消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

須磨日記(8) 古代ギリシャ哲学(40) ヒポクラテス(2)

2008-07-16 18:58:08 | 古代ギリシャ哲学(須磨日記)

 コス島



 コス島(Κώς)は、エーゲ海南西部、ドデカネス諸島にあるギリシャの島。島の大きさは東西40km、南北8kmで、北緯36°51′東経 27°14′に位置し、ギリシャよりトルコに近い。先述のロードス島の北西に位置する。肥沃な平野と不毛な高地をもつ島である。人口は約31,000人。長い砂浜。観光が主な産業。住民の多くは農業に従事、小麦、とうもろこし、ブドウ、アーモンド、イチジク、オリーブ、トマトやレタスなどの栽培。港と島の人口の中心である町、コスは、観光と文化の中心であり、白い建物が建ち並んでいる。町の港の入り口には、ロードス島の聖ヨハネ騎士団によって1315年に立てられた要塞がある。



 コス島は、カリアン(the Carians)の植民地であった。トロイ戦争に巻き込まれたとされている。.紀元前11世紀にドーリア人(The Dorianss)の植民地になった。このとき、ギリシャのポリス、エピダウルス(Epidaurus)から多数の移住者が入ってきた。彼らは、アスクリーピウス(Asclepius、σκληπιός)という宗教を島に持ち込んだ。この神は、ギリシャ神話では医薬と癒しの神である。英語のaesculapian(医術の)の語源になっている。

 
アスクリーピウスの6人の娘たちも医学上の神である。まず、ヒギエイア(Hygieia)。彼女は英語のhygienics(衛生学)の語源になった。そしてメディトリナ(Meditrina)。いうまでもなく、medicine(医薬)の語源である。毒蛇を体内にもつという意味もある。 パナセア(Panacea)は、panacea(万能薬)。イアソ(Iasoa)はiatrics(治療の、癒しの)語源である。あと、アケソ(Aceso)、アグラエ(Aglaea)がいる。息子は3人である。マカイアン(Machaon、ギリシャ軍の軍医)、テレスホロス(Telesphoros)、ポダリヌス(Podalirius)である。アラートス(Aratus)という息子も別の女神との間にもうけている(Wikipedia)。



 アスクリーピウス(アスクレピオス)は、オリンポス十二神の一人である太陽の神アポロの子供。アポロは美女、美少年を恋人にした。美少年はヒュアキントス。ヒュアキントスは突然の事故で亡くなり、遺骸から可憐な花を咲かせ、後にヒヤシンスと名づけられた。美しい少女はコロニス(Coronis、Arsinoe) 、アスクリーピウスを生む。コロニスに恋をしたアポロは、彼女を見張らせるためにカラスをつけた。

  当時カラスは黄金色に輝く羽を持つ美しい鳥だった。コロニスはアポロの子供を宿した。それを知った彼女の父親は相手が神であるアポロだとは信じず、大慌てで親戚の青年と結婚させてしまった。結婚式当日、カラスは急いでアポロのところへ飛び、事態を知らせた。アポロはコロニスの結婚話を聞くや激怒し、火を放って、カラスの自慢にしていた金色の羽を熱で焼いてしまった。以来、カラスの羽は真っ黒になっ。アポロの怒りは花婿や父親ばかりか、コロニスにも向けられた。愛するコロニスはアポロの双子の妹、月の女神アルテミスの手によって殺された。しかしお腹の子は紛れもなく、自分の子供。アポロは密かに帝王切開で子どもを取り上げ、犬と蛇をつき添わせ、森の奥深くに潜む半人半馬の神の一種族ケンタウロス族のもとに送り、第一の知恵者といわれたケイロンに教育を頼んだ。

 アスクリーピウスと名づけられたその子は、木の実や草の持つ不思議な薬効を学び医者となった。彼の医者としての名声はいつしか世に広まり、勉強を続けた彼はついに死者までをも生き返らせるほどの腕となった。ところが彼があまりに何度も死者を甦らせたため、あの世の国へ行く死者がいなくなってしまった。あの世の国王ハーデスは怒りを覚え、全ての神々の王ゼウスに、「アスクリーピウスは神の権威を失墜させている」と訴え出た。

