消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

ギリシャ哲学 25 ミレトスのアナクシマンドロス

2006-12-26 00:27:38 | 古代ギリシャ哲学(須磨日記)
  アナクシマンドロスは、前547年に64歳、その後、まもなくして没したとされている。ディオゲネス・ラエルティオスによれば、アナクシマンドロスは、始原とは、「なにか形のあるもの」ではなく、「無限のもの」であるとした。 

つまり、彼にとって、空気も水も形があるゆえに始原とは見なされなかったのである。人間の認知能力は無限に対しては歯が立たない。無限を切断して有限の細片に加工しなければ認識できないのが人間なのである。彼の出発点は虚心に自然を観察するところにあった。結局は、記述しか方法はなかったのである。プラトン、アリストテレスから唾棄されたのは、こうした非演繹性にあった。

 彼は、夏至・冬至・春分・秋分を確定すべく、「グノーモーン」(垂針盤)を考案したと言われている。もちろん、確証はない。日時計も天球儀もこしらえたとされる。



 『スーダ』によれば、彼は、タレスの縁者にして弟子、そして後継者であった。大地が宇宙の真ん中にあるとした

『自然について』、『大地周行記』、『さすらわぬものたち=恒星について』、『天球論』
を著したとされているが、やはり、現物は残されていない。 彼は、人間の経験生活のあらゆる局面を記述しようとしていた。ピタゴラスの師であったという説が有力である。



 ヘロドトスによれば、天球儀とグノーモーン、さらには、昼を12分割にすることを、ギリシャ人たちに教えたのは、バビロニア人であったという。

 
よしんば、アナクシマンドロスがグノーモーンを発見したといえなくても、彼がそれをバビロニア人から学んでギリシャに伝えたという可能性は非常に高いと『スーダ』からは受け取ることができる。

 彼は、史上初の広範な地図を作成した。人間社会の広大な広がりを、できうる限り地図で表現したのである。先のディオゲネス・ラエルティオスが、アナクシマンドロスが初めて「大地と海洋の輪郭を描いた」というのはその意味においてである。

 ただし、イオニアの地図は、後世のヘロドトスによって揶揄されてしまった。 ヘロドトス『歴史』第4巻36節で、以下のように記述されてしまった。

 「これまで多くの人たちが大地一円を描いたが、誰も理に適った仕方で説明していない。これには笑ってしまう。彼らはオケアノスが大地の周辺を流れている様を、コンパスを用いたかのうように円く描いている。アシア(アジア)とエウロペ(ヨーロッパ)が同じ大きさとして描かれているのである」。

 「歴史の父」のヘロドトスに揶揄されてしまえばカタナシであるが、それでも私は抗弁したい。タレスにしても、アナクシマンドロスにしても、オケアノスをこのような平板な形で考えたわけではない。アナクシマンドロスは知りうる限りの人間社会を地図に映し込もうとしたのだと。当時、ミレトスは交易の中心地であり、植民都市の主たる開設者であった。したがって、ミレトスには世界の情報が集まっていた。そして、彼自身が黒海沿岸のアポロニアに植民都市建設に携わったのである。

 彼の行動半径はヘロドトスに比べると微々たるものではあるが、それを地図で表現しようとした努力は認められるべきである。

 ただし、周知のように、イオニア的な科学は、十把一絡げにアリストテレスによって「自然哲学的なもの」として侮蔑の対象に貶められたものである。

 ミレトスは地震帯であった。こうしたことから、彼は地震を予知して、スパルタ人を避難させたことがある。ピタゴラスも地震を予知した。

 おそらくは、コウノトリが騒ぐと地震が近いという類のものであったろうが、阪神淡路大震災を経験している私にはよく分かる。私の知り合いの漁師たちは地震が発生する1か月も前に、須磨から魚がいなくなってしまったと気味悪がっていた。



 人間が動物のなかでもっとも感覚能力が劣っているのは確かである。虚心に自然観察すれば、人間の劣った能力もある程度補正はできる。森を全滅させてしまったギリシャ・ローマ人には足下にも及ばない知恵をイオニアなどの東方世界はもっていたはずである。

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