森男の活動報告綴

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南部麒次郎氏の自伝「捧げ銃」を読みました

2020年11月01日 | 雑記
先日、南部麒次郎氏の自伝「捧げ銃」(ブイツーソリューション)を読みました。氏は日本陸軍の軍人(最終階級は中将。工学博士) で、日本軍の多数の銃器を設計したことでマニアの間ではとても有名です。しかし、残念ながら一般的にはまあほとんど知られていません。

南部氏はほんとに凄い方なのです。例えば、あの三八式歩兵銃を産み出したといえば分かってもらえるでしょうか。三八式は三十年式小銃(有坂成章氏が開発。これも素晴らしい銃です)を原型に多々改良を施した傑作小銃です。歴史関係の話題などで三八式の名前はいくらでも出てきます。日本軍の代名詞的な意味で使われることもあります。でも、多くの人はその三八式をどういった人が産み出したのかということまでは思い至りません。それが南部氏だったのです。「時代遅れの手動式小銃」と揶揄されることも多々あるのですが、同時代の欧米の手動式小銃と比べても劣っている点はありません。むしろ優れている点が多いくらいです。

明治38年に制式化されたので1905年式です。第二次大戦でも使われたので時代遅れと言われるのですが、実は自動小銃を最前線の全軍に配備できたのは米だけで、米以外の各国も同時代の手動式小銃が主力でした。ドイツはモーゼル(1898年に原型開発)、ソ連はモシンナガン(1891)、イギリスはエンフィールド(1895)、フランスはベルチェー(1890)、イタリアはカルカノ(1891)と、全て三八式より以前の銃です。もちろん、以後それぞれ第二次大戦までに全長を変えるなどの改良はしていますが、三十年式→三八式ほどの大改良はしていません。要するに、三八式が最新型と言ってもいいのですね。先に書いたように、優れた点はたくさんあります。

例えば、撃発機構がかなり巧妙かつ単純化されていて、それでいて全く機能を損なっていません。命中精度が高い(これは口径が小さいと言うこともありますが、、。けどグァムで撃ったとき、びっくりするくらいよく当たりました)仕上げが丁寧で綺麗、強度が高い、などなど。

それにしても撃発機構の簡潔な構成は舌を巻きます。パーツがとにかく少ない。でも完璧に機能します。大まかに分けるとボルト、エキストラクター、ファイアリングピン、安全子(ボルト後部のパーツ)のみ。ファイアリングピンはモデルガンなので円筒状ですが、実物はもちろん先端が尖ってます。念の為。
これらのパーツだけで、装填・排莢・撃発・安全装置という全然違う4つの役割を果たしてます。ほんとびっくりします。道具や機械はなんでもそうですが、部品が少ないほど故障が少ないわけです。しかし、少なくしすぎると性能が低下したり逆に壊れやすくなったりします。そういう按配が技術者の腕の見せ所なんじゃないかと思います。まあ、私は機械製造に関してど素人なので偉そうなこと言えませんけど(言っとるがな)。

安全子とボルトの結合は実に簡単で、手で組み合わせるだけ。特殊な工具などは不要です。写真ではわかりづらいのですが、立体パズルのようにするすると形になります。
案外見落とされがちと思うのですが、当時は今と違って機械に慣れ親しんでいる人はかなり少なかったはずです。例えば自動車を見たことはあってもそれがどういう構造なのかなんて専門職の人以外誰も知らなかったわけです。ましてや機械を分解・組み立てするなんて経験はまあなかったはず。作家の司馬遼太郎氏は戦車兵だったのですが、入隊直後上官に「スパナ持ってこい」と言われて何のことか分からずモタモタしてたら「スパナはこれだ!」とスパナで頭を殴られたそうです(笑)まあ、そういう時代だった訳です。 

そういう人たちが兵隊として集められて、兵器の取り扱いを学ぶわけです。なので簡単であればあるほど教育がやりやすいし、習熟も早いのですね。そしてもちろん修理修復もやりやすいわけです。早ければ早いほど、他の訓練ができき、軍のレベルがより上がるわけです。ほんと大事な要素です。

再々ですが「日本軍は米軍のような自動小銃がなかったから苦戦した」みたいなことはよく言われます。しかし逆に、単純かつ堅牢な三八式だったからこそジャングルのような過酷な地域でも銃としての機能を保持し続け、各戦線で最後まで善戦することができた、という考え方もできるんじゃないかなあ、と。

「時代遅れの」三八式だったからこそ命を救われた日本軍兵士はもの凄く多かったんじゃないかと。「良いは悪いで、悪いは良い」ってことですよね。何でもそうですが、今の視点で簡単にジャッジできることではないように思います。

閑話休題。南部氏は戦後自伝を書き、それを元に「或る兵器発明家の一生」という書籍として出版されました。しかし発行部数も少なく、幻の本となっていました。いわゆる希覯本というやつです。私は以前からその本のことは知っていたのですが、まあとても手に入れることができず、あきらめていました。

