思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

ひふみ通信第14号

2016-10-15 16:34:07 | 思想、哲学、宇宙論






第14号
 
宇宙・天測・スバル


神から人へ、人から神へ。互いの通信交信は、宇宙の真理も伝えゆくべし。この世の仕組みも明かしゆくべし。人類、地球、宇宙のための、この世に生を賜りしもの、全ての知るべき真理なれ、早くに人も知るべき定めよ。さにて本日 何を問いたし。

(一つは宇宙の創造の初めは、どのような世界であったのでしょうか。何もない状態というのはどのような状態なのでしょうか。二つめは、宇宙の真理、天測は、最初にあったのでしょうか、後から徐々に作られていったのでしょうか。三つめは、スバル〔またはプレアデス〕とは、実存するのでしょうか。また、そこに行ったという人間が何人もいるようですが、それは、肉体から離脱した意識のみが行くのでしょうか。また、もし実在するなら、そこはどのような世界なのでしょうか。自然・生活・文明など、できるだけ詳しくお教え頂けないでしょうか。以上、お答え頂きたくお願い申し上げます)

さても難解、困難な問い。人の理解に適うよう、人の人知に添うように、この世の眼前、現象に、即すは難く、さらにも不可能。なれど答えん。可能な限り。人の理解に能うよう。

先ずは宇宙の始まりのとき、この世というも あの世というも、全ては混沌、カオスの状態。一つの形も、こともなく、教えも思いもさらになく、ただに秩序のなき世界。なれど一つの力の表れ、一つの意志と、意識となりて、一つの力を集めゆき、そこから形の現れて、そこから幾つの意志に分かれて、さらに枝葉の伸びゆく如くに、意志なる力の発達しゆく。なれどまだまだ分明ならず、神なる偉大な存在も、いまだ生まれぬ始めのときなり。
そのとき宇宙の一点に、一つの奇跡の 起こり現れ。小さな爆発、噴火の如く、それまでなきほど力は集まり、意志も芽生えて強まりて、己の自覚を持ち始めぬ。そこから偉大な意志の表れ、さらに大なる意志となり、己と他との区別の表れ、力の役割、働きを決め、全体一つの働きとなり、一つ一つの働きと、全体一つの働きとなる。人の生まれぬその前の、何千、何万、何億も前、宇宙の星々、銀河も有らず、ただに意志のみ、エネルギーのみ。さても長きの時を経て、今の地球の生まれ表れ、そこに自然と生を下ろしめ、そこから生の出発を、始めの意志を託されしとき。この世に最初に現れぬるは、さても小さな、儚き命よ。なれどそこから全ては始まり、幾多の試練を、苦悩を越えて、ついには文明文化を生みて、今のこの世と至れる道筋。ひとかたならず。易からず。ただに多くの犠牲もありき。空しく死にて、朽ちぬる生よ。なれどそこから生まれしは、尊き命と、祝いとならん。神の恵みをさらにも受けて、神のご意志を顕すべきを。宇宙の始めの神のご意図は、ただなる物質文明になし。人の心の、意志の栄える、精神世界の発達なれば。
なれど今の世、趨勢は、逆なる繁栄、意志と違いぬ。なれば今は、折り返し、立て替え直しの好機ならん。全てに無駄も、無意味もあらず。全てが次なる一歩のためなれ、憂い悔いるは必要なし。なればこの世の始めのことは、今の答えに現れざるや。人の思いはやがては表れ、形となりて、実現せん。なれば始めの神のご意図も、必ず起こり、この世を動かす。かつてのいにしえ、昔のときを、この世に見るは難しきこと。なれど無なるも誤りならん。ただの混沌、秩序もなかりし、光の元も、音もなき、想像さえも及ばぬ世界よ。

