森男の活動報告綴

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杉浦式拳銃の話

2024年03月10日 | 銃の話題
今回は杉浦式拳銃についての話です。以前お知らせした杉浦式の漫画を描いていて、杉浦式に関して気付いたことや思ったことを書いてみたいと思います。絵を描く時は、資料を何度もガン見しますし「それ」のことをずっと考え続けます。なんかカッコいいですけど(笑)そうしたくなくてもそうなっちゃうんですね。すると、普段なら気付かないことに気付いたり、思いついたりします。

こういうの、模型を作る時もそうですね。「あれ?なんでこんなことに気付かなかったのかな?いつも見てる写真なのに」ってことが多々あります。思い当たる方は多いのでは。こういうのはこの種のもの作りの醍醐味ですし、いいところですね。

閑話休題。というわけでその辺のことを書いてみたいと思います。まずひとつめの話題。

●杉浦式はコルトM1903のまんまコピーなのか?

前にも書きましたが、杉浦式はコルトM1903のコピーとよくいわれますが、私的にはコピーではないと考えてます。まあ、コピーといえばコピーですし、そういわれても仕方ないな、とは思います。けど、少なくとも「まんまコピー」ではないよな、と。

結局は各々が「コピー」という言葉をどういう風に捉えてるか、ってことなんですけどね。言葉の本来の意味からすると「複写・複製」なんですけどそこから派生して「模倣」という意味も含まれています。さらに「元にした」「参考にした」レベルでも総括して「コピー」と呼んでいる、といった感じでしょうか。また、ニュアンスとして「猿真似をした」というネガティブな要素が含まれているように感じます。私が「コピー」と使うときも実際そういうのがあるような。

「模倣」と「参考にした」という違いはなんなのか?というとこれはもうかなり難しい問題となります。これこそ人によって違いますし、場合によっては裁判所で争うような問題です。個々人で断定できるようなものではない。なので、コピーという言葉を使うのは出来るだけ慎重にしたいと思っています。

コピーという言葉の難しさでいうと、銃だとZB26と九六式とブレンの例が分かりよいですね。

ブレンはZB26を原型にしたライセンス生産品です。ブレン(Bren)はブルーノ(Brno)とエンフィールド(Enfield)の頭文字です。つまりメーカーが提携している「正統なコピー」です。構造から何からほぼ同じです。でも一般的には「コピー」とは呼ばれません。ライセンスを取ってるので、否定的な意味での「コピー」とは相容れないのでしょう。

一方で九六式軽機はZBのコピーと言われ続けています。しかし、構造的には全く違っていてコピーとはとても言えません。しかし外観の印象が似てるのでコピーと言われ続けています。これはとても悔しいし残念なことです。似てるといっても①「マガジンが上にある」②「バレルに放熱フィンが付いてて、ハンドルがある」③「ドラム式のリアサイト」くらいです。①②はこの種の銃では普遍的なものでZB特有のものではありません。③はまあ真似したのかなあ?と思いますが、この方式はそもそもZBが最初なんですかね?フォーゴトンでも「普遍的な仕組み」って言ってますね。もし真似だったとしても、これだけで「全体をコピーした」というのはかなり乱暴です。

一方で、銃にとって要といえる閉鎖機構は全く違います。当然ボルトやエキストラクター、エジェクターなど主要な部分は九六式独自のものです。しかもどれも非常に優れた巧妙な設計です。そもそも、ですがトライアル時にA号(九六式の原型)とB号(ZBのコピー)が争って、A号が選ばれたという経緯からも、九六式=ZB説が間違っているのが分かります。でも、ぱっと見の印象だけでコピーと呼ばれる。ブレンと九六式のこの扱いの差はなんなんでしょうね。おかしいでしょう!!フンガー!!(おちつけ)

結局は「評価者の主観の問題」なんだろうな、と思います。でも、こういうのは出来るだけきちんとジャッジしないとアカンですよね。公平ではありませんし、係わった人たちに申し訳ないです。

