森男の活動報告綴

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一〇〇式機関短銃の話(その1)

2023年07月30日 | 日本の機関短銃
今回は、一〇〇式機関短銃について書きます。簡単に説明しますと、この銃は日本軍のサブマシンガン(以下SMGと表記)です。昭和15年(1940年)に採用され、終戦までに8000丁ほど(正確な数字は不明)が生産・使用されました。

私はこの銃がとても好きです。以前から資料を集めたり絵に描いたりしています。すると、あれこれと気付くことや逆に新たに疑問に思ったりすることがでてきます。なので、ブログでその辺をまとめて書いてみようと思ったわけです。

あと、サブマシンガンと表記してますけど日本軍での呼称は機関短銃です。これはドイツなどの呼称、MP(マシーネンピストーレ=マシンピストル)の直訳ですね。とはいえサブマシンガンというのがこの銃種全般を差す一般的な単語として適当と思うのでそう表現します。ついでに書くと「一〇〇」式が正しい表記です。百式、100式などは間違いです。まあでも個人的には一〇〇式警察になるつもりもないですし、意味が通じるなら別にいーよな、とは思ってますけどね、、。

さて、本題です。以下、タナカのモデルガンを元に書いていきます。ご覧の通り、とてもよく出来てまして、材質や銃身など日本の法律に抵触しない範囲で、ほぼ実物どおりの構造となってます。とりあえずざっくり解説してみます。

一〇〇式は日本軍では唯一の国産のSMGです。形状的には曲銃床に機関部を載せたベルグマンMP18など初期のSMGのスタイルです。設計者は南部麒次郎氏。説明不要な方ですが、一応書くと三八式歩兵銃や九六式軽機など日本軍の銃器のほとんどを設計した凄い方です。

機関部右斜め上に突き出ているのがボルトハンドルです。その下が排莢口。リアサイトはタンジェントタイプです。後期型では、トンプソンM1のような1枚板に穴と凹を付けた簡易なものになっています。

銃身部には、バレルジャケットが付いていて冷却用の穴が開けられています。
その下にあるのは着剣装置。銃口部には制退器が付けられています。制退器が付けられた日本軍銃器は一〇〇式だけです。ちょっと意外ですね。あとは九七式自動砲くらいです(これは銃じゃないですが)。後期型ではこれまた簡易なものになっていますが、制退器自体は引き継がれています。

弾倉は30連。マガジンハウジングの手前にあるのがマガジンキャッチ。板バネの弾性を利用したもので、かなり簡易です。ここは後期型では逆に、もう少し凝ったレバー式に改められています。
マガジンハウジング中央部のマイナスネジはエジェクターです。ネジ自体にエジェクターの凸が付けられています。モデルガンでは省略されてモールドのみの表現です。その前の四角の出っ張りは、この部分のパイプ状の部品の回転止めに付けられたものと思います(ここは推測)。ここはレシーバーやマガジンハウジング、バレルジャケットなどのパイプが何重にもなってるので必要なのでしょう。

弾倉はダブルカアラムダブルフィード。MP40など一般的な弾倉と違い、一枚板をプレスしたものではなく左右が別になっていて合わせて溶接するという構造になっています。ただ、この構造はいくつかバリエーションがあり、このモデルガンのタイプが代表的かというとそうでもないようです。

使用弾薬は8ミリ南部弾。南部式大型拳銃から続く、日本軍の基幹的な拳銃弾です。

銃剣を着剣したところ。普通は銃口にリングを付けてバレルジャケットに凸のレールをつけるものですが、ちょっと大げさですね。これは試作時(試製三型甲・乙)で長短の着剣装置が試されたことの名残ではないかと。後期型では普通のものになってます。

「SMGにまで銃剣を付ける日本軍って(笑)」てな感じで、揶揄されることも多いですね。しかし、ベレッタM1938やステアーM1934、オーウェン、スターリングなど海外でも着剣装置のあるSMGは多々あるのでこれは的外れな指摘です。

