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森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

ごっつええ感じの銃選手権・番外(なんちゃって日本軍小火器編・その1)

2020年05月30日 | イラスト集
今回はひさびさの「ごっつええ感じの銃選手権」です。いつもは実在の銃を紹介してるんですが、今回はぜーんぶ真っ赤なウソです。「日本軍にこんな銃があったらなあ、、」と常日頃妄想しているものをイラストにしてみました。解説はさもほんとにあったように書いてみました。でも、ほんとにウソなので真に受けないで下さい。でも、ところどころ史実が混じってますのでご注意下さい(我ながらヒドイなあ、、)。また、解説の後に、妄想に至った経緯を書いてます。これはウソじゃなくてホントです。ウソの中のホントです。つまり、ホントはウソなわけで、いや、ウソなんだけど一部はホントで、、ってわけわかめになってきたところでスタート!

●試製四型機関短銃
唯一日本軍に制式化されたサブマシンガン、一〇〇式機関短銃は試製三型が雛形です。しかし、使用する弾薬・8ミリ南部弾の威力が比較的弱いことについては当初から指摘されていました。そこで試作されたのが試四型です。ご覧の通り、一〇〇式を2丁ドッキングした銃です。


威力は当然2倍(発射速度は1200発/分!)なのですが、当然反動も2倍。コストも重量も約2倍、ということで案の定没になりました。しかし、頑強な兵士ならなんとか使用できるので、数10丁ほど製造され、陸軍挺身隊、海軍落下傘部隊に配備されたという説もあるようです。

1→マガジンは1本ごとに装填できますが、2本を束ねるクリップが付いています。
2→コッキングハンドルは上下別々ですが、スライド式のロックがあり、上下同時にコッキングすることも可能。
3→ここにシアが入ってますが、構造は不明。どうも、上下同時、上下別々のセレクターが反対側にあるようです。よって、状況に応じて発射モードを選択できるようです。ただし、一〇〇式同様単発機能はありません。

妄想の経緯 これはAF2011というガバメントを2丁重ねた銃(とても好き。ウソみたいな拳銃ですが、ほんとにあるんです)から思いつきました。銃って、構造上2丁合わせても技術的には製造可能なんですよね。例えば上下・左右二連式のショットガンってまさにそれですし。サブマシンガンでも問題ないはず。使える使えないは別にして(笑)。モデルガンでも誰か作って欲しい、、。例えばマルシンのMP40で作ると、メチャクチャ面白いものができるんじゃないかと。私はやりませんが(笑)

話を戻すと、こういう銃ってアニメとかゲームに登場させるといいんじゃないかと思うんですがどうでしょうかね。エイリアン2のバスケスみたいな女性兵士に使って欲しいなあ、、。って、もうこういう銃あるのかな?誰でも思いつくしなあ(笑)

で、これをツイッターでUPして、日本軍兵器の資料を精力的に収集・発表されているN氏から頂いたコメントのやりとりでなんとなく出来上がってしまったのがこちら。

●四式軽機

ご覧の通り、九九式を2丁合わせたもの。昭和21年の函館攻防戦で、立て籠もった陸戦隊に空中投下され、この銃を手にした彼らが包囲をかいくぐったのは有名です 。

軽機としては重かったのですがかなりの威力で(当然ですが)信頼性は九九式譲りということで、少数ながら各部隊に配備されたようです。四式は写真でも散見できまして、この絵は「一億人の昭和史 日本の戦史11」P75の、沈没した青函連絡船の前でポーズをとる女学生の模写。これはあきらかに四式です。

また、歩兵第800連隊(通称号鷽) にも支給された記録は残ってます。800連隊は、知る人ぞ知る部隊ですね。

妄想の経緯 ツイッターでやりとりしていると、あれこれと膨らんでくるのが楽しくて、つい描いちゃったのが上の2枚。ささっと描いたので荒いですがご了承下さい。800連隊の史実(笑)については某模型メーカーアカウントの中の人・F氏から助言を頂きました。ウ800部隊は、松本零士氏も漫画に描かれてましたね。まあ、なんつーか、みなさんウソつくのがお好きなようで(笑)

ちなみに、ZBをこんな風にしたほんとの試作型(中国製?)があるようです。この絵を描いた後、ツイッターでどなたか(チラッとみただけなのでアカウント名など失念。すいません)が博物館の展示物と思われる画像をUPされててびっくりしました。ほんまに作ったらアカンやろ、反動で死ぬで、と(笑)まあでも、ほんとに作れるんですよねこういうの、、。

●一〇〇式機関短銃挺身型

一〇〇式を折り畳みストックにしたタイプです。挺身型、というのは通称で正式な呼称ではないようです。要するに、空挺部隊など特殊部隊に支給されたタイプです。千丁程度が量産され、昭和21年3月のテニアン島への強行着陸攻撃「激作戦」(一式陸攻20機に分乗した海軍陸戦隊(落下傘部隊)と陸軍挺身隊の混成隊約100名が突入、B29を120機破壊し、テニアン島の基地機能をほぼ無力化した)の主要火器となりました。 この銃も「日本の戦史11」で見ることができます。残念ながら、戦闘後に鹵獲した米兵が構えている写真なのですが、、。
1→ストックは見ての通り、米のM1・M2カービンの空挺型にヒントを得たようです。
2→グリップは日本で最初に試作された試製機関短銃(第4回ごっつええ感じの銃選手権で紹介)のものによく似ています。
3→ピストルグリップとなり、保持が難しくなるためか、折りたたみ式のフォアグリップが追加されました。
4→ストック内側に予備弾倉を納められるようになってるのがゲーコマですね。それにしてもM1・M2カービンの空挺型ってカッチョいいですよねえ、、。モデルガン欲しい!(笑)


妄想の経緯 試四型をツイッターでUPしたら、A氏(個人で一〇〇式の電動ガンを量産されてるスゴイ方)から「一〇〇式の空挺型が作りたい」とコメントをいただき、描いてみたのです。この辺から妄想がフルスロットル(笑)

あと、イラストでは「百式」と書いてしまいましたが、「一〇〇式」と書くのが正しいです。すいません。

●五式機関短銃
一〇〇式挺身型は、実施部隊では好評だったのですが「横配置のマガジンのバランスが悪い」という声もあったため、下配置に改良、制式化されたのが五式です。形状はかなり変わったように見えますが、ボルトやバレルなど、基本的なパーツはほとんどが一〇〇式と同じものとなっています。結果的にMP40やPPS43、グリースガンなど欧米のサブマシンガンのような形状となったのですが、経緯的には少し遠回りだったのが日本軍らしいですね(笑)

1→マガジンは一〇〇式と互換性があります(後世のマニアからのツッコミ対策という説も)。なのでマガジンキャッチなどの形状は同じ。マガジンハウジングも同じで、一〇〇式のを単に90度下に回転させた状態です。
2→マガジンハウジングを流用したため、分解方法が変わりました。このつまみを回してレシーバーとストックを分離します。レシーバー後部に爪があり、ストックに引っ掛け、つまみで固定する仕組みのようです。結果的に一〇〇式よりやや簡略化されました。マガジンの共有化と同時に、そういう狙いもあったようです。ここはドイツのMP40の影響が見られます。
3→薬室、銃身部からの火傷対策として、先台が付けられました。先台を握れば、マガジンに触れることはありません。映画や漫画でサブマシンガンのマガジンを握ってる描写がありますが、これは作動不良につながるのでほんとはダメなんですよね。もちろん、戦場写真でも握ってるのがありますけどね、、。

妄想の経緯 ピストルグリップタイプの挺身型を見てたら、横配置の弾倉のアンバランス感が際立ってきたように感じたので描いてみました。曲銃床だとあまり気にならないんですけどね。で、結果的にニューナンブM66に似てるなあ、と。やっぱそういうこと(?)なんでしょうね。昔、MGCのM76を持ってたんですが、あれかなりコンパクトで取り回しがよく「これを日本兵が装備してたら凄いことになったのでは?」と思いました。MP40なら、と思いきやあれはボリュームが結構あって、日本人だとちょっと大きいんですよね。あと、PPS43にも似ちゃいましたね。PPSは持ったことないんですが、MP40よりも小さくて扱いやすそうな気がします。余談ですが、PPSは総合的にかなり優秀なサブマシンガンじゃないかと思うんですが、どんなもんなんでしょうね。

●タ型拳銃

九七式信号拳銃を、タ弾を発射できるようにした対戦車拳銃です。戦局の悪化により航空機や船舶が激減し、余剰となった信号拳銃を活用するため、昭和20年ごろに開発されました。ご想像のとおり、ドイツのカンプピストルの情報が参考にされたようです。


1→タ弾は40ミリと小さいのですが、M4シャーマンの側面なら十分貫徹可能だったようです。拳銃なのに戦車の装甲を貫徹できるというのは、市街戦ではかなり有効だったようで、昭和21年の都心部の攻防戦では結構な数が使用され活躍したそうです。例えば、麻生区女子学徒挺身隊がこの銃で24両のシャーマンを撃破した(!)という記録が残っています。
2→追加されたフォアグリップ。これがあるので、反動をかなり抑えることができたようです。なので前述の通り婦女子でもなんとか射撃できたわけです。
3→グリップは金属製で、ストック基部と一体となってます。折り畳みはできませんが、そもそもが小さい兵器なので問題にはならなかったようです。ストックはバットプレートもなく、あくまでも簡易兵器だったことが伺えます。
4→これまた簡易な照準器。3・6・10とあるのはそれぞれ30・60・100メートルの指標のようです。しかし、実戦ではほとんどの場合零距離から射撃されたという話です。路地や建物の影からいきなり撃たれ、しかもほぼ確実に戦車が破壊されるので、米戦車兵からは本当に嫌われていたとか。

妄想の経緯 まあ、要するに「わしらにもカンプピストル寄こしてくれ!」ってことですね(笑)でも、これってほんと日本軍にピッタリの兵器のような気が、、。少なくとも、爆雷を背負って自爆攻撃するよりは米戦車にかなり打撃を与えることができたんじゃないかと。じゃあパンツァーファーストならいいのでは、と思うんですが、バックブラストが怖いので、市街戦では案外使いづらいんじゃないかと、、。なので、低威力でもこういうカンプピストル型の方がいろいろ使い勝手がいいんじゃないのかなあ、と。あと、九七式信号拳銃はシュッとしててとてもカッコいいですね。

●四一式拳銃連発型
四一式拳銃(南部式大型拳銃)は、1908年に採用直前までいったのですが、残念ながらボツとなりました。で、これと同時期にフルオート機能を追加したマシンピストル型が試作されたことはあまり知られていません。こちらも採用はされなかったのですが、南部銃製造所で秘密裏に少数(推定で200丁程度)が量産されました。


これは内務省の発注で、赤色テロに対応する「特高六課」(今で言う対テロ実行部隊)に配備されました。また、経緯は不明ですが戦後は首都警公安部にほぼ全てが移管され、活用されました。六課、公安部時代ともども、サブマシンガンですら取り回しがしづらい、狭い日本の路地や家屋内での銃撃戦ではかなり有効だったようです。

1→フォアグリップは、トリガーガードと一体となっています。当然、銃身部とは分離されており、確実に反動を抑えられたようです。
2→セレクターはトリガー上部にあります。後の十四年式のセフティの形状は、この連発型のセレクターから考案されたようです。ただし、連発型のセフティは通常型と同じグリップセフティのみとなっています。
3→ドラムマガジンは30連。ドイツのランゲラウフのスネイルマガジンから発想されたように思いがちですが、時期的にはこちらが先なので、無関係のようです。給弾・装填方法などは不明。恐らく、単純なスプリング式と思われます。
4→通常型のマガジンキャッチでは、ドラムマガジンを保持できなかったのか(通常型のはグリップから出っ張っているので誤って押してしまうことがある)、専用のマガジンキャッチが追加されています。
5→バレルはヘビーバレルに冷却用の溝が彫られ、簡易ながら銃口制退器が付けられています。フルオートの発射速度は700発/分。8ミリ南部弾はやや弱装ということもあり、制退器の効果もあって、かなり扱いやすいマシンピストルだったとか。前述の通り、屋内での使用では無敵に近い効果を発揮したそうです。
6→着脱式ストックは、通常型と同じもの。当然ストックなしでも射撃可能。普通にコートの下に隠せるので、セクトからは「公安のガラガラヘビ」と恐れられてたそうです。

妄想の経緯 南部式大型は、ルガーに似てるので(外見だけですが)ランゲラウフ型もあったらいいのになあ、、、とずっと思ってたので描いてみました。ついでなので、フルオートにもしちゃおう、と(笑)。南部式は頑丈そうなので、こういう風にしても全然OKだったんじゃないかなあと思います。「特高六課」「首都警公安部」とか、妄想のベクトルがちょっとずれましたがまあいいじゃないですか(笑)ケルベロスの新作、そろそろ観たいなあ、、。

というわけでお終いです。冒頭にも書きましたが、これらは全部妄想のウソなので、ご了承下さい。ウソをつくのってほんと楽しいですねえ(コラ)。これは機関短銃だけを並べてみたもの。なんつーか、こうやって並べてみたらなんかほんとそれっぽいですね(笑)
銃は並べるとグッとそのよさが引き立つような気がします。不思議ですね。

で、今回のエントリーの意図としましては、要するに日本軍の火器って、欧米のそれに比べると欠けたピースがかなりあるので、個人的にその辺を埋めてみたかった、ということなんですね。しかし、軽機や重機、自動小銃は現実に存在する(特に軽機や重機は優秀なのがあるので妄想は無用。四式は、つい(笑))ので埋める必要がないのです。でも、機関短銃とかはそれがないので描いてみた、というわけです。

また、前述した通り、ある私の妄想をツイッターにUPすると、どなたかがそれに燃料をくべて下さり、さらに妄想が膨らむ、という過程を経ています。そういう他のいろんな方とのやりとりって、ほんと大事だし、ありがたいなあ、と。コメントで示唆を頂いた方々だけでなく、イイネを付けて下さった方々も同様です。イイネを頂くだけでやる気になりますからね(笑)というわけで、この場をお借りして皆様にお礼申し上げます。

で、次回も続きます。次はこのシリーズです。マシーネンカラビナー、キター!!(ほんと楽しそうだな、、)


それでは。

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写真でスケッチ(その1)

2020年05月04日 | イラスト集
今回は、昔の日本の写真集などで見かけて「おお!」と思った写真を、イラストにして紹介してみます。題して「写真でスケッチ」。

●厚木のおっちゃん
「アメリカ人の見た日本50年前」(毎日新聞社)p10の写真から。厚木中心街の風景に写ってるおっちゃん。なんでこのおっちゃんに惹かれたかというと、九六式軽機の弾倉嚢を鞄代わりに使ってるんです(1)




これ、気付く人は絶対気付く、というくらいはっきり写ってます。これは進駐軍が撮影したカラー写真です。この本は、ほかにも同様なカラー写真が多く、当時の日本を知るにはほんと素晴らしい資料です。弾倉嚢についても、カラーなので各部位の色調の違いなどかなり参考になるんじゃないかと。これ、案外大きいっぽい(レプリカ持ってない、、)ので鞄としても使えるんでしょうね。でも縦長なんで使いにくいだろうなあ、、。

このおっちゃんの服は上下そろいで、青っぽい見慣れない色です(3)ひょっとしたらこれも軍用かもしれません。当時は服から靴から鞄から、日本軍のものが民間に出回って普通に使われていました。このおっちゃんも、服も弾倉嚢も同じところから手に入れたのかもですね。

手袋も指の部分は革で、甲は布っぽくて(2)軍用だとしたら見慣れないものですが、こういう軍用手袋があったとしたら興味深いです。で、絵を描く際によく見たら自転車に子供さんと(4)奥さん(5)らしき人を乗せてて、それぞれちらっと写ってます。フレームに座布団的なものをクッションとして固定してるようです。一家で出かけてるわけですね。おっちゃん偉い!

