http://vrilgese.blog.fc2.com/blog-entry-915.html
1954年1月28日、ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich, 1897年3月24日 - 1957年11月3日)博士は初めてUFOを目撃した。午後10時、書斎にいた彼は窓から外を見ていてUFOを発見、15分にわたってその異常な飛行行動を観察した。
ライヒは、UFOの動力源としてこの宇宙に普遍的に存在するオルゴン・エネルギーを利用していると考えた。そして、異星人は地球を侵略しているとライヒは思った。1952年からの53年にかけてアメリカ全土を襲ったひどい旱魃は、異星人のしわざにちがいない。
ライヒはクラウド・バスターでUFOを撃退する決意を固めた。
1954年5月12日夜10時頃、アメリカのメイン州レインジェリー郊外のオルゴン研究所では、広大な敷地の一面に、まるで多連装高射砲のような装置が何本もの砲身を空に向け、月明かりの中に立っていた。数人の男たちが、その装置の周囲でいそがしく働いている。研究所の設立者ライヒ博士とその助手たちである。
やがて博士が、装置の先端を星の瞬く夜空の一点に向け、ねらいを定めると、装置を始動させた。数分間それを続けたのち、目標位置を少しずらした。こうして何度目かにねらいをつけたとき、突然、1つの星が急激に光を弱めた。まもなく星はふたたび元の明るさにもどったが、なおもねらいをつけていると、この星だけがさらに3回続けて、はっきりと暗くなった。それは、星のまたたきとか目の錯覚といった可能性のつけ入るすきがないほど、明瞭なものであった。
ライヒはその星が最初に暗くなったときに、すでにそれがただの星ではないことを見破っていた。その真の正体は、異星人の乗る宇宙船なのだ。彼は、自分の発明した装置、クラウド・バスターで、UFOのエネルギーを吸い取ることに成功したのだ。
このまま実験を満天の星の中にうまく身を隠したつもりのUFOも、エネルギーをどんどん吸い取られていくのに我慢できなくなり、擬装をかなぐり捨ててその場から逃げ出すのも時間の問題だった。
だが、UFOはライヒ博士とクラウド・バスターに攻撃してくる可能性もあった。
危険を感じたライヒ博士はそこで実験を一時中断した。そして、その夜は実験を再開したものの、もう一度別の星の光を弱めて、UFOの化けの皮をはぐクラウド・バスターの威力を確認するにとどまったのである。
この夜を境にして、クラウド・バスターはUFOを撃退するスペースガン(宇宙銃)に生まれ変わったのだ。10月10日夜の2度目の実験では数個の星の光が弱まったばかりか、星たちはスペースガンの銃口を避けて四方へ飛び散った。
1954年、FDA(アメリカ食品医薬品局)はオルゴン療法装置の販売を禁止し、ライヒは起訴され、懲役2年の刑を言い渡された。そして57年11月、彼はコネチカット州の刑務所で不遇のうちにその生涯を閉じた。60歳であった。
対UFO兵器スペースガンの開発にライヒが取り組もうとした矢先に、FDAが突如強硬手段に出た裏には、何か意図的なものが感じられてならない。
http://vrilgese.blog.fc2.com/blog-entry-738.html
オーストリア系ユダヤ人の心理学者ヴィルヘルム・ライヒのUFOについての見解は独創的である。
彼は、地球は銀河系の戦闘の中心地であり、UFOは敵対する者たちの軍艦だと述べている。一方の軍勢はとてつもなく邪悪で、地球を放射能の燃えかすにしてしまおうと、地球とその大気からオルゴンを奪おうとしているが、もう一方の軍勢は人類の味方で、盗まれたオルゴンを補給してくれているというのだ。
1953年11月、ライヒはUFOに関する本を読み、あるアイデアを思いついた。それは、生命が誕生するのは地球だけに限定されないのだから、UFOが宇宙から飛来しているのは事実だということ。さらに、UFOには独特の動きや青みがかった光が見られ、静かに動くという目撃報告があることから、UFOはオルゴン・エネルギーで動いているに違いないと確信したのだ。そして、UFOを操縦する人をCORE(cosmic orgone engineering)人と呼ぶようになった。