その揶揄は、SMGはライフルより全長が短いので、銃剣を付けても意味がないということなんでしょうけど、何があるのかわからんのが戦場ですからそりゃ付けられるんならその方がいいでしょう。ちょっとの手間ですからね。白兵戦だけでなくて、警備や示威行動(パレードなど)時でも有用ですし。刃物は自身に危害を加えられるという想像力が、銃よりも簡単に働くので「おまえらいらんことすんなよ」という抑止効果があるそうな。

一〇〇式採用の1940年以降、海外ではドイツのMP40やソ連のPPS42、アメリカのM3などピストルグリップ&折り畳みストック式という第二世代ともいえるSMGが登場し始めたこともあって、一〇〇式はちと時代遅れといえば時代遅れな印象です。

とはいえ、ソ連のPPSh41など曲銃床タイプのSMGは同時期に他国でも開発され続けられていますから、時代遅れというより、まあそんな移行期の銃と考えるのがいいのかもしれません。第一世代の最終組といった感じでしょう。

さて、私がこの銃が好きと先に書きましたが、好きなのでずーっと気になってることがあります。それは「一〇〇式はベルグマンMP18のコピー」と、まるで枕詞のように、各専門誌やネットで書かれるという点です。

とりあえず、この辺のことを書きたいと思います。一〇〇式とMP18(これはMP18/ⅠのCAW製モデルガン)を並べてみます。
うーん、似てるといえば似てますね(笑) しかし、これを「コピー」といっていいでしょうか? そもそも「コピー」とはそのまんま引き写すことを差します。そのまんま、じゃないですよねえ、、。

じゃあ、100歩譲ってコピーじゃなくて「参考にした」という表現はどうでしょうか。媒体によってはそういう言葉を使っている場合もあります。

確かに、構造的には参考にしていますね。①オープンボルトファイアリング式で、②マガジンが横に出ていて、③曲銃床で、④銃身部に穴の空いたバレルジャケットが付いてます。うん、参考にしたでしょう。

で、じゃあ他の国の銃はどうなるの?ってことですね。先に上げた①②③④って、どれも初期のSMGにとって普遍的なスタイルなんですよね。それを一〇〇式だけ「参考にした」と鬼の首を取ったようにずーっと言い続けるのは不公平じゃないですか!!おかしいでしょう!!ハアハア!!(おちつけ)

MP18というのは、びっくりするくらい最初から完成された銃なのですね。簡単に解説すると、第一次大戦の塹壕戦用に開発された、要は狭いところの至近距離での戦闘用の新しい小火器です。拳銃弾をフルオートで撃って、狙うというより弾をばら撒いて瞬間的な火力で敵を制圧する、というコンセプトです。

MP18の凄いところは、普通は機関銃を小型化したり拳銃を連発化させるという発想になるはずなのですが、そうじゃなくてオープンボルト式にしてかなり簡素な構造にした点です。これで生産が容易になり、かつ操作も射撃も簡単というこれまでに無かった銃種となり、これを始祖としてSMGは世界中に広まっていきました。なので、一〇〇式が参考にしたというのは正しいのですが、一〇〇式「だけ」が参考にしたように書くのは間違いでしょう。

ボルトアクションライフルで説明するとわかりよいですね。この銃種はドライゼ撃針銃が始祖で、これをもとにモーゼルがM71を開発、次のM98で完成されます(あくまで大まかな解説です)。この銃は①ボルト式で、ボルトがロックと装填排莢機能を兼ねている②トリガーの前に固定式弾倉がある。③曲銃床。などといった特徴があります。

これらの特徴を兼ね備えたボルトアクションライフルは、まあ「モーゼルを参考にした」といわれても仕方ないですよね。で、どの銃がそれにあたるでしょうか。ほぼ全部です(笑) でも、特定の銃だけ「参考にした」なんて書かれないわけです。例えば三八式だけいちいちそう書かれたらイジメでしょう!そう思いませんか!!(おちつけ)