●天津の猟銃のおっちゃん
「一億人の昭和史 ①満州事変前後」のp67の写真から。天津暴動で日本租界を警備する猟友会員。持ってるのがブローニングオート5(1)っぽい(元の写真はかなりぼんやりしてます)です。この銃は、自動式5連発の散弾銃です。ブローニングなのか、コピー品なのかは分かりませんが、自動式であることは間違いないようです。
奥の帽子の人も同様の自動銃を持ってるようです(2)このおっちゃんはジャンパー(3)にニッカポッカにゲートル、といういかにもなスタイル。弾薬ベルト(4)込みで決まってますね。海外ではありますが、当時のハンターってこんなんだったんかなーと。

で、自動式の猟銃って案外普及してたのかなあ、、、と思って調べるとウィキの元ネタのページ(「ブローニングオート5」の引用28)にて「戦争末期、海軍が日本国内の民間の自動式散弾銃を5万丁徴発、サイパン島の飛行場設営隊などが装備」とありますので、ブローニングかどうかはともかく、自動式は結構な数が使われてたようですね。

「小銃 拳銃 機関銃入門」(佐山二郎・光人社NF文庫)にも、民間から供出された5万丁(単装、連装、連発の各種)を、近接戦闘用に装備したとあります。目的、数量などウィキの記述とちょっと違いますが、なんとなく情報が被ってるような。ソースが同じような気も、、。この辺はもうちょっと知りたいところです。

ちなみに、藤田嗣治氏の有名な絵画「 サイパン島同胞臣節を全うす」内で、立射姿勢で銃を構えている男性(兵士かどうかは分かりません)が描かれています。彼が持っている銃は、このブローニングのように見えます。藤田氏はサイパンにブローニングが配備されていた(らしい)というのをご存知だったんでしょうか。絵の元になる何らかの資料があったんでしょうか。絵の右下で、銃口に口をつけて自決しようとする男性の銃は小銃なので、藤田氏は明らかに描き分けています。偶然、なんでしょうかね、、、。

●グァムの戦闘を生き残った少女
「一億人の昭和史 日本の戦史10」p126の写真から。グァムの戦闘終了後の米軍撮影のもの。解説は「米兵から衣服をもらう娘たち」とあります。かなり綺麗な少女です。最初見たとき、正直ドキッとしましたね(笑)






写真の周囲には胸をはだけた数名の海兵隊員がいますが、おどおどした感じが全くなくて、キリッとした様子が凄くいいなあ、と。グァムの戦闘は、藤田氏が描いたサイパンの戦闘同様、「地獄」といってもいいくらいひどいものだったようです。解説によると、戦闘開始時、邦人150人(うち女性50人)が残留、総攻撃には剣術のできる男子も参加、とのこと。地獄を潜り抜け生き抜ぬいて、かつこういうキリッとした感じを保てているというのは凄いなあ、と、、。

で、この少女の絵は写真からは結構アレンジしてます。本と見比べた人は「全然違うじゃん!」ってなるかもですが、まあそういうものだと思って下さい(笑)。写真では手前に弟さんと思われる子供も写ってます。年齢的に現在、ご両名ともご存命かもしれませんね。戦後、幸せな生活をおくられたことを願っています、、。

●浅草の姉弟
「桑原甲子雄 ライカと東京」(朝日ソノラマ)p38の写真から。昭和13年の撮影。お姉さんがとても綺麗で可愛いくて、とても印象に残る写真。
彼女は綺麗とか可愛いとかそういう言葉だけじゃ表現しきれない、なんとも独特な雰囲気です。絵にするのが難しい、、。

おかっぱにセーラー服、しかも下駄、という、いかにも昭和なスタイル。弟の服ともども、パッと見貧乏臭いんですけど、身なりは整っててそれなりに裕福な家庭であることが伺えます。どうも彼女は弟に食べ物的なもの(パンなのか麩菓子なのか、はたまた大根なのか判別がつかない、、)を与えているところのようです。

昭和20年、東京大空襲で浅草は焼け野原になってしまいましたが、この子たちは無事だったのかなあ、と写真を見るたびに思ってしまいます、、、。

それはそれとして、桑原氏の東京の写真はとても好きです。戦前のは特に。キ写真集はいろいろありますので、機会があればぜひご覧になってみて下さい。氏の温かい視線が、当時の人々の生活を、きちんと丁寧に切り取っていているように感じます。また、「戦前という日本」がどういう感じだったのかを、直感的に理解できるような気がします。

●東京宝塚劇場と装甲車
最後は人じゃなくて建物です。「幻景の東京 大正・昭和の街と住い」(柏書房)p49の東京宝塚劇場。この劇場は、戦後進駐軍に接収され「アーニー・パイル劇場」となったこともあり、結構有名です。
で、なんでこれ?かといいますと、海軍陸戦隊が使っていたビッカース・クロスレイ装甲車が写ってるんですね。1階正面のがそれ。この装甲車はイギリスから輸入され、上海や漢口の海軍陸戦隊のほか陸軍でも使用されました。教科書とかの「上海事変の写真」には必ずといっていいほど写ってまして、変に有名(?)な車両です。

この元写真はウィキの「東京宝塚劇場」にも載ってます。興味のある方はぜひご覧になってみて下さい。そのつもりで見ると、この車両はかなり浮いてるので面白いですよ(笑)。有名な建築に海軍の兵器がこっそり絡んでる、稀有な写真ではないかと。 自転車に乗った人や通行人も、全員が建物じゃなくて装甲車をガン見してる(ように見える)ところもいいです(笑)

この装甲車はレプリカの可能性もあるのですが、とある方のブログ(https://narasige.hatenablog.com/entries/2009/02/04#20090204fn1)に、より鮮明な別カットがあり、それを見る限り多分実車です。本では「昭和初期」とありますが、ブログでは「昭和19年ごろ」とあります。建物のあちこちに日章旗や旭日旗が掲げられていて、確かに戦時中のように感じます。

恐らく、ですがこの時期なんらかの戦意高揚的なプログラムが上演されていて、そのPR用として装甲車が展示されていたのかもしれません。上海事変後の昭和7年に、この装甲車は何両かが凱旋帰国しています。その際に残留した可能性もあるかもしれません。

しかし、いくつか不可解な点もあります。写真では砲塔に明らかに「1」とあるのですが、上海陸戦隊の1号車の前部フェンダーは角ばっています。写真では丸いです。さらに、砲塔正面に「1」とありますが、上海陸戦隊のは砲塔側面に描かれています。ただ、写真を見ると機銃の間隔が広く、砲塔が90度回転しているようにも見えます。フェンダーが修正されたのか、マーキングが描き直されたのか、そしてさらに戦後この車両はどこに行ったのか、などなど謎は深まるばかりです。

とはいえ、建物方面の人からすると「なんじゃそら」な話題であることは間違いなく、でも日本軍マニアとしてはメチャクチャ気になります(笑)。ほんと面白い写真だと思います。

※上海陸戦隊の写真集など、貴重な資料を次々と発表されている、この世界のオーソリティの一人であるY氏に、この件について以前SNSを通じて質問する機会がありました。多々示唆をいただきまして、それを以上の文章に反映しております。Y氏にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。

というわけでお終いです。写真をイラストにする際は、それなりにしっかりと見るので、ただ眺めていただけでは気付かないことが多々出てきます。今回の写真もどれもそうでした。とても面白いです。当然、絵の勉強にもなります。また「おっ!」というのがありましたら、ちょこちょこ描いて、溜まったらまたいつかUPしたいと思います。

最後に著作権についてお断りしておきます。著作権に関しては一通り調べてみましたが、今回のエントリーのような「写真を元にアレンジして描いたイラスト(トレースではありません)を、出典を明記したうえで、商用目的ではないブログ(拙ブログはアフィリエイト等の営利行為は一切やっておりません)にUPする行為」が違法かどうかは判断できませんでした。なので見切り発車的なUPなのですが、あらかじめご了承下さい。権利者の方々が「これは問題だ」と思われた場合は、ご一報下さい。速やかに削除致します。

それでは。

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イラスト集(その6)

2020年01月12日 | イラスト集
今回はイラスト集です。この絵は最後に紹介します。持ってるのは日本軍が試作した試製二型機関短銃をアレンジしたもの。

実際の試製二型はこんな感じ。違いは分かり、、ませんか(笑)。これは以前描いた漫画の一部です。

その漫画の別のカット。まあ、要するに四畳半SF(笑)みたいな感じです。丸ペンで描いてます。ペンで描くのも長いことやってないのですが、コリコリ描くのはほんと楽しいです。水彩画もそうですが、なんというか描いてるときの「手応え」が好きなんですよね。
で、この漫画はわずか16Pですが、苦労してせっかく描いたので、有料で公表するとかしてもいいかな(お金を出す人はいないでしょうけど)と思いながら、やり方を調べもせず、ずるずるときてます。

これは以前別エントリーでUPしたやつ。ガルパンの玉田。

こっちはムラカミ。
すでにある作品のキャラを、自分なりにアレンジして描くのはそれはそれで楽しいですね。

こっちは脱力系イラスト。胃腸炎で寝込んで、SNSにその旨書いたときのだったような。


こういうの、もっと描きたいんですけどね(って前も書いたような)。

脱力系つながりでこれ。

これは中四国AFVの会のマスコットキャラ「せんしゃん」の友達、という設定で描いたもの。せんしゃんキットの箱絵用です。名前はパンタン(笑)。でも、描いてからもう何年も経ちますがそれっきり。なんとか登場させたげたいんですが、、。

こっちはテン子ちゃん(笑)。天井が開いてるのでノーテンキという設定(笑)

こっちは、さんとっつん(笑)これも箱絵用。こういうくだらないネーミングでキャラを作るのって、いくらでもできますねえ、、。もちろん、よんとっつんもすぐ作れます(笑)

で、今年の中四国AFVの会は、4月19日(日)、島根県の松江市で開催されます。会場は島根県民会館(松江城の真向かい)です。今、私はその準備をじわじわ進めております。これがパンフ用のイラストの下書き。
下書きなので「なんのこっちゃ」でしょうけど「まあ頑張ってやっております」的な意味でUPします。モチーフは「戦国自衛隊」の千葉先生。62式機関銃はほんまええですねえ。でも描くのめっちゃメンドクサイ、、、。で、中四国AFVの会は、初めての山陰開催となります。ぜひおいで下さい。以上、さりげないお知らせでした!(笑)

これは、何のために描いたのかよく覚えてません。何年も前に、適当にラフで描いたものを最近たまたま見つけて、それなりに仕上げてみました。


映画「フィフス・エレメント」のパトカーがえらいかっこよかったので、描いたような。映画では50-60年代のアメ車がベースだったので、70年代くらいのだともっとカッチョいいのに、と思いながら描いてたら、なんか気が付くと日本車みたいになっちゃった(笑)ので「TKPD」にしてみました、という絵です。こういうの、模型にしてみたいですね。武装はエリコン風の20ミリ機銃×2。何を撃つつもりなのか、という。強盗泥棒、罪状に関係なく木っ端微塵っすね(笑)

これも、以前描いた絵を描き直したもの。よく考えたら私、基本こんなパターンばっかです。未練がましいというかなんというか、、。「弾はまだ、、」というセリフは、映画「仁義なき戦い」のアレです。一〇〇式機関短銃をこういう感じの姐さんが使ってくれたらええよなあ、と思いながら描きました。
「終戦直後」「闇市」「ヤクザ」「鉄火場」「日本軍の残存兵器」とかとか、そういうのを絡めると、ほんとたまらんものができるんじゃないかと思ってるんですが、、。こういう世界観でアニメでも映画でもいいから、誰かなんか作ってくれないかなあ、、。そういう意味では映画「犬死せしもの」はよかったですね。九六式軽機は、実際に抗争で使われたことがあるとか何かで読みましたが、まあ十分ありえますよね。

というわけで最後です。これは「なんでもいいから絵を描こう!」と思ってグリグリ描いてたらできてたという「こんなんでましたけど」という絵です。タイトルは「ブラッディ・マリー Bloody Mary」。彼女は真理さんといいます(笑)。



機関短銃は、九五式実包という短小弾を使った試製二型を想像して描いたものです。戦前、日本軍は世界に先駆けて、現在のアサルトライフル弾に準じた弾薬を試作していました。それが九五式実包といわれています。口径は6.5ミリ。三八式の実包を短くしたものらしいです。

試作時は、機関短銃用の弾薬としては強力すぎる(まあそうですよね)ということで弾薬自体が没になったそうです。でも、その辺をクリアするような強度のある銃にしてたらどうだったのかなーと想像して描いたのがこれです。まあ、要するにお気楽ななんちゃって設定ですね。銃身周りにロック機構(絵では九四式拳銃みたいなのにしました)を備えて、銃口部に一〇〇式みたいなコンペンセイターを付けたらどうにかなったんじゃないかなあ、と妄想してみました。

で、女の子の鉢巻とか腕章とか海軍の襟章は、さらに妄想をフルスロットルさせたものなのでスルーして下さい(笑)この絵も、パンタンも一〇〇式姐さんも立体にしてみたいなあとか思いますけどねえ、、。思ってるだけですねえ、、。

というわけでお終いです。半年に1回くらいのシリーズですが、もうちょっと描きたいなあと思いつつ描けてませんね。今年は模型ともども頑張りたいところです。

それでは。



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第4回ごっつええ感じの銃選手権

2019年08月11日 | イラスト集
今回は、ごっつええ感じの銃選手権です。これはちょこちょこ続けてるシリーズでして、今回で4回目となります。このシリーズは、私の好きな銃をイラストに描いて、「いーでしょー、これ!ここがいいんですよ!!」と個人的な想いをギウギウ押し付け、しかも銃器に関する知識についてのフォローはほとんどしていない、という不親切極まりない内容となっております。この猛暑に便乗するかのような非常に暑苦しいエントリーですが、もしよろしければご覧下さい。


