思想家ハラミッタの面白ブログ

主客合一の音楽体験をもとに世界を語ってます。

裁判員制度で調べてみた。

2009-06-01 12:20:50 | Weblog
【裁判員制度は要らない / 市民「動員」の狙いは思想教育 / 「裁く側=国家」に同化せよ】
 一般市民が刑事裁判に参加する裁判員制度が5月21日から始まろうとしている。「国民参加で司法が身近になる」という宣伝文句とは裏腹に、世論の大半は裁判員の強制を望んでいない。何よりこの制度は、主権者が国家権力をチェックするためにつくられたものではない。では、国家が市民を裁判に「動員」する理由は何なのか。

納得できない説明
 裁判員制度とは、有権者から無作為に選ばれた裁判員が職業裁判官と一緒に刑事裁判を審理し(一審のみ)、有罪か無罪かの評決を下すというもの。有罪の場合は量刑まで判断する。

 「殺人」「放火」「傷害致死」「強盗致死傷」などの重大事件が制度の適用対象になる。つまり、一般市民が死刑判決に加わる可能性がある、ということだ。なお、裁判員に選ばれた者は原則として辞退できないことになっている(拒否すれば罰則がある)。

 裁判員制度のメリットを推進派はこう説明する。いわく「国民の皆さんが裁判に参加することによって、法律の専門家ではない人たちの感覚が、裁判の内容に反映されるようになります。その結果、国民の皆さんの司法に対する理解と信頼が深まることが期待されています」(最高裁、法務省、日弁連の3者が作成したPRパンフより)。

 いまひとつよくわからない説明である。市民感覚を裁判に反映するというなら、どうして重大な刑事事件だけが対象なのか。国や公共団体を相手取った行政訴訟こそ市民が参加する意義があるはずだが、そうした議論は制度導入にあたりなされなかった。

 そもそも、裁判への市民参加は被告人の利益を守るため、というのが世界の常識である。たとえば、米国等で採用されている陪審制の根底には、被告人の権利として「国家による裁判」ではなく「市民による裁判」を選べる、という発想がある。

 刑事裁判は国家による最強の権力行使の場である。懲役刑や禁固刑を下されれば自由が大幅に制限されるし、死刑ともなれば「生きる権利」すら奪われる。この強大な権力が人権を不当に侵害しないように、主権者である市民が監視する。陪審制のような市民が判断を下す裁判形式はそのためにある。

被告人の人権を侵害
 ところが、日本の裁判員制度の場合、法律のどこを読んでも「司法権力の監視」を意味する文言がない。陪審制との比較で言うと、陪審裁判では陪審員だけで事実認定を行うが、裁判員裁判では職業裁判官が一緒に評議に加わる(裁判官3人、裁判員6人の合議制)。陪審裁判が全員一致でなければ有罪を言い渡さないのに対し、裁判員制度は多数決で結論を下す。

 しかも、裁判員は訴訟の進め方や証拠の採否に関する権限がなく、公判前の争点整理にも参加できないなど、およそ裁判官と対等な存在とは言い難い。裁判官に誘導された結論を承認するだけの「お飾り」的な存在になることは目に見えている。

 「裁判員の負担軽減」を理由に審理期間が大幅に短縮され、検察の主張をろくに吟味もしない拙速な判決が「市民の皆さんも下した結論」として正当化される--裁判員制度が被告人の利益を守るために設計されたものではないことは明らかだ。

ただちに凍結、廃止だ
 市民は裁判員になることを拒めず、被告人には陪審制のような選択権がない。このように、裁判員制度はどうみても上からの強制である。では、国家権力が刑事裁判に市民を動員する本当の目的は何なのか。制度導入の源流となった政府の司法制度改革審議会の意見書(01年6月)に次のようなくだりがある。

 「21世紀の我が国社会においては、国民は、これまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存体質から脱却し、自らのうちに公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められている」。だから「統治構造の一翼を担う司法の分野」においても、「国民が自律性と責任感を持ちつつ…多様な形で参加することが期待される」と言うのである。

 簡単に言うと、「21世紀の我が国社会」では進んで国家を支える「国民」の育成が求められており、「国民」の司法参加にはそうした教育訓練効果が期待されている、ということだ。国家の統治行為たる裁判に市民を動員することで、「裁く側」=統治者と同じ発想、同じ意識を植え付けようとしているのである。

 抽選で選ばれた裁判員が死刑判決を下すのと、徴兵された兵隊が「敵」を殺すことを強制されるのとは、原理的に同じことである。裁判員制度が「現代の徴兵制」と言われるゆえんはここにある。日本国憲法に違反し、重大な人権侵害をもたらす、とんでもない制度なのだ。

 見切り発車した裁判員制度をただちに止めねばならない。すべての手続きを凍結し、廃止すべきである。  (M)



裁判員制度は、政府の審議会委員たちが私たち市民に何も知らさないまま密室で決めたもの。「市民の意見を聞く」と称して開かれたタウンミーティングで、ヤラセとサクラが行われていたことも明らかになりました。
 「国民の司法参加」の実態は裁判への強制動員そのものです。
 

こんな制度は、私たち市民にとって大きな迷惑です!