で、このボルトアクションの例えからも、一〇〇式の「コピー・参考にした」という表現がいかに不当かお分かりになるのではないでしょうか。もし書くなら書くで該当する全部のSMGの枕詞にしなければ筋が通りません。イジメです。

さて、コピーでも参考でもなんでもいいのですが、そもそも一〇〇式とベルグマンはほんとに似ているのか?という根本的なところを検証したいと思います。

外見からです。先に書いたとおり、ぱっと見は似てます。バレルジャケットの穴がその印象を強めている気がします。でもこの空冷用に穴をあけるって、めちゃくちゃ普遍的なものですからね。これやったからコピーって、乱暴スギでしょう(笑)

トリガーやエジェクションポートが似てますね。でもこんなのどのSMGだって似たような形をしてますよね。リアサイトの位置も違います。などなど。要するに「ぱっと見、なんとなく似てるからコピー」って言ってるだけなんですよね。

じゃあ中身はどうでしょうか。とりあえずボルトを外してみましょう。MP18のボルトを外すには①テイクダウンさせ②ネジ式となってるキャップを回して外します。
③キャップを外すと、ボルトとリコイルスプリングが抜き出せます。

キャップがネジ式なのでちょっとモタモタしますが、これはまあ仕方ないでしょうね。なんつっても初めてのSMGですから。しかしそれにしても最初でこれ、って凄いですよねほんと。

一〇〇式は①ボルトストップピン(赤矢印・マニュアルでは尾筒底栓)を上げて引き抜きます。

②すると、リコイルスプリングガイド(マニュアルでは尾筒底)が抜けます。
③ボルトハンドルを引いてボルトを後ろにずらすと、それぞれが外れます。 
ボルトを後ろから抜き出すという方法はMP18と同じです。しかしその過程がいちいち違うことはお分かりになるかと。お気づきかと思いますが、一〇〇式のこの仕組みは非常に簡素で確実です。レバーの棒1本で全てを押さえており、かつ分解も簡単で速くできます。

ボルトです。左がMP18、真ん中がMP40、右が一〇〇式です。

MP18とMP40のは似てますよね。MP40はMP18の流れがあっての銃なので、これはまあ当然でしょう。で、一〇〇式のと比べてどうでしょうか。似てます?私には全然違って見えます。

一〇〇式のボルトが長いのは、レシーバーのパイプ径を細くするためと思われます。パイプ径が太いと、ボルトを太くできます。細くするとボルトも細くなります。すると、ボルトの質量が減り、弾丸の反動を受けたり、弾倉から弾丸をくわえて薬室に送り込むのが難しくなります。そのため、一〇〇式はボルトを長くして必要な質量を維持しているわけです。一〇〇式がMP18と比べると胴長なのはこのせいです。

モデルガンを持ってみるとMP18はかなり太くて、全体的にゴツイ印象です。一〇〇式はスマートで軽く、持ちやすいです。欧米人は気にならないのでしょうけど、MP18は当時の日本人的にはちと大きすぎだったろうな、と。私は体格が大きい方ですけど、それでもMP18はゴロゴロしてうざいです(笑)

三八式、九四式拳銃などもそうですが、南部氏は使い手(兵士)の使いやすさ、持ちやすさなどを常に念頭に置いて設計していたことが伺えます。一〇〇式も持ってみると絶妙なサイズです。銃の評価にあたっては、人種的な要素も考慮する必要があるのがよく分かります。逆にいうと、欧米の銃を日本人(東洋人)が使うのは基本的にはそぐわないのでしょう。例えばM1ガーランド、あれもでかいですね。自衛隊とか東南アジア各国で使ってましたけど、かなりしんどかったんじゃないかなあ、と。

