前回のエントリーで、グァムで実銃を撃ったときのことを少し書きました。もう20年くらい前のことで、かなり記憶が薄れてはいるのですが、とても印象的な出来事でした。「一度きちんと書いておきたいな」とずっと思ってた、、、、のですが、それをすっかり忘れていました(笑) なので、今回はその思い出を書いてみます。あと、その時に私が銃について感じたことも書きたいと思います。
私は、つらつらと思い出すと、9歳くらいからガンマニアでした。でも、日本在住のガンマニアの常として「本物の銃を撃ったことがない」というのがずっとコンプレックスになっていました。変なコンプレックスなんですけど(笑)、まあそうだったわけです。
一応社会人になって、それなりの可処分所得ができたころ、ふと気が付くと自分が「その気になれば海外に行って銃が撃てる」ことに気が付いたわけです。
でも「銃を撃つだけの目的で海外に行くのもなあ、、」と思って躊躇してました。そもそも、私は海外旅行をしたことがなかったのです。そんなころ、大学時代のS先輩から電話があって、ふとそのことを話しました。すると、S先輩は、スキューバの免許が欲しくて、グァムとかサイパンに行きたいと思ってたとのこと。
そうなると話は早いわけで、2人でグァムに行くことになりました。休みの調整をして、私はとある射撃場に連絡を取って予約を入れました。
グァムには射撃場はいくつもあるのですが、基本的に観光客向けなので、使用する銃は本物ながら弾丸は火薬の量を減らしているところが多いようでした(ほとんどなのかも)。でも、その射撃場は弾丸も「本物」を使うことで有名でした。銃のラインナップもかなりマニアックで充実していて、その筋では有名でした。
2人とも社会人とはいえお金がふんだんにあるわけではなく、基本的に貧乏旅行です。格安旅行会社の格安プラン(時期も雨季だったのでさらに格安)でグァムに向かいました。ホテルもビジネスホテルみたいなところで、食事もなし。「リゾート?なにそれ?おいしいの?」って感じでした(笑)
初めての海外ではありましたが、銃を撃つというちょっとアブナイ目的、窮屈なエコノミークラスの機内、安いホテルならではのドヨーンとした雰囲気、そして雨季のムシムシした気候と曇天などなど、私のテンションはダダ下がりでした。
射撃場は店舗と分かれてて、まず店舗で銃を選んで弾を買い、山の中にある射撃場に移動する、という感じです。連絡するとホテルにバンで迎えに来てくれます。ホテルの前でバンを待っているときの「俺、なにしてるんだろなあ、、、」というブルーな感じは今でもよく覚えてます。
こちらがそのバン。アメリカ映画のホラー映画に出てきそうな奴です。私がビビリまくったのは言うまでもありません(今見返したら普通のバンだし、思い込みすぎだ)。射撃場の社長さんは日本人なのですが、運転してきたのは現地のスタッフで、日本語は片言です。なので余計にビビるのでした。「オウ、ユー、マツモロ?」「イ、イエス、、、」「カモン!」「イ、イエス、、」てな感じです。スネークマンショーのマッカートニーみたいな感じです(分からない人、ゴメン)。
でも、店舗に入ると状況は一転。店中に銃がずらりと並んでまして、圧巻でした。しかも、軍用銃がかなり多くて本や専門誌でためつすがめつしていた「アレたち」が目の前にあります。しかも、これからこれらを撃てるわけです。テンションが一気にフルスロットルになったのはいうまでもありません(笑)社長さんも気さくないい方で、ホッとしました。
お店のシステムとしては、弾丸を1箱買うとその弾丸が使える銃が1丁借りられる、という感じ。こちらがその料金表。1発1ドルから3ドルくらいですね。
店内の銃を見て撃ちたい銃を決めて、弾丸の代金を払います。左のボールペンで書いてるのが銃の名前です。右下の1035ドルというのが私の支払った代金。当時のレートだと一ドル102-120円くらいなので、まあ10万円から12万円を払ったということです。弾数も書かれてますね。510発。うーん、なんといいますか、アホですね(笑)とはいえ、ガンマニアとしては多いといえば多いし、少ないといえば少ないかな?という気がします。
弾を買ったら、バンに銃と弾を載せて射撃場に向かいます。記憶では、バンの後席は銃と弾で埋め尽くされたような、、、。「あー、ほんとにこんなんでいいのかな?俺?」と思ったこともよく覚えています。
こちらがその射撃場。「リゾート」とは真逆な感じですね(笑)雨季だったこともあり、曇天なのもちょっとアレな雰囲気をかもし出してます。
話は前後しますが、旅程は2泊3日。初日は私一人が射撃場に行き、2日目は先輩と2人で行きました。この写真は2日目のもので、散らばった薬莢は先客のものです。
当時持ってたカメラは一眼レフだけで、一応持っては行きましたがそんなに写真を撮る気がなくて、写真はほとんどありません。今から考えたら、もっと撮っておいたらよかった、、。街中の写真とかは一枚もないです。
風景の写真はこの一枚だけ。射撃場の反対側(笑) 海がちょっと見えますね。まあ要するに、山中のひなびたところにあるわけです。
こちらが射撃場の標的。倉庫とかで使う、フォークリフト用のパレットに的を張ってます。その奥で燃やしてるの穴だらけになったパレットみたいです。うーん、やっぱり「リゾート」のかけらもないですね(笑) 的までは15メートルくらいでしょうか。写ってるのは現地のスタッフ。この方も慣れると気さくないい人でした。
他の射撃場はどんな感じなのか知らないのですが、ここはかなり安全に気を使ってるような気がしました。銃の扱いについてはとても厳しかったです。弾丸を装填していいのは射撃時に銃を持ち上げて的に向けたときだけで、一度装填してしまったら、全弾撃ち切るまでは銃を下げたり、卓に置くのは厳禁と言われました。当たり前、といえば当たり前なんですけどね。
さて、いよいよ銃を撃ちます。以下、撃った銃とその感想を簡単に書いてみます。
●ラチ フィンランドの第二次大戦時の軍用拳銃です。この個体は、スウェーデンでライセンス生産されたタイプ「m/40」です。とにかく重くて、構えてたらじわじわと腕が下がっていくのには参りました(笑)でもそのおかげで反動はあまりなかったような。さっき調べたら、これ1・2キロもあるんですね。重いはずだ、、。ちなみにルガーは0.85キロです。
ドカンドカンとした撃ち応えで、頼もしい感じでしたね。
●ルガーP08 ドイツの軍用拳銃。写真を見る限りは、戦中のドイツの純正品みたいです。舞い上がってて、刻印とかまったく確認しなかったのが悔やまれます(笑)ちなみに、ルガーというのは戦後の通称で、ドイツ軍はそうは読んでません。P08とか、パラベラムピストーレと呼んでました。
この個体の癖だと思うのですが、トリガーを引いてもなかなかストライカーが落ちず、ちょっとあせりました。ルガーは、撃発に関係しているパーツがちょっと多いので調整がいまいちだったのかも。薬莢が真上に排出されるので、天井に当たって背中に入りそうになって慌てました(笑) 真上に排莢するタイプの拳銃は今はもうない理由がよく分かったような、、、。あと、全弾撃った後にトグルが跳ね上がったままになるので、射手はすぐそれが分かるようになってます。それはベレッタM92Fを撃ったときに、ホールドオープンしたのに気付かず、ちょっと驚いたこともあって、よく覚えてます。実弾を撃つと発射音とか薬莢、弾の行き先などに注意が向いてしまうので、気付きにくいんですね。この辺はもうたくさん撃って慣れるしかないんでしょうね。