おっと、長々とすいません。

それでは本題。何だかんだいいましたが、外見は似てますね。コピーです(どないやねん)。ここまで似ていて、関係ないとはとても言えない。内部もバレルと本体との結合はコルトそのもの(ブローニングM1910と同様)ですし、バレルブッシングも同じです。でも、その他はあちこちでちょっとづつ違うんですね。大きな点としては、グリップセフティがない。
次に、ここは大事なところですが、トリガーメカが違います。コルトはガバメント同様、ディスコネクターが別パーツになってます。そのため、トリガーは前後動のみです(青矢印)。杉浦式は、トリガーバーがディスコネクターを兼ねています。トリガーバーが上方に延びて、スライドと接触するようになってます(赤矢印)。スライドが後退したら、ここが下がってディスコネクトするのですね。トリガーバーは前後上下動が必要なため、トリガーは円運動します。そのためのピンがあります(白矢印)

グリップを外すとこんな感じ。トリガーを引くと(1)トリガーバーが競りあがり(2)が飛び出ます。同時にハンマーをリリース(3)。発火してスライドが下がると(2)を押し下げてディスコネクトするわけです。ちなみに、よく見るとトリガーにはトリガーバー用のピンがあります。ここを軸に上下動するわけですね。
コルトのディスコネクトの説明は省略します。有名ですからね。なんであれ、全然違うんですね。ちなみに、私の手持ちの資料では、杉浦式のここの構造が分かる分解写真は1枚しかありませんでした。ハンマーの形とかも知りたいんですけどねえ、、。

さてこの杉浦式のディスコネクターは自動拳銃としては普遍的なもので、有名な拳銃としてはベレッタM1934やアストラM400がこんな感じです。コルト式よりも簡単で簡易なんですが、構造上ディスコネクトの動きがトリガーに(つまり指に)伝わるので精度上よくないといえばよくないですね。しかし、この方式の拳銃が多々あることを考えると、実際には問題にはならないくらいなんでしょうね。

で、ここは自動拳銃の構造としてとても大事な部分です。これが違っているだけでも「まんまコピー」とはいえないのではないかと。グリップセフティを省いた点も含めて考えると、杉浦式は「大枠ではコルトを元にして、各部を省略してコストを下げようとした拳銃」といった感じではなかろうかと思います。

余談ですが、トカレフはガバの影響で作られたとよくいわれますが、よくみるとM1903の要素も多々入っているように思います。合わせ技、ですね。で、こちらもまんまコピーとはちょっと言い切れないですね。いろいろと工夫されていることが分かります。

●素敵な小型もありました

杉浦式は32口径(7.65ミリ)ですが、25口径(6.35ミリ)のタイプもありました。32口径型を短縮・縮小したような感じです。
とはいえ、そのまま小さくしたというわけでもなくて、トリガー後部のフレーム部は微妙にアールが付けられたりと、よく見るときちんとデザインされてます。恐らくは32口径型と同じ設計者(氏名不詳)の手によるものと思われます。

製造数は32口径型より少なく、現存個体のシリアルから考えると(最高で475)1000丁も作られてないでしょう。日本で25口径の自動拳銃は作られたことがないので、貴重といえば貴重な存在です。まあ、これらを製造した杉浦工廠は北京の工場(経営者は日本人)なので日本製ではないのですが。

可愛い形なので、これもトイガンで欲しいですね。

●これまた謎の多い北支一九式

杉浦工廠は後に経営者が代わり北支工廠となりました(1943年ごろ。経営者は同じく日本人)。北支工廠になってから作られたのが北支一九式です。ご覧の通り十四年式がベースになってます。口径も8ミリ南部で同じです。


これこそ「まんまコピー」じゃないかと思いきや、これまたちょっと違います。ご覧の通り、セフティが親指部に移されて片手で操作できるようになってます。いわゆるサムセフティです。