●カローラ アニチュア Charola y Anitua
1898年ごろ、スペインで作られた拳銃です。「こち亀」の1巻で登場したので、わりと有名なんじゃないかと思うんですけど、どんなもんでしょう。もちろん私もそれで知りました(笑)。漫画では大型拳銃として紹介されていましたが、ほんとは小さいです。モーゼルC96よりも1回りくらい小さいです。口径も7ミリor5ミリの6連発となってます。

当時としては新式の自動拳銃なのに、19世紀のリボルバーのテイストも混ざっていて、その新旧のケミストリー(笑)が実に素敵です。カリオストロ伯爵とかが懐に入れてそうな(笑)。

口径は小さいのですが、ショートリコイル式となってます。アウトラインはモーゼルに似てますけど、構造的には少し違うようです。リアサイト回りのバレルアッセンブリーとフレームの結合部、コッキングピースの形状が十四年式拳銃に似ているのが興味深いですね。十四年式の参考にされたような、たまたまのような、微妙なところも素敵です。

固定マガジン式と着脱マガジン式(イラストはこれ)があるなど、いろいろバリエーションがあるようですが、例によってよくわかりません(笑)。そんなこんなでやっぱり素敵です(笑)

グリップは、こち亀や書籍や画像検索ではS&Wのリボルバーみたいな形状のタイプとなってます。これが基本形らしいんですが、昔のアームズマガジンの記事で、この絵のようなグリップのタイプが紹介されてました。どうも、ブローバック時にハンマーが親指の付け根を挟んでしまうのを避けるために作られたバージョンっぽいです。C96もグリップのしかたが甘いと、そうなってしまうそうです。このグリップのタイプはこの記事以外では見当たらなかったのですが、これはこれでカッコいいので絵にしてみました。

それにしても、黎明期のオートマチック拳銃ってほんといいですよねえ、、。これもモデルガンorガスブロで欲しいんですけど、やっぱ無理ですね(笑)

●ニューナンブM57B NEWNAMBU M57B
1950年代に日本で試作された拳銃です。鉄道公安官や空港警察向けを想定して開発されました。この時期、官公庁向けの国産拳銃はこれを含む3種が試作され、そのうちの1種があの有名なニューナンブM60となったそうです。あとの1種は自衛隊向けのM57Aです。これはガバメントに似てる自動拳銃で、割と有名ですね(私の「有名」とか「マイナー」とかの基準って、あくまで主観なのでご了承下さい。でも、それなりにいいポイントを突いてると思うんですけど、どんなもんでしょう、、)。で、このM57Bは最近まで知りませんでした。以前ちらっと紹介(それがどないしてんニュース 2018年7月号)した、ロシアの拳銃のイラスト本の、日本製拳銃のページにこれが載ってて「こんなのあったの?」と調べたら、ほんとにあったという。





ブローニングM1910に似てますが、シングルアクションのハンマー式です。ブローニングとワルサーPPKを足して2で割って、3を引いたような(3はあくまで個人的な所感(笑))拳銃ですね。

なんかちょっと貧乏臭いなあ、という気がしないこともない(笑)んですけど、実によくまとまった拳銃だと思います。優秀といわれるブローニングの欠点(一度コッキングすると、空打ちしないとストライカーをリリースできない、など)をちょこちょこ潰しつつ、PPKのちょっとコストが高そうで凝りすぎなところ(セーフティ周りとか)をそれなりにさっぴいて、おいしくいただけるように二度揚げしたような感じがします(ってやっぱ貧乏臭いぞ(笑))。でもなんというか「いろいろ組み合わせて、オリジナルのよさを生かしてさらによくする」という実に日本的な拳銃じゃないかな、と。案外、こういう拳銃ってないんですよね。

グリップは透明の樹脂製で、マガジンの残弾が確認できるようになってます。この辺もなんというか、貧、、いや、日本的だなあ、と。銃口周りの面の処理もかなり凝ってて(あまりにメンドクサクて納得できるまで描ききれなかった、、)、これまた日本的です。こういうのを見ると、戦前からの「伝統」というのは途切れずに続いてたんだなあ、としみじみ思います。

日本では50年代後半から60年代中盤にかけて「兵器を国産化しよう!」というキャンペーン(みたいなもの)があったらしく、61式戦車とか64式小銃など、続々と日本製の兵器が開発・制式化されました。でも、この57Bのように試作で終了したものも多々あるんですね。

先に57Bは「鉄道公安官と空港警察向けに試作された」と書きました。これらは比較的一般市民と常に身近なところで勤務する職種です。なので「拳銃を持っている」という威圧感を少しでも減らすという目的で、小型で目立たない拳銃が求められたようです。でも、そこまでの配慮が必要なのか?ということになったのか、配備数とコストが見合わないことになったのかは分かりませんが、没になってしまいました。

警察の拳銃ってとても興味があるんですけど、本など一つにまとまった資料がないので断片的にしか知ることができないので残念です。でもまあ、仕方ないといえば仕方ないですね、、。ウェブ上では「日本警察拳銃史」というめっちゃ詳しいブログがありますので、興味のある方はご覧になってみて下さい。M57Bについてはほぼここから情報を得ています。休止中なのが残念ですね。


●ウィンチェスターM1895 Winchester Russian Model 1895
第一次大戦ごろにロシア軍で使われた、レバーアクション式の軍用銃です。


ウィンチェスターのレバーアクションといえば西部劇なんですけど、M73とかと違ってこの銃はロシアの軍用ライフル弾(7.62ミリ×54R)仕様です。M73などは、ライフル弾じゃなくて拳銃弾(44-40弾など)を使用するのですね。なので、銃種としてはちょっと違う訳です。じゃあ、何がどう違うのかというと、、、えー、説明がメンドクサすぎるのでオミットします(コラ)

で、このM1895はボルトアクションライフルのように、薬室上部からクリップでライフル弾を装填するようになってます。Wikiによると、ウィンチェスターがロシア軍から「騎兵が片手で操作できる銃が欲しい」という注文を受けて、開発したそうです。レバーを下げたときのメカニカルな感じが実に素敵です。ついレバーを大きく描いてしまいましたが、まあそれもいいじゃないですか、という(笑)

ロシア軍の54R弾仕様以外にも、米軍用の30-06弾や英軍の.303ブリテッシュ弾仕様とかもあるようです。でも軍で広く使われたのはロシアタイプのみのようです。というわけで、軍用のレバーアクションライフルは、多分この銃だけなんですね。なんかもう、それだけで「たまらん!」という。何がどう「たまらん」のかは、分かる人にしか分からん、というたまらんさです(笑)

レバーアクションは、連射性能はボルトアクションよりは優れてたんでしょうけど、構造的に複雑だし、砂塵にも弱そうだし、兵士たちへの教育も大変そう(一般市民が機械自体になじみのない時代に、銃器の分解結合を教えることがどれだけ大変だったか、というのは今では想像もできないくらいでしょう)だしで、なんだかんだで軍用には向いてなかったんでしょうね。でも、ロシア方面では結構使われてたみたいです。フィンランド軍が使ってる写真もありました。

余談になりますが、先に「レバーアクションは構造的に複雑」と書きました。レバーアクションは、単純で堅牢とされるボルトアクションに比べると、自動小銃に近いです。ボルトアクションは、ボルトとロックシステムが一体となってますが、レバーアクションはそれが分かれてて、レバーを操作することでロックを解除する方式です。で、マキシム(世界初の自動式機関銃を発明した人)は、機関銃の開発前にレバーアクションライフル(ウィンチェスターM1866)を反動式の自動小銃に改造してます。彼はこれで自動火器開発の手応えを得たようです。また、M1866を開発したブローニング本人も、ガス式の自動小銃にしています。そして、後にそれぞれが別の機構の機関銃を開発しました。クラシカルでロマンチックな西部劇の銃が、戦争の様相を一変させた新兵器につながってたわけです。こういうの、ほんと興味深いですね。

閑話休題。M1895は、映画「オーロラの下で」で役所広司さんがこの銃を狼の群れに向けてバンバン撃つカットがあります(うろ覚えですけど、多分そうだったと思う)。結構使い込まれた感じの銃で、とてもカッコよかったです。今でもシベリアとかで猟銃として使われてるのかもしれないなあ、と思うとほっこりしますね。

それにしても、この銃はアクションといいデザインといいほんと素敵です。マルシンさんくらいで、金属製のライブカートガスガンで出たらたまらんのですけど、これまた、まあ無理か(笑)。でもほんと欲しいなあ、、。


●東京造兵廠製試製自動短銃  Japanese Experimental Machine Pistol
恐らく、日本で初めて作られた機関短銃です。資料が少ないので、断定はできないのですが昭和2年(1927年)に作られたとのこと。当時は自動短銃と呼称されてました。弾丸は8ミリ南部弾で発射速度は1200発/分(MG42と同じ!)。東京砲兵工廠で作られました。設計者は不明。
機関短銃の始祖であるMP18/Ⅰから10年も経たないうちに、日本も開発に着手して形にしていた、というのはまあたいしたもんだな、と思います。これまでのエントリーでもちょこちょこ書いてますけど、日本の新兵器への関心はほんとに高くて、機関短銃に関しても、タイミング的に欧米の情報を入手してすぐ動いたような印象です。

この辺の例としては十一年式軽機が一番わかりやすいですね。採用年は1922年です。この時期に新規に独自で軽機関銃を開発・採用していた国は、実はほとんどありません。世界最速レベルです。いやほんと。他の例としてはルイスくらいしか思い当たりません。んが、開発者(米)と採用国(英など)が違います。BARがあるじゃないか、といわれそうですが、あれは名称の通り「自動小銃」なんですよねえ、、、。フランスのMle1924も、BARに影響を受けた銃なので自動小銃です。じゃあショーシャは(略)、ドイツのMG08/15は重機のダイエット版です。どうだ!!(といわれても困るか(笑))。まあ、ひいき目にみてるのは自覚してますけど(なんやねん)、要するに「日本軍は保守的で新兵器への開発に不熱心だった」「三八式と銃剣に固執していた」というようなイメージはほんとにウソなんですよ、って言いたいわけです。日本軍はただただ、とにかく、ボンビーなだけだったんです(笑)←笑うな!

閑話休題。で、この銃の製作時期を考えると、サブマシンガンとしてかなり先進的なデザインじゃないかと。十一年式じゃないですけど、この時期にこれだけのものを作ったというのは凄いと思います。コンセプトとしては、とにかくコンパクトに作ろうとしていたことが伺える上に、日本的なセンスがキッチリ盛り込まれてるのも素晴らしい。銃身の冷却用の溝とか銃床のラインとか、素敵すぎて頭がクラクラします(笑)

完成後、トンプソンとベルグマンとこの銃で、比較試験があったそうです。つまり、開発時にこの2丁が参考とされた可能性もあります。そのつもりで見ると、トンプソンの影響が大きかったんじゃないかなあという気がしますね。グリップとフォアグリップの感じとか、銃身がむき出しとか、ドラムマガジンとか。ストックの曲線も、トンプソンっぽいといえばぽいです。

で、試験の結果、発射速度が速すぎる(まあそうですよね)、強度が足りない(試験中に破損)などいろいろ不具合があって、没になりました。うーん、カッコいいのに、ほんと残念です。

で、この銃で特筆すべきは、保弾板仕様という点。ドラムマガジンは50連です、10発単位の保弾板を繋げるという機構です。保弾板用の切り欠きも銃にあります。古今東西、保弾板を使う機関短銃というのは他に例がありません(多分)。トンプソンの試作型は、ベルト給弾式だったというのはマニアの間ではよく知られていますが、その辺もどこかトンプソンとの類似性を感じます。でも、さすがにトンプソンの試作型のことを日本が知ってて、これも真似したとは思えないんですけどね。シンクロ二シティじゃないかなー、と。

で、現在公に目にできるこの銃の写真は2枚です。それを見ると、ドラムマガジン部の円の中心部には軸が見られません。トンプソンやPPSHなどのドラムマガジンは、中心部に軸があって、その軸にゼンマイやコイルスプリングなどの機構を組み込んで、弾丸に装弾のテンションを与えています。

その辺から察するに、この銃のドラムマガジンは、MG34や42の50連マガジンと同じく、中身は空っぽなんじゃないかという気がします。10連の保弾板を5つ繋げて(保弾板の両端には、九二式重機のそれのように連結用のラグがあります)、くるっと丸めたものを収めてるだけなんじゃないかなあ、と。

こうすると、ドラムマガジンの製造コストは最小限に抑えられます。ただの空き缶みたいなものですからね。しかし、本体に給弾用の装置を備える必要が出てきます。つまりマガジンが単純な構造になる分、本体の構造が複雑になってしまうわけです。弾丸を多数保持できるドラムマガジンは、自動銃としては理想的なのですが、結局はどこかで帳尻を合わせる必要が出てくるんですね。ドラムマガジンは古今東西各国で製造されましたが、いまいちメジャーになれず、マガジンの傍流に収まっているのはこういう理由があるからなんでしょう。イラストにも描いてますが、ドラムマガジンだけでなく、ボックスマガジンも作られています。でも、装填数は20連程度に見えますので、この発射速度では一瞬で空になります。なのであくまで参考程度に作られたんじゃないかと。後に、銃本体を少し大きくして強度を増した二次試作型が作られたそうで、それは18連の箱型マガジンだったとか。なので、二次試作型は発射速度を落としていたのでは、と推察されます。

で、この自働短銃は外観を見ると十四年式拳銃の拡大・応用版にも見えます。クローズドボルト&ストライカー式じゃないかと。2枚の写真を見ると、ボルトは閉鎖した状態で、コッキングピースが前後しているものが各1枚ずつとなってますので、FG42のようにコッキングピースとストライカーが連動してるんじゃないかなと思います。機関短銃なので、ストレートブローバックかと思ってたんですが、資料を読み直したら銃身後座式とあったので、何らかのロック機構が組み込まれているようです。コッキングピースとの絡みもあるので、その辺は十四年式と同じとは思えないし、じゃあそれならどういうロック機構だったのか、と考えたらよく分からないし、、。というわけで謎が多い銃なんです。でもほんと素敵ですね。たまらんです。

謎が多い、という意味では日本軍の機関短銃自体が謎だらけです。開発経緯を含めてきちんと知りたいのですが、なにぶん資料が少なすぎてよくわかりません。そもそも、唯一制式化された一〇〇式機関短銃の総生産数すら分かってない、という点だけでもいかに「謎だらけ」なのかがわかっていただけるんじゃないかと。うーん、ほんと知りたいことだらけですね。