●三八式歩兵銃 日本軍の小銃です。説明不要なほど有名ですね(そうか?) 南部式や九四式もあったんですけど、弾がなくて撃てなくてほんと残念だったんですけど、これと九九式が撃てたのでよかったです。写真でも分かりますが、とても仕上げが丁寧で綺麗で、さすがという感じ。菊の御紋は削られてないですね。日本軍が小銃を敵国に引き渡す際、御紋を削ってからそうしたということで、そういう個体は多々あります。でも、この個体のようにそのままのもあります。また、削らずに丸とか×とかの刻印を追加した例もあるので、この個体のもよく見たらそうだったのかもしれません。
で、この銃はとても撃ちやすくてしかもよく当たるのでびっくりしました。上の写真の土手にあるボーリングピン(小さく写ってます)に、初弾で当たりましたからね。ほんと、さすがという感じ。撃ててよかったです。
●九九式長小銃 九九式は一般的な短小銃と、この長小銃がありました。長小銃は全長がほぼ三八式と同じです。初期にごく少数が作られた、かなり珍しい個体です。こちらは御紋が削られてます。初期のものなので仕上げがとても綺麗です。でも、対空用サイトのパーツが欠損してますね。
反動はキツイはずなのですが、その辺はあんまり記憶にないです。で、三八・九九式ともども、薬莢が右前方に「シュポーン」という感じで綺麗に飛んでいくのにはびっくりしました。要するに、真横に飛ぶと隣の戦友に当たるかもしれないのでそういう風にしているっぽいんですね。ゲーコマですね。どちらの銃の弾も、貴重品で薬莢は回収して欲しいといわれてて、射撃後に卓の前にでて拾いに行ったのをよく覚えてるので、この辺の記憶は間違いないと思います。他の国のボルトアクション銃はどうなんでしょうね。ほんとならモーゼルとかいろいろ撃ちたかったんですけどね。
写真を撮ったのはこの4丁だけでした。なので、以下は簡単に書いてみます。
●モーゼルHsc ドイツの大戦中の小型拳銃。あんまり覚えてないです。一度ジャムったような、、。ほんとはモーゼルC96を撃ちたかったのですが、修理中でした。一番撃ちたかったので残念でした。なので、Hscを借りたのですけど、覚えていないという皮肉(笑)
●ワルサーPPK 同じく小型拳銃。戦時タイプの32口径のを撃ちました。モーゼルと同じ弾なのに、ちょっと撃ちにくかったような記憶があります。グリップの形状の違いかな?と。
●ナガン ソビエトの軍用リボルバー。私が撃ったリボルバーはこの一丁だけでした。この銃は射撃時にシリンダーが前進して、銃身とシリンダーの隙間を無くし、発射ガスをシールするという珍しい(多分世界で唯一)システムを採用しています。なので撃ってみました。小さい弾で、普通に撃てたような。社長が「ガスが出てないのを確認してみなよ」と弾の空箱を銃に被せて撃たせてみてくれました。実際、箱にガスの跡は付かなかったです。
●トカレフTT1933 ソビエトの軍用拳銃。中国製のが日本でもたくさん(?)使われたので有名ですね。ここのはロシア製でした。反動もそんなになくて、とてもよく当たりましたね。でも、グリップの設計が悪いのか(日本人の手が小さいのか)反動を受けづらかったのが印象に残ってます。当時の犯罪の報道などでは「トカレフは当たらない」みたいな評価がありましたが、そんなことは全然なかったです。日本に密輸されたものは、中古の程度の悪いものだったので、そういう風になったんじゃないかな?と。トカレフ自体は優れた拳銃だと思います。また「拳銃はそんなに当たるもんじゃない」というようなセリフが漫画とか映画でときどきありますけど、それもウソだな、と思いました。拳銃は当たります。でも、動く目標となると話は別です。途端に当たらなくなるだろうな、とも思いました。なので、拳銃を構えられて逃げるときは、まっすぐ走らずにジグザグに走って逃げましょう。相手がプロじゃなかったら、多分大丈夫です。でも、当たったらゴメンなさい(笑)。
●ベレッタM92F 米軍の現用制式拳銃です。映画「ダイハード」で、ブルース・ウィリスが使ってた奴です。ホールドオープンの件以外、ほとんど覚えてないですね、、。
●グロック17 この銃はほんと凄いな、と思いました。メチャクチャ撃ち安かったです。社長が「ダブルタップ(瞬間的に2回引き金を引く技)で撃ってみたら」と言ってくれたのでやってみたら、フツーにできる上に、反動もきちんと制御できてびっくり。50発が数分で無くなりました。多分、女性や10歳くらいの子供でも普通に扱えるんじゃないかなあ、と。安全装置も簡単でかつ万全なのも凄いです。拳銃って、安全装置の信頼性はほんとに大事なんですよね。そんなこんなで、アメリカの官公庁の銃がベレッタなどから一気にこの銃に入れ替わったというのもうなずけます。
あと、変な話ですけど、グロックを持って感じた印象は「モデルガンみたいだなあ」と(笑)タナカのモデルガンを持ってたので、初めて触ったような気がしませんでした。装填などの操作も全く問題なくできました。三八式やトカレフも同じでしたね。ラピュタの石碑を見て「読める、読めるぞ!」と叫んだムスカみたいな気分でした(笑)そういう意味では日本のモデルガンって凄いなあとほんと思いました。
●ガバメント 上の表に書いてるので、撃ったはずなんですけど、全然覚えてないんですよね、、。ひょっとしたら、この表を書いた後で、他の弾と差し替えたりして、撃ってないかも、、。
●M16 これは撃ったのは覚えてるんですけど全然印象にないです。反動が軽かったのはなんとなく覚えてるような、、。
●AK47S これもほとんど覚えてないです。撃ちやすかったのは覚えてます。
●レミントンスナイパーライフル 多分、M700をカスタムしたもの。たくさん弾を買ったらサービスで撃たせてくれます。で、トリガーがほんと繊細に調整してあって、ちょっと指を触れるだけで撃針が落ちるのでびっくりしました。こういうのも、実銃じゃないとわからんことですね。初弾は、それと知らず最終的な射撃姿勢を決める前に発射してしまい、鎖骨が折れたかと思いました。きちんと構えて撃っても、反動がメチャクチャ強くて、たった5発でしたけど「早く弾切れになってくれ!」と思いましたね。
●トカレフM1940 これが、前回のエントリーで書いた銃ですね。なんというか、とてもいい佇まいの銃で、作動も滑らか、反動もマイルドでいい感じでした。たった10発でしたけど、撃ててよかったです。かなり珍しいもので、多分、なかなか撃てる銃じゃないと思います。この銃の弾も、最初は在庫なしと書かれてたのですが、社長の机の引き出しに10発だけ残ってるのがたまたま見つかって「あ、10発だけあるわ。撃つ?ドラグノフとトカレフがあるよ」といわれて迷わず「トカレフで!」と力強く答えたのをなんかよく覚えてます(笑)でも、撃つたびに銃の油が顔に飛んできて参った記憶もあります(笑)