おっと余談でした。次にトリガー・シア部を分解してみます。

これがMP18。トリガーを引くと、トリガーバーが前に向かい、シアを下げ、ボルトがリリースされます。

ご覧の通り安全装置はなく、ボルトハンドルのロックのみとなってます。

これが一〇〇式。トリガーを引くと、その前のシアが下がり、ボルトがリリースされます。

シアの下にある丸棒は安全装置です。トリガーガード前の出っ張りを後ろにずらすと解除されて、トリガーが引けるようになります。

さて、どうですか?似てますかね?構造的に全く違いますよね。さらに、一〇〇式の方が部品点数が少なく、かつ製造が容易なことが分かります。

しかし機能は全く損なっていません。

ここまでの部位で似ているところを強いて上げるならば、ボルトとリコイルスプリングがパイプ状のレシーバーに収まってて、トリガーとシアがある。という感じですね。

いやだから、どの銃でも同じです、という(笑)

機能は同じでも構造がいちいち違うんですね。これを一体どこがコピーというのでしょうか。参考にしたのは間違いないでしょうけど「それで?」というレベルの「参考」です。

私には逆に、MP18に似せないように全力を傾けたようにすら見えます。どの部分も機能は同じですが、構造がいちいち違っています。とりあえず重要な部分を紹介しましたけど、他も同様です。

この「似せないようにしたかも」というのは大事なポイントです。

南部氏の設計した銃はどれも独創的で類似する構造の銃が見当たらないほどです。これは氏の信念としてオリジナリティを貫くという姿勢があったからだと思います。それは氏の自伝を読んでもよく分かります。人のアイデアをすぐ盗用するような人物ではありません。

しかし、そういう気持ちの問題だけではなくてパテント侵害を避けようとしていたのでは?とも思います。

氏の設計した三八式機関銃はパテントの件でゴタゴタがありました。三八式はフランスのホチキス機関銃をベースにしています。開発・製造にあたり、ホチキス社にはパテント料を払っていました。しかし製品として中国に売ったことで、ホチキス社から訴えられ、和解したという経緯があります。要は「あんたらが使うのはええけど、それを商品として売るならそっちの売り上げからもいくらかよこせや」ということですね(出典・帝国陸海軍の銃器 ホビージャパン)。

つまりパクッたとかそういう話ではないのですが、それでも以後、南部氏はその点に留意していたように感じます。それはその後の氏の設計した銃を見れば分かります。直後の三年式機関銃も、外見はホチキスの影響下にあるのですが、中身をとにかくオリジナルにしていこうという意志が伺えます。

これは技術者の矜持というだけの話ではなく、商売としての観点もあったはずです。当時の日本は、兵器も重要な輸出品でした。海外に売る場合、パテント絡みで売り上げの一部がいちいち抜け落ちるのは嫌なわけです(まあ、黒字になるならいいっちゃいいんでしょうけど、まるまるガッツリお金が入るほうがええですわね)。

また、国際的な評価という点も見逃せないでしょう。国の威信にわりとチョクで繋がる兵器という分野で「日本は他国のパテント買って作った兵器で商売してるぜ」といわれるのは具合が悪いでしょう。

そんなこんなで、南部氏の中で「作るなら誰にも文句言われないオリジナルにするぞ!」という指針ができたのではないかと推察しています。

実際、三年式機関銃はじめ、十一年式軽機、九六式軽機、南部式拳銃などなど以後氏の手がけた銃器はどれもオリジナリティ溢れるものばかりで、氏のその意志を伺うことができます。

で、一〇〇式もそうなのですが、面白いのが氏はどの銃も外見に関しては逆に「コピー」と呼ばれても仕方ないくらいに似せていっている点です。九六式軽機が代表的です。これまたずっと枕詞のように「九六式はZBのコピー」と言われています。わざとじゃないかな?と思うレベルです。

確かに外見は似ています。しかしこれまた一〇〇式同様細かく詰めるといちいち違うのです。とにかく、南部氏は「ぱっと見」の印象を似せるのが上手い。はっきりいって罠です。ど素人殺し(笑)です。しかし内部構造的は全然違います。九六式軽機はびっくりするぐらい独創的で他に例の無い構造になってます。

