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森男の活動報告綴

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「軍艦アパート」訪問記(2006年)

2021年01月23日 | 廃虚・史跡・博物館などの探訪記
今回は、大阪市浪速区にあった「軍艦アパート」の写真を紹介します。
軍艦アパートとはもちろん通称で、正確には大阪市営下寺住宅といいます。
1931年に建設され、2006年に解体されました。

古い公営住宅にありがちなのですが、住民の手によって長期間にわたり増築改築がどんどんなされて、香港の九龍城のようなカオスな建物となり、戦前の貴重な公営住宅という価値とあわせて一部の建築好きにはよく知られた建物でした。解体時では、最古の鉄筋コンクリートの公営住宅だったそうです。

住人が立ち退き、解体が始まるまでのタイミングで私はたまたまここを訪れ、フィルム2本(そう、銀鉛カメラだったのです、、)ほど写真を撮りました。先日部屋を整理していたらアルバムが出てきまして、これはこれで貴重な資料かも、というわけで一部を紹介します。

写真メインですので、コメントはちょっとだけにします。っていうか、そんなに語れるほど知識がないというのが正直なところ(笑)

全景としてはこんな感じ。コンクリの部分がオリジナル。トタン板などで作られてるのが増築部分ですね。


上の写真と同じように見えますが、違う場所です。住宅のレイアウトは大まかにいうと上から見るとロの字型で、道路にぐるりと囲まれているような感じです。
なので写真の道路は住民用のもので、一般道ではありません。山になったゴミは、恐らく立ち退いた住民のものでしょう。ちなみに、もちろん住民は全員立ち退いていました。しかしアパート敷地内と階段屋上などの共有空間は立ち入り禁止になっていませんでした。なので不法侵入などではありません念の為。

ゴミの山の向こうに、緑色のフェンスがいくつも立てかけられていますね。ひょっとすると、この訪問直後くらいに立ち入り禁止になったのかもしれません。

こうやって見ると手を加えていない部屋はないようにみえますね。放射状に延びた電線(?)が凄いですねえ。
中央の1階建ての建物は集会所とかそういうのですかね?

屋上の四角い構造物は、階段の雨よけです。

増設された小部屋、染みだらけのコンクリ、パイプの延び方、勝手に生えた植物などなど、たまらんですね。素晴らしい、、、。
2階と3階のコーナーにあるコンクリの風呂桶のような仕切りは何のためなんでしょうね?こういうのめちゃ気になります。

屋上です。盆栽がいくつも残されてました。住民のどなたかの趣味だったんでしょう。
立ち退く際に持っていけなかったんですねえ、、、。

電気の何か(すいません知識なくて、、)。カオス、ですねえ、、。

ここから内部の写真をいくつか。ドアは多分建築当時からのものでしょう。
部屋の中を拝見したいところですが、もちろんダメです。カギもかかっていたでしょうし(ノブを回してないのでわからない)。

渋いポスト。空き部屋はガムテを張ってチラシとかの投函を阻んでいるわけですね。名札は画像処理して消去してます。

牛乳ケース。うう、、昭和だなあ、、。

もう解体されるとはいえ、2006年とは思えない景観ですねえ、、。

この窓も当時のままなのかもしれません。
階段部の採光窓なので、割れたままでもいいや、となってたんですかね。


増築部はかなり本格的で、プロが施工したように見えます。
増築部は大きさも違うし、素材もトタンだったり板だったりとまちまち。時期もバラバラだったんでしょうね。

ここまでくると、もうどこがオリジナルかわかりませんねえ。いや実に素晴らしい、、。
今気付いたんですが、階段の蛍光灯は灯りが付いてますね。ひょっとするとまだ住んでる人がいたのかな? でも、あるHPによると2月末までに全員が立ち退いた、とあり私が訪問したのは3月です。そもそも、人の気配は全くなかったです。一応電気だけは止められてなかったのかもしれません。

二階の増築部は、これで一部屋にしてたんでしょうかね?それとも屋内とつなげてたのかな?
増築が多いのは、やはりオリジナルの部屋が狭かったからでしょうね。建築当時は十分だったんでしょうけど、戦後電化が進むなど必要な家具家財の量も増えてきて、徐々に手狭になって、、、ということでしょう。

軽バンの廃車が実にいい味わい。そういえば昔は道路とか空き地に普通に廃車とかありましたよねえ、、。

よく見たらこの車、古いミニキャブですね。今となっては貴重かも、、。

階段の踊り場の窓からの撮影だったと思います。アロエがなんとも、、。

1階の空間の向うに見えるのが表通りです。

どーでもいーのですが、私はこの訪問のちょっと前にある病気(お酒が大きな原因といわれているそうな)で入院してましてお医者さんに「お酒は控えなさい。っていうか当分飲んじゃダメ」と言われてました。しかしこのアパート訪問後、ここからすぐの中華料理屋さんでお昼を取ると同時にビールを喰らったのでした(笑) 「大丈夫かなあ」とドキドキしながらとてもおいしくいただいたのをよく覚えてます。でも、何を食べたのかは覚えてないんですよねえ。記憶って不思議ですね。半チャンラーメンかな?いや鶏カラ定食だったかなあ?って、ほんとどーでもいい情報なんですが、なんか軍艦アパートの記憶とセットになってよく覚えてるので書いてしまいました。すいません。ちなみに病気は今は完治しております。

閑話休題。最後に屋上から。向うのビルやマンションとの対比がなんとも、、。時代が変わっていく寂しさみたいなものがジワリときますねえ、、。
古いものは徐々に消えてなくなり、新しいものにとって変わっていくという、、。ちなみに、ここは日本橋のすぐ近くです。西にちょっと歩いたら日本橋通りです。日本橋は東京で言うと秋葉原みたいなとこです。写真の左上にチラッと写ってる赤い看板は多分日本橋の電気屋さんのだと思います。そういや、日本橋ももう全然行ってないなあ、、。

というわけでお終いです。

ここを訪れたのはほんとたまたま、でした。この日の前後、確か大阪で友人に会う用事が何件かあって、その間にぽっかり半日時間が空くことが事前にわかりました。「お金もないし、どーしたもんか」と思ってたらここが近く解体されるという情報が。住民も退去しているそうなので、行ってみようかとなったわけです。

解体前の建物は立ち入り禁止になることも多いので、その場合はまあ外観だけでも、と思ってたら前述の通り普通に入れました。また私のようなマニアが住民退去後に結構訪れてたそうなんですが、すでにその旬はすぎていたようで、訪問時はずっと私一人でした。なのでいろいろとタイミングに恵まれていたようです。

ここまでのカオスぶり・規模ではないにせよ、こういうテイストの集合住宅は以前は普通にありましたが、どんどん解体されてまあ見ることができなくなりましたね。年代としてはちょうどこの頃が端境期だったのかもしれません。私は世代的にまだ馴染みがある方ですね。友達がこういうところに住んでて、部屋や住宅用の道路で遊んだりして記憶のつながりがあるので、ほんと寂しいです。でもまあ仕方ないですねえ、、。保存しようとしても、これだけの規模の建物になるとまあ難しいですものね。消えていくものはどうやっても消えていくんですよね、、。

というわけで今回はちょっとアンニュイな終わり方になってしまいましたが、まあたまには(?)いいでしょう。あ、ギョーザとチャーハンだったかも(もうええわ!)

それでは。





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