●M1ガーランド この銃もとてもいい銃でした。なんというか、手にしっくりと馴染んで、撃ってみると反動も心地よく、よく当たります(自分なりに、ですけど)。実に頼もしい感じがしました。三八式もそうでしたけど、持ってて頼もしい感じがするのかどうかって、兵士にとってとても大事なことなんだろうなと。危険だらけの戦場で、安心・信頼できる銃が手元にあるだけでも、かなり心が休まったんじゃないかなという気がします。
映画「グラン・トリノ」で、イーストウッド扮する朝鮮戦争に従軍した経験のあるコワルスキーが、この銃を大事に持っていました。こういうキャラ設定は突飛なものではなくて、普遍的な退役兵士の姿を描いたものなんじゃないかな、という気がします。この銃を撃った体験があったので、映画を観たときはなんか「ああ、そうだろうな」ととても腑に落ちました。
というわけで、撃った銃の感想はこんな感じです。個別の銃についての思い出は、前述のとおり覚えてることもあれば忘れてることもあって非常にあやふやなものです。
で、銃を撃って強く思ったことが2つありました。
一つは「本物は欲しくないなあ」ということでした。これは自分の中では意外な感想でした。銃って、想像以上にゴツイんですね。重いし、油ギッシュだし、「武器」としてのオーラも凄いです。手元に置いといてあれこれいじくる気があまりしないような、、、。実銃ってモデルガンの延長にあるのかな?と思ってたんですけど、違いました。さっきの「モデルガンをいじってたら実銃を扱える」というのと矛盾しているようですが、それはあくまで操作方法についてでして、なんというか「佇まい」が別物なんですよね。モデルガンは、あくまでモデルガンなんですよね。
銃の「武器としてのオーラ」は、かなり凄いです。日本でも、撃つことができないように処理された合法品の銃器を買うことができまして、その専門店もあります。そこで見ると、その辺がよくわかりますので、機会があればご覧になってみては。で、私はこの無可動実銃もあまり欲しくないです。高くて買えない、というのが大きい気もしますが(笑)。でも、なんというか「俺はモデルガンが好きなヌルイマニアでいいや」というところに落ち着いたような(笑)
で、もう一つが「これで人を撃つのはナシやな、、。絶対人は撃てないな、、、。」
というものでした。
銃を撃つと、手元で火薬が爆発(正しくは「燃焼」なんですけどね)して、自分の手からもの凄いエネルギーが発せられ、向こうにズドーン!と飛び出て行くような感じがします。そのエネルギーの凄さは反動などで実感として伝わってきます。イメージ的には、なんというか「かめはめ波」みたいです(もちろん出せないのでわからないですけど(笑)でも、そんな感じなんですね)。この辺は、実際に撃ってみないとわからないし、撃ったことのない人にきちんと伝えることもほんと難しいです。それは、車の運転の感触を、車を運転したことのない人に伝えるのが非常に難しいのと同じです。
そして、この凄いエネルギーが、人に向かったときにそれがどうなるのかは一発目でわかりました。いやほんと「絶対人に向けては撃てないな」と、、。
銃を撃ちたかったのは、ガンマニアとして「本物の銃は、撃ったらどんな感じなのか」というのが知りたかったのが目的としてありました。そして、もう一つの目的としては「私は、人を撃ちたいから銃が好きなのではないか」という疑念を払拭したかったから、というのがあったんですね。
子供のころから銃に興味を持って、銃の本やモデルガンを買ったりしてると、どうしても変な目で見られてしまいます。残念ながら社会的には「危ない趣味」なわけです。「人を傷つけたいから銃が好きなんだろう」的なことは割と普通に言われてたような気がします。ガンマニアの方は、同じような経験をした方は多いんじゃないでしょうか。もちろん、そんなことは絶対にないんですけど、それを証明することはできないんですね。だって、本物の銃を撃ったことがないわけですから。
そういうことを言われ続けると「ひょっとしたら、銃を持ったらそういう気持ちになるのかも、、」という疑念はどうしても出てきます。でも、そういうモヤモヤした気持ちは、一発目で払拭されたわけです。本当にホッとしました。まあ、考えたら当たり前といえば当たり前のことです。「ナイフを持ったら人を切りたくなるのか」というのはナイフを持ってみたら分かることで、同じですよね。要するに、銃が身近にないので、その辺がいまいちイメージしづらいだけなんですよね。日本は銃の所持規制が非常に厳しい国の一つなのはよく知られてます。おかげで、銃器による殺人や犯罪は非常に少ないですね。でも、一方でこういう「身近にないから勝手に一人歩きする幻想」も出てくるわけです。
映像などで見ると、銃は簡単に撃ててるように見えるのでなおさらなんだろうな、とも。でも実際は、反動や音は凄いし、拳銃は重いし、ライフルなら肩は痛いし、硝煙は臭いし(花火みたいな臭いが体にまとわり付きます)、薬莢が体に当たると熱いし(私は腕に当たってやけどしました)で、非常にうっとおしかったです。もちろん、楽しいは楽しいのですが(どないやねん)、一方で射撃にはそういう面もあった、ということです。
多分、圧倒的大多数の人は、私と同じように「これで人を撃つのはナシやな」という感想を抱くと思います。しかしながら、アメリカはじめ銃で人を殺す行為はずっと続いています。
それはなぜかというと「これはナシだな」という気持ちよりも「こいつを殺したい」という「憎悪」や「金が欲しい」という「欲望」が勝ってしまっちゃったから、なんだと思います。なんというか、人がそう思うようになってしまう、そういう状況に追い込まれてしまうこと自体が、銃よりもはるかに恐ろしいことなんじゃないかな、と。
こう書くと、NRA(全米ライフル協会)の「銃が人を殺すのではなくて、人が人を殺すのだ」という標語みたいです。でも、確かにそういうことなんだろうな、と思います。とはいえ、私はNRAのことを支持している訳ではありません。念の為。もちろん、否定もしていません。中立です。アメリカはアメリカで銃規制のことを考えて決めればいいので、私なんかが口出しする筋合いはありませんからね。でもこういう風に書いてると「実は銃規制に反対なんだろう」みたいにとられがちなのですが、ほんと、どっちでもないです。正直、判断できないです。
これはアメリカじゃなくて、中東の国の話ですが、その国にはカラシニコフが蔓延(もちろん非合法)しているそうです。で、交通事故(接触程度)がありまして、両者が口論に。一方が激高して、車のトランクからカラシニコフを出してきて、相手の車を蜂の巣にしたとか。そんな国、訪れるのも嫌です(笑)。怖くて道も歩けない(笑)
一方で、アメリカのど田舎に住んでたら、私は多分銃を買って備えて置くでしょうね。アメリカには行ったことはないですけど、映画とかで見ると「警察に通報しても自宅に駆けつけてくれるのは1時間後」みたいな地域は無数にあるでしょう。そんなところに住んでて、例えば近所に胡散臭い人達が住んでたりしたら、やっぱり「銃、持っとこか。ときどき練習もしとこう」ってなりますよね。人だけじゃなくてグリズリーとか、そういうのが出てくる地域ならなおさらです。