しかし最近、その本が復刻改訂版として出版されました。お孫さんの光一郎氏が復刻されたものです。光一郎氏による序文「はじめに」によると原著は編者の読み飛ばし、誤解釈もあったとのことで、原文に沿って加筆修正したそうです。なのでこの復刻版は非常に貴重な記録です。

入手し読んでみると、とても興味深い記述ばかりでした。なんというか、日本軍の銃器に興味がある人間からすると鼻血ブー(笑)なネタばかりで、たまらんかったです。この本は、南部氏の生い立ちから始まり、軍隊での経験談、そして本職となった銃器開発の回顧談などで構成されています。内容を逐一解説するといろんな意味でアウトなので(笑)かいつまんで書きます。

南部氏は1869(明治2)年、佐賀の武家に生まれ、1889(明治22)年に砲兵士官となります。日清戦争に従軍し実戦を経験。生まれつき発明・開発の才能があったようで、軍でも室内射撃用の独習板(機械式のタイプライターのようなものだったそう)や間接照準法を考案するなどして、その実績を買われ東京砲兵工廠に配属されます。そこで、水を得た魚のように各種の銃器の設計開発に従事し、日本軍の主要小火器のほとんどを手がけました。

例えば、三八式歩兵銃、騎兵銃、三年式機関銃、南部式拳銃(大型・小型)、九四式拳銃、十一年式軽機関銃、九六・九九式軽機関銃、一〇〇式機関短銃などなど、です。九九式短小銃や十四年式拳銃、九二式重機関銃は直接には携わっていないようですが、それでも三八式や南部式、三年式というそれぞれの原型になった銃を開発していますので、無関係とはとても言えません。

ちょっと詳しい人ならお分かりだと思いますが、つまり太平洋戦争で使用された日本軍のほぼ全ての小火器に携わっているわけです。本を読んでびっくりしたのは、南部氏は志願して砲兵工廠に行ったわけではないんですね。先の実績を評価されて「たまたま」銃器の開発に携わる部署に異動したのです。しかし、その職場で全力を尽くし職務を果たした結果、多くの銃器を開発することになりました。

ひょっとすると、ちょっとしたことで南部氏の銃器は世になかったかもしれないわけで、ほんと不思議な気がしますね、、っていうか私らマニア的には非常にキワドイとこでしたね(笑) また、軍の上層部では適材適所の判断がきちんとできていた、ということでしょう。

南部氏は天性の発明家だったようです。意志を持って真剣に取り組めば必ずどんなことでも成し遂げられるという信念をもち、職場への行き来、食事中、布団の中(笑)でもずっと兵器の考案で頭がいっぱいだったそうです。氏の銃は三八式以外でも欧米のものと比べても優れている点が多々あり、それはそういった真摯な姿勢や努力の賜物だったということがよくわかります。

そして氏の銃器開発に対する心得を読むと、もの作りに全般において通用するなあ、と。「発明品は神様の棚に置いてあるようなもの。発明者の努力能力によってそれに手が届く。神様は手が届いたものに分け隔てなくそれを与える」「偶然名案が浮かぶのは、平素の研究が基礎をなしているから」(それぞれ意訳)などなど、もの作りの端くれとしてほんと肝に銘じたいです。

また南部氏は発明家として優れていただけでなく、実務家としても有能でした。1921(大正十)年、労働争議が問題になっていた小銃製造所長に就任し、すぐ解決しています。力づくで弾圧するというのではなく、真摯に工員を説得するという方法で、数日内に平和裏に沈静化しています。これは氏の公明正大・実直な人柄によるものでしょう。

余談ですが、戦前の労働争議って結構過激だったようです。この本でも「過激派が工廠の組合を牛耳って陸軍大臣や工廠提理(工廠長)に面会を強要」「職工の帰り道に待ち伏せて組合加入を強い、聞かなければ暴行を加える」などと書かれてます。また、南部氏の自宅にも労働組合幹部が強そうな若者を連れて訪れ脅迫してきた、とも。民間の工場ならいざ知らず、軍の銃を作るところでそういう揉め事が起こっていたというのには驚きます(この辺は以前から知ってましたけど)。「軍が武力で鎮圧すればいいじゃん」と思う人もおられるでしょうが、もちろん軍には労働運動を弾圧するような権限はなくて、憲兵隊や警視庁は警備という受動的行動で対応しています。つまり労働運動自体は非合法ではなく、権利として認められていたということです。戦前の日本は今の私たちが想像する以上にきちんとした法治国家だったんですね(まあ、当たり前の話なんですが、、)。

閑話休題。このほか、南部氏の実直で公明正大な人柄が伺えるのは、文章のところどころで、先輩同僚後輩など、共に開発に携わった人々を功績込みで事細かに紹介しているところです。これを読むと、事を為した人に少なからずありがちな、手柄を独り占めする独善的なタイプではなかったということがよくわかります。また、最後の方で妻の頴以子さんを数ページに渡って紹介し、最後に「普段口にすることはないが、妻がいなければ今の私はなかった。良妻賢母である」(意訳)と。うーん、素敵、、。