また、ラジウムに関する実験の結果から、彼はオルゴン・エネルギーには有益なオルゴン(OR)と致死性オルゴン(DOR)の2種類あるという結論に達し、UFOがDORを増大させているのではないか、という仮説も考え出した。UFOがオルゴン・エネルギーを使って、廃棄物のDORを放出しているとしたら、UFOは地球への侵略者になるのではないか。そのときは、自分の技術が必要とされるだろう、とライヒは考えたのだ。逆に良性であれば、ORANUR病(ラジウムによる疾病)に対する同盟者かもしれない、とも考えていた。
そのどちらなのかを確認しなければならない、と危機感を持っていたが、宇宙からの侵略者と戦う前に、ライヒが行っていた治療に対する医学会からの批判や訴訟が激化し、この疑問への答えは得られなくなってしまった。
このころ、ライヒはUFO撃退装置として「クラウド・バスター」という装置を開発した。UFOが排出する悪性の雲を消し、大気を浄化しようと考えたのだ。
クラウド・バスターは、長さ数メートルの金属パイプを数本束ねたものを、回転できる台座の上に据え付けたもので、パイプの下端にはケーブルが接続されており、このケーブルの先端を川などに入れて、悪性のエネルギー(DOR)を中和するというものだ。
また、クラウド・バスターは逆に雲を作り、雨を降らすこともできる。ライヒは地球の砂漠化を、人々の感情の病の結果生み出された現象と考え、クラウド・バスターを使った人工降雨実験を行って、実際に雨を降らすことに成功している。当時の新聞は、砂漠に突然降った雨に驚き、ライヒの実験の成功を大々的に報じている。
しかし、ライヒはオルゴン集積装置アキュミュレーターを偽医療器具と断定した販売禁止命令に違反し、実刑判決を受けて服役中の1957年に獄中で死亡した。
ライヒの死後、彼の説は忘れ去られるかに見えたが、賛同するセラピストたちは今も治療活動を続けており、オルゴン・エネルギーについても何人かの研究者がライヒの実験を追試したり、自らのアイデアを盛り込んで研究を続けている。
1954年1月28日、ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich, 1897年3月24日 - 1957年11月3日)博士は初めてUFOを目撃した。午後10時、書斎にいた彼は窓から外を見ていてUFOを発見、15分にわたってその異常な飛行行動を観察した。
ライヒは、UFOの動力源としてこの宇宙に普遍的に存在するオルゴン・エネルギーを利用していると考えた。そして、異星人は地球を侵略しているとライヒは思った。1952年からの53年にかけてアメリカ全土を襲ったひどい旱魃は、異星人のしわざにちがいない。
ライヒはクラウド・バスターでUFOを撃退する決意を固めた。
1954年5月12日夜10時頃、アメリカのメイン州レインジェリー郊外のオルゴン研究所では、広大な敷地の一面に、まるで多連装高射砲のような装置が何本もの砲身を空に向け、月明かりの中に立っていた。数人の男たちが、その装置の周囲でいそがしく働いている。研究所の設立者ライヒ博士とその助手たちである。
やがて博士が、装置の先端を星の瞬く夜空の一点に向け、ねらいを定めると、装置を始動させた。数分間それを続けたのち、目標位置を少しずらした。こうして何度目かにねらいをつけたとき、突然、1つの星が急激に光を弱めた。まもなく星はふたたび元の明るさにもどったが、なおもねらいをつけていると、この星だけがさらに3回続けて、はっきりと暗くなった。それは、星のまたたきとか目の錯覚といった可能性のつけ入るすきがないほど、明瞭なものであった。
ライヒはその星が最初に暗くなったときに、すでにそれがただの星ではないことを見破っていた。その真の正体は、異星人の乗る宇宙船なのだ。彼は、自分の発明した装置、クラウド・バスターで、UFOのエネルギーを吸い取ることに成功したのだ。
このまま実験を満天の星の中にうまく身を隠したつもりのUFOも、エネルギーをどんどん吸い取られていくのに我慢できなくなり、擬装をかなぐり捨ててその場から逃げ出すのも時間の問題だった。