そんなこんなで、いろいろ考えてみたらほんと難しいです。簡単に結論なんてでないな、と。だからアメリカではずっと揉めてるんでしょう。
ドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」はアメリカのその辺の問題の複雑さがよくわかる優れた作品でした。切り口は「アメリカの銃社会」なんですけど、観ていくうちに「「銃」は表出している問題の一つであって、根っ子はアメリカ社会のもっと深いところにある」ということがよくわかります。でも、私がこれ以上どうこう書いても仕方がない(笑)のでこの辺にしておきます。でも、この映画はお薦めなので興味のある方はぜひどうぞ。
で、「銃を持つと人を撃ちたくなる」という「思い込み」についてあれこれ考えてたら「人間というのはどうしようもなくて、すぐ人殺しをしたがるものだ」という思考が根っ子にあるからなんじゃないか?というふうに思うようになりました。そういう思考って、割と普通に受け入れられているように思います。戦争の話題になると、そういう意見がすぐでてくるような、、。「人間は戦争をしたがるものだ」みたいな。
でも、そんな単純なものじゃないんじゃないか?と。帰国してから、そのつもりであれこれ本を読んでみると、腑に落ちることが多かったです。
「戦争における「人殺し」の心理学」 (ちくま学芸文庫)という凄い本があります。この本は、ほんと目から鱗本でして、超お薦めです。同行したS先輩に教えてもらいました。著者はアメリカ陸軍の元中佐で、実体験を踏まえながら歴史的な調査を絡めた上で「人はなかなか人を殺すことはできない」ということをキッチリと説明しています。
第二次大戦後、米軍は最前線にいた兵士の聞き取り調査をしました。で、兵士のほとんど(8-9割)が自分の銃を1発も撃っていなかったそうです。最前線にいたのに、です。
南北戦争の戦跡から発掘される先込め銃の中には、撃ってないのにどんどん弾を込めている銃があるそうです。つまり、撃ってないけど仲間には撃ったように見せかけるために、弾を後から後から込めたとしか考えられないとか。
ヨーロッパの将校の間では「兵士は敵を撃たない。撃ってるけどわざと的を外す奴がいるので、なかなか敵は倒れない。だから、そのつもりで采配しないといけない」というのが通念としてあったそうです。
などなど。要するに、昔の兵隊は銃を渡されても敵を打ち倒すことはしないし、できなかったんですね。
で、アメリカ軍は戦後その辺をどうにかしようとしてあれこれ対策を練ります。要するに「兵士が敵兵を抵抗なく撃てるようにすればいいじゃん」と。
具体的には「的を人型、人形型にする」「敵を間視する」という感じだったようです。的が人型になるだけで、人はそれを撃つことに抵抗感を抱くんですね。紙に印刷されたものだと分かっていても、人の形をしてるというだけで躊躇しちゃうんですよね。人形ならなおさらです。エアガンでもちょっと撃てないです。撃つ撃たないでなくても、例えば人の顔写真を破ったり、人形を壊したり捨てたりするのって抵抗がありませんか?そういうことです。
でも、訓練で何度も何度も人形を撃ってたら、慣れちゃってくる訳です。そういう的がパッと飛び出てきても、反射的に撃っちゃうようになるとか。
ベトナム戦争では、ベトナム兵やゲリラを「グーク」などの差別的な言葉で呼ばせるようにしたそうです。要するに「あいつらは人間じゃないから、撃っていい」と思い込ませたわけです。
その結果、ベトナム戦争での兵士の発砲率は9割(!)になったとか、、、。
映画「フルメタルジャケット」は、兵士の訓練から映画が始まって「観客を兵士に仕立ててから戦場に赴かせるような話の運び方が凄い」みたいな評価がありました。でも、こういう視点はなかったような。差別的な歌を歌うシーンとかがあったように思いますが「それが何を意味しているのか」というのが大事だったんだ、と。実際は、もっとえげつなかった訳ですね、、。
要するに「人間は人を殺したいと思ってるものだ」という「普遍的な事実」は元々はなくて「人は人を殺してもいいんだ」と「思い込ませるシステム」が意図的に作られた、ということなんですね。これはほんと怖いことです。
この本には書かれてないんですけど、また別の興味深い話があります。これはアームズマガジンの記事にありました。
ナチスの親衛隊の中に「特別行動隊」という部隊がありました。どういう部隊かというと、ロシアに攻め込んだ戦闘部隊の後についていって、占領したロシアの村々の人々(彼らのいう劣等民族)を虐殺するというのが任務でした。
方法としては、村人に穴を掘らせて、その前に並ばせて機関銃や銃で撃ち殺して埋めてしまう、というストレートなもの。
その部隊の隊員は、ナチスの思想に感化された選りすぐりの志願兵で構成されていたそうです。要するに「バリバリのナチ」です。ロシアの村人を撃ち殺すことが、ドイツの栄光・発展につながると信じている人々です。
でも、任務をこなすうちに、隊員の中にノイローゼが蔓延したそうです。要するに、劣等民族であろうとなかろうと、人を殺し続けてるうちに頭がおかしくなっちゃったんですね。
で、そのことに腹を立てたある将官(もちろんバリバリのナチ)が「俺が直接やる!模範を見せてやる!」と現地に赴いて任務を「実施」したそうです。
で、その将官もノイローゼになっちゃったそうです。
救いようのない話ですが、救いのある話でもあります。「理屈や思想で自身をどう騙しても、無意識や本能のレベルで殺人を忌避するのが人間」だということを証明しているような。
ちょっと話がずれてしまいましたし、なんかとっちらかってきました。すいません。でも、この辺のことをあれこれ考えるとほんとに面白い(というと語弊がありますが、、)です。でも、これ以上書き進めると、もっと収拾がつかなくなってしまうので、止めておきます。
前半、嬉々として銃の解説を書いてた人間が、こういうことを書いててもいまいち信用できないだろうなとは思います。でも、そういう矛盾を抱えてしまうのがこういう趣味なんだろうな、と。その辺をどこまで突き詰められるのかが大切なんだろうな、と。そういうことが言いたかったわけです(ほんとか)
しかし、銃とか戦車とか戦争とかに興味を持たなかったら、こういうことを考えるようにはならなかったので、そういう意味ではよかったな、と思ってます。なんとなく、ですけどとても大切なことのような気がしています。なので、これからもあれこれ本を読んだりして考え続けていきたいと思ってます。
とか言いながら、次回のエントリーはモデルガンの解説を予定してます(笑)ほんと、困ったものです。
それでは。長々とすいませんでした。最後まで読んでくださった皆様(いるのかな?)ありがとうございます。
あと、「戦場におけるー」はじめ、紹介した本や映画の内容については、全部記憶によるうろ覚えに基づいたものです。ほんとは再読するなどしてから書くべきなのですが、その辺はご了承下さい。でも、大枠ではそんな感じです。興味のある方はぜひ手に取ってみて下さい。
