昨日は書の制作会で、書のことだけを考えて
一日書いていました。
何か一つのことだけに集中する、これもある意味
瞑想のようなものかもしれません。
この間からずっと初女さんの信仰について
考えています。
『「おむすびを握りながら、なにを考えて
いますか」とよく訊かれますが
私はなんにも考えていないんです。
おいしくなれとも考えない。
一粒一粒のお米を生かすように
ただ無心に握っているだけ。
十の工程があったら、十のどこにも心を
離したくないから
考える余地なんてないんですよ。
ひとつひとつの工程に心をかける。
それが私の祈りです。
本当にお伝えしたいのは、
おむすびの作り方ではなくて
「信仰とはなにか」ということなのです。』
おむすび講習会をやらせて頂くとき、
いつも私の心に、初女さんのこの言葉が
浮かびます。
初女さんが本当にお伝えしたいと言っている
信仰ってなんだろうと…
何度、この言葉を反芻してきたことか…
この言葉と重なって来るのが
『信仰のみなもとは、愛を受け容れること。
それは誰もが生まれた時からできていることで
特別なことではありません。
信仰は自分でつくるものでなく、
与えられ受けとるものです。』
私が初女さんの精神を一番分かっていると
思うKさんに、この疑問を投げかけてみました。
返って来た答えは「命の源は愛、その愛を
受け容れるってことは生まれた時から
すでに在ることに気づくこと、誰もが持っている
とはそういうことではないですか…
初女先生の信仰とは、その愛を知ること
ではないですか」と…
私が、初女さんにお会いしていた時に
いつも感じていた、すべてを包み込むような
母性は、愛そのものでした。
おむすび講習会で、初女さんのおむすびを
結ばれると、皆さん言われることが
「こんなに丁寧におむすびを作ったことが
ありません」です。
私は、ここに愛があると思いました。
心を込め、丁寧に作ることが愛に繋がると…
初女さんのあの圧倒的な母性は、愛そのもので
あり、初女さんの信仰とは愛だったんだ…
誰もに愛は宿っている…
初女さんが、男性にも母性はあるのよと
言われていたのは、愛のことだったんですね。
初女さんは行動の方でしたから、私も行動
していたら、きっと初女さんからのお答えが
降りて来ると思うのです。
愛か~深いなあ…
ある庭師がいて、その庭師は花を咲かせるのが大好きでした。
花を育てる為に庭師はいつも一心不乱に時間を忘れて作業をしてしまいます。
この後庭師の手掛けた庭園には感動するくらい美しい花がいつも咲いていました。
庭園の前を通りかかった人がそこに咲いていた花があまりに美しいので
手入れをしていた庭師にどうしたらこんなに美しい花を咲かせることが出来るのか聞きました。
庭師は言いました。
美しい花づくりのみなもとは花の美しさを受け入れ花を愛することです。
花が美しいと感じることは誰もが生まれた時からできていることで
特別なことではありません。
美しい花は自分がつくるものでなく、
その花から与えられ受けとるものです。
だからその美を受け取るまで花を育てるその作業の一つ一つを
一心不乱に行っています。
花づくりで私がお伝えしたいことがあるとすれば
一番大切な事は手順通りに作業を行う事ではなく
花を愛し育てるという事がどのような喜びであるか
ということです。
と教えられました。
おわり。
この庭師は庭園の花が
佐藤先生は「生きる」という命の輝きである心の花が
それぞれ目の前で咲き、与えられ受け取る為に
それぞれの花に対する愛が原動力となって
一心不乱に育む作業を行われたのだと思います。
佐藤先生の信仰とは
佐藤先生と
生きる事に苦しみ先生の助けを求めた方々や
お米や野菜にもある生きとし生けるものが持っている
命の輝きとを
命の輝きを愛する心もって繋ぐ
揺るぎない道の様に思えました。
信仰について思いつくままに書かせて頂きました。
私もまだまだ未熟で理解不足ですが
共に学んでいけたらいいですね。
おむすび
初女さんのことを思い浮かべながら読みました。有難うございます。
初女さんの言葉って、とても優しくシンプルなので、読んだだけでわかった気がしてしまいますが、本当は凄く深くて…自分勝手に解釈して、自分の方に初女さんの言葉を当てはめてはいけないので、いつも心に初女さんの言葉を置いています。
おむすびさんのお言葉、響きました。
有難うございます
有難うございます。