というわけでお終いです。今回も絵よりも文章が多かったですね(笑)。ほんとすいません。このシリーズ、ネタはまだまだありますので、またそのうちUPしたいと思ってます。っていうか、銃に興味のない人からするとめちゃくちゃ「置いてけ堀」なシリーズ(笑)でほんと申し訳ないです。でも、書き出したら「あれもこれも、あ、それも書かなきゃ!」ってなっちゃうんですよねえ、、、。すいません、ほんと。

というわけでまた。お盆の季節ですが、全然まだまだ暑いですね。皆様、何卒ご自愛下さい。

※第1回から3回まで、リンク貼っておきますのでよろしければご覧下さい。

第1回
第2回
第3回

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イラスト集(その5)

2019年07月13日 | イラスト集
今回はイラスト集です。てれてれとしたペースで描いてる私の絵が、なんとなく溜まってきたら、聞かれもしないのに分かった風なウンチクを意味ありげに添えつつ、いかにも価値がありそうにもったいぶって紹介する、まさに言葉通りの自画自賛的なシリーズです。よろしければご覧下さい(こんな紹介で誰が見るんだ!)。

「ドイツ国防軍補助婦 戦車実験小隊長車・ブリュンヒルデ」

今年の「中四国AFVの会」のパンフの表紙用に描いたイラストです。まあ、なんというか、見たまんまのそういう絵です(笑)。

現実にはWWⅡ時のドイツ軍は、米英同様支援部隊に女性を配置していましたが、あくまで軍属的な「補助婦」という位置付けだったようです。なので当然、戦車隊などの戦闘部隊に組み込まれることはありませんでした。まあでも、妄想を膨らませて「そういうのがあったら、、」というIF的なイラストです。

この絵は2012年の同会に出品した自作の模型を元に描いてます。これがそれ。

まあ、なんというか、見たまんまの模型です(笑)。

ちなみに、その半年後くらいにガルパンが放映されて大人気になって「先に作っといてよかった!!」と胸をなでおろしたという(笑)。戦車に女戦車兵が乗ってる、というのは誰もが思いつくベタなシチュエーションですし、これまでにもこういうのを作った方は少なからずおられるとは思います。けど、ガルパンの前と後じゃさすがにちょっと話が違いますよね(笑)。

絵は模型よりも「やさぐれ感」を濃くしました。私の好きな映画「独立愚連隊」とか「第27囚人戦車隊」「戦争のはらわた」などをイメージしてます。例えば、戦車長はウォッカ飲んでます(笑)。装填手は、ソ連のニット帽を被ったり、P38を腰に差したりと「戦争のはらわた」の海賊・クルーガーと「エイリアン2」のバスケスがモデル。砲手はお嬢様設定で、ガラの悪い装填手といつもケンカしてるけど、ほんとは仲が良い。そんな2人を通信手と操縦手は2人で「あいつらバカだよねー」とか言ってる。戦車長はずーっと酒喰らってて基本頭フラフラなんだけど、戦果はキッチリ上げる、という感じ。随伴の歩兵小隊も似たり寄ったりのバカばっか、という設定を想像しながら描きました。機関短銃はPPDにしたり、ショカコーラ(チョコレート)の缶も軍仕様にしたりと、小物もちまちまと描きました。設定ばかりですが、こういう風にあれこれ考えながら描いたり作ったりするのって、楽しいです。

で、絵を描くに当たって、戦車はかなりディフォルメしてます。例えば、砲塔のキューポラと側面のハッチの距離はかなり詰めています(そうしないとどうしても間延びして、キャラが小さくなってしまうので)。ちなみに、Ⅳ号の増加装甲タイプは、短砲身型のみ(試作で終了)で、長砲身型のは存在してません(多分)。でも、長砲身の方がカッコイイですよね。

ブリュンヒルデ、というのは北欧神話とかワーグナーのワルキューレの物語に出てくるヒロインの名前です。北欧神話は、岩波少年文庫のそれしか読んだことがない(この本ではブリュンヒルドとなってます。いろいろ呼び方があるようです)んですけど、日本神話同様に、かなりぶっとんでてとても面白いです。

●画材 漫画原稿用紙に鉛筆、シャーペン。透明水彩で着色。フォトショップで色調調整。

「烏少女」

前回の「その4」にUPした絵を20年ぶりに新しく描き直したものです。「その4」のに比べて、羽根がなんかえらいグロくなっちゃいました。けど、まあいいかなあ、と。描いているうちに、背景も描きたいなあという気になりました。模型もそうなんですけど、基本的に使い回し体質なんですね、私(笑)

●画材 コピー用紙に鉛筆、シャーペン。

「戦中の女学生の試し描き」




基本的にというか、結果的に、私はどうも銃とかお姉ちゃんの絵ばかり描いてるようですね(ようですね、じゃねーよ)。でも、たまにはおっさんとかの絵も描こう!描かねば!と思って描いてたら、こういうのができました。うーん、なぜだろう、、。

まあそれはそれとして話を進めます(笑)。戦前戦中のセーラー服は、写真を見ると襟の部分がヘタッとしてて、今のようなパリッとした感じがないですね。襟と本体との一体感がかなりあるような印象です。リボンも同様です。化繊じゃないからかなあ、と思ってるんですけど、どんなもんでしょう。また、制服のデザインも、襟がちょっと小さかったりと今のそれとは似ているようで似てませんね。男子学生の制服や、背広などもそうですね。この辺の今と昔の「似て非なるもの感」ってのはとても面白いです。

ヘアスタイルも基本的にビシッとした横分けとかで決めてるのが多いです。ほんと、かなり決まってます。写真を見ると今みたいにフワッと軽く髪をまとめたような感じはまあありません。でも、写真を撮られるというのは今とは比較にならないくらいの「特別なこと」だったと思うので、かなりキメキメで撮影に望んだ可能性もあります。

胸の名札は、学校名(架空です)以外は手持ちの資料を元に描いてます。名札の書き方について、全国的に決まりとかあったのかどうかも知りたいのですが、よく分かりません。中央から「こうすべし」的な通達とかあったかもしれないと思うんですけど、いろいろ資料を見ると、どうも各自勝手に決めていたような感じですね。

絵を描くときには、普段チラッとしか見ない写真を何度も何度も見たりして、以上のようなことをあれこれ考えたりもするわけです。そういう意味でも絵に描いてみる、というのはとても意味があることのような気がしています。

●画材 コピー用紙に鉛筆、シャーペン。透明水彩で着色。フォトショップで色調調整。

「陸軍航空隊パイロット」

これは古い絵です。もう20数年前のですね。おっさんの絵がないなあ、と思ったので入れてみました(笑)。学生の頃、ちょっと入院したときに暇に飽かせて描いたものです。多分、何かの写真を元に描いたと思うのですが、その辺の記憶がないのでなんともよくわかりません。なんであれ、昔のパイロットってカッコいいですよね。飛行帽とかゴーグルとか、身に付けてるものがことごとく素敵です。胸の丸いのは時計です。飛行機の計器盤から時計を外して、首から下げているんですね。そういうパイロットは結構いたようです。

ちなみに陸軍ではパイロットを「操縦士」、その他の乗員を含め「空中勤務者」と呼んでたそうです。「空中で勤務してる」ってなんかいいですね(笑)

●画材 白い紙にサインペン(多分)。

「猫くんと猪くん」




今年の寒中見舞い用に描いたものです。毎年、年賀状にはこの猫くんと干支の動物キャラが登場する4コマまんがを描いてるんですけど、昨年末からいろいろあって忙しくて年賀状も描けなかったので一枚のイラストにしたものです。なんつーか、タタミとコタツはええですね(笑)。

「猫くんとクルマくん」
さっきのと同様にこういう脱力系イラストを描くのはとても好きなんですけど、最近あまり描けてません。一度、そういうイラストだけでエントリーをまとめたこともあるんですけど、それきりになってます。これは某SNSで、車の話題を書いたときに添え物として描いたものです。なんの話題か忘れましたけど、絵をみると「愛車を大事にしてやれなくてごめんねー」みたいな感じだったかと。

車って、つい擬人化しちゃいますよね。身近で愛着の持てる機械というだけでなくて、ライトが目、バンパーやフロントグリルが口みたいに見えるのが大きいのかも、と思います。戦車とか船とかってあんまり擬人化に向いてないような気がする(してるけど)のは、その辺の差じゃないかなーという気がしますが、どんなもんでしょう。

「モーゼルの森」

以前、イラスト集じゃないエントリーでUPした絵を手直ししたものです。先日、原画を見つけて、ついムラムラとなって(笑)手を入れてしまいました。題名は、そのエントリーのタイトルです。なんで「トカレフの森」じゃないのかといわれると困るのですが(笑)、このフレーズと絵がなんか自分の中でマッチしちゃってたのでそうしました。

で、この絵を最初に描いてから結構後に、こういう写真をネット上で見かけました。

リュドミラ・ミハイロヴナ・パヴリチェンコという、ソビエト軍の女性狙撃兵のポートレートです。確認戦果309名という、女性狙撃兵の史上最高の記録を残してます。ドイツ兵からは「レディ・デス」と呼ばれてたとか。最近映画にもなってますね(未見です)。この写真を見たとき「うわっ!」と思いました。絵となんかメチャ似てますよね。

この写真はプロパガンタ用と思われます。なのでポーズなどは決め決めです。絵もポーズとか小道具とか背景とか「決まってる感じ」を考えて描くので、似たようになっちゃうのはわかるんですけど、ちょっと似すぎててびっくりしました。ライフルとか、ケープとか、森の感じとか、この写真を知っている人が私の絵を見たら、間違いなくこの写真を元にしたと思うでしょうね。このエントリーも、日本語が読めない外国の人が見たら「あー、この写真を元にこの絵を描いたって書いてるんだな」って思うでしょう。でも、さっき書いたとおり、私はこの写真を見る前にこの絵を描きました。「ウソつけ!」という方もおられるかもですが、そんなウソをついても私には全くメリットがないので信じてもらうしかないのですが(笑)。ほんと、こういうこともあるんだなあ、、、と。

狙撃兵というと、なんか「戦場の孤高のスペシャリスト」みたいなロマンチックなイメージがありますけど、実際は全くそんなことはない、というのは「最強の狙撃手」(原書房)という本を読んで思い知りました。WW2時のドイツ狙撃兵の回想なのですが、まあ実にエグイです。これを読んで「戦争って怖い!」と思わない人はいないんじゃないかなあ、と。一例をあげると、、、と一例を挙げるのもヤダ!という内容ばかりです(なんじゃそら)。

で、この絵のように倒した敵の証拠(勲章)を身に付けるなんてことは絶対にあり得ません。「狙撃兵が捕虜になったらタダでは済まない」ということを一番よく知っているのが狙撃兵なんですね。でも、そういうリアリズムとフィクションはまたちょっと違うので、こういう絵を描いてしまうわけです。でも「狙撃兵の暗部」というのは描いているうちに出てきちゃったように思います。

●コピー用紙に鉛筆、シャーペン。透明水彩で着色。色調調整はフォトショップ。

「とんでもないと断れ」

今年の春頃、いろいろ思うところあって、電気グルーヴの「SINGLES and STRIKES」(いわゆるベスト集)をずーっとヘビロテで聴いてて、描きたくなったので描きました。描いてる間もずーっとこれを聴いていました。描いてる間、ずーっと飲んでました。なので(?)「こんなん出ましたけど」という絵になりました(笑)。

女の子が持ってるのは高圧電気銃という設定(笑)。この世界は全体的に工事中(笑)なので、黄色と黒のシマシマをベースにしてみました。銃からなにから背景も全部思いつくままに描いてます。アキラとかブレードランナーとか、要するにサイバーパンクとかその辺のアレですね。今見返したら、うる星やつらのラムも入ってますね。要するに、20世紀サブカルおっさんの絵ってことです(笑)

電グルは、コアなファンの方々からしたら恥ずかしいくらい聴いてないんですけど、それでもサブカル少年・青年だった私としては、大切で大事な灯台の一つでした。ブルーハーツや筋少もそうなんですけど、私は彼らのおかげで難破・遭難しなくて済んだような気がしてます。まあ、今も遭難してるような気がしないこともないんですが(笑)。

タイトルは「カメライフ」の中の一節です。この曲、めっちゃいいですね。インストの対談では、お二人は「あまり思い入れがない曲」的なことを言ってましたけど(笑)

話を戻すと、ネットでいろいろ読んだりしてたら、なんか、だんだん、めっちゃ腹立ってきまして(笑)、酔った勢いで描いたというわけです。それはそれ!これはこれ!だろうと。わかってない奴がわかった風に偉そうなことを言っているのを見るほど腹の立つことはないわけです。プンプン!