もうひとつ、この射撃場は現在は米本土に移転したそうです。機会があればまた行きたかったのですが残念ですね。でも、仕方ないですね。このときいろいろ撃てただけでもよかったな、と思ってます。
私は、つらつらと思い出すと、9歳くらいからガンマニアでした。でも、日本在住のガンマニアの常として「本物の銃を撃ったことがない」というのがずっとコンプレックスになっていました。変なコンプレックスなんですけど(笑)、まあそうだったわけです。
一応社会人になって、それなりの可処分所得ができたころ、ふと気が付くと自分が「その気になれば海外に行って銃が撃てる」ことに気が付いたわけです。
でも「銃を撃つだけの目的で海外に行くのもなあ、、」と思って躊躇してました。そもそも、私は海外旅行をしたことがなかったのです。そんなころ、大学時代のS先輩から電話があって、ふとそのことを話しました。すると、S先輩は、スキューバの免許が欲しくて、グァムとかサイパンに行きたいと思ってたとのこと。
そうなると話は早いわけで、2人でグァムに行くことになりました。休みの調整をして、私はとある射撃場に連絡を取って予約を入れました。
グァムには射撃場はいくつもあるのですが、基本的に観光客向けなので、使用する銃は本物ながら弾丸は火薬の量を減らしているところが多いようでした(ほとんどなのかも)。でも、その射撃場は弾丸も「本物」を使うことで有名でした。銃のラインナップもかなりマニアックで充実していて、その筋では有名でした。
2人とも社会人とはいえお金がふんだんにあるわけではなく、基本的に貧乏旅行です。格安旅行会社の格安プラン(時期も雨季だったのでさらに格安)でグァムに向かいました。ホテルもビジネスホテルみたいなところで、食事もなし。「リゾート?なにそれ?おいしいの?」って感じでした(笑)
初めての海外ではありましたが、銃を撃つというちょっとアブナイ目的、窮屈なエコノミークラスの機内、安いホテルならではのドヨーンとした雰囲気、そして雨季のムシムシした気候と曇天などなど、私のテンションはダダ下がりでした。
射撃場は店舗と分かれてて、まず店舗で銃を選んで弾を買い、山の中にある射撃場に移動する、という感じです。連絡するとホテルにバンで迎えに来てくれます。ホテルの前でバンを待っているときの「俺、なにしてるんだろなあ、、、」というブルーな感じは今でもよく覚えてます。
こちらがそのバン。アメリカ映画のホラー映画に出てきそうな奴です。私がビビリまくったのは言うまでもありません(今見返したら普通のバンだし、思い込みすぎだ)。射撃場の社長さんは日本人なのですが、運転してきたのは現地のスタッフで、日本語は片言です。なので余計にビビるのでした。「オウ、ユー、マツモロ?」「イ、イエス、、、」「カモン!」「イ、イエス、、」てな感じです。スネークマンショーのマッカートニーみたいな感じです(分からない人、ゴメン)。
でも、店舗に入ると状況は一転。店中に銃がずらりと並んでまして、圧巻でした。しかも、軍用銃がかなり多くて本や専門誌でためつすがめつしていた「アレたち」が目の前にあります。しかも、これからこれらを撃てるわけです。テンションが一気にフルスロットルになったのはいうまでもありません(笑)社長さんも気さくないい方で、ホッとしました。
お店のシステムとしては、弾丸を1箱買うとその弾丸が使える銃が1丁借りられる、という感じ。こちらがその料金表。1発1ドルから3ドルくらいですね。
店内の銃を見て撃ちたい銃を決めて、弾丸の代金を払います。左のボールペンで書いてるのが銃の名前です。右下の1035ドルというのが私の支払った代金。当時のレートだと一ドル102-120円くらいなので、まあ10万円から12万円を払ったということです。弾数も書かれてますね。510発。うーん、なんといいますか、アホですね(笑)とはいえ、ガンマニアとしては多いといえば多いし、少ないといえば少ないかな?という気がします。
弾を買ったら、バンに銃と弾を載せて射撃場に向かいます。記憶では、バンの後席は銃と弾で埋め尽くされたような、、、。「あー、ほんとにこんなんでいいのかな?俺?」と思ったこともよく覚えています。
こちらがその射撃場。「リゾート」とは真逆な感じですね(笑)雨季だったこともあり、曇天なのもちょっとアレな雰囲気をかもし出してます。
話は前後しますが、旅程は2泊3日。初日は私一人が射撃場に行き、2日目は先輩と2人で行きました。この写真は2日目のもので、散らばった薬莢は先客のものです。
当時持ってたカメラは一眼レフだけで、一応持っては行きましたがそんなに写真を撮る気がなくて、写真はほとんどありません。今から考えたら、もっと撮っておいたらよかった、、。街中の写真とかは一枚もないです。
風景の写真はこの一枚だけ。射撃場の反対側(笑) 海がちょっと見えますね。まあ要するに、山中のひなびたところにあるわけです。
こちらが射撃場の標的。倉庫とかで使う、フォークリフト用のパレットに的を張ってます。その奥で燃やしてるの穴だらけになったパレットみたいです。うーん、やっぱり「リゾート」のかけらもないですね(笑) 的までは15メートルくらいでしょうか。写ってるのは現地のスタッフ。この方も慣れると気さくないい人でした。
他の射撃場はどんな感じなのか知らないのですが、ここはかなり安全に気を使ってるような気がしました。銃の扱いについてはとても厳しかったです。弾丸を装填していいのは射撃時に銃を持ち上げて的に向けたときだけで、一度装填してしまったら、全弾撃ち切るまでは銃を下げたり、卓に置くのは厳禁と言われました。当たり前、といえば当たり前なんですけどね。
さて、いよいよ銃を撃ちます。以下、撃った銃とその感想を簡単に書いてみます。
●ラチ フィンランドの第二次大戦時の軍用拳銃です。この個体は、スウェーデンでライセンス生産されたタイプ「m/40」です。とにかく重くて、構えてたらじわじわと腕が下がっていくのには参りました(笑)でもそのおかげで反動はあまりなかったような。さっき調べたら、これ1・2キロもあるんですね。重いはずだ、、。ちなみにルガーは0.85キロです。
ドカンドカンとした撃ち応えで、頼もしい感じでしたね。
●ルガーP08 ドイツの軍用拳銃。写真を見る限りは、戦中のドイツの純正品みたいです。舞い上がってて、刻印とかまったく確認しなかったのが悔やまれます(笑)ちなみに、ルガーというのは戦後の通称で、ドイツ軍はそうは読んでません。P08とか、パラベラムピストーレと呼んでました。
この個体の癖だと思うのですが、トリガーを引いてもなかなかストライカーが落ちず、ちょっとあせりました。ルガーは、撃発に関係しているパーツがちょっと多いので調整がいまいちだったのかも。薬莢が真上に排出されるので、天井に当たって背中に入りそうになって慌てました(笑) 真上に排莢するタイプの拳銃は今はもうない理由がよく分かったような、、、。あと、全弾撃った後にトグルが跳ね上がったままになるので、射手はすぐそれが分かるようになってます。それはベレッタM92Fを撃ったときに、ホールドオープンしたのに気付かず、ちょっと驚いたこともあって、よく覚えてます。実弾を撃つと発射音とか薬莢、弾の行き先などに注意が向いてしまうので、気付きにくいんですね。この辺はもうたくさん撃って慣れるしかないんでしょうね。