でも、似てる。これは何か理由があったと思います。思いつく理由としては、他国に売る際に優秀な他国他社の先行品のイメージを借りるため、というもの。要は「ベンツに似た車なのでベンツ並みの性能なんだろう」と思わせちゃうような。これはこれであまり褒められたことじゃないんですけどね。でも、後発組が食い込むためには仕方がないといえば仕方がないことです。今でもアレヤコレやあることを考えると、当時で著作権侵害を避けようとしてただけ偉い!と思います。そしてこれで性能が劣悪なら問題なんでしょうけど、どの銃も「元」になったものと同等、ないしより優秀なものばかりです。

理由としてほかに考えられるのは、自国軍の姿を海外に喧伝する際「我が国は世界の一流国並みの兵器を製造・装備している」というイメージをもたせるため、とか。

などなどあれこれ推察はできるのですが、結局は南部氏に聞いてみるしかないので、今となってはよく分からないままでしょうね。何らかの資料が見つかることに期待しています。

あと、似てるという話題の流れで言うと、一〇〇式はスイスのゾロトンS1-100(先に例示したステアーM1934でもある。要は同じ銃。日本海軍はス式として輸入使用していた)に外観が似てますね。これも、先に書いたような「あえて」なのかもしれません。そして、当然ながらゾロトンの内部とは全然違います。モデルガンがあると比較できるんですけどね、、。一〇〇式はこれのコピーという記述もみたことありますけど、もちろんMP18と同じかそれ以上に全く違います。

というわけで、以上のようにパテント絡みの件があったのならば、なおさらコピーという枕詞は濡れ衣である、ということはお分かりいただけるのではないでしょうか。

さて、どっちかというとこれからが本題です。南部氏は本当に優れたガンデザイナーでして、そのことについては拙ブログでもこれまであれこれと書いています。冒頭でもちょっと書きましたが、氏が設計した銃は三八式歩兵銃、三年式機関銃、十一年式軽機、九六式軽機、南部式拳銃、九四式拳銃などなどです。十四年式拳銃、九二式重機、九九式短小銃は直接のかかわりはないのですが、それぞれの母体が南部式拳銃、三年式機関銃、三八式歩兵銃なので、南部氏は大正昭和期の日本軍の全ての銃器に携わっているといってもいいでしょう。これだけでも氏の凄さがお分かりになるのではないでしょうか。

一〇〇式でも、南部氏のその凄さを窺い知れることができます。その辺を少し解説してみます。

まず、ボルトがダストカバーを兼ねてるという点。オープンボルト式のこのタイプの銃は、リコイルスプリングがどうしても露出してしまいます。MP18がまさにそうですね。これは、戦場では具合が悪いのですね。土でも泥でも入り放題ですから。でも、基本どうしようもないのでむき出しの銃が多いです。

MP40は、そこをどうにかしようとして伸縮式のパイプを被せています(写真の一番上の)。中にリコイルスプリングが納まっています。これはエアバッファーも兼ねているそうで、なかなかのアイデアでしょう。ただ、その分部品が増えちゃいますね。で、一〇〇式はボルトがダストカバーになっているんですね。スリットから見えてるのは全部ボルトです。要は、部品を一切増やさず、ダストカバーをひねり出しているわけです。

これは偶然の設計ではないですね。MP18などを見て、南部氏はその欠点に気付いていたのでしょう。銃をコンパクトにしたいのでボルトの直径を小さくしよう→ボルトが長くなるな→じゃあダストカバーにもしちゃおう って感じだったのでしょうか。目的のドミノ倒しとでもいうのでしょうか。スゲーですよね。

で、ボルトハンドルの設計もスゲーです。組み立てはボルトをレシーバーに入れて、ボルトの穴をレシーバーの穴に合わせます。
そこにボルトハンドルを差し込んで、90度回します。これで終了。
ボルトハンドルはこのように溝が切られていて、スリットにかみ合います。