お2人はいろいろ大変だとは思いますけど、ほんと頑張ってほしいなあ、と。やってまったことはやってまったことでケジメをつけて、それはそれとしてやりたいことをどんどんやってほしいと思います。まあでも、私がどうこう言っても仕方ないんですけどね(笑)。なんであれ、この絵は、彼らに救われた一人として、何か形にしたい!しなければ!と思って描いたわけで、それでいいのであります。ここにあったカステラを食べた奴は誰だ!(笑)

●コピー用紙に鉛筆・シャーペン。透明水彩で着色。フォトショップで色調調整。

というわけでお終いです。絵の紹介なのに、なんかたくさん書いてしまいました。でも、絵は模型と同じで、作ってるときはあれこれ考えることや発見することが多いです。先にも書きましたが、普段はチラッとしか見ない写真を何度も見て、初めて気付くこともあったり。こういう文章もそうですが、何かを形にするっていうのはそういう意味でもいいことなんじゃないかなあ、と。そういうのをちょっとでも書いておきたいなあ、と思ったら結構な分量になってしまいました。すいません、ほんと。

あと、フォトショップで色調調整をしてるのは、スキャンしたらどうしても原画の色合いが出ないので、原画に出来るだけ近くなるように調整しているからです。絵を描くのはアナログなんですけど、こういう調整とかちょっとした修正など、デジタルはほんと重宝してます。

というわけで、また。

最後に、関係してるエントリーを貼っときます。よろしければご覧下さい。




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イラスト集(その4)

2018年12月02日 | イラスト集
前回はお休みしてすいませんでした。今回はイラスト集の第4回目です。このイラスト集は、私が思いつくまま徒然に描きちらした絵がそれなりにたまったら、紹介させてもらってます。まあなんちゅうか「自己満足の極み」なのですが、よろしければお付き合い下さい。

上の絵は漫画「犬狼伝説」(日本出版社など)の1コマのアレンジ模写です。鷲尾翠が不時着したルフトハンザ機から藤原を射殺する際のコマですね。このコマはなんかとても好きで、ふと、つい描いてしまったのです。

この漫画や、映画「人狼」などいわゆる「ケルベロス・サーガ」関係の作品はとても好きです。でも、このところご無沙汰なので、また映画とかになってくれませんかね。紅一の突入小隊を中心に、ドンパチ主体(笑)にして映画にしてくれたら嬉しいんですけどねえ、、。「千住事件」とかやってくれないかなあ、、。間口の狭い話題ですいません(笑)

へちま衿の女学生です。これは以前ブログでUPしたやつです。

日本の戦前の学校の制服を、写真や現存する実物を交えて系統立てて紹介した「近代日本学校制服図録」(創元社)という実に素晴らしい本が出て、それを紹介する際に勢いで描きました(笑)。戦中の女学生の制服が、戦前のセーラー服などから突如へちま衿ばっかりになる理由がこの本でわかって、目からウロコでした。理由を知りたい人はこの本を買いましょう(笑)

SFっぽいイラストが描きたくなって描きました。エンキ・ビラル風です(笑)

バンドネシネというと、やっぱりメビウスが代表的なんですけど、私はビラル派です。もちろん、メビウスも好きなんですけど、ビラルはなんかちょっと影があって、そこに魅かれてます。ビラルの撮った映画も好きですね。「バンカーパレスホテル」とか、どこかなんか変で歪で、世の中を斜め下から見ている感じがいいです(笑)。

これは、20年以上前に描いたものです。以前のイラスト集で紹介したカラス少女の別バージョンですね。

天使とかそういうのって、いいなあとは思うんですけど、そもそもはキリスト教とかそのへんの外国のものであって、日本人としてはいまいちピンとこないですよね。表層的な部分では魅かれるのですが、根元的なところでは揺さぶられる感じはあまりしないといいますか、、。でも、神父さんや尼さんの服とか教会とか、キリスト教的なアレコレってやっぱり好きなんですけどね(どないやねん)。この絵はまた描き直してみたいなあ、と思ってるのでUPしてみました。

年末だかお盆だかの大型連休中の夜中に起きて、なんか絵が描きたいなあと思って、つらつら描いたのがこれです。カフカの「城」のイメージです。タイトルも「城」にしました。


で、ちょっと明るいなあ。もっと暗い印象にしたいなあ、とコテコテと塗り重ねたのがこれです。

しかし、女の子の顔が塗り潰れてしまったようになってしまい、ちょっと残念でした。全体的に暗い感じにしたかったんですけど、、。カフカは好きです。どの作品も1-2回しか読んでないんですけど、どれもとてもよく覚えてるという、不思議で凄い作家だと思います。シリアスな作家と思われてますけど、この人、ほんとはギャグセンスも秀逸なんですよね。「流刑地にて」とか、ダウンタウンのコントみたいです(笑)太宰治もそうですけど、凄い人って、お笑いのセンスも凄いんじゃないかなあ、と無責任に思ったりもしてます。太宰の「畜犬談」とか、ほんと読んでて思わず笑っちゃいますものね。

これは20年くらい前に「こういう漫画が描きたいなあ」と思って、カット集のようなつもりで描いたものです。

こういう世界観の漫画、描いてみたいんですけどねえ、、、。もちろんそのままになってます(笑)。宇宙一カッチョいいバンド、ミッシェル・ガン・エレファントの曲「Sweet Monaco」の詩に「テーブルの上でミルク倒してオレンジかじるあの娘がいるよ」という一節があって、それを下段のコマに描きました。

今年の中四国AFVの会で、カンパ用ノベルティーグッズとして作った、1/16ベルグマンMP18のレジンキットのパッケージイラストです。SDの制服なんですが、ナチス的なものは脱力系のものに置き換えてお茶を濁してます(笑)ナチスっぽいものって、いろいろめんどくさいことになりがちなので、これ、便利ですね(そうか?)

エビをくわえてるのは、映画「炎628」のパロディ(というかなんというか、、)です。映画の中で、SSの宣伝カーに乗ってるお姉さん(どういう所属なんでしょうね?)が車内でエビをくわえるカットがあります。このカット、意味がわかんないんですが(笑)、かなりのインパクトがあります。昔のアームズマガジンの特別行動隊の記事の扉で、モデルのお姉さんがクラッシュキャップをかぶってエビをくわえてて「あー、みんなあのカットにヤラれちゃったんだなあ」と、変に納得しました(笑)。

こちらも今年の中四国AFVの会のために描いたものです。参加者に配布するパンフレットとニュース(後日、会の様子をレポートするためのもの)の表紙です。Mkb42は突撃銃の中では一番好きなんですけど、嫌がらせみたいにディテールが多い銃で、描くのがほんと難しかったです。パースが変ですけど、見逃して下さい。何度も何度も描き直したんですけど、訳分からんくなって、あきらめてしまいました。

で、なんか、毎年ちょっとづつエッチになってる気がしないこともないですね(笑)。でも、これくらいじゃないとヒキにならないので(「ご自由にお取り下さい」という形で頒布する、ニュースとかはまず手に取ってくれないとダメですからね)、恥ずかしいなあとか思いながら、あえてエッチにしてます(いや、マジで(笑))。

図書館で美人画集を借りてきて「ほおー」とかいいながら見てたら、自分でも描きたくなってできたのがこれ。

鉛筆とシャーペンで描くのは、色を塗るのとはまた違う面白さがあって好きです。タイトルは「武蔵野エレジー」。これもミッシェルの曲名です。描いてるときに聴いてて、なんかイメージに合ったのでそうしました。切ないのに激しくて、とてもいい曲だと思います。

これが最後です。タイトルは「世界の終わり」です。

「鉛筆とシャーペンだけで、A4用紙を埋め尽くしたらどんな風に見えるのかな?」と思って描き始めてみたのですが、想像以上に大変でした(笑)なんか、メッセージ性の強い絵っぽいですけど、何を描こうとしたのかとかは、ご覧になった皆さんでご自由に判断・想像して下さい。

鉢巻の日の丸の赤は、私の血液です。仕上げが近づいているときに指の傷が開いて、絵に付いてしまい「ちぇっ!」と思った直後に「これだ!」とひらめいて、筆で血をすくって日の丸に塗りました。何が「これだ!」なのかはよくわかんないんですけど(笑)。でも、そんなに深い意味はなくて、思いついたからやっちゃっただけです。ひかれる方もおられると思いますが、何卒ご了承下さい。現代美術の世界では、血液とか自分の一部を使う(ここで書くのもはばかれる「一部」を使う人もいます、、、、)ことは珍しいことではないようなので、まあ、そういう感じで受け止めてもらえればと。でも、そのせいでモノクロ作品になるはずが、カラー作品になってしまったという罠(笑)それにしても、いい赤が出ました。私の血はなんだかんだで決して綺麗じゃないはずなんですけど(笑)

絵のイメージは、4-5年前、立体でこういう女学生のフィギュアを作ってたときにできました。そのころレッチリの「SHALLOW BE THY GAME」という曲にはまって、何度も何度も聴いてたら、こういうイメージがぼんやり浮かんできたんですね。そのときは詩の意味もわからず聴いてたのですが、後で訳詩を見たら、なんとなくイメージとシンクロしてて「なるほどなあ、、」と。タイトルはミッシェルの曲から。仕上がって、絵を見ながらぼんやりタイトルを考えてるときにこの曲になって「ああ、これだなあ、、」と。そんなのばっかですが(笑)

でも「世界の終わり」っていいフレーズですよね。ミッシェルの曲も詩も、ほんと最高です。そういえば、村上春樹氏の小説「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」も傑作ですね。でも、今人気のバンド(っていうのかな?「ユニット」とかなのかな?)は名前だけで曲とかは全然知らないので、絵とは金輪際無関係です(ファンの人、なんかすいません)。

「世界が終わる」っていうのはどういうことなのか、よくよく考えるとほんと難しいですね。「世界」とは?「終わり」とは? ということを考え出すと、訳がわからなくなります。世界が破滅しなくても、自分が死んでしまったら「世界」は「終わった」といえます。関係なくなっちゃうわけですから。でも、自分以外の人にとっては終わってないんですよね。日常は続きます。でも、自分主体で考えると、他人にとっても「終わった」ことになっちゃうんじゃないか? 逆に自分以外の誰かが死んだら、その人にとっての「世界」が「終わる」。その人の「世界」に含まれている自分も「終わる」ってことになるわけで、、。そう考えると、これまで世界は何度も何度も、すでに「終わってる」わけで、、(「北の国から」かよ!(笑))。で、人だけじゃなくて犬や猫、虫とかも含めちゃうと、無限に「終わってる」んですよね。だから「世界の終わり」が来たときに、怯えたり恐れたり悲しんだりする必要はあまりないのかもなあ、、。だって、もうとっくに「終わってる」んだから、、、とかとか。何書いてるのかわけわからんですね。すいません(笑)

というわけで、世界は終わってませんが、このエントリーはこれでお終いです(笑)

で、プロでもなんでもないのに、こういう風に自分の絵についてあれこれ語るってのは、なんというかちょっと痛いですね(笑)。でも、まあ誰に迷惑を掛けるわけでなし、誰も読まないならそれでよし(笑)という感じでやってますので、ご了承下さい。

また、自分の絵はやっぱり稚拙だなあと自覚はしてます。自己流なのでデッサンや色使いも無茶苦茶だと思います。でも、描いたものは人に見てもらってナンボだと思ってますので、こうやって紹介させてもらってる次第です。デッサンなど含め、今後も精進していきたいです。

あ、あともうひとつだけ(しつこいなあ)。このエントリーを書く数日前、たまたま手にした古新聞を見たら竹宮惠子さんの記事がありました。中学生に漫画を教える授業の記事で、竹宮さんは中学生たちに「絵を描くと、自分の感覚を開放でき、自由になれる(だから絵を描こう)」と語ってました。ああ、なるほど!と目からウロコでした。だから、私は絵を描くのが好きなんだなあ!と。絵だけじゃないですね。もの作りって、そういうことなのかもしれません。だから、いくらキツイときでも疲れてるときでも、絵や模型を作ろうという気になるんだろうなあ、と。ちなみに、竹宮さんは私と同郷です(エヘン)。

あー、長々とほんとすいません。今度こそ、ほんとに終わりです。でも、世界はまだまだ終わりませんよ!(笑)









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第3回ごっつええ感じの銃選手権

2018年06月17日 | イラスト集
個人的に「ええなあ!」と思う銃を、誰にも頼まれないのに絵に描いて、あやふやな知識と思い込みに基づいてその魅力を無責任に紹介するこのシリーズ、今回で晴れて第3回目になります。銃の詳細については、できる限り事実を確認した上で書いていますが、前述の通り私の勝手な思い込みとか「そうであってほしい」的な、デザイナーやメーカーなど当事者の方々にとってはた迷惑以外のなにものでもない願望も少なからず入っています。なので、あくまで参考程度だとお考え下さい。

●ワルサー社試作自動小銃 Walther experimental automatic rifle
ワルサー社が、G43をベースにして突撃銃用の7.92ミリクルツ弾を使うようにした試作銃です。

G43はフルサイズのライフル弾の7.92ミリモーゼル弾(8ミリモーゼル)を使う自動小銃で、セミオートのみの仕様となってますが、この銃はフルオートでも撃てるようになってます。8ミリモーゼル弾は、このクラスのライフル弾のなかでもかなり強力なもので、自動小銃でフルオートにするのはちょっと(かなり?)厳しいみたいです。FG42はフルオートでも撃てますが、緊急時のみとされてたようで、まあそれもそうだろうな、という気がします。FGはかなり高品質の鋼材を使ってたということもあって、可能だったんでしょう。そもそも、MG34や42用の弾丸も薬量を減らしたMG用のものが支給されてましたので、自動小銃でそうするのは押して知るべし、という感じですね。でも、MkbやStgで実証されてる通り、クルツ弾なら多分問題なくフルオートで撃てるんだろうな、と思います。

ワルサー社は、突撃銃の試作をしましたが、ハーネル社のMP43とStg44(この2丁は実質的に同じもの)
に制式銃の座を取られてしまいました。なので「うちはこういうのもできますねん。どないでっか?」と軍にアピールするために作ったのかな?という感じの銃ですね。

セレクターは面白いことに、M2カービンのものと良く似ています。鹵獲されたM2カービンがワルサー社にまわってきたのかな?と思いましたが、時期的にはワルサーが先のようです(M2の採用は44年9月)。そもそも、実績豊富なワルサー社がセミフルのセレクター機構を独自に開発できないわけもなく、たまたま似たものになってしまったようです。

じゃあ、M2がワルサーを真似たのか、というとそれもないでしょうね。試作銃が敵国の手に入るわけもないですしね。こういうのって、ほんとおもしろいですね。シンクロニシティ、というんでしょうか。資料(コンバットマガジンのミリタリー入門No.19)を再読して知ったのですが、M1カービンは、前線の兵器整備部隊が兵士の要求に沿って、フルオートに改造した例もあったそうです。この場合はフルオートオンリーだった可能性が高いとか。ほんと興味深いですねー。

で、この銃は最前線で使うにはStgには負けますけど、後方部隊や国民突撃隊用などにはとてもちょうどいいような感じですね。でも、軍としては「いや、こういうのもあったらいいけど、今ちょっとそんな余裕ないし。Stgをどんどん量産したらいーんじゃね?」となって(そら、そうですわね、、)ボツになったようです。

ドイツ軍に限らず、WW2の制式兵器って「これとこれ、メチャ似てるけど、どっちもいるのか?無駄じゃね?」というものが少なからずありますけど、この銃のように、珍しく軍のまともな感性が働いて(笑)ボツになったのもあるわけです。

でも、この銃はほんといい佇まいをしています。G43は多分かなり反動もきつかったはず(コンバットマガジンの大昔のレポートでも、鋳造のレシーバーは強度的に不安な部分があったと書かれてます。実際、実射中にボルトキャリアーにひび割れが出て、射撃を中止してます)で、その辺が解消されたうえに、フルオートで撃てるというのは案外重宝されたかも、とも。へたすると、G43よりも使い勝手が良かったかも、とすら思います。

あと、木製銃床の銃は「いかにも銃!」という感じがして見栄えがいいので、SKSやM14、M1などのように、パレードなどの式典用に今でも重宝されてます。なのでドイツ軍もこういうタイプの銃を装備していても良かったんじゃないかなーという気もしますが、大きなお世話ですね。その後すぐ負けちゃってパレードどころじゃなくなりましたしね(笑)

●RSC Mle1917
フランスが第一次大戦中に開発・制式化した自動小銃です。

絵にあるように、5連クリップを使います。下部のカバーを開いてクリップを入れます。9万丁くらいが生産され、実戦に投入されました。この時期にこれだけの数の自動小銃を生産・装備したのはかなり凄いですね。自動小銃自体は20世紀初頭から各国が研究開発を進めていましたが、ここまでの数を生産装備したのは当然、世界で初めてです。デザイン的にもとてもエレガント(笑)でシュッとしてます。特にマガジンのカバーの曲線は素晴らしいと思います。さすがおフランス、といった感じです。「フランス、やるじゃん」と思いきや、黎明期の新技術の常でこの銃の性能はもう一つで、泥だらけの塹壕戦では使い物にならなかったとか。