さにて二つめ、宇宙の真理、そもまた、徐々に定められ、この世の表れ、形作られ、そに従いて、法則となる。なれど真理は神の意図。神のご意図に適うよう、法則となり、この世を作らる。この世を作りし神のご意図がそのまま宇宙の真理となれり。なれば始めに神ありて、この世を作る進度に合わせて、法則規則を定められぬる。神は真理の元なれば、真理は神の意図を顕す。
なれど真理は物質に、この世の自然に働きかけて、この世を動かす元なれば、真理を壊すは神への意図の、最も大きな反逆ならん。神の真理はことばに表れ、数学 数式 記号に現れ、そを見つけぬる人類は、物質文明 発達させり。なれど最も肝心なるを、神のご意図を知らざれば、真理は廃り、働かず。数式のみにてこの世を変えんと、ことばの意味のみ利用せり。かくなる過ち、人の間違い。そを正さずば、やがては消滅。全ては始めに戻さるるのみ。なれば人は努力して、少しの気付きを深めてくれよ。そを手伝いて、救ってくれよ。消されず残す魂を、一つも多く、導きゆけよ。

さにて本日、最後の問いなり。スバルの実在、スバルの様子、スバルに旅せし人のこと。先ず始めに、スバルというは実在なり。宇宙の星の一つにて、地球と似る星、天体なり。なれどそこには生もなく、人の世界の自然もあらず。人の肉眼、目には写らず。ただの荒野の如き星。
なれどまことはさにあらず。さらに高次の文明文化の、発達せし星、栄える星なり。なればそこに行きし人も、意識のみにて、何も見えず、ただに心の、意識の交流、意識に映る世界を見るのみ。高次の交信交流なれば、色や形は見えねども、人は見たりと錯覚せり。なれどそこから真の力を、神の力を近くに感じ、偉大な神を、力を信じぬ。なればスバルは神を知る、最初の機会を与える星なり。なれどまことは、多くの星が、神の力を体現し、神の力を賜りて、神のご意志を顕して、神の世界を実現せり。地球も早くにさなる星へと、発達昇華し、成長するべし。今は過渡期の、混迷のとき。宇宙の片隅、小さき星の、上にて起こる、微かな変革。なれどやがては、そも越えて、次なる星へと、進化せん。なれば人々、人類も神へと近づき、神に応えて、神の望まる魂なれよ。

さにて、本日、これまでになく高次の問答となれり。己の分らぬ質問にても、先ずは神に問うてみるべし。いたずらな悩みや相談ならずば、神は喜び、問いを待たん。人の心の進歩に合わせて、分かることばで教えてゆかん。さにて。よくよく読みて、さらに励めよ。さにて




>スバルというは実在なり。宇宙の星の一つにて、地球と似る星、天体なり。なれどそこには生もなく、人の世界の自然もあらず。人の肉眼、目には写らず。ただの荒野の如き星。
なれどまことはさにあらず。さらに高次の文明文化の、発達せし星、栄える星なり。なればそこに行きし人も、意識のみにて、何も見えず、ただに心の、意識の交流、意識に映る世界を見るのみ。高次の交信交流なれば、色や形は見えねども、人は見たりと錯覚せり。なれどそこから真の力を、神の力を近くに感じ、偉大な神を、力を信じぬ。なればスバルは神を知る、最初の機会を与える星なり。なれどまことは、多くの星が、神の力を体現し、神の力を賜りて、神のご意志を顕して、神の世界を実現せり。地球も早くにさなる星へと、発達昇華し、成長するべし。



プレアデスだけでなく多くの星がアセンションしているということですね。

上平剛史さんは、プレアデスに行く宇宙船に乗るときと地球で降りるとき、眠らされていますが

この時に幽体離脱したか身体の振動数を変えてもらったのでしょう。



『私はアセンションした惑星から来た』 オムネク・オネク 

2016-10-15 14:46:23 | 思想、哲学、宇宙論
http://blogs.yahoo.co.jp/chanchan_yanagi/55036208.html



自分たちの欲するすべての物が手に入るアストラル界にいる私たちにとって、問題や教訓というものは別なところにあります。物理的な世界では、・・・中略・・・、物理的な問題が純粋に感情的な問題を上回っています。いっぽうアストラル界においては、私たちは物理的な問題から解放されて、自らの感情にもっと丸ごと向かい合い対処するようになっているのです。金星人たちは情緒のバランスを維持するために多大な努力を払わなければならないのです。(p.237)



世界は人間の集合的な思念を反映して創られているのです。木がどのように見えるかという心のイメージが世代から世代へと引き継がれて、これらの思い込みの思念が木々を変わらぬ姿のまま保っているのです。人の心のイメージが変化すれば、木々も変化するのです(訳注:これは現代の量子力学にも通じる考え方である)。人が「これは不可能だ」と言う時、彼は制限された考え方から発言しているのです。あらゆることは可能なのですが、無知であるがために人は自らに制限を設けているのです。(p.200)


