大学のゼミで、先生が話してくれた話。
第二次大戦中、ユダヤ人の青年がナチスに連行され、強制収容所行きの貨物列車に乗せられてしまった。貨車は外から鍵がかれられて、逃げることは不可能だった。
途中で連合軍の空襲があり、列車が脱線、貨車の扉が開いた。
空襲で監視の兵士たちも避難したため、ユダヤ人たちは逃げようと思えば逃げられる状態となった。
しかし、青年の貨車のユダヤ人たちは、ほとんどが老人や女性で、だれも逃げようとはしなかった。非力な彼らが逃げたとしても追跡されて捕まるのは目に見えており、その時の報復を誰もが恐れていたからだ。
体力に自信のあった青年は1人で逃げることを決意した。貨車の人々に別れを告げ、外に出ようとしたときに1人の老人に声を掛けられた。
老人は、懐から握りこぶしくらいの布の包みを青年に手渡した。
「この中には、もう硬くなってしまったが、パンが入っている。」と老人は言った。「逃げる途中、ほんとうにもうダメだと思ったときにこれを食べなさい。しかし、ほんとうにそう思う最後の最後まで包みを開けてはいけないよ」
青年は老人に、包みを開けないことを約束した。お礼を言って包みを懐に入れ、貨車の外に出た。
逃避行は想像以上に大変だった。逃げながら食料を確保することは至難の技だった。青年は何度も何度も包みを開けようとしたが、そのたびに老人の言葉を思い出し、思いとどまった。皮肉なことに、最後の最後まで食べられない食料が懐にあるということが、青年の励みになっていった。
数々の苦労の末、青年はナチスの勢力圏外に逃れることができた。連合軍に保護され、衣食の提供を受けた。もう、青年は何も心配しなくてもよくなったのだ。
その時になって初めて、青年は包みを開けてみることにした。
中身はただの木片だった。
この話は聞いてから一旦は忘れていました。しかし、その後ふと思い出しては、話の意味することをいろいろ考えて、また忘れるということを繰り返しています。昨日、また思い出していろいろ考えました。そのうちほんとうに忘れそうで嫌だし、できれば他の人にも知って欲しい話なので書いてみました。
詳細までは覚えていないので、私のほうで整合性をつけるために脚色していますが、話の芯はいじっていません。ロシア文学のゼミでしたが、こういう本質的で大事な(多分)ことを教えてくれる大好きな授業でした。
なんといいますか、なんともいえない話です。しかし、ほんとうにいろいろと考えさせてくれる話だと思います。
で、この話を昨晩ガスガン(合法品)を研磨している時に思い出し、研磨しながら2時間ほど思索しておりました。
困ったものです。でも、いい感じに仕上がって満足であります。あはは。
●各位 でもでも、やることはやってますのでご安心下さい。息抜きです。
それでは。
●2月3日追記
知人から連絡があり、この話は「一切れのパン」(ムンテヤーヌ作)という小説だと教えてくれました。ルーマニアでの話です。上記の話は、大筋では合ってますが、あくまで私が勝手に脚色したものです。詳細などは違っていますのでご注意下さい。
この小説は国語の教科書に載っていたそうです。その教科書を使った世代にはよく知られており、印象に残る教科書の小説のひとつとして、よく話しにのぼるようです。出典の有無についてずっと気になってたのですが、すっきりしました。この場を借りてお礼申し上げます。
ほんと、なんでも書いてみるもんですね、、、。授業でも多分出典を教えてくれていたはずですが、完璧に忘れてますね(笑)知らなかったとはいえ、他人の小説の内容を勝手に変えてますので、没にしたほうがいいかもしれないとは思います。しかし「私はこの話をこういう風に覚えていて、他人にこう伝えようとした」という「記録」でもありますし、毎日何万人もが訪れる影響力のあるブログではありません(笑)ので、とりあえずこのままにしておきます。
第二次大戦中、ユダヤ人の青年がナチスに連行され、強制収容所行きの貨物列車に乗せられてしまった。貨車は外から鍵がかれられて、逃げることは不可能だった。
途中で連合軍の空襲があり、列車が脱線、貨車の扉が開いた。
空襲で監視の兵士たちも避難したため、ユダヤ人たちは逃げようと思えば逃げられる状態となった。
しかし、青年の貨車のユダヤ人たちは、ほとんどが老人や女性で、だれも逃げようとはしなかった。非力な彼らが逃げたとしても追跡されて捕まるのは目に見えており、その時の報復を誰もが恐れていたからだ。
体力に自信のあった青年は1人で逃げることを決意した。貨車の人々に別れを告げ、外に出ようとしたときに1人の老人に声を掛けられた。
老人は、懐から握りこぶしくらいの布の包みを青年に手渡した。
「この中には、もう硬くなってしまったが、パンが入っている。」と老人は言った。「逃げる途中、ほんとうにもうダメだと思ったときにこれを食べなさい。しかし、ほんとうにそう思う最後の最後まで包みを開けてはいけないよ」
青年は老人に、包みを開けないことを約束した。お礼を言って包みを懐に入れ、貨車の外に出た。
逃避行は想像以上に大変だった。逃げながら食料を確保することは至難の技だった。青年は何度も何度も包みを開けようとしたが、そのたびに老人の言葉を思い出し、思いとどまった。皮肉なことに、最後の最後まで食べられない食料が懐にあるということが、青年の励みになっていった。
数々の苦労の末、青年はナチスの勢力圏外に逃れることができた。連合軍に保護され、衣食の提供を受けた。もう、青年は何も心配しなくてもよくなったのだ。
その時になって初めて、青年は包みを開けてみることにした。
中身はただの木片だった。
この話は聞いてから一旦は忘れていました。しかし、その後ふと思い出しては、話の意味することをいろいろ考えて、また忘れるということを繰り返しています。昨日、また思い出していろいろ考えました。そのうちほんとうに忘れそうで嫌だし、できれば他の人にも知って欲しい話なので書いてみました。
詳細までは覚えていないので、私のほうで整合性をつけるために脚色していますが、話の芯はいじっていません。ロシア文学のゼミでしたが、こういう本質的で大事な(多分)ことを教えてくれる大好きな授業でした。
なんといいますか、なんともいえない話です。しかし、ほんとうにいろいろと考えさせてくれる話だと思います。
で、この話を昨晩ガスガン(合法品)を研磨している時に思い出し、研磨しながら2時間ほど思索しておりました。


●各位 でもでも、やることはやってますのでご安心下さい。息抜きです。
それでは。
●2月3日追記
知人から連絡があり、この話は「一切れのパン」(ムンテヤーヌ作)という小説だと教えてくれました。ルーマニアでの話です。上記の話は、大筋では合ってますが、あくまで私が勝手に脚色したものです。詳細などは違っていますのでご注意下さい。
この小説は国語の教科書に載っていたそうです。その教科書を使った世代にはよく知られており、印象に残る教科書の小説のひとつとして、よく話しにのぼるようです。出典の有無についてずっと気になってたのですが、すっきりしました。この場を借りてお礼申し上げます。
ほんと、なんでも書いてみるもんですね、、、。授業でも多分出典を教えてくれていたはずですが、完璧に忘れてますね(笑)知らなかったとはいえ、他人の小説の内容を勝手に変えてますので、没にしたほうがいいかもしれないとは思います。しかし「私はこの話をこういう風に覚えていて、他人にこう伝えようとした」という「記録」でもありますし、毎日何万人もが訪れる影響力のあるブログではありません(笑)ので、とりあえずこのままにしておきます。