また光一郎氏の「あとがき」によると南部氏は戦争末期の特攻作戦に「あんなものは兵器ではない」と憤慨し、陸軍大臣に宛てて「人命を損なうことなきロケット噴進による新兵器開発」を献策したそうです。当時どれくらいの軍関係者が特攻に異を唱えていたのかはよく分からないのですが、非常に勇気のいる行動だったのではと思います。そして、異を唱えるだけでなく、対案を添えている(実現可能かどうかは別にして)というのも、実に技術者らしいなあ、と。

そして、日清戦争従軍や欧州の視察旅行の記述も、当時の各国の様子を具体的に紹介していて、日本の現状との比較考察など専門家ならではの視点も含め非常に興味深いです。

というわけで、銃器だけでなくいろんな要素が盛り込まれていてとても読み応えのある一冊でした。興味のある方はぜひ読んでみて下さい。

それにしても、日本にこれほどの銃器設計者がいたということがほぼ知られていないと言うのは実に残念ですね。南部氏だけでなく先の有坂氏や村田経芳氏(村田銃の開発者)らについても同様です。日本では銃器、というか兵器全般についてアレルギーがあっていまいち理解が得られていないので、兵器の開発者に日が当たることはまあありません。例外としては「風立ちぬ」の堀越二郎氏くらいでしょうか(宮崎駿監督の映画のモデルとして取り上げられたのは革命的なことだったと思いますほんと)。

兵器というのはその目的が目的なので、技術的功績としては認められにくく忌避されがちなのは、まあ仕方ないなあとは思うのですが、歴史を振り返ると技術の発展に寄与していることは間違いない訳です。「それはそれ、これはこれ」として客観的な評価はきちんとしていかなければならないと思います。っていうか「兵器だからとにかくダメ!」という潔癖すぎる視点だと、分かるものも分からなくなっちゃうので、むしろ逆に危ないんじゃないかなあ、、、と思うのですが、どんなもんなんでしょうね。

なんであれ、理解のある人の間だけででも、南部氏の功績は後世に伝承していきたいものですね。なので、こういう風に復刻されたというのは本当に嬉しいです。

最後に、南部氏の銃の凄さについてもう少し紹介します。これは九四式拳銃です。
いろいろとあれこれ言われている拳銃ですが、冷静に検分すると実に巧妙で凄い設計の拳銃であることが分かります。

スライド式とボルト式を組み合わせたような構造で、唯一無二・世界唯一(多分)です。ボルト式でもスライド式でもない、分類不可能な型式です。これはとにかく薄くするための工夫なんですね。分解結合も非常に簡単です。
ロック機構はワルサーAP(要するにP38の原型)に似ていますが、実はこっちが早いんですね。ハンマー、シア、トリガーなどことごとく簡略化されていて、かつ確実に機能します。三八式もそうですが、南部氏の基本設計理念として「簡単・確実」というものがあったことが伺えます。

こちらは一〇〇式機関短銃。排莢口が右斜め下になってます。これも世界唯一です(多分)。これは、薬莢が右に飛ぶと隣の味方に当たるし、上だと屋内だと天井に当たって自分に降ってくる(グァムでルガーを撃ったときほんとにそうなって、熱々の薬莢がTシャツの背中に入りかけてびっくりした)し、下だと伏せ撃ちのとき跳ね返ってきて大変です。そういう配慮の末の右斜め下なんですね。ほんとに考え抜かれている。
ボルトも、必要以上に長くなっています。これはボルトを小型化した(欧米のに比べるとかなり直径が小さい)ので質量を増すためと、内部を露出させないためです。ベルグマンやPPsh、ステンなどのサブマシンガンはボルト用スリットから内部が見えるようになっています。つまりそこから砂塵が入り込んじゃうんですね。つまり一〇〇式はボルトがダストカバーを兼ねているわけです。これはかなり巧妙な設計です。

などなど、モデルガンではありますがいろいろガチャガチャ触ってると、南部氏のもう一つの設計理念として「使う人間のことを考える」ということも基本としてあったことが伝わってきます。要するに「ユーザーフレンドリー」なんですよね。この辺は、先の労働争議への対処方とも通底しているように思います。結局「一事は万事」といいますか。「人を大事に思う人は、人を大事にするような道具を作る。逆もまた真なり」という、、、。

などなど、この辺について思うところはたくさんあるので、またそのうち単独のエントリーで紹介できればと思ってます。特に九四式はキッチリやりたいです。シアバーの件とか、ほんともう誤解だらけです。例えば(略)

それにしてもいやほんと南部氏の銃はどれもカッチョいいですね。すばらちい、、。

というわけで、なんか中途半端な感じになったような気もしますが、まあそもそもそういういい加減なブログなのでご了承下さい(笑)

なんであれ、興味のある方はぜひ「捧げ銃」読んでみて下さいね。いい本ですよほんと。

それでは。

あ、あと変に誤解されるのも嫌なので、私が銃についてどういう風に考えてるのかを書いた過去のエントリーを張っておきます。よろしければお読み下さい。グァムで実銃を撃って、いろいろ考えたことを書いています。先に書いた各銃の撃った感想もあります。例によって長いです(笑)
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