You Tubeの「Forgotten Weapons」で実射映像が見られますが、ほとんど5連射できてなくて、イライラします(笑)銃の機構自体は滑らかで特に問題ないように見えるんですが、どうもクリップの設計に問題があったように見受けられます。弾丸がクリップを抜けるときの抵抗が大きすぎて、作動不良の原因になってるんじゃないかなーと。

なんであれ、どんな理由があろうとも、不完全な銃を持たされた兵士からするとたまらんわけです。「ええかげんにせえよ!!誰やこれ作ったんは!!」とボロカスだったんだろうなあ、という気がします。で、戦後この銃は手動式に改造されてMle1917/35となったそうです。これもこの銃の性能のいまいちさを証明しているわけですね。うーん、ほんと気の毒な銃です、、。

とはいえ、こういう先進的な試みをどんどんやってしまおう、という姿勢はきちんと評価してあげたい気がしますね。フランス軍には、歩兵に自動小銃を大量に装備させて、さらにショーシャのような軽便な機関銃(というよりは突撃銃に近いもの)と組み合わせ、歩兵の火力を増大させようというような思想があったことが伺えます。兵士の火力をとにかく向上させることで、新しい戦術を編み出そうとしてたんだろうな、と。


でも、ショーシャもそうなんですけど、肝心の銃器がいまひとつだと、絵に描いたモチなわけです(笑)詰めが甘かったんでしょうねえ、、。ただ、ショーシャはダメな銃といわれてますけど「Forgotten Weapons」では完璧に作動していてびっくりします。ジャムなどの作動不良はゼロです。多分、きちんと調整すれば問題なく撃てる銃だったんでしょうね。構造上、射撃時にボルトとバレルが動きまくるので姿勢が安定しないようで、ほんと撃ちにくそうではあります(笑)

しかし、この銃はもひとつで終わったのですが、後の世代に貢献しているようです。構造を見ててふと思ったのですが、どうもこの銃はM1ガーランドに影響をあたえてるっぽいです。クリップ式はもちろんそうなのですが、チャージングハンドルとシリンダー、トリガーとシアの関係性がなんかとてもよく似ています。特に、リコイルスプリングが、弾丸へのテンションスプリングを兼ねているところは、ガーランドが「こんな銃見たこともナイヨー」としらをきっても「ウソつけ!こら!パクッただろ!」と問い詰めてもいいんじゃないか(そんなことする義理も権利もないんですが、、)というくらい似てます。

また、弾倉カバーの感じとか、クリップ式の雰囲気は、ソビエトのシモノフ対戦車ライフル(カリ城で次元が使ったやつ)に影響を与えたんじゃないかなーという気がします。

ただ、もっと大元でいうと、Mleとショーシャはどうもブローニング設計のレミントンM8が元らしいです。で、カラシニコフはM1ガーランドとM1カービンに影響を受けてます(カラシニコフ本人がそう語ってます)。カラシニコフのボルトとボルトキャリアー、トリガーとシアの関係性はほんとM1と似ています。巷で言われているように、Stg44がカラシニコフの元になったというのはウソなんじゃないかなーと私は思ってるんですね(カラシニコフも、設計時はStgを見た事がなかった、と言ってます)。構造を比較してみると、アウトライン以外、似ているところが全くないんですよね。実は、M16の方が、構造的にStgにそっくりです。銃って、コピーしたかどうかを見極めるポイントは、アウトラインじゃなくて構造なんですよね。

こんがらがってきましたが(笑)、要するに何であれ、先達はあれこれ試行錯誤して、後進がそれを元にきちんとしたものにしていく、ということなんだろうなと。後進は先達の失敗をしなくて済むわけなので、なんかいいとこどりなんですけど、それもその時だけの話で、後進の後進はもっといいとこどりができるわけです。でも、先達のような未開拓の部分を切り開くドキドキした感じは味わえないんですね。

銃でも自動車でも飛行機でも戦車でも船でも、技術者にとっては1930-40年くらいまでが一番面白かったんだろうな、という気がします。答えがないから、あーだこーだなんだかんだと試行錯誤する余地があった、というか。それ以降はなんか「答えみたいなもの」が出てしまっちゃって、「それに答えるのが技術者の仕事」になってしまって、急につまらなくなったんじゃないかなーと、無責任に思っちゃうんですね、、、。

●MAS1938
フランスが初めて制式化したサブマシンガンです。

かなりコンパクトで、攻撃用というより将校の護身用ないしは警察用みたいな雰囲気です。弾丸も軍用としてはちょっと威力が弱かった上に、フランスが早々に降伏してしまったこともあって、いまいちぱっとせず、ひっそりとガンマニアの記憶に残っています(笑)

ダストカバーが各所にきちんと着いてたり、折りたたみ式の二段式リアサイトなど、サブマシンガンとしてとてもよく考えられてるのですが、MP40やPPsh41などに比べるとかなり華奢なスタイルで、バレルもむき出しなので、野戦でずっと使うのはなんか心もとないような印象です。根本的にサブマシンガンというものをどういう風に運用するのかということをよく考えないまま作っちゃった、という気がします。MP18が最初から完璧なスタイルと構造だったのとは対照的ですね。

でも、おフランスらしいシュッとしたスタイルで実にカッコいいですね。Mle1917やショーシャもそうですし、飛行機や戦車も含めてフランスの兵器のデザインはなんかふわっとした感じがあっていいですよね。一応、ちゃんと作るのは作るんですけど、根本的に戦争をする気があまりないような(笑)イケイケのドイツやソ連とかとは対照的な気がしますね。

●フェデロフM1916 Fedorov Avtomat
帝政ロシアの自動小銃で、9000丁ほどが作られ、実戦で使用されました。

全長が短く全自動射撃もできる、突撃銃のはしりのような銃です。マイナーな銃なんですけど、日本軍の三八式歩兵銃の実包を使用するので結構有名です。ロシアは第一次大戦時、日本から数十万丁単位で三十年式および三八式を輸入して使ってましたので、ライフルの設計時に使用する弾薬の候補となって、めでたく(?)採用されたようです。

三十年式・三八式実包は、ライフル弾の中では口径が小さいので(6・5ミリ)反動も比較的軽い、しかも弾道が低進するのでよく当たる、などなど自動小銃用の弾としては理想的なんだそうです。フェデロフがこの弾に目を付けたのはさすが、というべきでしょう。一方で、ロシア軍の基本的なライフル弾7.62ミリ×54R弾は反動が強い上に、リムド弾(薬莢の縁が飛び出ている、弾薬としては古いタイプ)なので自動銃用としてはかなり不適なんですね。

その後、シモノフやトカレフが54R弾を使う自動小銃を設計しましたが、やっぱりこのリムド弾がネックになって、最終的な信頼性を確保できず、大量配備には至らなかったようです。ドラグノフもそうですけど、セミオートなら信頼性を確保できるけど、フルオートになるとちっと厳しいようですね。シモノフはフルオートモードもありますが、トカレフでなくなってるのは「もう無理だからやめとこか、、。下手なもん作ってシベリア送りは嫌だもんね、、」みたいな流れがあったんでしょう。カラシニコフも、PK機関銃を設計する際、ここをどう処理するのかが大変だったみたいです。リムレス弾ならありえないような「一旦ベルトリンクから弾を抜き出して、再度薬室に装填する」という「なんのこっちゃ」的な機構をキッチリ設計してやり遂げたカラシニコフは凄いなあ、と。

余談ですが、私はグァムでトカレフSVTを撃ったことがあります。たった10発だけでしたが(たまたま射撃場の社長の机の引き出しに10発だけ残ってた)、ジャムもなくて全弾問題なく撃てました。作動も滑らかで、反動もマイルドで、いい銃だったような記憶があります。要するに、リムド弾もきちんと注意して装填してやれば大丈夫なんですけど、どんな兵士がどんな環境でどういう風に装填するのか想定もできないような環境でも、キッチリ役目を果たさないといけないのが「軍用の証」ということなんでしょうね。

閑話休題。で、フェデロフは先のMleと同時期に登場した自動小銃ですが、かなり先進的な発想とコンセプトがあって作られた銃だろうなという気がします。基本的に、フルオートでの射撃が前提であったことが伺えるのが凄いですね。銃身には冷却用の溝が切られ、ハンドガードは金属のプレス製です。装填数も25発と多目です。銃床にはフォアグリップまで付いてます。その後の自動小銃でも、フルオートで撃てるものは多々ありましたが、ここまで「イケイケ」な仕様はちょっと思い当たりません。例えば、M14もフルオートで撃てますが、各所の処理を見るとフルオートを前提にしたようにはちょっと思えず、セミオートが基本で、あくまでもフルオート射撃は補助的な機能だったんだろうな、ということが伺えます。

フェデロフのなかで、どういうコンセプトがあったのか、というのは今となっては推察するしかないのですが、恐らく後世の突撃銃のようなものに近いものがあったのは間違いないんじゃないかな、という気がします。機関銃だけじゃなくて、歩兵一人ひとりの火力を増大して、部隊全体の火力を圧倒的なものにする、というような。

でも、ロシアはフェデロフ登場とほぼ同時期に革命のごたごたがあって、それに巻き込まれて前述のとおり9000丁くらいの生産で終了してしまいました。そういうのがなかったら、もっと生産されて戦場で活躍して、銃器史にきちんと名を刻んでたんじゃないかなーと。そういう意味でも気の毒な銃のような気がします。

で、昔からの日本の書籍ではフェデロフと表記されてたんですが、Wikiではフェドロフとなってますね。これは英語読みみたいです。出来るだけきちんとロシア語を表記するなら、フョードロフとなるんですけど(Wikiでも設計者の表記はこれですね。ややこしいぞ!)、今さら「フョードロフM1916」といわれてもなんのこっちゃ、かもなので(笑)、フェデロフでいくことにしました。

最近、銃の書籍でモーゼルをマウザーと変える動きがありますけど、それもちょっとやだなあと思ってます。昔から日本でそう呼ばれてて、辞書に載ってたりするような外国語はもうそれでいったほうがいいんじゃないかなあ、と。とはいえ結局は「モーゼル」という語感が好きなだけなのかな、という気もします。で、三式戦の20ミリ砲はマウザーって呼ばれてるんですよね(笑)一方、準制式にしたライフルのKar98kや拳銃のC96は「モ式」なんですよ。陸軍、はっきりせいや(笑)あと、オーストリアの「Steyr」は昔からのガンマニアとしてはステアーなんですけど、AFVモデラーと話すときは自動的にシュタイアーって呼んでるし(笑)、ほんと困ったものです。

でも、タイガー戦車は、私は各雑誌にならってティーガー戦車と呼んでます。これはもうカッコいいからそう呼んでるので、無茶苦茶ですね(笑)。この辺の問題はいくら議論を重ねても終わりがないように思いますので、ブログなどでは各自が好きなように表記したらいいんじゃないか、と思ってます。ただ、先に書いたように一般的に影響力のある出版物ではできるだけ慎重にしてほしいなあ、と。昔からの経緯を知っている私たちマニアはともかく、あまり知識のない方が書籍で「マウザー」と目にした際、それが昔からの「モーゼル」と同じものだとは多分気が付かないと思うんですよね。せめて、「マウザー(モーゼル)」と書くべきじゃないかな?と。

まあ、いろいろ書きましたが、拙ブログではティーガーはティーガー、フェデロフはフェデロフ、モーゼルはモーゼル、ステアーは銃のとき、シュタイアーは車両のとき、ということで、とりあえずいきます(笑)

なんか話がずれてしまいましたね。すいませんね。

というわけで今回はお終いです。またイラストをちょこちょこ描いて、それなりに溜まったら第4回をお披露目したいと思っております。最初はすぐネタがなくなるかなー?と心配でしたけど、あれこれ考えてたら、なんぼでもありますね(笑)

参考までに、第1回と第2回のリンクを貼っておきます。よろしければご覧下さい。第1回は6丁、第2回は5丁を紹介してます。でも今回は4丁と、だんだん減ってますが、その辺についてはまあご了承下さい。今後も基本4丁くらいでいこうかな?と考えております(笑)

第1回https://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/66fbfdaa4418d6bb6ef1b0e35d448f80

第2回https://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/4d24930b6268bca668c2c979b82692fd


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イラスト集(その3)

2017年09月08日 | イラスト集
今回はイラスト集です。3回目になります。イラスト集では、私があれこれ描き散らした絵を、たまーにまとめて紹介してます。このイラストは、懐かし系の写真集を見てて、とてもいい写真があったのでそれをモチーフに描いたものです。タイトルは「終点が最寄り駅」。ぱっと思いついて付けただけで、特に深い意味はありません(笑) こういう昭和な風景って、ほんといいなあと思いながら描いてます。

日本軍の試製自動小銃甲号のイラスト。以前このブログのエントリー用に描いたイラストを元に、描きなおしたものです。

この銃、ほんと好きですね。銃を発砲したときは、夜間以外はこんな風に銃口から炎は出ないんですけど、まあそれはそれとして、絵としてはどういう風に描くとリアルっぽくなるかなあ、とかいろいろ考えながら描くのが楽しいです。薬莢の飛び出す感じとかもそうですね。漫画など、描き手の方の表現方法はほんといろいろあって、ほんと勉強になります。

たまたま買った週刊プレイボーイのグラビアで、イイ感じのお姉ちゃんが載ってたので、それを元に書きました。

雑誌とかで見かけた「ん?」と思った写真を元に、鉛筆だけでグワッと描くのは楽しいです。古新聞を見て引っ掛かった、なんでもない写真を見て描いたりもします。

漫画の「風の谷のナウシカ」(徳間書店)3巻P133のコマの模写です。模写、というかアレンジ模写ですね。このコマはほんと最高です!!っていうか、3巻の攻城砲破壊の戦闘の下りは、戦争漫画として最高傑作ですね。


で、それを着色してみたもの。

どんだけ好きやねん、という(笑)


オスカルです。宝塚の「ベルサイユのばら」をDVDで観て、大コーフンしてしまい、その勢いで描いたもの。モチーフはDVDのパッケージ。いや、ほんと素晴らしい舞台でした。




十四年式拳銃。ほんとなら、「ごっつええ感じの銃選手権」行きなんですけど、ちょっとメジャーすぎるのでここで紹介します。で、これ、資料を見ずに記憶だけで描きました。なんとなく描いてるうちに「え?資料なしで描けるかも」と思って、最後まで描いてみました。後で答えあわせをしてみたら、まあ大体合ってました。恐ろしい、、。でも間違いはいくつもあるので、ヒマな人は探してみてください(笑)