さらに、分解方法が違います。右側のトリガー上部には分解用レバーが着いてます。
これを下げると、バレル部とフレームの結合が解けて分解することができます。

十四年式は、トリガーガードとフレームは別パーツで、トリガーガード上部に凸がありバレル部の凹に入って止めています。マガジンキャッチを強く押すとトリガーガードを下げることができ、結合が解けてバレル部が前にずらせるようになり、フレームから外れます。
一九式はレバーを下げることで凸が凹から離れ、分解できます。当然、トリガーガードとフレームは一体となってます。一九式の方が簡単簡便で、製造工程も少なくて済みますね。トリガーとシアバーがフレーム内で固定されている点も優秀です。十四年式は構造上トリガー部がシアバーと分離してしまうので、製造時にどうしても刷り合わせなどが必要ですし、安全面でも不安がないとはいえない(一九式と比べれば、の話。基本大丈夫でしょうけど)。などなど、一九式はサムセフティともども優れた再設計といえるでしょう。

で、一九式はこの分解レバーを追加したので、十四年式型のセフティが付けられなくなり、サムセフティにしたのかもしれません。逆にサムセフティにしたので、トリガー上部に余裕ができて分解レバー式にしたのかも。どっちが先だったんでしょうね。もしくは同時に思いついたのかも。

 ただ、分解法・セフティともども十四年式が劣っているとするのはちと早計です。十四年式の原型の南部式は1900年初めごろ(正確には不明。00-02年ごろ?)の設計です。このころ自動拳銃は黎明期で、各国のデザイナーが試行錯誤していた時期なので、南部式が複雑でいまいちな設計と断ずるのは不当でしょう。むしろ時代的には優れた設計ではないかと思います。

しかし十四年式が作られた1925年ごろになると、少し古いものになってたことは確かです。再設計したのは南部氏ではありません(正確には不明。一説によると造兵廠東京工廠の吉田智準大尉)。再設計するにあたり、つい南部式に引っ張られたのかな?と思います。こういう原型があるものの改良って、ついつい引っ張られるものです。さらに、大御所南部氏の設計をいじるわけですから、再設計者もドキンチョだったんじゃないかな、と(笑) なんであれ、大改造にはならなかったわけです。

で、一九式の設計は更に後の1943-44年頃(多分)。さすがにもう南部・十四年式をそのままコピーするには厳しい感じだったでしょう。設計者も南部氏や軍とは直接の関係がないので遠慮もいりません。設計者が「ここもっとこうしたらええのに」ってところをズバッと遠慮なく「改良」したんだろうな、と。

私見ですが、一九式は南部式→十四年式とする場合の理想的な設計になってるような。十四年式の段階でこうしていてもおかしくはなかったくらいです。ただ、トリガー部など南部・十四年式の華麗な感じがなくなってしまってるのが残念ですね。しかし、デザイナーとしての割り切りのようなものが感じられるのも確か。この辺は好み、趣味の範疇でしょうね。

そして多分、ですが杉浦式の設計者と同じ人じゃなかろうかと。ガンデザイナーってそうそうはいませんし。北京の銃器製造会社ならなおさらです。日本人なのか中国人なのかは分かりませんけど、なんであれ優秀な方だったのは間違いないと思います。杉浦式も設計的にとてもいいですし、一九式共々「ただの真似だけはしたくねえ!」という意思のようなものが伺えます。なんとなく、ですけどね。でもそういうのって分かるんですよね。

あと、なぜ「一九」式なのかはよくわかりません。中華民国の暦だとこのころだと民国30-31年で全然ちがいます。やっぱり昭和19年のことかなあ、と思いますが、日本人の経営者とはいえ在中国の工場で生産する製品に昭和の年数を入れるのも変といえば変です。日本軍に銃器を納入するのがメインの業務ならわかるんですけどそういう感じでもなかったみたいですし。そもそも、日本軍の制式拳銃をベースに勝手に(多分)改造して製造するというのもどっちかというとオコラレの元のようにも思いますしね。一九式に、日本軍関係者がどういう反応をしたのか知りたいところです。

