宮城まりこさんが設立した、肢体不自由児養護施設「ねむの木学園」
の子供たちの美術展に行ってきました。
入口に宮城まりこさんが車いすでいらっしