消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

ギリシア哲学 28 ヘラクレイトス2

2007-01-18 00:07:17 | 古代ギリシャ哲学(須磨日記)
 ヘラクレイトスもまた、著作がのこされていない。多数の哲学者がヘラクレイトスの言動だと書き残したもののみが存在する。こうした紹介を以下、断片という。

 「病気は健康を、飢餓は飽食を、披露は休息を、快適にして善いものにする」
  (ストバイオス『精華集』第3巻第10章より、ヘラクレイトス断片」。

 「豚は泥を好む。しかし、人間は好まない」
 (ヒッポリュトス『全異端派論駁』第9巻第10章より、断片)。

 「ロバは黄金よりもワラ屑を好む。だが人間はワラ屑よりも黄金を好む」
 (同、断片)。

 「通常、悪いことのはずである、切ったり焼いたりすることで、外科医は報酬を要求する」
 (ヒッポリュトス、同上、断片)。 

 「不正がなければ正義もないであろう」
 (ストバイオス、同上、断片)。

 「ひとまとまりにつながったものは、全体であって全体でがない。一致していながら仲違いしていて、調子が合っていながら調子外れである。万物が一から生じ、一から万物が生じる」
 (擬アリストテレス『宇宙論』第5章より、断片)。

 これは解釈が難しい断片である。個々のものは全体としてまとまっている。しかし、全体から離れて仔細に見れば、個々のものは自己の個性を発揮しているとでも解釈すればよいのかも。個々のものが相互に連関しながら、相互に相手を照らし出すと、解釈したい。

 「顕わになっていない結びつきは、顕わになっている結びつきよりも強力である」
 (ヒッポリュトス、同上、断片)。

 これはすごい。人間の認識をはるかに超える事物の秩序があると指摘しているのである。

 「自然本性(ピュシス)は隠れることを好む」
 (テミスティオス『弁論集』5、断片)。

 「調和には逆向きに引っ張り合うハーモニーもある。弓や竪琴のように」
 (ヒッポリュトス、同上、断片)。

 「予期しなければ、予期されていないものは発見できないであろう。それは、見出しえないもの、獲得しがたいものだから」
 (クレメンス『雑録集』第2巻第17章より、断片)。

 「争いは正義である。万物は必然的に争いに従って生じることを知らねばならない」
 (オリゲネス『ケルソス論駁』第6巻第42章より、断片)。

 「戦争は万物の父であり、王である。それはあるものたちを神にする。あるものたちを人間として示す。あるものたちを奴隷にする。そして、あるものたちを自由人にする」
 (ヒッポリュトス、同上、断片)。

 すごい自然観が以下に示される。

 「秩序あるこの世界(コスモス)は万人に同一のものとしてある。この世界は神々のどなたかが創ったものではない。人間の誰かが創ったものでもない。以前から常にあったものである。今もあり、これからもあり続けるだろう。永遠に生きている火として、一定の分だけ燃え、一定の分だけ消えながら」
 (クレメンス、同上、断片)。

 「万物は火の交換物であり、火は万物の交換物である。品物が黄金の交換物であり、黄金が品物の交換物であるように」
 (プルタルコス『デルポイのEについて』第8章より、断片)。

 この最後の言葉のすごさに感激して、私は、弘文堂『歴史学事典』(コミュニケーション)の「交換」の項に書いた(未発刊)。一部を以下に引用させていただく。



「交換 【英】exchange 【仏】Exchange 【独】Tausch  コミュニケーションとしての交換 「あるもの」を別の「あるもの」と取り換えることを「交換」という。「あるもの」とは、「物」に限定されず、人間社会や宇宙、地球といったらゆるシステムに存在する「あらゆるもの」を含む。それこそ、商品の交換、知識の交換、心の交換、契約の交換、等々、あらゆる交換がある。そもそも、1つの言葉の定義を語るとき、抽象レベルが高くなればなるほど、説明は多元的かつ複雑になってしまう。ある定義を行えば、ただちに他の定義の必要性が出てくる。定義とは、文字通り、多元的かつ複雑な事象から、限定された局面を切り取り、その狭い枠内で説明を行うことである。事象をできるだけ統一的に把握しようとすれば、抽象という言葉とは裏腹に、多様な説明を並列的に語るしかないのである。 そうした困難さは、遠く、ソクラテス以前の古代ギリシャ哲学者たちによっても認識されていた。例えば、ヘライクレイトス(Hēracleitos)は、「知とは唯一のもの、すなわち、いかにして万物を通して万物が操られるかの叡智に精通していることである」(ディオゲネス・ラエルティオス、Diogenēs Laertios、『哲学者列伝』、Vitae et sententiae eorum qui in philosophia probati fuerunt, IX, I、からの引用、以下同じ)としながらも、「顕わになっていない結びつき(ハルモニエー)は、顕わになっている結びつきよりも強力である」(ヒッポリュトス、Hippolytos、『全異端派論駁』、Refutatio omnium herasium, IX, Ix, V)。つまり、すでに説明したものよりももっと豊富な事象が統一的に存在していると、知の、傲慢を戒めていたのである。 そうした困難さを踏まえて、強いて、「交換」の定義を与えるとすれば、交換は、もっとも広い意味においての「コミュニケーション」である。存在するものすべてが相互依存の関係にある。自らの一部を他者に渡し、自らと異なったものを取り込む。これが交換である。つまり、主体間のコミュニケーションが交換である。そして、交換こそがシステムに新しい息吹を吹き込んで、システムを維持する。 ここで、システムというのは人間社会のそれだけではなく、人間以外の生物や非生物のものも含む。 このことの認識もヘラクレイトスは持っていた。「万物は火の交換物であり、火は万物の交換物である。ちょうど、品物が黄金の交換物であり、黄金が品物の交換物であるように」(プルタルコス、Ploutarchos、『デルポイのEについて』、De E apud Delphos, IIX, 388D)。つまり、地球もまた熱交換を通じてシステムを維持していると、古代の哲学者は「交換」を理解していたのである」。

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