金星では成長するにつれ、住民は都会を離れ、大量生産の利便性を捨て、より自然な生活を営むために村落で自給自足の生活を送るようになりました。各人はより個性的で創造的になるように、自分自身に必要なものの大半は自分自身でまかなえるようにしました。
 精神的に進化を遂げた惑星は自然な結果として、創造的に個性を表現する独創的な人間の住む星となっています。偉大なる変容の前、金星の人々は芸術活動に没頭していて、生活のすべての領域において、創造性が何よりも大切なものとみなされていました。調和と美しさの創造の中に自分自身を表現することがまさに自己の存在目的であると考えられていたのです。そして金星で栄えていた文化はすでにアストラルレベルまで進化していたので、アストラル界への移行は抜本的なものではありませんでした。私たちの同胞は生存のために必要なことよりも、人生における創造的な喜びに専心していましたが、移行後も家族と家庭がひきつづき生活と創造的表現の中心となっていました。(p.221-222)


博物館を訪れる発明家たちは、地球からだけでなく、物理的な世界の他の惑星からもやってきますが、彼らは意識的に、もしくは睡眠中の夢の中で体外離脱して、自身の問題への解決策を入手しようとしているのです。・・・中略・・・。本当のことを言えば、みなさんの物理的世界におけるすべての発明は偉大なアストラル博物館に起源をもっているのです。最初の発明はまず・・・中略・・・アストラル界に住む科学者たちによってなされ、上から降りてきたアイデアをこのアストラル界の環境で完成させてから、次にそれを物理的な世界に適応させていくのです(異なった密度の世界に降ろすためには、それぞれの密度に固有の特性と法則に適合するように変換させる必要があるのです)。密度の濃い世界での創造性とは、より希薄な世界での現実に既に存在しているものを感受する能力に他ならないのです。その根底にある精神的な法則は「上の如く、下も然り」です。(p.146-147)



この広大な宇宙は多次元の平行世界となっているのです。今、地球はかつての金星と同じような変容の時を迎えています。(・・・中略・・・)。
 地球の人々の意識がしだいに変化し、より高いレベルへと向かっています。もしこの状態がこのままつづき、スピリチュアルな発展を遂げていけば、まさに金星で起こったものと同じ変容がここでも起こるのでしょう。ただそれは劇的な変化ではなく、非常に緩やかなプロセスです。とても自然なものであるため、多くの人々は自分たちが移行の過程にあることにほとんど気づいていません。あなたが瞑想したり祈りを捧げたりする時は、穏やかで調和した変容のプロセスをイメージすることにエネルギーを注いで下さい。それが地球の周波数を高めるためにあなたができることなのです。そして多くの人々が意識レベルを向上させた時、私たちは進化したテクノロジーを地球に提供するつもりです。(p.386)


魂がカルマの清算をしなければならない領域は、物理的世界だけではありません。アストラル界、コーザル界、そしてメンタル界でも魂はこれまで生きてきて、カルマを作ってきているのです。上層世界への旅の中で、魂はまず下層世界でやり残してきたことをすべて片付けなければなりません。(p.89)
 金星の人々はあたかも物理的な世界を去って金星から姿を消してしまったかのように見えましたが、彼らは単にアストラル界で金星人としての生活を継続することを選んだだけなのです。彼らですら、物理的な世界でのカルマを負っており、いつの日かはアストラル界を去って物理的な世界に再び生を受け、勘定の精算をしなければならないのです。(p.113-114)



今日のアストラル界にはそこが究極の天国だと信じ込んでいる多くの人たちがいます。そこは物理的な世界よりも遥かに美しいところであるからです。スピリチュアルな法則にきわめて一致した生き方をしている人々が住む惑星はどこも、地球の人々にとってはほとんど天国のような場所に思えてしまうことでしょう。金星もそのようになっていますが、それはそこに住む人々の意識状態の反映なのです。(p.92)


 アストラル界では実際には乗り物は必要ではないのです。私たちは思念の移動、つまり目的地に注意を向けることによってその場に姿を現すことができるのです。ただ何名かで移動する場合は、それぞれが異なった場所や違った時間帯に現われてしまうこともあるため、グループで移動する際は同じ宇宙船に乗って同じ場所へ同時刻に到着する方法のほうが好都合なのです。(p.128-129)