●三八式歩兵銃 日本軍の小銃です。説明不要なほど有名ですね(そうか?) 南部式や九四式もあったんですけど、弾がなくて撃てなくてほんと残念だったんですけど、これと九九式が撃てたのでよかったです。写真でも分かりますが、とても仕上げが丁寧で綺麗で、さすがという感じ。菊の御紋は削られてないですね。日本軍が小銃を敵国に引き渡す際、御紋を削ってからそうしたということで、そういう個体は多々あります。でも、この個体のようにそのままのもあります。また、削らずに丸とか×とかの刻印を追加した例もあるので、この個体のもよく見たらそうだったのかもしれません。
で、この銃はとても撃ちやすくてしかもよく当たるのでびっくりしました。上の写真の土手にあるボーリングピン(小さく写ってます)に、初弾で当たりましたからね。ほんと、さすがという感じ。撃ててよかったです。
●九九式長小銃 九九式は一般的な短小銃と、この長小銃がありました。長小銃は全長がほぼ三八式と同じです。初期にごく少数が作られた、かなり珍しい個体です。こちらは御紋が削られてます。初期のものなので仕上げがとても綺麗です。でも、対空用サイトのパーツが欠損してますね。
反動はキツイはずなのですが、その辺はあんまり記憶にないです。で、三八・九九式ともども、薬莢が右前方に「シュポーン」という感じで綺麗に飛んでいくのにはびっくりしました。要するに、真横に飛ぶと隣の戦友に当たるかもしれないのでそういう風にしているっぽいんですね。ゲーコマですね。どちらの銃の弾も、貴重品で薬莢は回収して欲しいといわれてて、射撃後に卓の前にでて拾いに行ったのをよく覚えてるので、この辺の記憶は間違いないと思います。他の国のボルトアクション銃はどうなんでしょうね。ほんとならモーゼルとかいろいろ撃ちたかったんですけどね。
写真を撮ったのはこの4丁だけでした。なので、以下は簡単に書いてみます。
●モーゼルHsc ドイツの大戦中の小型拳銃。あんまり覚えてないです。一度ジャムったような、、。ほんとはモーゼルC96を撃ちたかったのですが、修理中でした。一番撃ちたかったので残念でした。なので、Hscを借りたのですけど、覚えていないという皮肉(笑)
●ワルサーPPK 同じく小型拳銃。戦時タイプの32口径のを撃ちました。モーゼルと同じ弾なのに、ちょっと撃ちにくかったような記憶があります。グリップの形状の違いかな?と。
●ナガン ソビエトの軍用リボルバー。私が撃ったリボルバーはこの一丁だけでした。この銃は射撃時にシリンダーが前進して、銃身とシリンダーの隙間を無くし、発射ガスをシールするという珍しい(多分世界で唯一)システムを採用しています。なので撃ってみました。小さい弾で、普通に撃てたような。社長が「ガスが出てないのを確認してみなよ」と弾の空箱を銃に被せて撃たせてみてくれました。実際、箱にガスの跡は付かなかったです。
●トカレフTT1933 ソビエトの軍用拳銃。中国製のが日本でもたくさん(?)使われたので有名ですね。ここのはロシア製でした。反動もそんなになくて、とてもよく当たりましたね。でも、グリップの設計が悪いのか(日本人の手が小さいのか)反動を受けづらかったのが印象に残ってます。当時の犯罪の報道などでは「トカレフは当たらない」みたいな評価がありましたが、そんなことは全然なかったです。日本に密輸されたものは、中古の程度の悪いものだったので、そういう風になったんじゃないかな?と。トカレフ自体は優れた拳銃だと思います。また「拳銃はそんなに当たるもんじゃない」というようなセリフが漫画とか映画でときどきありますけど、それもウソだな、と思いました。拳銃は当たります。でも、動く目標となると話は別です。途端に当たらなくなるだろうな、とも思いました。なので、拳銃を構えられて逃げるときは、まっすぐ走らずにジグザグに走って逃げましょう。相手がプロじゃなかったら、多分大丈夫です。でも、当たったらゴメンなさい(笑)。
●ベレッタM92F 米軍の現用制式拳銃です。映画「ダイハード」で、ブルース・ウィリスが使ってた奴です。ホールドオープンの件以外、ほとんど覚えてないですね、、。
●グロック17 この銃はほんと凄いな、と思いました。メチャクチャ撃ち安かったです。社長が「ダブルタップ(瞬間的に2回引き金を引く技)で撃ってみたら」と言ってくれたのでやってみたら、フツーにできる上に、反動もきちんと制御できてびっくり。50発が数分で無くなりました。多分、女性や10歳くらいの子供でも普通に扱えるんじゃないかなあ、と。安全装置も簡単でかつ万全なのも凄いです。拳銃って、安全装置の信頼性はほんとに大事なんですよね。そんなこんなで、アメリカの官公庁の銃がベレッタなどから一気にこの銃に入れ替わったというのもうなずけます。
あと、変な話ですけど、グロックを持って感じた印象は「モデルガンみたいだなあ」と(笑)タナカのモデルガンを持ってたので、初めて触ったような気がしませんでした。装填などの操作も全く問題なくできました。三八式やトカレフも同じでしたね。ラピュタの石碑を見て「読める、読めるぞ!」と叫んだムスカみたいな気分でした(笑)そういう意味では日本のモデルガンって凄いなあとほんと思いました。
●ガバメント 上の表に書いてるので、撃ったはずなんですけど、全然覚えてないんですよね、、。ひょっとしたら、この表を書いた後で、他の弾と差し替えたりして、撃ってないかも、、。
●M16 これは撃ったのは覚えてるんですけど全然印象にないです。反動が軽かったのはなんとなく覚えてるような、、。
●AK47S これもほとんど覚えてないです。撃ちやすかったのは覚えてます。
●レミントンスナイパーライフル 多分、M700をカスタムしたもの。たくさん弾を買ったらサービスで撃たせてくれます。で、トリガーがほんと繊細に調整してあって、ちょっと指を触れるだけで撃針が落ちるのでびっくりしました。こういうのも、実銃じゃないとわからんことですね。初弾は、それと知らず最終的な射撃姿勢を決める前に発射してしまい、鎖骨が折れたかと思いました。きちんと構えて撃っても、反動がメチャクチャ強くて、たった5発でしたけど「早く弾切れになってくれ!」と思いましたね。
●トカレフM1940 これが、前回のエントリーで書いた銃ですね。なんというか、とてもいい佇まいの銃で、作動も滑らか、反動もマイルドでいい感じでした。たった10発でしたけど、撃ててよかったです。かなり珍しいもので、多分、なかなか撃てる銃じゃないと思います。この銃の弾も、最初は在庫なしと書かれてたのですが、社長の机の引き出しに10発だけ残ってるのがたまたま見つかって「あ、10発だけあるわ。撃つ?ドラグノフとトカレフがあるよ」といわれて迷わず「トカレフで!」と力強く答えたのをなんかよく覚えてます(笑)でも、撃つたびに銃の油が顔に飛んできて参った記憶もあります(笑)