十四年式は、私の祖父が軍隊で使ってました。子供のころ、祖父の軍隊時代の話を聞くのが好きで、よくせがんで聞かせてもらってまして、そこにこの拳銃の話も出てきました。なので、とても思い入れのある拳銃です。祖父の従軍時期から察するに、恐らく後期型の省力化直前のタイプじゃないかなーと思って、それを描きました。これはペン(丸ペン)で描いてます。最近は、鉛筆に水彩ばっかりで、ペンではほとんど描いてないですね。ペンで描くのはとても楽しく、面白いので、もっと描きたいです。



これもペンで描いたライカⅢc。銃もそうですが、こういう小さな機械は描いてて楽しいです。




私は映画「仁義なき戦い」シリーズが大好きなのです。昨年暮れに「この世界の片隅で」を観て感激し、「あ、これも呉だ」と思い、つい描いちゃったイラスト(笑)

「仁義」は呉の焼け跡から始まります。「この世界の」の焼け跡と全く同じ場所なんですよね。実写とアニメなので、一見全然違うように感じられますが、同じ場所なんですよね。そう考えると不思議な気もします。でも、この2本の映画の底流にあるものは全く同じです(多分)。だから、どちらも観ていてグッと引き込まれるんじゃないかなあ、と、、。



これも「この世界の片隅で」を観て描いたイラスト。すずさんです。

家の屋根を突き抜けて燃え出した焼夷弾を見るすずさんの表情は、本当に凄かったですね。これはその印象を自分なりに描いてみたもの。「この世界」についてはいろいろ自分なりに考えたこともあるので、上のイラストと合わせてブログで書こうと思ってたのですが、未だ果たせていないので、とりあえずイラストだけ先に挙げときます。



最後です。イラスト集(その2)で紹介した絵の続き、というか別バージョンです。これは今年の終戦記念日に描きました。前にも書きましたけど、こういう感じの絵をきちんと描きたいなあと思って、イメージを固めるために描いてみました。仮のタイトルですが「ふたり」にしようかなあと考えてます。

でも、どういう風に「きちんと」するのがいいのかなあ、と。自分でもよくわかってません。まあ、わかるまでまた描いたり、ほって置いたりしとこうかな?と(笑)

というわけで、なんか本当に「描き散らした感のある」イラスト集でした。このまとまりのなさはちょっと我ながらどうかな?という気もしますが、何卒ご了承ください。

でも、絵を描くのって、ほんと楽しくて素晴らしいことだと思います。これからも描き続けていきたいですね。

それでは。

過去のイラスト集はこちらです。よろしければご覧ください。

その1
http://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/9df9d45cdade670be4ca8ee80238067a

その2
http://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/5d9782c0a72fe5558ede685bb73941a4

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第2回ごっつええ感じの銃選手権

2017年06月03日 | イラスト集
当ブログの「選手権シリーズ」は、とくに続ける気もないのに「第1回」を名乗るという、実に無責任きわまりないシリーズです。でも、この「ごっつええ感じの銃選手権」はめでたく第2回を開催できる運びとなりました。私が好きな銃、気になる銃の絵を描き散らかして、聞かれもしないのに知っているうんちくをたらたらと書き、知らないことは一切書かない、という、やっぱり無責任きわまりない内容です。興味のない方は、ほんと申し訳ないです。

●トカレフM1917 Tokarev M1927
ソビエトで試作された最初期のサブマシンガンです。驚くべきことに、この銃はナガンリボルバーの弾丸を使用します。そのためか、試作で終わってます。ナガンの弾は、サブマシンガンに使用するにはかなり不適な形状をしてます。独自のガスシールシステムのために、薬莢が弾丸を被うようになっており、当然リムドです。なぜこの弾丸を使用することにしたのか、理解に苦しみます。ロシアでは帝政時代からモーゼルC96が広く使われていて、この弾は自動銃用としてかなり優れた弾で、これを使わない手はないと思うのですが。設計者のトカレフは多分、モーゼル弾を使いたかったんじゃないかなあと。

資料のグランドパワー(1998・12)によりますと、ヴォロシーロフ(要は偉い人。粛清の中心人物のひとりとか。KV戦車の名前の元)がナガン弾を使うように指示を出したそうです。弾丸の在庫がありすぎて消費量を増やしたかったのか、銃器に対して無知だったのか、その両方だったのか、ただの思いつきだったのか、よくわかりません。

トカレフは優秀な設計者ですから、多分設計前から「ダメじゃん」と思ってたんだろうな、と。でも粛清されたりシベリアに送られたりするのは嫌だったのか(当然ですが)粛々とこの銃を作り、案の定ダメだった様です。人間、最初からダメだと結果がわかっているのに、それを実行するのは非常に辛いことです。同情するにあまりあります。

でも、マガジンを被うようなフォアグリップとか、ストックに予備マガジンが入ったりとか、「おっ」と思う箇所が多々あります。トカレフの優れた才能の一端が現れていて、デザイン的にはとてもいいと思います。このまま、モーゼル弾で作ったら普通にいい銃になるんじゃないかな、と。銃身に、加熱対策がなされていないのがちょっと気になりますが、装弾数がちょっと少なそうな(はっきりわかりませんが、20-25連くらい?)ことや、セミフルに切り替えられることなどから考えると、サブマシンガンというよりマシンカービンのような銃を想定していたのかな、と。でも、リアサイトは二段式(PPshですら、初期型はタンジェントタイプ)なので、やっぱりよくわからないまま作ったのかな?という気もします(笑)。

で、トカレフが「粛清が怖くてサブマシンガンが作れるか!」と酔った勢いで叫んだかどうかは知りませんが、その後、モーゼル弾を使用するサブマシンガンが、トカレフはじめコロビンやデグチャレフによって作られるようになり、傑作といわれるPPsh41に結実したのはよく知られてますね。

●オーウェン Mk/43 マシンカービン Owen machine carbine

オーストラリアが第二次大戦中に生産したサブマシンガンです。もうちょっとどうにかならんかったんかいな、というような外観ですが、とても好きですね。見てくれのわりにフツーに使えたようで、第二次大戦からベトナム戦争まで現役だったそうです。でも、実射動画を見ると左腕に薬莢がバシバシ当たってるので、兵士たちにはちょっと嫌がられてたんじゃないかなあと推察してます(笑) 多くの個体は、工場出荷時に変な迷彩を塗装されていたようで、写真は大体そうなっているのですが、好みで普通の銃みたいな配色にしました。



薬室の上に妙なでっぱりがあったり、レシーバーの穴に謎の部品が覗いてたり、チャージングハンドルの位置が変なのでボルトとキテレツな連結をしてるのかな、などなど、ちょこちょこ気になるところがあるのですが、特に知りたいとも思わせない(笑)変な魅力がありますね(画像検索で、メーカー製と思われる断面図が見られますが、各箇所の解説の字が潰れて読めないのです)。また、微妙に違う何種類かがあるようなのですが、これまた特に知りたいとも思わないという(笑)。あるタイプは着剣できるようで、カッコいいです。余談ですが、100式機関短銃が着剣できるというので、ことあるごとにバカにされてるのが私は悲しいです。オーウェンだけでなく、ベレッタM1938やスターリング、ランチェスターなど、着剣できるサブマシンガンは他にもありますからね。そりゃ、短くて白兵戦にはあまり役に立ちそうもないかもしれませんが、何がどうなるかわかったもんじゃない戦場では着けられないより着けられるほうがいいでしょう。また、警備やパレードなど、着剣すること自体に意味のある場合もありますからね。人間は刃物を目にするだけで、恐怖心を抱くそうです(心理的に、単純な武器ほど自分に害が及ぶ状況を想像しやすいので、無意識に警戒してしまうそうです)から、警備では特に有用でしょう。

閑話休題。オーストラリアは、なぜかこのオーウェンを含むサブマシンガンを3種(1種はステンのコピーに近い)だけオリジナルで製作してます。オリジナル銃器の生産はこれっきりとなってます(多分)。不思議です。作るなら作る、作らないなら作らないではっきりしてほしい気もします(大きなお世話だ)。何か理由があったとは思うのですが、これまた特に知りたいとも思わせないところが、いいなあと思います(ほんま、バカにしてんのか)。

ちなみに、オーストラリアで製作された「カウラ大脱走」(1984年)というテレビ映画でこの銃が登場してます。第二次大戦中、オーストラリアにいた日本兵の捕虜の大量脱走事件を題材にしたものです。出演した石田淳一が何かの番組でゲスト出演した際、この映画の映像が少し紹介され、そこにオーウェンが出てきました。確か、石田淳一がこの銃に撃たれてたような、、。小学生のころ、それを見て「おお!オーウェンだ!」とコーフンしたのを覚えてます。今考えると、ぱっと見てオーウェンとわかる小学生って、ほんとヤですね(笑) 映画自体は観てないのですが、ビデオがあるらしいのでいつか機会があれば観てみたいものです。

●77式拳銃 Type77 pistol
 
中国の現用のピストルです。トリガーガードに切り込みがあるのは意味があります。トリガーガードはスライドと連動していて、ここに指を掛けてそのまま引き切ると、スライドが下がって初弾を装填し、トリガーも引いて撃発・発射することができます。要するに、人差し指だけの動きで、装填から初弾を発射するまでのプロセスを行うことができるわけです。こういう仕組みの拳銃を「ワンハンドピストル」というそうです。

口径は7・62×17なのですが、.32ACP弾と違う独自の弾丸のようです。Gun誌のレポート(1993年11月号)によりますと、32ACP弾はリムの径が違うので使えないとのこと。ストレートブローバック式の拳銃のリコイルスプリングは、ほぼそれだけで弾丸の圧力を押さえるので、重めになっているのですが、この銃は指の力でスライドを引けるようにするため、リコイルスプリングは弱められています。

が、その代わりどこかで弾丸の圧力を減殺する必要があります。そのために薬室にリング状の切れ込みが入れられていて、撃発時に薬莢がそのリングに合わせて膨らみ、スライドの後退の摩擦を大きくするようになってます。
装填の仕組みも、圧力の減殺の方法も、それぞれオリジナルの発想ではないようなのですが、非常に上手くまとめられているように思います。これらの独特な仕組みに加えて、中華風の飾りが入れられた丸みのあるグリップなど、とても個性的な拳銃となってます。



トカレフと並んで、一時は日本社会になかなか普及(笑)していたようで、ニュースでもたまーに見ましたが、今はどんな感じなんでしょうね。ガスブロでもモデルガンでも、トイガンで欲しい拳銃のひとつです。が、今はもう旬じゃないから無理かな、、。

映画の「われに撃つ用意あり」で原田芳雄が使ってて(MGCのコルト32オート改造のブロップ)、とてもカッコよかった記憶があります。確か、アパートの屋根裏に隠してて、そこからごそごそ出してくるシーンがあって、なんか渋くてよかったです(笑)


●日野・小室式自働拳銃 Hino-Komuro pistol

この拳銃はブローフォワード式といって、発砲後銃身が前進し、排莢・装填するという、世界的に見ても数種が知られているのみの非常に珍しい作動方式を採っています。設計者の日野熊蔵大尉は、徳川好敬大尉とともに、飛行機で日本の空を初めて飛んだ方ということで有名です。小室氏は誰かといいますと、Wikiによれば特許や販売に関わった投資家なんだそうです。

それにしても、この独特なデザインセンスには脱帽です。直線と曲線の組み合わせがなんとも絶妙でたまらんです。拳銃という実用的な道具の域を超えた、なにか崇高なものすら感じてしまいます。日野式や南部式など、戦前の日本の銃器デザインは素晴らしいものが多く、うっとりしてしまいますね。


ただ、格好はいいのですが実用としてはかなり問題があったようです。発射準備(他の銃でいうところのコッキング)のために、銃身を掴んで前に引っ張ってやらないといけないのですが、手を滑らしたりすると暴発するんですね。銃身に滑り止めが彫られてますが、指を銃口の前に添えたりするのは非常に危険でしょうね。また、コッキングの状態はスプリングのテンションを受けたバレルがシアのみで保持されているだけなので、そのままで懐に入れるのは自殺行為に近いようです。さらに、一度コッキングしてしまうと弾を抜き出すことができないとか。などなど、非常に欠点の多い構造なのでごく少数(500丁くらい)が製造されて終わったようです。

Wikiを読むと、日野大尉は熱意のある発明家だったようなのですが、なかなか不遇な方でちょっと気の毒になってしまいます。銃自体は実用に適さないものになってしまったとはいえ、ブローフォワードという方式に目を付け、製品化しようとしたこと自体は評価されるべきだと思います。成功者の成功談ばかりが残っていくのは仕方がないのですが、一方でこういう風に知られないながらもコツコツやる人がいるから、技術は発展するんじゃないのかなあ、と。

そんなこんなで、この銃は非常に珍しいものとして世界中のマニアに知られてまして、今でも高価で取引されているようです。マニアの間だけとはいえ、世界中の人に知られている日本製品って、そうそうはありませんよね。「ブローフォワード式の拳銃といえば日野式」くらいの認識はなされてるかと。多分、永久に記憶・記録されると思います。それだけでも、日本人の功績としてはかなりのものなんじゃないかな、と。近年、日本でも17丁が発見され、3丁が博物館に寄贈されたそうです。もし展示されてるなら、いつか見に行きたいですね。

●九九式短小銃(教練銃?)Type99 rifle (trainer?)