だが、UFOはライヒ博士とクラウド・バスターに攻撃してくる可能性もあった。
危険を感じたライヒ博士はそこで実験を一時中断した。そして、その夜は実験を再開したものの、もう一度別の星の光を弱めて、UFOの化けの皮をはぐクラウド・バスターの威力を確認するにとどまったのである。
この夜を境にして、クラウド・バスターはUFOを撃退するスペースガン(宇宙銃)に生まれ変わったのだ。10月10日夜の2度目の実験では数個の星の光が弱まったばかりか、星たちはスペースガンの銃口を避けて四方へ飛び散った。
1954年、FDA(アメリカ食品医薬品局)はオルゴン療法装置の販売を禁止し、ライヒは起訴され、懲役2年の刑を言い渡された。そして57年11月、彼はコネチカット州の刑務所で不遇のうちにその生涯を閉じた。60歳であった。
対UFO兵器スペースガンの開発にライヒが取り組もうとした矢先に、FDAが突如強硬手段に出た裏には、何か意図的なものが感じられてならない。
http://vrilgese.blog.fc2.com/blog-entry-738.html
オーストリア系ユダヤ人の心理学者ヴィルヘルム・ライヒのUFOについての見解は独創的である。
彼は、地球は銀河系の戦闘の中心地であり、UFOは敵対する者たちの軍艦だと述べている。一方の軍勢はとてつもなく邪悪で、地球を放射能の燃えかすにしてしまおうと、地球とその大気からオルゴンを奪おうとしているが、もう一方の軍勢は人類の味方で、盗まれたオルゴンを補給してくれているというのだ。
1953年11月、ライヒはUFOに関する本を読み、あるアイデアを思いついた。それは、生命が誕生するのは地球だけに限定されないのだから、UFOが宇宙から飛来しているのは事実だということ。さらに、UFOには独特の動きや青みがかった光が見られ、静かに動くという目撃報告があることから、UFOはオルゴン・エネルギーで動いているに違いないと確信したのだ。そして、UFOを操縦する人をCORE(cosmic orgone engineering)人と呼ぶようになった。
また、ラジウムに関する実験の結果から、彼はオルゴン・エネルギーには有益なオルゴン(OR)と致死性オルゴン(DOR)の2種類あるという結論に達し、UFOがDORを増大させているのではないか、という仮説も考え出した。UFOがオルゴン・エネルギーを使って、廃棄物のDORを放出しているとしたら、UFOは地球への侵略者になるのではないか。そのときは、自分の技術が必要とされるだろう、とライヒは考えたのだ。逆に良性であれば、ORANUR病(ラジウムによる疾病)に対する同盟者かもしれない、とも考えていた。
そのどちらなのかを確認しなければならない、と危機感を持っていたが、宇宙からの侵略者と戦う前に、ライヒが行っていた治療に対する医学会からの批判や訴訟が激化し、この疑問への答えは得られなくなってしまった。
このころ、ライヒはUFO撃退装置として「クラウド・バスター」という装置を開発した。UFOが排出する悪性の雲を消し、大気を浄化しようと考えたのだ。
クラウド・バスターは、長さ数メートルの金属パイプを数本束ねたものを、回転できる台座の上に据え付けたもので、パイプの下端にはケーブルが接続されており、このケーブルの先端を川などに入れて、悪性のエネルギー(DOR)を中和するというものだ。
また、クラウド・バスターは逆に雲を作り、雨を降らすこともできる。ライヒは地球の砂漠化を、人々の感情の病の結果生み出された現象と考え、クラウド・バスターを使った人工降雨実験を行って、実際に雨を降らすことに成功している。当時の新聞は、砂漠に突然降った雨に驚き、ライヒの実験の成功を大々的に報じている。
しかし、ライヒはオルゴン集積装置アキュミュレーターを偽医療器具と断定した販売禁止命令に違反し、実刑判決を受けて服役中の1957年に獄中で死亡した。
ライヒの死後、彼の説は忘れ去られるかに見えたが、賛同するセラピストたちは今も治療活動を続けており、オルゴン・エネルギーについても何人かの研究者がライヒの実験を追試したり、自らのアイデアを盛り込んで研究を続けている。