思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

意識レベル [ 200 ] 勇気  レインボー

2017-10-18 11:10:53 | 思想、哲学、宇宙論


[ 200 ] 勇気



200レベルにおいて初めて、「フォース」から「パワー」へと展開します。

200以下のエネルギーレベルに陥っている被験者をテストすると、すべての反応が弱くなるのが簡単に確かめられます。ところが200以上の生命を支えるフィールドでは、皆が強く反応します。

これは生きることに対して、ポジティブか、それともネガティブな影響を与えるのかを識別できる。臨界点です。

「勇気」のレベルにおいて、「パワー」が到来します。したがって、さまざまな能力が産まれるレベルであり、探求、達成、忍耐力、決断力のゾーンです。もっと低いレベルでは、世の中は絶望的であったり、悲しいものであったり、恐ろしかったり、もしくはいらだたしく見えます。しかし、勇気のレベルでは、人生は面白く挑戦的でもあり、刺激があるように見えるのです。

「勇気」は新しいものを試みながら、人生の変化と挑戦に立ち向かう意欲を意味します。能力が与えられるこのレベルでは、人は難問にも対処できるようになり、また人生のチャンスをうまく生かすことができます。

例えば200では、新しい仕事の技術を学ぶエネルギーを得ることができます。成長することや学びは、達成可能な目標となります。恐怖や性格の欠点に直面しても、そんなことにも負けずに成長できる能力があります。不安に対しても200以下の段階では無力ですが、ここでは努力をむだにしません。意識が200未満である人々を打ち負かす傷害も、このレベルに進化した人たちにとっては、逆に刺激となって働きかけます。

このレベルにおける人々は、自分たちが得るのと同じくらい多くのエネルギーを世間に返します。低いレベルでは、個人に対しても、集団に対しても、社会に貢献することなく、ただエネルギーを消耗させるだけです。達成すること自体がポジティブなフィードバックや自分のためになり、また自尊心にもつながるので、次第に自分は強くなっていき、生産的な生き方が始まります。人類の集合意識レベルは、何世紀にもわたって190に留まり続けましたが、この10年間にほんの少しですが207というレベルにジャンプしたことは、興味深いことです。






意識レベル [ 250 ] 中立  ディープパープル

2017-10-18 11:00:32 | 思想、哲学、宇宙論


[ 250 ] 中立



「中立」と呼ばれるレベルに達すると、低いレベルから解放されるので、エネルギーは非常にポジティブになります。

250未満では、意識はものごとを二つに分けて見る傾向があり、白黒で分けられない複雑で多因性の世界の問題に対しても、どちらかに固執する姿勢をとります。

しかしそのような姿勢を取れば、二極性が生じて反対や分裂を作ってしまいます。武道では堅い姿勢は攻撃されやすい要素となります。曲がらないものは壊れやすいからです。

傷害や、人のエネルギーを消耗させる対立を超えると、「中立」の状態となります。ここでは柔軟さがあり、批判的にならないので、現実的な評価ができるようになります。「中立」であることは、結果に比較的こだわらないことを意味します。自分の思いどおりにならないことに対する苛立ちは、もはや経験しなくなります。

「中立」のレベルでは、「さて、この仕事が得られないのなら、また別の仕事でも探そう」と言うことができます。これは、内なる自信の始まりを意味します。自分のパワーが感じられると、人は簡単におじけづいたりしませんし、他人に認めてもらう必要はありません。浮き沈みする人生で、基本的に250のレベルの態度をもちながら、自然体でいられます。

「中立」の人たちには、幸福感があります。このレベルでは、この世で生きてる自信が現れます。このレベルの人たちは、対立や競争、罪悪感に関心がないので、周囲の人たちも安心して、良好な関係が築けます。彼らは基本的に感情の乱れがありませんし、批判的な態度や他人をコントロールすることもないので一緒にいると快適です。中立の人たちは、自由を大切にするからこそ、彼らをコントロールすることは難しいのです。





