息抜きに磨いていたガスガンが仕上がりました。
もちろん合法品です。と、いちいちことわらないといけない趣味って、一体、、。
オリジナルのグリップは握りにくいので金属用エポパテを盛って、ニューナンブっぽくしました。
滑り止めのチェッカリングは消すつもりだったのですが、残してみるとなかなか変でいい感じなのでそのままにしました。フロントサイトも、オリジナルの形はあんまり好きではないので削って整形。昔のスミス&ウェッソンぽくしてみました。グリップともども勝手なカスタムですが、まあお気楽カスタムということで、、。
で、この形式のグリップはホント握りやすいですね。
よく当たりそうです。でも、このガスガンは全然弾が飛ばない(2メートル先の新聞紙も貫かない、、、)ので、無意味なんですけどね。
でも、できる限り磨きたおしてみました。ヘビーウェイト素材は、市販の状態だと全然ツヤがありませんが、磨けば磨くほどいい感じになりますね。マジでしんどいですけど。
もうちょっとで顔が映りそうなところまで来ましたが、そろそろいい加減に止めときます。
この銃はスミス&ウェッソンM49といいます。撃鉄のところの丸いふくらみがいい感じで、好きなのです。元のM36はあんま興味ないんですけどね。
ピューリッツァー賞をとった、ベトナム戦争での有名な写真「サイゴンでの処刑」に写っているのが、この拳銃のアルミフレームタイプのM38です。私はずっとM49だと思ってたのですが、ウィキを見てM38だったと知りました。確かに、写真をよくみると白く光ってますね、、、。元のM49のニックネームはボディガードといいまして、その名の通り護身用の拳銃です。撃鉄が隠れるようなデザインになっているのは、懐から出す時に引っかからないようにするためなんですね。
護身用の拳銃がこういう風に使用され、その写真が世界的に有名になっているというのは、なんともいえない話です。
また、ウィキでも描かれていますが、拳銃を撃っている南ベトナムの警察庁長官・グエン・ゴク・ロアンのその後の話も、なんともいえない話です(彼の名前でウィキってみてください)。正規軍ではないゲリラを現場で処刑するというのは、戦時国際法上正当なのですが「たまたま」写真に撮られたため(当時のベトナムでは、こういうことは日常茶飯事だったでしょう。また戦時国際法自体を云々いう人もいますが、これがないと独ソ戦のように全てのタガが外れてしまうのも事実です)、その後の人生が大きく変ってしまったそうです。写真の撮影日から数ヵ月後、彼は銃弾を受けて右足を切断。戦後アメリカに亡命し、ピザショップを開きますが、この写真の人物ということを公にされ、廃業しています、、、。
別の本で読んだのですが、カメラマンのエディ・アダムスはロアンが脅しで銃口を向けていると思っていて、まさか本当に発砲するとは思わず、その瞬間を捉えたのはほんとうに「たまたま」だったそうです。この写真だけを見ると、アダムスが意図的に処刑を撮影しようとしていたように思いがちですが、そういうわけではなかったのです。その後、アダムスはロアンとその家族に謝罪しました。後日、ロアンは妻(だったと思います)に「彼が写真を撮らなくても、誰かが撮っていただろう」といい、アダムスを責めようとはしなかったそうです。こんな風に、戦争での出来事は、いいとか悪いとかいう安易なジャッジで片付けられないことがたくさんあるのだと思います、、、。
それにしても、ロアンのピザショップのトイレの壁に書かれた落書き「俺たちはお前が誰なのか知ってるぞ」という言葉には戦慄します。事情をよく知らない人間が、勝手な思い込みで他人を断罪するというのは本当に恐ろしいことです、、。
ということを、ビールを飲んでガスガンを磨きながら考えていました。ほんと、困ったものです。
それでは。

オリジナルのグリップは握りにくいので金属用エポパテを盛って、ニューナンブっぽくしました。

で、この形式のグリップはホント握りやすいですね。

でも、できる限り磨きたおしてみました。ヘビーウェイト素材は、市販の状態だと全然ツヤがありませんが、磨けば磨くほどいい感じになりますね。マジでしんどいですけど。

この銃はスミス&ウェッソンM49といいます。撃鉄のところの丸いふくらみがいい感じで、好きなのです。元のM36はあんま興味ないんですけどね。
ピューリッツァー賞をとった、ベトナム戦争での有名な写真「サイゴンでの処刑」に写っているのが、この拳銃のアルミフレームタイプのM38です。私はずっとM49だと思ってたのですが、ウィキを見てM38だったと知りました。確かに、写真をよくみると白く光ってますね、、、。元のM49のニックネームはボディガードといいまして、その名の通り護身用の拳銃です。撃鉄が隠れるようなデザインになっているのは、懐から出す時に引っかからないようにするためなんですね。
護身用の拳銃がこういう風に使用され、その写真が世界的に有名になっているというのは、なんともいえない話です。
また、ウィキでも描かれていますが、拳銃を撃っている南ベトナムの警察庁長官・グエン・ゴク・ロアンのその後の話も、なんともいえない話です(彼の名前でウィキってみてください)。正規軍ではないゲリラを現場で処刑するというのは、戦時国際法上正当なのですが「たまたま」写真に撮られたため(当時のベトナムでは、こういうことは日常茶飯事だったでしょう。また戦時国際法自体を云々いう人もいますが、これがないと独ソ戦のように全てのタガが外れてしまうのも事実です)、その後の人生が大きく変ってしまったそうです。写真の撮影日から数ヵ月後、彼は銃弾を受けて右足を切断。戦後アメリカに亡命し、ピザショップを開きますが、この写真の人物ということを公にされ、廃業しています、、、。
別の本で読んだのですが、カメラマンのエディ・アダムスはロアンが脅しで銃口を向けていると思っていて、まさか本当に発砲するとは思わず、その瞬間を捉えたのはほんとうに「たまたま」だったそうです。この写真だけを見ると、アダムスが意図的に処刑を撮影しようとしていたように思いがちですが、そういうわけではなかったのです。その後、アダムスはロアンとその家族に謝罪しました。後日、ロアンは妻(だったと思います)に「彼が写真を撮らなくても、誰かが撮っていただろう」といい、アダムスを責めようとはしなかったそうです。こんな風に、戦争での出来事は、いいとか悪いとかいう安易なジャッジで片付けられないことがたくさんあるのだと思います、、、。
それにしても、ロアンのピザショップのトイレの壁に書かれた落書き「俺たちはお前が誰なのか知ってるぞ」という言葉には戦慄します。事情をよく知らない人間が、勝手な思い込みで他人を断罪するというのは本当に恐ろしいことです、、。
ということを、ビールを飲んでガスガンを磨きながら考えていました。ほんと、困ったものです。
それでは。