ボルトハンドルはスリットにあわせてはめ込んでいるだけです。しかし完全に固定されて絶対に外れることはありません。簡単すぎて「へー」って思うだけなんですけど、これ、凄いアイデアですよ。MP18やMP40のボルトハンドルに比べると加工の手間、部品数など段違いに簡素確実です。一〇〇式のボルトハンドルを付けるための加工は、ボルトに穴を開けるだけです。この差はでかい。

ボルトの設計も実に巧妙です。先のMP18、MP40との比較。MPの2種は複雑な形です。一方で一〇〇式のは円筒の鉄棒を削りだすだけなのがお分かりになるかと。円筒の最大直径からマイナスしてるだけなんですね。
MP18、40ともどもボルトハンドルなどがあるため、円筒の加工だけではすまないことがお分かりになるのでは。赤矢印は、シアの引っ掛かる部分です。MPはそれぞれ斜めに切り欠いて、かつ成型加工をしていますが、一〇〇式は垂直にさらっているだけです。これはシアの形状の差からくるものですが、これまたどっちが加工が簡単なのかは言うまでもないでしょう。

そのシア部についてです。先に書いたとおり、非常に簡潔簡素な構成です。垂直式のシアは、三年式機関銃以降、十一年式、九六式軽機、試製一型機関短銃などなど、南部氏は自動銃での設計でずっとこれを採用しています。よほど気に入っていたのでしょう。

欧米のそれらに比べると、簡単すぎて不安になるほどですが、見れば見るほど簡素で完璧です。構造上引くための抵抗が大きくなるのですが、そこはてこの原理で解決しています。トリガーピンを赤矢印のところにすることで、力点と支点の距離を離し、作用点の力が強くなるようにしています。トリガーがかなり長くなっているのはそのためなんですね。結果だけ見ると「なーんだ」ですが、これを思いつくのは大変ですよ。

ちなみにMP40のトリガー・シア部はこんな感じです。MP18の応用であることがおわかりになるかと。
機能は一〇〇式と同じですが、部品点数が倍以上になっています。

ステンMK2(ハドソンのモデルガン)はこんな感じ。ステンは簡易簡略化されたSMGみたいなイメージがありますけど、これを見るとそうでもないですよね。なぜかというと、ステンは連単選択機能があるからです。

トリガーに付いてるのがシアバーで、セレクター(Rの刻印があるパーツ)を押すとこれが左右に動き、ディスコネクトしたりしなかったりするわけです。シアバーがディスコネクターを兼ねているんですね。ディスコネクトする場合は、ボルトがシアバーを押し下げます。これはかなり簡素かつ確実な機能で、大したもんだと思います。ベレッタM1934などと同じですね。ただ、ディスコネクトするたびに、指にその感触が伝わるのでちと気持ち悪いんですけど、それはもう飲み込んでくれ、ということですね。

ステンは、ダンケルクで失った大量の兵器を補完するために開発生産配備されました。そのため各部がかなり簡素化されています。しかし、連単の選択機能は維持されています。弾をばら撒くのが目的のSMGの機能として、単射モードはどちらかというと不要なものです。でも、付いてます。

これは私の私見なのですが、英軍はステンをピストルカービンとしても使おうとしていたのかな?と。要は、後方の警備用などとしても使えるわけです。フルオートで撃つと32連はあっというまになくなりますが、セミオートなら32連の自動銃となり、そう考えると結構撃ちでのある銃になります。警備ならマガジン1本持たせるだけでいい。ソ連のPPShも最後までセミオート機能を残していましたが、これも同様の理由じゃないかなあ、と。両国とも、ちょうどそのころ事情は違えど「銃が無い」という逼迫感があったんですよね。

オープンボルトとはいえ、重量のある銃から拳銃弾を撃つので、セミオートなら遠距離になればなるほど拳銃よりも命中精度は高くなるはずと思います。100-200メートルくらいで検証してほしいなあと。