意識レベル [ 310 ] 意欲  ビートルズ

2017-10-18 10:10:07 | 思想、哲学、宇宙論


[ 310 ] 意欲



非常にポジティブなこのエネルギーのレベルは、これからさらに上のレベルへの入口であると考えられます。

例えば「中立」のレベルでは仕事は適切に行われますが、「意欲」のレベルでは仕事はうまく進み、すべてのプロジェクトが成功するのは当たり前のことになります。

成長はここで急速に早まります。なぜならこのレベルの人々は、周りから求められて進歩するからです。「意欲」とは、人生に対する内面の抵抗に打ち勝って、前向きに生きることを意味します。

測定が200以下の人々は、閉鎖的な傾向がありますが、310のレベルになると、素晴らしいひらめきが現れます。

このレベルでは、だれにでも好意を持って接する人間になるので、社会的にも経済的にも成功は自動的についてきます。

意欲ある人は、失業にも煩わされません。彼らはどんな仕事も引き受けますし、自分から天職を作り出したり、自営業を営んだりすることもあります。彼らはサービス業など決して嫌がりません。彼らはだれに対しても協力的で、社会のよき貢献者となります。また、心の内面の問題にも前向きになるので、人生の学びに対する大きな障害はありません。

このレベルの人は、自己尊敬の気持ちが高く、社会からの認知や感謝、見返りといったポジティブなフィードバックによって、それはさらに強化されます。「意欲」は他者の求めに共感し、敏感に反応します。意欲ある人々は、社会を築く貢献者です。逆境から立ち直り、経験から学び、自己修正できる傾向があります。プライドを手離したので、彼らは自分の欠点を知り、他者から学ぶ謙虚さも持ち合わせています。「意欲」のレベルでは、人々は優秀な生徒となります。彼らは容易に訓練できて、社会のために多大なパワーを発揮できることを示します。






意識レベル [ 350 ] 受容  スコーピオンズ

2017-10-18 09:58:42 | 思想、哲学、宇宙論


[ 350 ] 受容



意識のこのレベルでは、自らがソース(源)であり、自分自身が人生のクリエータであるという意識と共に大きな変容が起きます。「自分がすべての根源である」という責任を持つのは、このレベルの進化に特有なものであり、生命のエネルギーと調和をもって生きることができる能力が特徴です。

200未満のレベルにおけるすべての人間は無力な傾向があり、自分を哀れな人生の犠牲者とみなします。これは、幸福の源や問題の原因が、「向こうに」あるという信念から起きます。幸せの源は自分の内にあるという気づきから、自分自身のパワーを取り戻す大きなジャンプが、このレベルで完成します。

さらに進化した段階では、自分を幸福にする能力は「向こう」には何もなく、そして「愛」は人から与えられたり、人から奪ったりするものではなく、自分の内より創造されるものであるということに気づきます。

このレベルを受身と誤解してはいけません。受身は無関心の徴候ですが、「受容」とは人生をあるがままに受け入れることです。そこには感情的な穏やかさがあり、そして否定を乗り越えると、物事の見方が広がってきます。

人はこの状態で、歪みも誤解もなく、ものごとを見る事ができます。経験の内容は拡大されるので、「全体像をみる」ことができるのです。「受容は」本格的にバランス、割合、適切さに関係します。

「受容」のレベルにある個人は、正しいか間違いかを決めることには関心はなく、その問題の解決策を見つけだすことに全力を尽くします。きつい仕事に対して不快に感じたり、うろたえたりしません。長期目標が、短期目標より優先します。自己鍛錬と物事に精通することが際立ってきます。

「受容」のレベルでは、争いや抵抗によって二極化することはありません。他の人たちも自分と同じような権利があるので、平等さを尊重します。

また、低いレベルは硬さが特徴ですが、このレベルにおいては社会的な二極化は、問題解決への一段階として生じていると見え始めます。したがって、区別や不寛容さはありません。平等とは、多様性を無視しないという理解があるので、「受容」はむしろ全体を含めます。