星野富弘さんの言葉に出会いました。
星野さんは中学の体育教師になって部活中の事故で
頚髄を損傷し、手足の自由を失い、絵筆を口に
くわえて、詩画・随筆などの創作活動をされて
いる方です。
『辛いという字がある
もう少しで幸せになれるような字である』
辛いという体験を、知り尽くした星野さんから
生まれた、この言葉が深く響いて来ます。
辛いという字と幸せは、双子のように
よく似ています。
辛さの向こうには、幸せが待っているよ!と
いう感じがしてきます。
星野さんは、こんな言葉も紡いでいます。
『神さまというのは
時には遠回りをさせて
いつの間にか味なことをさせるなあと
思います』
事故に遭わなければ、このような星野さんの
絵も詩も生まれてこなかったでしょうね。
神さまのなさることは、あまりに深くて
私たちには直ぐにはわかりません。
初女さんが生涯心に刻んでいた
『神のはからいは限りなく
生涯わたしはその中に生きる』
この言葉が蘇ってきます。
深い苦しみ悲しみを知っている人の言葉は
魂に響いて来ます。
『よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする
しあわせが集まったより
ふしあわせが集まった方が
愛に近いような気がする
星野富弘』