思想家ハラミッタの面白ブログ

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ヒグス粒子は「パクリの粒子」!?:

2015-07-15 09:34:52 | Weblog
http://quasimoto.exblog.jp/21165187/


対称性の破れ、エネルギーギャップ、プラズマの衣、くりこみ可能性、こんな概念が登場したのが、1950年代〜1960年代であった。

そして、「宇宙はヒグス粒子で満ち満ちている」ということになったわけですナ。

しかしながら、その業界の中でやっている人たちはそれでいいかもしれないが、その外からみれば、実にやつらのおやりになっていることは馬鹿げた、アホくさいことでもある。

なぜなら、19世紀の物理学の創始者たちは、「この宇宙はエーテルで満ち満ちている」と心底信じていた。しかし、最初に20世紀の物理学者は「エーテル流体」を否定することから、特殊相対性理論が誕生してきた。それが一般相対性理論で「空間はエーテル剛体」のようなものだということになり、空間は何もないのではなく、重力で曲がるようなものだということになった。そして、弱い相互作用を説明するにあたり、今度は「宇宙はヒグス流体で満ち満ちている」。ヒグス粒子は超電導のクーパー粒子のようなものだということになった。それは電荷ゼロの中性の光の一種であるが、質量が極めて大きい。だから、これまで発見できなかったということになった。

言い換えれば、連中はこの100年かけて「エーテルはヒグス粒子の流体だった」と証明したということですナ。つまり、最初に否定したはずのエーテルが、最後には存在することになった、とも言えるのである。

な〜〜んだ。ヒグス粒子ってエーテルの材料だったのかいナ?

ということになっちまったのである。

いや〜〜、まいった、まいった。
これで何兆円費やしたんでしょうか? たぶん、10兆円は下らないだろうナア。


まあ、それより、私個人の趣味趣向としては、人様の業績やアイデアをパクりまくった偽ユダヤ人の業績がノーベル賞になるとなれば、もはや物理学は終焉したに等しいと思うというわけである。さんざん人が話しているときは否定しておきながら、相手がポシャったか見たか、今度は自分がそれを主張しはじめる。なにか、おとなりの斜め上目線の韓国を思い起こさせる話なのである。

こんな風潮でいくら良い理論が誕生したとしても、それでは若者や子どもたちへの示しがつかない。

というわけで、かねてから私個人は「ヒグス粒子は神の粒子」ではなく、「悪魔の粒子」だヨ、と言ってきたわけですナ。

まあ、いずれにせよ、物理学はもはや死んだも同然の分野。最後の見納めということでしょうナア。



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