で、これはまあ、私の想像妄想の話なのですけれど、すぐに省略できる機能をあえてずっと残しているのは、必ず何か理由があるはずです。一〇〇式やMP40は英ソのような「兵器がない」という逼迫感とは無縁なところで開発された、ということなのでしょう。だから逆にフルオートのみになっているんじゃないかな、と。

あ、また話がずれました。一〇〇式に戻ります。一〇〇式のボルトハンドルは右斜め上になっています。そして、排莢口は右斜め下です。どちらも他の国のSMGには見られない特徴です。
で、これらは何気ないことなのですが、とても優れています。モデルガンをいじっていると、SMGのボルトハンドルは携帯にほんと邪魔なんですよね。背中に担いだ時もここだけが出っ張っててイライラします(笑)でも、一〇〇式のように角度を付けると、体に当たりにくくなるんです。ちょっとしたことですけど、これはでかい。

排莢口が斜め下、というのもそうですね。自動銃って、撃ったら薬莢がとにかくバラバラと飛び散ります(当然ですが)。でもこの一〇〇式だと斜め下に排莢されるので、射手にはもちろん当たらないし、伏せ撃ちのときも当たらない。隣に味方の兵士がいてもそっちにも飛ばない。

薬莢って、とにかく熱いんですよ。撃って自分に降りかかってくるとたまらんです。実際、ルガーとか真上に排莢される銃を撃った時、屋内なので天井に当たって背中に入りそうになって死ぬかと思いましたから(笑) あと、右斜め下だと、薬莢の回収も簡単です。上だと飛び散りまくりますからね。当時から日本軍は訓練時は薬莢を回収するのが原則でしたから。

などなど、そういう、射撃時の配慮をした結果の「斜め下排莢」なんですね。凄いです。南部氏はとにかく「これを使う兵士のこと」を念頭に置いて設計してたんだなあ、と思います。そして、ボルトハンドルが斜め上で、排薬莢が斜め下、というのはそれぞれの運動によるブレを相殺させるという狙いもあったのではないか、とも。ほんとに効果があるの?とは思いますがどんなものでしょうね。けどそういう気がします。

ただ、南部式とか九四式などの拳銃では真上に排莢されるようになってますね。この辺は、セミオート銃とフルオート銃での違いということでしょう。拳銃もほんとは斜め上とかにしたかったのかなあ?という風に思わないこともないのですが(斜め下は構造上不可能に近いので)。これまた南部氏に聞かないとわからんことなんですけどね、、。

というわけで、こんな風に仔細に検分してみると、一〇〇式というのは非常に優れた設計のSMGであるということがわかります。こういうのって、写真とかではピンとこないんですよね。私もモデルガンを買っていじってて初めて気付いたことばかりです。そういう気付きをお伝えしたくて以上長々と書いたような次第です。

要するに、日本製品あるあるなんですね。欧米のものを「おっいいねこれ」と受け入れて「ここはこうしたらもっとよくなるんじゃないかなー」とあれこれ手を加えて、さらにいいモノを作っちゃう。というアレです。一〇〇式もそういう流れの中にある日本製品だった、ということですね。

南部氏はガンデザイナーということで、戦後その業績をほぼ黙殺されるようなことになってしまいましたが、ほんとうに残念で歯がゆいことです。兵器アレルギーは一端置いといて、日本を代表する技術者・発明家の一人としてもっときちんと評価されてほしいと切に願っています。

というわけで、おしまいです。あれこれと思いつくままに書いてみました。これを読まれた方は少なくとも「一〇〇式はMP18のコピー」とはとても言えなくなったんじゃないでしょうか。まあでも、それでもそう言いたい人がいるなら別にいいですけどね!(笑) でも「そんな子はうちの子じゃないよ!」とだけ言っておきます(笑)

で、一〇〇式についてはまだまだ書きたいことはたくさんあります。これでもまだ全体の3分の1くらいなんですよ(笑)

というわけで、また折を見てちょこちょこ書いていきたいと思ってます。

南部氏については、以前自伝を紹介しています。よろしければお読み下さい。とても読み応えのある素晴らしい自伝です。

それでは。

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