●M1ガーランド この銃もとてもいい銃でした。なんというか、手にしっくりと馴染んで、撃ってみると反動も心地よく、よく当たります(自分なりに、ですけど)。実に頼もしい感じがしました。三八式もそうでしたけど、持ってて頼もしい感じがするのかどうかって、兵士にとってとても大事なことなんだろうなと。危険だらけの戦場で、安心・信頼できる銃が手元にあるだけでも、かなり心が休まったんじゃないかなという気がします。
映画「グラン・トリノ」で、イーストウッド扮する朝鮮戦争に従軍した経験のあるコワルスキーが、この銃を大事に持っていました。こういうキャラ設定は突飛なものではなくて、普遍的な退役兵士の姿を描いたものなんじゃないかな、という気がします。この銃を撃った体験があったので、映画を観たときはなんか「ああ、そうだろうな」ととても腑に落ちました。
というわけで、撃った銃の感想はこんな感じです。個別の銃についての思い出は、前述のとおり覚えてることもあれば忘れてることもあって非常にあやふやなものです。
で、銃を撃って強く思ったことが2つありました。
一つは「本物は欲しくないなあ」ということでした。これは自分の中では意外な感想でした。銃って、想像以上にゴツイんですね。重いし、油ギッシュだし、「武器」としてのオーラも凄いです。手元に置いといてあれこれいじくる気があまりしないような、、、。実銃ってモデルガンの延長にあるのかな?と思ってたんですけど、違いました。さっきの「モデルガンをいじってたら実銃を扱える」というのと矛盾しているようですが、それはあくまで操作方法についてでして、なんというか「佇まい」が別物なんですよね。モデルガンは、あくまでモデルガンなんですよね。
銃の「武器としてのオーラ」は、かなり凄いです。日本でも、撃つことができないように処理された合法品の銃器を買うことができまして、その専門店もあります。そこで見ると、その辺がよくわかりますので、機会があればご覧になってみては。で、私はこの無可動実銃もあまり欲しくないです。高くて買えない、というのが大きい気もしますが(笑)。でも、なんというか「俺はモデルガンが好きなヌルイマニアでいいや」というところに落ち着いたような(笑)
で、もう一つが「これで人を撃つのはナシやな、、。絶対人は撃てないな、、、。」
というものでした。
銃を撃つと、手元で火薬が爆発(正しくは「燃焼」なんですけどね)して、自分の手からもの凄いエネルギーが発せられ、向こうにズドーン!と飛び出て行くような感じがします。そのエネルギーの凄さは反動などで実感として伝わってきます。イメージ的には、なんというか「かめはめ波」みたいです(もちろん出せないのでわからないですけど(笑)でも、そんな感じなんですね)。この辺は、実際に撃ってみないとわからないし、撃ったことのない人にきちんと伝えることもほんと難しいです。それは、車の運転の感触を、車を運転したことのない人に伝えるのが非常に難しいのと同じです。
そして、この凄いエネルギーが、人に向かったときにそれがどうなるのかは一発目でわかりました。いやほんと「絶対人に向けては撃てないな」と、、。
銃を撃ちたかったのは、ガンマニアとして「本物の銃は、撃ったらどんな感じなのか」というのが知りたかったのが目的としてありました。そして、もう一つの目的としては「私は、人を撃ちたいから銃が好きなのではないか」という疑念を払拭したかったから、というのがあったんですね。
子供のころから銃に興味を持って、銃の本やモデルガンを買ったりしてると、どうしても変な目で見られてしまいます。残念ながら社会的には「危ない趣味」なわけです。「人を傷つけたいから銃が好きなんだろう」的なことは割と普通に言われてたような気がします。ガンマニアの方は、同じような経験をした方は多いんじゃないでしょうか。もちろん、そんなことは絶対にないんですけど、それを証明することはできないんですね。だって、本物の銃を撃ったことがないわけですから。
そういうことを言われ続けると「ひょっとしたら、銃を持ったらそういう気持ちになるのかも、、」という疑念はどうしても出てきます。でも、そういうモヤモヤした気持ちは、一発目で払拭されたわけです。本当にホッとしました。まあ、考えたら当たり前といえば当たり前のことです。「ナイフを持ったら人を切りたくなるのか」というのはナイフを持ってみたら分かることで、同じですよね。要するに、銃が身近にないので、その辺がいまいちイメージしづらいだけなんですよね。日本は銃の所持規制が非常に厳しい国の一つなのはよく知られてます。おかげで、銃器による殺人や犯罪は非常に少ないですね。でも、一方でこういう「身近にないから勝手に一人歩きする幻想」も出てくるわけです。
映像などで見ると、銃は簡単に撃ててるように見えるのでなおさらなんだろうな、とも。でも実際は、反動や音は凄いし、拳銃は重いし、ライフルなら肩は痛いし、硝煙は臭いし(花火みたいな臭いが体にまとわり付きます)、薬莢が体に当たると熱いし(私は腕に当たってやけどしました)で、非常にうっとおしかったです。もちろん、楽しいは楽しいのですが(どないやねん)、一方で射撃にはそういう面もあった、ということです。
多分、圧倒的大多数の人は、私と同じように「これで人を撃つのはナシやな」という感想を抱くと思います。しかしながら、アメリカはじめ銃で人を殺す行為はずっと続いています。
それはなぜかというと「これはナシだな」という気持ちよりも「こいつを殺したい」という「憎悪」や「金が欲しい」という「欲望」が勝ってしまっちゃったから、なんだと思います。なんというか、人がそう思うようになってしまう、そういう状況に追い込まれてしまうこと自体が、銃よりもはるかに恐ろしいことなんじゃないかな、と。
こう書くと、NRA(全米ライフル協会)の「銃が人を殺すのではなくて、人が人を殺すのだ」という標語みたいです。でも、確かにそういうことなんだろうな、と思います。とはいえ、私はNRAのことを支持している訳ではありません。念の為。もちろん、否定もしていません。中立です。アメリカはアメリカで銃規制のことを考えて決めればいいので、私なんかが口出しする筋合いはありませんからね。でもこういう風に書いてると「実は銃規制に反対なんだろう」みたいにとられがちなのですが、ほんと、どっちでもないです。正直、判断できないです。
これはアメリカじゃなくて、中東の国の話ですが、その国にはカラシニコフが蔓延(もちろん非合法)しているそうです。で、交通事故(接触程度)がありまして、両者が口論に。一方が激高して、車のトランクからカラシニコフを出してきて、相手の車を蜂の巣にしたとか。そんな国、訪れるのも嫌です(笑)。怖くて道も歩けない(笑)
一方で、アメリカのど田舎に住んでたら、私は多分銃を買って備えて置くでしょうね。アメリカには行ったことはないですけど、映画とかで見ると「警察に通報しても自宅に駆けつけてくれるのは1時間後」みたいな地域は無数にあるでしょう。そんなところに住んでて、例えば近所に胡散臭い人達が住んでたりしたら、やっぱり「銃、持っとこか。ときどき練習もしとこう」ってなりますよね。人だけじゃなくてグリズリーとか、そういうのが出てくる地域ならなおさらです。
そんなこんなで、いろいろ考えてみたらほんと難しいです。簡単に結論なんてでないな、と。だからアメリカではずっと揉めてるんでしょう。
ドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」はアメリカのその辺の問題の複雑さがよくわかる優れた作品でした。切り口は「アメリカの銃社会」なんですけど、観ていくうちに「「銃」は表出している問題の一つであって、根っ子はアメリカ社会のもっと深いところにある」ということがよくわかります。でも、私がこれ以上どうこう書いても仕方がない(笑)のでこの辺にしておきます。でも、この映画はお薦めなので興味のある方はぜひどうぞ。
で、「銃を持つと人を撃ちたくなる」という「思い込み」についてあれこれ考えてたら「人間というのはどうしようもなくて、すぐ人殺しをしたがるものだ」という思考が根っ子にあるからなんじゃないか?というふうに思うようになりました。そういう思考って、割と普通に受け入れられているように思います。戦争の話題になると、そういう意見がすぐでてくるような、、。「人間は戦争をしたがるものだ」みたいな。
でも、そんな単純なものじゃないんじゃないか?と。帰国してから、そのつもりであれこれ本を読んでみると、腑に落ちることが多かったです。
「戦争における「人殺し」の心理学」 (ちくま学芸文庫)という凄い本があります。この本は、ほんと目から鱗本でして、超お薦めです。同行したS先輩に教えてもらいました。著者はアメリカ陸軍の元中佐で、実体験を踏まえながら歴史的な調査を絡めた上で「人はなかなか人を殺すことはできない」ということをキッチリと説明しています。
第二次大戦後、米軍は最前線にいた兵士の聞き取り調査をしました。で、兵士のほとんど(8-9割)が自分の銃を1発も撃っていなかったそうです。最前線にいたのに、です。
南北戦争の戦跡から発掘される先込め銃の中には、撃ってないのにどんどん弾を込めている銃があるそうです。つまり、撃ってないけど仲間には撃ったように見せかけるために、弾を後から後から込めたとしか考えられないとか。
ヨーロッパの将校の間では「兵士は敵を撃たない。撃ってるけどわざと的を外す奴がいるので、なかなか敵は倒れない。だから、そのつもりで采配しないといけない」というのが通念としてあったそうです。
などなど。要するに、昔の兵隊は銃を渡されても敵を打ち倒すことはしないし、できなかったんですね。
で、アメリカ軍は戦後その辺をどうにかしようとしてあれこれ対策を練ります。要するに「兵士が敵兵を抵抗なく撃てるようにすればいいじゃん」と。
具体的には「的を人型、人形型にする」「敵を間視する」という感じだったようです。的が人型になるだけで、人はそれを撃つことに抵抗感を抱くんですね。紙に印刷されたものだと分かっていても、人の形をしてるというだけで躊躇しちゃうんですよね。人形ならなおさらです。エアガンでもちょっと撃てないです。撃つ撃たないでなくても、例えば人の顔写真を破ったり、人形を壊したり捨てたりするのって抵抗がありませんか?そういうことです。
でも、訓練で何度も何度も人形を撃ってたら、慣れちゃってくる訳です。そういう的がパッと飛び出てきても、反射的に撃っちゃうようになるとか。
ベトナム戦争では、ベトナム兵やゲリラを「グーク」などの差別的な言葉で呼ばせるようにしたそうです。要するに「あいつらは人間じゃないから、撃っていい」と思い込ませたわけです。
その結果、ベトナム戦争での兵士の発砲率は9割(!)になったとか、、、。
映画「フルメタルジャケット」は、兵士の訓練から映画が始まって「観客を兵士に仕立ててから戦場に赴かせるような話の運び方が凄い」みたいな評価がありました。でも、こういう視点はなかったような。差別的な歌を歌うシーンとかがあったように思いますが「それが何を意味しているのか」というのが大事だったんだ、と。実際は、もっとえげつなかった訳ですね、、。
要するに「人間は人を殺したいと思ってるものだ」という「普遍的な事実」は元々はなくて「人は人を殺してもいいんだ」と「思い込ませるシステム」が意図的に作られた、ということなんですね。これはほんと怖いことです。
この本には書かれてないんですけど、また別の興味深い話があります。これはアームズマガジンの記事にありました。
ナチスの親衛隊の中に「特別行動隊」という部隊がありました。どういう部隊かというと、ロシアに攻め込んだ戦闘部隊の後についていって、占領したロシアの村々の人々(彼らのいう劣等民族)を虐殺するというのが任務でした。
方法としては、村人に穴を掘らせて、その前に並ばせて機関銃や銃で撃ち殺して埋めてしまう、というストレートなもの。
その部隊の隊員は、ナチスの思想に感化された選りすぐりの志願兵で構成されていたそうです。要するに「バリバリのナチ」です。ロシアの村人を撃ち殺すことが、ドイツの栄光・発展につながると信じている人々です。
でも、任務をこなすうちに、隊員の中にノイローゼが蔓延したそうです。要するに、劣等民族であろうとなかろうと、人を殺し続けてるうちに頭がおかしくなっちゃったんですね。
で、そのことに腹を立てたある将官(もちろんバリバリのナチ)が「俺が直接やる!模範を見せてやる!」と現地に赴いて任務を「実施」したそうです。
で、その将官もノイローゼになっちゃったそうです。
救いようのない話ですが、救いのある話でもあります。「理屈や思想で自身をどう騙しても、無意識や本能のレベルで殺人を忌避するのが人間」だということを証明しているような。
ちょっと話がずれてしまいましたし、なんかとっちらかってきました。すいません。でも、この辺のことをあれこれ考えるとほんとに面白い(というと語弊がありますが、、)です。でも、これ以上書き進めると、もっと収拾がつかなくなってしまうので、止めておきます。
前半、嬉々として銃の解説を書いてた人間が、こういうことを書いててもいまいち信用できないだろうなとは思います。でも、そういう矛盾を抱えてしまうのがこういう趣味なんだろうな、と。その辺をどこまで突き詰められるのかが大切なんだろうな、と。そういうことが言いたかったわけです(ほんとか)
しかし、銃とか戦車とか戦争とかに興味を持たなかったら、こういうことを考えるようにはならなかったので、そういう意味ではよかったな、と思ってます。なんとなく、ですけどとても大切なことのような気がしています。なので、これからもあれこれ本を読んだりして考え続けていきたいと思ってます。
とか言いながら、次回のエントリーはモデルガンの解説を予定してます(笑)ほんと、困ったものです。
それでは。長々とすいませんでした。最後まで読んでくださった皆様(いるのかな?)ありがとうございます。
あと、「戦場におけるー」はじめ、紹介した本や映画の内容については、全部記憶によるうろ覚えに基づいたものです。ほんとは再読するなどしてから書くべきなのですが、その辺はご了承下さい。でも、大枠ではそんな感じです。興味のある方はぜひ手に取ってみて下さい。
もうひとつ、この射撃場は現在は米本土に移転したそうです。機会があればまた行きたかったのですが残念ですね。でも、仕方ないですね。このときいろいろ撃てただけでもよかったな、と思ってます。