 ゼウスはこの願いを聞き入れ、雷によってアスクリーピウススを殺してしまった。アポロがゼウスの息子なので、アスクリーピウスは、ゼウスの孫にあたる。息子の処刑を知った父アポロはゼウスの元へ駆けつけ、懸命に息子の弁明をすると、ゼウスもやり過ぎたと後悔し、アスクリーピウスを蛇と共に天に上げて星座にしてやった。夏の夜、南の空にひときわ赤く輝くさそり座のアンタレス。そのすぐ横に見られるちょうど将棋の駒を横向きにしたような形の「蛇使い座」がそれである。

 アスクリーピウスはいつも杖を持ち、その杖には蛇が巻き付いていたとされる。ここからこの杖のことを アスクレピオスの杖と呼ぶようになり、いつしか医学のシンボルにまでなった。医神と崇められたのはアスクレピオスだけではない。長男マカオンは外科の、次男ボダイレイオスは内科の、長女ヒュゲイアは健康の女神として英語の衛生学の起源となり、次女パナケアは薬の女神として万能薬の名前に残る。まさに彼の家族は医学の神様一家となった(http://www.toranomon.gr.jp/sitemanage/contents/attach/111/2004_06.pdf、澤田祐介『面白医話』5、荘道社、2002年)。

 コス島では、こうして医学が宗教と堅く結びついていた。そこでは、蛇が癒しの儀式に使われた。毒を含まない蛇が病室の床に放されていた。そうした病院は、寺院に設けられていた。寺院は「アスクリーピエイオン」と名付けられていた。病人は蛇が這う病室で信者たちに囲まれ、眠りにつく。そしてその夜に見た夢を司祭に語り、その内容によって入湯したり、運動ジムで癒される。

 後述する「ヒポクラテスの誓い」は、初期のものには、「医者のアポロ、アスクリピウス、ヒギエリア、パナセア、そしてすべての神に誓う」という言葉から始められていた(L.R. Farnell, Greek Hero Cults and Ideas of Immortality, Chapter 10, "The Cult of Asklepios" Adamant Media Corporation 、2001, p.240)。

 医学の父ヒポクラテスは、このコスで紀元前460年頃生まれたと考えられている。町の中央にはヒポクラテスの木と呼ばれるプラタナスの巨木があり、この木の下でヒポクラテスが医学を教えたと言い伝えられている。そのヒポクラテスを記念して、この町に国際ヒポクラテス財団の本拠地とヒポクラテス博物館がつくられている。

 コス島の統治は、宗教によるものであり、リンドス(Lindos)、カミロス(Kamiros)、イアリソス(Ialysos)、クニダス(Cnidus)、ハリカマサス(Halicarnassus)などの近隣の都市国家と神殿や儀式の安全を保持するための「隣保同盟」(amphictyony)を結成していたらしい、が、詳しいことは不明である(Richard Stillwell, et al, eds, The Princeton Encyclopedia of Classical Sites , s.v. "Kos", Princeton Univ Pr, 1975)。

 紀元前6世紀、コスはペルシャのアケメネス朝(Achaemenid)の支配下に入った。紀元前479年、マイカル岬(Cape Mykale)でギリシャ軍がペルシャを破ったことから独立、一時、再度ペルシャに支配されたが、これもギリシャ=ペルシャ戦争(Greco-Persian Wars)によって押し返す。紀元前5世紀、デリアン同盟(the Delian League)を結び、ロードス島の暴動鎮圧後、エーゲ海(Aegean Sea)におけるアテネの重要要塞となった。

  以後、この地は、ヘレニズム時代まで、アテネとの角逐によって動乱を繰り返した。紀元前336年以降、ヘレニズム時代に入って交通の要所としてコスは繁栄していた。アレキサンドリア博物館の支所が置かれ、エジプトのプトレオマイオス朝(Ptolemaic dynasty)の王子たちのセミナーハウスもあった。

 彼らがヒポクラテスの薫陶を受けたのである。画家のアペレス(Apelles)、詩人のフィリタス(Philitas)、テオクリトス(Theocritus)などが門下から出た逸材である。.


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