 私たちのドーム型の乗り物は驚くほどシンプルな宇宙船で、内部に座席があるだけの透明なガラスのドームのように見えます。伯父は思念の力だけで宇宙船を進ませたり方向を変えたりできましたので、そこにはエンジンも制御盤もなく、ただのシンプルなきらめく半球だったのです。(p.129)



アストラル界では物体はとても高い周波数のもとにありましたので、私たちの想念でそれを動かしたり、変化させたり、周囲のエネルギーからそのまま顕現させたりすることができるのです。私たちがおままごとをする時はいつでも本物の家を顕現させて、衣服は心の中に視覚化したものを細部に至るまで正確に再現するのです。金星の子どもたちがこのような創造の能力について教えられるのは、物理的な世界の子どもたちが歩き方や読み書きを必ず教わるのとまったく同じように必須のことなのです。私が伯母から創造のための訓練を受けた時はまだとても幼い頃で、2歳か3歳くらいでした。私はこれから創造しようとする物体の全方向からの姿、色、そして構造を正確に心に描き、そして顕現する物体の数を決めなければなりませんでした。(p.138)

アストラル体は物理的な世界の肉体と同じかたちをしていますが、それより遥かに美しいもので、周囲から直接エネルギーを吸収することで光り輝いたまま生きているのです。アストラル体には実際には内臓はまったくありませんが、人々は過去の習慣からただ純粋に楽しむために食べたりもしています。食物は飲み込まれた瞬間に都合よくエネルギーに還元されます。(p.157)


 アストラル界では私たちはただちに新しい体験を試みようとなしないのです。そうするのは、それが私たちに紹介された時か、あるいは今宵の舞踏場のような特別な機会が訪れた時だけです。制限の無い世界に住んでいる私たちは、一度にあらゆる体験をしてしまわないように注意する必要があるのです。さもなければ人生の半ばで飽きてしまう恐れがあり、アストラル界においてはそれは何千年もの歳月になるのです。(p.180)




エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体

2016-10-15 14:42:20 | 思想、哲学、宇宙論
http://flatheat177.ning.com/profiles/blogs/5712408:BlogPost:134932



神秘学では、人間や植物や動物の生きとし生けるモノはすべて、
「肉体(物質)」だけでなく、「エネルギー身体」が重なっていると考える。

それは、エーテル体、アストラル体、メンタル体、コーザル体というような
目に見えない複体のエネルギーで構成されている。


私達が話している相手は肉体ですが、じつはエネルギー体としても話しているのです。

人間の場合を図で示すと以下のようになると考えられます。

画像

〔1〕 肉体(Physical body)、およびエーテル体(Etheric body)

肉体(物質的身体)とエーテル体は重なり合って存在しています。
エーテル体とは「気」です。「生命力」であり「エネルギーのネットワーク」です。
ツボといわれる「経絡」や「気」という概念は「エーテル体」の治療法です。
肉体の成長は、まずエーテル体が成長し、その後、リアル肉体が出来ます。
病気でも、まずエーテル体が破損し、破損した部分の臓器が病になります。
即ち、エーテル体とは物質の構成原料であります。
植物は「物質」と「エーテル体」で存在しています。
「エーテル体」の色は黄色~オレンジです。

〔2〕 アストラル体(Astral body/Emotional body)

アストラル体も、肉体(物質的身体)と重なり合って存在していますが、
エーテル体よりも高い存在です。
アストラル体は「感情体」とも呼ばれ、私たちの感情の発現の媒体となります。
いわゆる「欲望・気分・感覚・渇望・食欲・性欲・恐怖」などもアストラル・エネルギーであると考えられます。

また、アストラル体は自由に動ける独立した「意識」であり、
いわゆる、幽霊とか体外離脱や臨死体験は、アストラル体のことです。

また、アストラル界というアストラル体の集合した世界があり、
これはいわゆる幽界とか霊界です。
ここには肉体に無いけれども「感情」を持ったアストラル体がうようよと存在しています。
仏教でいうところの現世に感情を引きずった「浮遊霊」
強い感情のエネルギーである「生き霊」もアストラル体である。
波長が合えばアストラル体に憑依されます。波長が合わなければ決して憑依されません。
憑依の目的は憑依者からエネルギーを吸収することです。
アストラル界の未熟な点は「自分さえ良ければ良い」というエゴの存在である。