で、もし昭和「19」式ならば、大陸の工場だけど視点は日本に向いていたことを示します。それならそれで不思議です。「十四年式」にならうなら「十九年式」にするのが普通ですし。

などなど、結局は謎ばかりなのでした。

●センスのいい北支工廠のマーク

北支工廠製造の杉浦式には、星の中に「北工」の漢字を図案化したメーカー刻印が入ってます。この刻印も同じ人がデザインしたんじゃないかなーという気がします。





なんか、センスがいいんですよね。これもなんとなく、ですけどそうじゃないかと思ってます。星マークのせいで、中国共産軍と関係していると誤解されることもあるようです。でも、時期的には敗戦前ですし、そもそも日本軍も星マークを使ってますしね。

杉浦式の北支型には「杉浦式」の刻印は入ってません。よって北支型を杉浦式と呼ぶのは厳密には変です。でも、杉浦式と呼ぶしかない(ややこしい)。杉浦は経営者名なので、経営者が変わった北支工廠で杉浦式の名称が受け継がれたとは考えにくい。でも、製品として継続して生産されている(その代わり星の刻印が入れられるようになったようです)ので、北支工廠での杉浦式の呼称があったかもですが、例によってよく分からないのでした。

また、北支型は杉浦工廠製に比べて仕上げが悪いです。生産時期が戦争末期ー戦後だったからかな?と思います。この仕上げの悪さについては一九式も同様で、仕上げのよいバージョンと悪いのと2種があります。3重丸の刻印のがよくて(さっきの絵)、「二」の刻印のが悪いです。

フォーゴトンでは3重丸と「二」の刻印は品質の差を示すためのものだと断言気味に解説していました。資料「Japanese Military Cartridge Handguns 1893-1945」にも同様の記述があるので、恐らく出所はこの本でしょう。ただ、杉浦・北支工廠関係の1次資料を調べたとはちょっと考えにくいので、あくまで一説ということで、一旦保留にしたいところです(恐れ多いですけど)。

なので、結果的に3重丸が仕上げが良いものばかりで、「二」が悪い、くらいで把握しといた方が無難ですね。これまた私の想像ですが、「二」は戦後工廠が中国軍(国民党系か共産系かはともかく、反日系)に接収されて生産を再開したバージョンじゃないかな?と思ってます。3重丸と「二」でシリアルが重複したもの(4と21の2丁)があるんですね。これは変です。それなら、一旦仕切りなおして再製造した→それはいつか→日本の敗戦後、と考えるのが自然です。

というわけで、あれこれと書かせてもらいましたが、推定推測が多いですね。すいません。ほんとに謎ばかりなんですよねえ。今後の新資料の発掘に期待、といいたいところですが彼の地で当時の資料が新たに出てくるとはちょっと考えられませんし、出てきたとてそれが海外の研究者に知らされ、かつ現地で調査できるとも思えません(しかも昔のこととはいえ兵器の調査ですし)。期待できるとすれば、日本に資料が渡っていてそれが発見される、くらいでしょうか。

●最後にお知らせ

今発売中の「丸」2024年4月号に、A!CTIONさんの杉浦式自動拳銃の広告が掲載されています。

こちらが表紙です。

で、なんとその広告に私の絵を使ってもらいました。ドーン!って感じです。商品の付録の漫画の1カットです。
いやー、これは嬉しいです。それにしても、広告とはいえあの「丸」に私の絵が名前付きで載るとはスゲーなあと。それはそれとして、レイアウトやフォントなど全体的に渋くてカッコいい広告ですね。また、軍事法規研究会先任研究員の大木浩明氏による杉浦式に関する興味深い記事も掲載されています。ぜひ誌面をご覧ください。

というわけでお終いです。いやー、それにしてもあーでもないこーでもないと想像妄想するのは楽しいですねえ。こういうのもこの趣味の醍醐味だなあ、と改めて思いました。

それでは。

以前、杉浦式のモデルガンを紹介した際のエントリーはこちらです。↓
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