思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

お気楽論より

2009-10-22 11:29:08 | Weblog
これはすごい。画期的な発見である。リベット先生は脳の手術を受ける患者の協力を得て脳ミソに電極を差したり皮膚を刺激したりして実験した結果、「我々の意識は現実から0.5秒遅れている」ということを明らかにしてしまったのだ。

我々が何か(音とか光とか皮膚への刺激とか)を意識するのは、その何かが起きてから0.5秒後なのである。しかし、我々はそのことに気付かず、リアルタイムの現実に接しているつもりである。そこにはトリックがあって、我々は身体が何かを感じてから0.5秒後にそれに気付くのだが、「これを意識したのは0.5秒前(つまりリアルタイム)だ」というように脳が勝手に修正しているのだそうだ。

でも0.5秒もタイムラグがあったら、スポーツや音楽はうまくいかないはずだ。たとえば100m競走のスタートが0.1秒くらいでできるのはなぜか。それは無意識の反応なのである。リベット先生もスポーツや音楽は無意識のパフォーマンスで、意識的になったらうまくいかないといっている。リベット先生は、それを芸術や科学など創造的行為のすべてに一般化したいという。これって、まさに僕が小脳論で言っていることじゃありませんか! リベット先生は「無意識=小脳の働き」とまでは言っていないが、それ以外の話、つまり「創造には非意識的態度が大事」というところは小脳論にとって非常に強力な援軍だ。

我々の意識が感覚からの入力に対して0.5秒遅れているのと同様に、意識的に何かをしようと思うときも、その0.5秒前には脳の活動が始まっているのだそうである。我々は自分で意識的に何かを決めたつもりになっているが、実は無意識的に決めたことを0.5秒遅れで意識が追いかけているだけなのだ。面白いなあ。

この発見の意味するところは重大で、「自由意志って何?」という古来からの哲学的疑問にも直結している。だからこの本の後半もその問題に対するリベット先生の考察である。でもそのへんは小脳論にとってはあまり重要ではない。もともと無意識的能力をいかに活かすかという観点で考えていて、自由意志というものを偏重していないからである。

ところで、この0.5秒の遅れは何のためにあるのだろうか。リベット先生はフロイトを引き合いに出して、経験内容が意識にとって都合が悪くないように修正されるようなことを示唆している。小脳論的に言うならば、意識的な情報処理能力というのは無意識に比べてかなり

低いので、無意識的情報を意識が扱える情報に変換するのが大変で、0.5秒もかかってしまうのだと思われる。

とにかく意表を衝いた発見だが、僕の小脳論とはものすごくフィットする話である。みんなもっと無意識の自分というものについてよく考えた方がいいのだ、ということが科学的に証明されてしまったわけである。やっぱりそうだったのだ。



意識のなぞ 第3回 

「心の時間さかのぼり認識」

日本経済新聞 1999年9月19日掲載

 時間は、客観的な存在であると同時に、主観的な存在でもある。

 客観的な時間、すなわち物理的時間は、時計を用いて測ることができる。一方、私たちの心の中の時間の流れは、客観的には測ることができない。「相対性理論の意味は何ですか?」と質問されたアインシュタインは、「かわいい女の子の隣に座っていれば1時間でも1分に感じるが、熱いストーヴの近くにいると、1分が1時間にも感じられるということです」というように答えたという。もちろん、ジョークではあるが、アインシュタインの言葉は、私たちの心の中の時間の流れのある側面を捕らえている。心の中の時間の流れは、物理的な時間とは一致しないのだ。

 では、私たちの心の中の時間の流れは、どのようにして決まっているのだろうか?

 私たちの脳の中のニューロンの活動は、物理的な時間の流れの中で起こる。私たちの意識は、結局のところニューロンの活動によって生じるから、私たちの心の時間は、ニューロンの時間(すなわち物理的時間)と何らかの関係を持っていると予想される。

 アメリカの神経生理学者、ベンジャミン・リベットは、一連の実験で、心の時間とニューロンの時間の間の興味深い関係を示した。リベットは、脳外科の手術の際に患者の脳を刺激するなどして、脳のニューロンの活動とそれによって引き起こされる感覚の間の関係を研究した。リベットによると、あるニューロン群の活動が私たちに意識されるためには、ある一定の時間(典型的には500ミリ秒)、活動が継続しなければならない。この、一定の時間以下しか継続しないニューロンの活動は、意識に上らないというのである。

 さらに、リベットは、この500ミリ秒続くニューロンの活動の結果生じる感覚が、心の時間の中でどの瞬間に起こったと意識されるかを研究した。その結果、主観的な時間の中では、感覚は活動開始から500ミリ秒経過して「意識に上る必要条件」が満たされた瞬間ではなく、そもそもニューロンの活動が始まった瞬間に起こったように感じられるということを見い出した。つまり、感覚が生じるためには、500ミリ秒のニューロンの活動が必要だが、その感覚の知覚は、「心の時間」の中では、500ミリ秒の経過時間の最初に「引き戻される」のだ。

 リベットの実験は、その扱っているテーマが難しいだけに、その解釈を巡っては現在でも様々な説がある。いずれにせよ、リベットが、心の時間とニューロンの時間の間の関係を考える上で重要なヒントを提供してくれたことは間違いない。



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