先日ブログに鹿屋航空基地史料館の訪問記を書きました。そこには、1丁の九九式短小銃が展示されてました。戦後、岡崎海軍航空隊(愛知)で米兵にトロフィーとして持ち帰られ、なんだかんだあって(説明はちゃんとされてたんですけど。覚えてなくて。すいません。)近年同史料館に寄贈されたものだそうです。一見すると九九式の中期頃の生産型で、そんなに珍しい銃じゃないので「ふーん」という感じで見てました。



が、よくよく見ると、とても珍しい個体でした。細部がことごとく、普通の九九式と違うんですね。以下、気付いたところを解説します。用語などはチャンポンです。

1・床尾板が、板状になっている。(九九式はカップ状。後期型は木製。板状のものは無い)2・銃床が合わせじゃなくて一枚板。スリングスイベルの位置に航空隊の焼印が押され、そこにあるはずのスリング用金具が無い。3・トリガーガードが鋳造で、三八式と似ている(九九式は金属板のプレス製)。弾倉底板止めは三八式と同じ方式。こういう仕様の混合は、ちょっとありえない。トリガーも、かなり丸く成型されている。4・反動受けがない。5・フロントサイト基部の形状が違う。6・薬室上部には菊の御紋じゃなくて錨の刻印が入れられている。7・ガス抜き用の穴がセンターではなく、オフセットされている。8・工廠の刻印などは無く、シリアルであろう「8」のみが刻印されている。遊底被用の溝は無かったように思う(あやふや)が、遊底被によると思われる傷跡がある。、、といった感じです。

最初は、海軍が独自に生産した九九式かな?と思ったのですが、どうもこれは教練銃のようです。某SNSでこのことを書いたところ、詳しい方から教えていただきました。そのつもりで、手持ちの資料を漁ってみますと月刊Gun1997年9月号の教練銃についての記事が。そこに、この個体とほぼ同じの銃が紹介されていました。細部にちょっと違うところはあるのですが、印象として同種のもののように思います。

記事によりますと、右側の銃床には「実包の発射を禁ずる」という意味の焼印が押されているそうです。なので、展示の銃にも、同様の焼印が押されている可能性があります(展示は左側が表に置かれてますので見えません)。ただ、展示品を分解するなどして調査しない限り断定はできませんので、以上は部外者の勝手な推定としてお考えください。

というわけで、一応疑問はとけたのですが、新たに疑問点が出てきました。弾倉底板止めの方式が、オリジナルの九九式と違っているのが気になるんですね。教錬銃なら、そこはオリジナルと同じにしていないと、実銃を持った際に混乱すると思うのですが。ここは三八式の欠点といえる部分で、底板止めはボタン式でトリガーガードの内側にあるため、不意に人差し指の背中でここを押してしまうこともあります。そうすると、底板が弾倉のスプリングの力で「バカッ」と開いて弾ごと落ちちゃうんですね。モデルガンでもついやってしまいます。まあ、実銃は底板止めのスプリングはもっと強いでしょうから、そんなにはやらかさないとは思うんですが。でも、戦闘中にもしやってしまって、脱落に気付かずそのまま他に移動しちゃったりしたら死活問題です。薬室に弾丸を直接入れると、エキストラクターがリムをかまないので、多分装填できないんですね。ボルトに弾丸を噛ませてから装填すれば大丈夫なんでしょうけど、そんなことをモタモタやってるとアウトでしょうね(恐ろしい、、)。で、九九式はその点が改良されていて、底板止めはスライド式になり意図的に動かさないと解除できなくなってます。底板は本体に蝶番状に固定されているので、落ちることはありません。

操作法は実銃で覚えるからいいや、というわけで三八式の方式になったのかもしれないのですが、製造する手間的にも、どちらもそんなに変わらないような気もします。だったら九九式に順ずればいいのにと思うのですが、何か理由があったんでしょうね。で、その理由はぜひ知りたいです(笑)

で、このときにあれこれ資料を見直しててびっくりしたんですが、九九式は1940-45年の間に236万丁も作られてるんですね。三八式は35年間(1906-41年)で297万丁です。なので、この数字がいかにもの凄いものだったのかがわかります。太平洋戦争は本当に「総力戦」だったんだなあ、と。三八式も九九式も一部はアメリカなどで今でもコレクションされたり、猟銃として実際に使われたりしてるようですが、ほとんど大半は廃棄されたり溶かされて再利用されたりしたわけで。戦争ってメチャクチャなエネルギーを短期間に集中し、それを一気に吐き出してそれっきり、という、、。実に凄まじい「人類のイベント」なんですね。ほんと、いろいろと考えさせられます。

というわけで、今回はこれでお終いです。またそのうち第3弾をやりたいなあと思ってます。ありがたいことに、ネタはたくさんありますので(笑)。各銃には、代表的と思われる英語表記を付けてます。コピペして画像検索すると、実銃の写真が出てきます。興味のある方はご覧ください。

また、私のイラストは、写真などを元にできるだけ忠実に描こうとしてはいるのですが、不明点などは適当にアレンジしています。画力不足はもちろんありますし、個人的な印象で描いている部分もあります。なので資料的価値はありませんので、何卒ご了承ください。

※「第1回ごっつええ感じの銃選手権」はこちらです。これまた興味のある方はご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/morio1945/e/66fbfdaa4418d6bb6ef1b0e35d448f80

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第1回ごっつえええ感じの銃選手権

2017年01月14日 | イラスト集
当ブログではときどき銃の絵を描いて載せてます。その際はいつも話のついでみたいな感じで銃の絵を載せて、その銃についてあれこれ書いてます。で、ふと「一度銃ばっかりの内容で書いてもいいかもなあ」と思ってやってみました。せっかくなので、比較的マイナーで変な、でもとても好きな銃ばかりを選んでみました。

●モーゼルM1917 Mauser M1917

第一次大戦時の塹壕戦用として、ドイツで試作されたマシンピストルです。フルオート射撃に耐えられるように銃身周りなどを強化したもので、オリジナルのC96に似てますけど、よく見るとほとんど全てが新規にデザインされてます。その後のM1932(M712)が逆にオリジナルに近い外観(とはいえこちらも実はC96と同じパーツがほとんどないです)になっているのは、フルオートはあくまで補助的な機能として想定されていたということなんでしょうね。

40連の着脱マガジン式で、ハンマー下のでっぱりがセレクターみたいです。メチャクチャかっこいいのですが、50丁ほど作られてお蔵入りになったようです。オリジナル同様、泥や砂塵に弱かったということと、やっぱり拳銃をフルオートでの使用が前提のマシンピストルにするのはちょっと無理があったんでしょうね。

ルガーでも同様のことをしてますが、やっぱり試作で終わったようです。「じゃあ」ということで、ガラッとアプローチを変えて、MP18を開発しちゃったドイツって凄いなあと思います。MP18って、いきなり「答え」を出しちゃってる銃なんですよね。って、話が変わってしまいました(笑)

素人目に見ると、薬室周りの強化の仕方や、ほどよい長さの銃身、40連という手ごろな装弾数など、長所短所を理解していれば、非常に使い勝手がよさそうなマシンピストルのように思えます。ひょっとすると、MP18と共存できたかもなあという気もしますね。シュツルムトルッペンにほんとよく似合いそうな、実にカッコいい銃です。


●山西十七式 Shansei .45ACP Broomhandle

モーゼルつながりでこちら。中華民国製のC96のコピー拳銃です。使用する弾薬をオリジナルの7・63ミリモーゼル弾から、45ACP(ガバメントの弾)に変えちゃったという骨太で男ットコ前な拳銃です。

オリジナル同様10連発にするために、弾倉部が大きくなって、銃身も太くなっているので、オリジナルを見慣れた目には実に頼もしく見えます。1930年代、山西省の軍閥の軍隊はトンプソンを使ってたので、それに弾薬を合わせるために自前の工廠で作ったみたいです。いろいろ当たってみると、ディテールの違う個体がいくつかあり、いくつかバリエーションがあるようです。「山西十七式」という名称も正式名かどうかよくわかりません。

インパクト的には、オリジナルをしのぐほどだと思いますので、映画や漫画の主人公が持つとカッコいいかもしれませんね。「ブラック・ラグーン」のレヴィみたいに、女馬賊が二丁拳銃でドカンドカンやったらさぞ痛快でしょうねえ。そういう映画、観てみたいですねえ、、。

その外観から海外のマニアの間でも人気があるようで、ノリンコ(中国の兵器メーカー)がマニア向けに新規生産したそうです。画像検索でも、ときどき新し目のこの銃が出てきますが、それがこれかもしれませんね。日本でもモデルガンかガスブロでも出したらいいのになあと思います、、が売れないか(笑) それにしても、オリジナルのC96はなんでトイガンにならないんでしょうねえ、、。こっちはモデルガンでもガスブロでも絶対売れると思うんですけどねえ、、、。

この拳銃に限らず、戦前戦中の中国は、世界中の小火器をあちこちの工廠や町工場で作っていて(まあ、ありていにいうとコピーですね)かつ独自に改良してたりもするので、とても興味深いですね。他にも「おおっ!」という銃はありますし、今だ発掘されていない銃もたくさんあるのかもしれません。そういうの、ほんと見てみたいですねえ、、。


●ワルサーフォルクスピストーレ Walther volkspistole

第二次大戦末期に、ドイツが国内の防戦用に準備しようとした簡易拳銃です。フレームやスライド、スライドストップなどほとんどがプレスで作られています。スライドは、二重にプレスした金属板で構成されていて、さすが!という感じです。マガジンは、P38用のを流用できるようにしています。

簡易、といいながらもスライドストップやマニュアルセーフティなど基本的な部品は付いていて、拳銃としての性能はクリアしてそうな気もします。が、全体からかもし出される、この「終末感」は拭いがたく、かつそれがたまらんですね。この拳銃以外にも、ワルサーなど数社で簡易拳銃が試作されたのですが、全てが試作で終わったようです。

試作で終わった理由として、拳銃は戦闘ではほとんど役にたたないので、それよりマシンピストルをどんどん量産する方がいいと判断されたようです。写真を見ていると、この拳銃とP38の製造コストがどのくらい違うんだろうか?と考えると確かに「???」となりますね。2分の1程度なら作る価値はあるんでしょうけど、どんなものなんでしょう。

●エルマEMP44 Erma EMP44

これまたドイツで戦争末期に試作された省力型マシンピストルです。「とにかく鉄パイプで作りました!」という感じがたまらんですね。マガジンはMP40-Ⅱと同じで、複列式となってます。リアサイトも二段式で、省力型といいながら、見てくれのわりになんかちょっと豪華です。仲間連中にはお金がないふりをしているけど、実はバイトで結構稼いでいて、一人のときは牛丼屋で生卵とビールをしれっと付けるようなタイプでしょうか(笑)

複列式マガジンは、ソ連のPPsh41の71連ドラムマガジンに対抗するために開発されたシステムらしいです。マガジンを2本差して、1本が終わると横にスライドさせ、もう1本をすぐに撃てるようにするものです。一見便利そうですけど、やっぱりダメだったようで(笑)MP40-Ⅱはごく少数の生産で終わったそうです。

前述の通りなんかちょっと豪華なのは、比較的戦局に余裕があった1944年ごろの製作だからでしょうね。分解した写真もネットに上がってますが、ボルトなどの工作は丁寧そうで問題なく撃てそうな印象です。で、この銃は試作程度で終了したようで、実際の簡易マシンピストルはステンのコピー品になりました。

どうも、公に現存しているのはシリアル「0015」のみのようで、ググッて出てくる写真(といっても少ないですが)はどれもこの個体です。これは米陸軍兵器博物館の所蔵で、私の資料(洋書「Desperate measures」)のもこれでした。大戦末期のドイツの簡易小火器はどれもほんと興味深いので、また描きたいなあと思ってます。

●フラー1919 Furrer1919

スイスの最初期のサブマシンガンです。ルガーP08と同様なトグルロック式の拳銃を横に倒して、フルオートにしたという、実に素敵な素晴らしい構造です。スイスは、ドイツより先にルガーを軍用制式にした国だけあってトグルロックがとても気に入ったようで、1919を発展させたMP41/44を制式にしています。

写真を見ると、大まかな部品の構造はほぼルガーそのものに見えます。ルガーを横に倒したレイアウトなので、上から見ると銃身が照準線よりも左にオフセットされています。それにしても、トグルロック式のサブマシンガンというのはコスト面でかなりもったいないような気がしますし、クローズドボルトなのでそもそもサブマシンガンには不向きでしょう。そして大量生産はかなり難しいでしょうね。それでもトリガーガードの形状など、いくつかバリエーションがあるようですので、わりと量産されたのかなあ?と。

全体が木製ストックで覆われているスタイルは実に独特で「スイス!山!森!ヨロレイヒー!」という感じがします(?) 「アルプスの少女ハイジ」のおんじが、無礼な客を追い払うために納屋から引っ張り出してきそうな感じ、といいましょうか。ブローバックモデルガンで発売されたら楽しいでしょうね、、。MGCのルガーをベースにしたら自分でも作れなくもなさそうな気がするのが怖いところですね(笑)

●ベレッタM1918 Beretta M1918

恐らく、ベレッタが初めて製作したサブマシンガンです。ビラ-ル・ぺロサM1915というピストル弾を使う双銃身の機関銃を元に作られてます(とても変な銃です。興味のある方はウィキってください)。M1915を2つに分けて、1丁にしたようです。そのためM1915と同じくマガジンが上についています。

前装式ライフルのようなトリガーガードや、折りたたみ式の銃剣などいかにも昔の銃みたいなのに、実はサブマシンガンというねじれた感じが実に素晴らしいです。一見キワモノみたいですが、写真を見るとあちこちに細やかな配慮がみられ、工作も丁寧そうです。さすがベレッタという感じです。多分、普通に使えたんじゃないかなあと。リアサイトが拳銃と同じで1段のみなのは、この銃種を最初からよく理解していたからじゃなかろうか、という気もします。ほとんどの国のサブマシンガンが最初はタンジェントサイトであったことを考えると、非常に興味深いです。

その後、マガジンを下側にしたM1918/30が作られ、それがM1938(ドイツ軍でも使われたやつ)に発展したみたいです。なので、M1938ってベルグマンの影響を受けた銃じゃなかったんですね。余談ですが、サブマシンガンは、ドイツとソ連とイギリスはベルグマンの直系で、アメリカ(トンプソン)とイタリアは直接的には関係ないんですね。日本の一〇〇式も、ベルグマンやステアーのコピーと思われているようですが、開発の経緯を見ると実はそうでもないという。この辺の関係性はとても面白いです。

さらに余談ですが、M1915は「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」に登場してます。飛行船からハリソン・フォードとショーン・コネリーの2人が飛行機で逃げて、追いかけてきたドイツの戦闘機をショーン・コネリーが機関銃で撃って、自分の飛行機の尾翼を撃ってしまうシーンのアレです。マガジンがストレートなので、どうもウェブリー455弾仕様のものみたいです。結構な珍銃なんですけど、誰もが知ってる(多分)シーンで使われてるのってなんか面白いですね(笑) うろ覚えですがマイケル・チミノの「シシリアン」(1987)にも出てたそうなので、多分ハリウッドのレンタルガン会社が所有してるんじゃないかと思います。

閑話休題。すでにあちこちで書いた通り、作画資料の大半はネット上で集めた写真を元にしています。どの銃もン十年も前に存在を知って「もっと詳細を知りたい!」と思っていたのですが全く資料が手に入らなかったものばかりです。詳細を知ることができる可能性があるとすれば、国内の銃雑誌などで紹介されるくらいしかなかったのですが、まあマイナーな銃ばかりなのでそんな可能性はほとんどなく、ン十年も泣き寝入り(?)していたのでした。しかし、今はネットで検索すると一発で詳細な画像がぼろぼろ出てきます。いやほんと、凄い時代になったものだと思います。銃名にはそれぞれの外国語表記も書いておきましたので、興味のある方はコピペしてググッてみてください。

というわけで、まだまだ描いてみたい銃はたくさんありますので、またそのうち第二弾をやってみたいと思います。一体、どのくらいの方が最後まで読んでくださるのか見当もつきませんが、やります(笑)

それでは。




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