思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

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2009-06-02 11:51:01 | Weblog
 ~前略~

●すでに何度も裁判員制度の問題点を指摘してきたが、最大の本質は以下のものだ。

①法的強制力で参加させることにより、国民に対し、納税・教育に次ぐ第三の義務を罰則付きで強要する制度であり、これは国家が、ますます国民を義務で拘束する家畜社会をもたらすための馴らし制度であり、徴兵制復活のお膳立ての意味が強いと思われる。

②明治以降、日本司法における伝統は、牧野英一による「教育刑」の思想であったが、それが中曽根政権以降、なしくずしに応報(報復制裁)刑制度に後退している。これは、犯罪の原因を社会に求め、過ちを犯した人を教育によって更正させようとする思想から、犯罪は、すべて個人の資質であると決めつけ、犯罪者個人を罰し、処刑消滅させることで解決しようとする応報刑制度に後退させるものだ。

こうした応報刑を正当化し、国民が自ら求めたものであるかのように装うために、裁判員制度が計画された。すなわち、わずか数日の審議に、予備知識も調査権も持たない市民が参加するならば、犯罪の事実、結果だけを見せつけられ、それに感情的な反応をするしことしか余地がない。このため、犯罪の背後にある、その真の原因を考察して、根本的に解決、改善しようとする姿勢は見失われ、いたずらに感情的反応だけが司法判断の拠り所にされてしまうものだ。

すなわち、裁判員制度は、社会の未来を見据えた理性による解決の場から、感情による報復制裁の場、リンチ裁判へと後退せしめるものでしかない。

③こうした姿勢では、犯罪を処罰するという姿勢は、それがなくならない限り、どんどん処罰苛酷化、強化に進む以外なく、やがて国民を、すべて追いつめ、全員を犯罪者とみなし、家畜のように刑罰で統制する奴隷社会をもたらすものだ。

司法苛酷化の先進国であるアメリカでは、一度でも痴漢犯罪を行ったら、生涯、性犯罪者として人権を無視されることが正当化されてしまい、地域住民にプライバシーを通報され、監視され、社会から隔離排除されるようになってしまった。

さらに、アメリカ社会の犯罪ヒステリーを反映した「三振法」が施行され、万引きや痴漢のような微罪であっても、三度目の処罰では終身刑という、恐ろしく愚かな法治社会が実現した。

このため、アメリカでは、成人男性の100名に1名が犯罪者として刑務所に拘置され、黒人男性の9名に1名が拘置されている。このことでアメリカ経済に対する負担が激増し、財政破綻に陥ったカリフォルニア州などでは、財政負担が耐えきれずに、大部分の囚人を釈放すると知事が表明せざるをえない事態に追い込まれた。

④犯罪の本当の原因は、決して法務局が説明しているような個人の脳の欠陥にあるのではない。それは誤った社会が人を追いつめて暴走させるのである。したがって、犯罪を犯した個人を制裁淘汰しても、それで犯罪がなくなるわけではなく、逆に、制裁によって人をますます追いつめ、犯罪を増やす結果しかもたらさない。

新型インフルエンザが蔓延する理由は、ウイルスの伝播にあるのであって、罹患した人を制裁排除すれば病気が消えるわけではない。原因と結果を間違えてはいけない。ウイルスの伝播を抑制し、罹患する人の免疫抵抗力を増し、優れた治療薬を開発するのが本当の対策であって、現在の司法は、罹患者を排除抹殺することで解決しようとする姿勢であり、そんなことをすれば、この世から人がいなくなってしまうのである。

裁判員制度は、犯罪に対し、国家がますます苛酷な対応を行い、処罰を強化し、人を制裁して追いつめ、人々に恐怖をもたらし、結果として犯罪を増やすことにしか役立たないのである。

⑤「人を裁いて死刑にする」という重大な仕事である以上、自らの良心に基づいて十分な責任を負いたいと考えるなら、十分な事実の調査と、判断の時間が必要になるが、裁判員に許される時間は、わずか数日にすぎない。

個人的な裁量による調査は許されず、与えられた資料を鵜呑みにするしかなく、勢い、感情的な反応だけが重視される結果となる。

しかも、それを家族や友人に相談すれば、「業務上知り得た秘密を他人に漏らした」という犯罪に問われ、6ヶ月以下の懲役、50万円以下の罰金という重罰に処せられる。しかも、この義務は死ぬまで要求されるのである。 ところが検察官・裁判官などには終身の守秘義務はなく、退職すれば自由に公言することができる。これは異様な差別であり、国民に無意味で重大な負荷を押しつけるものだ。

裁判員として徴兵招集された人たちは、こうした苛酷な守秘義務を恐れて、自由にものも言えず、勢い、主体性を発揮することも不可能であり、与えられた情報で、許された狭い判断をする道しか残されていない。

これでは、徴兵制と変わらないわけで、軍人と同じような義務だけの存在ということになり、与えられた仕事を、そつなくこなしていれば任務から解放されるという発想しかありえないことになる。

もとより、法律は専門家のものであり、「素人である自分たちは、言われたことだけをやっていればよい」
という無難志向に落ち着くのが自然であって、これでは「裁判員制度が司法の民主化を促進する」などという
表向きのキレイゴトは、完全に虚構でしかない。