~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

初女さんのおむすび

2014-03-23 14:14:20 | 日記
2年前の12月、三浦の宿泊講演会を終えたばかりだった私は、

その時に、皆さんから頂いた感動に何かしたいという思いが強く

なっていました。

講演を終えた初女先生に、「おむすびを教えるなんてことは

できないけれど、みんなと作って上手になっていきたいと

思いますが、いいですか?」とお聞きしました。

少しの間があり、先生は「ご飯の炊き方が一番大切だから」と

言われ、私は、それが先生の「いいですよ」という

御返事だと思っていました。

ただ、あの「間」が何だったんだろうということは気になって

いましたが…

ところが、先生からのお許しが出たと思っても、実際に

踏み出せない自分がいました。

「なぜだろう」と、自分に問いかけても答えがでてきません。

去年の11月、羽田で先生をお迎えして一緒にお食事をしていた時

おむすびの話しになり、先生が「1回教わったくらいで、

教えてしまうんだよ。そんなに簡単なことではないのに…」と

言われた時、自分が踏み切れなかったのは、ここにあったのかと

思ったのですが、

田口ランディーさんが「春秋・12月号」に書かれた文章を読み

先生のおむすびの深さが初めて分かりました。

ランディーさんに先生は「私はおむすびの作り方を教えて

いるのではないのです。

私が本当に伝えたいことは、信仰とはなにかということなの」と

言われたそうです。

「信仰ですか」とランディーさんが言われると

「そうです。信仰ということをお伝えしたいんですが、

なかなか理解されません。そして、おむすびの話しになって

しまうのです」と、言われ、ランディーさんにそのことを書いて

欲しいと言われたそうです。

ランディーさんが「信仰ってなんですか」と聞くと、

初女先生は「祈り」です。と答えられたそうです。

ランディーさんはその時、広島の原爆をテーマに書こうと思って

いるのですが、でも祈りが何か分からない私が、そんなことを

書くこと自体間違っているかもしれませんね。と、話した

そうです。

ランディーさんが帰る時、玄関まで送ってくれた初女さんが

耳のもと「ことばを、こえて、ね。」と呟かれたそうです。

ランディーさんは「信仰とは言葉を超えることなんだろうか。

なぞなぞのような別れの言葉を、私は何年も宿題として

考えている。

答えはまだでない。でそうもない」と書いていました。

初女さんのおむすびを語る時、伝説の様に「初女さんの

おむすびを食べて自殺を思いとどまった青年がいるのよ」と

言いますが、そのことの本当の意味を何もわかってなかったと

気づかされました。

「おむすびって、そんなに簡単じゃないのよ」と言われた時

私は、おむすびの作り方・ごはんの炊き方だと思ってました。

ランディーさんのこの文章を読み、信仰であるということを

初めて知りました。

これは、すぐに「ああ、そうか」と分かるものではありません。

私もランディーさんのように、宿題として持ち続け行こうと

思いました。

おむすびをみんなで作ってもいいですか?と聞いた時の

先生のあの「間」は、このことだったのか…

多くは語らない初女先生の深さに、原点に立ち返えらな

ければと思っています。

この宿題の答えを見つける為にも…



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