植物は「肉体」と「エーテル体」で構成されますが、
人間以外の動物は、「肉体」「エーテル体」「アストラル体」で構成されています。

そして、アストラル界の興味深い所は、
私達の現実界は、アストラル界の影で、
アストラル界で起こった現象は、物質界でも必ず起こるということであります。
「アストラル体」の色は感情によって変化しますが本来は薄い黄色~白色である。

〔3〕 メンタル体(Mental body)

メンタル体は、アストラル体よりもさらに高い存在です。
メンタル体は「精神体」とも呼ばれ、人間の精神的・知的な思考、および自己表現の発現の媒体となります。
メンタル体が正常に機能していれば、より明確な思考をすることができ、
アストラル体に感情に左右されること無く望ましい方向へとふりむけていきます。
しかしながら、メンタル界には「主義」で結束し、他者を排除するという欠点があります。

過去の輪廻の因縁や輪廻で蓄積された「天賦の才能」というのはここに蓄積されます。
メンタル体の住むメンタル界には「生命体の集合的記憶の貯蔵庫」があります。
「メンタル体」の色は緑である。


〔4〕 コーザル(元因)体(Causal body/Spiritual body/Transpersonal)

コーザル体は、メンタル体よりもさらに高い存在です。
コーザル体は、「仏性」とか「本来に自己」呼んでいる存在です。
魂というのはコーザル体に存在します。
しかしながら、コーザル界は完全な世界ではありません。
輪廻する魂は、コーザル体に包まれて高い世界に行けません。

本当の解脱した魂はコーザル体の殻を破ってからさらに上の世界に存在します。
「コーザル体」の色は青である。

神秘学における死についてお話しましょう。

ひとりの人間が死を迎えると、
「肉体」「エーテル体」「アストラル体」は、そのまま現世に置いておきます。
魂(メンタル体、コーザル体)はそれぞれの世界に行きます。

通常は「エーテル体」「アストラル体」はすぐに消えてしまうのですが、
生前に感情の葛藤(恨みや後悔)のある場合、アストラル体が消滅せず、
引きずられるように魂もアストラル界に留まります。

アストラル界において感情の葛藤を浄化できた時、
魂はやっと天国(メンタル界)に行きます。
メンタル界が通常の天国ですが、再び「肉体」に戻ります。
これを六道輪廻といいます。

何度も繰り返される人生を通じて得られる経験や知識は、コーザル体のレベルに貯蔵されます。
コーザル体は魂の器で、コーザル体と魂は、常にセットであの世とこの世を行き来しています。
コーザル体が必要なくなった状態が7次元以上(ブッディ意識)。
7次元以上になると、この世に転生しなくてもよくなります。
本来、魂は7次元以上の存在であるにも関わらず、
因縁の為にコーザル体に封印されているのです。

なぜ人間界に生まれるのでしょう?
それは、人間の世界がもっとも学習(自ら気づく)しやすいからです。
地獄では耐えるのに必死だし、天国では楽すぎてカルマを解消できない。

人間界は成仏間際の人間も地獄に近い人間もおなじ世界に存在する唯一の世界なのです。
この玉石混合の世界で、私達は「理想の人物」を探し、真似をし、
「あんな奴にはなりたくない人物」に遭遇し、真似をしないことであります。

ダライラマが、人間界で生きる意味は
「他人との関わり合いを学ぶ」ことと書いています。

即ち、仏陀のように
「他の者の労苦を自分が引き受けても他の者を幸せにする。」
という親の心の獲得が人間界で達成する目標であります。

眠りについて。

なぜ人は眠るのか?
体や脳を休めるだけなら眠らなくても良いと思ったのは高校時代の私である。

しかしながら神秘主義を知ってから眠りに対する考えも変わってきました。
人が眠るのは、肉体からアストラル体を分離させる為である。
アストラル体から離れた肉体は感情の毒を浄化させる。
つまり、眠りの意味は、肉体神経の浄化にあるのです。
誰しも、眠ってる間は、アストラル体は肉体から離れている。