toshima_t/2007/264.html)。短期間に稼ぐだけ稼いで転身する。政治家と大学教授がその受け皿になっている。とにかく溜息が出てしまう。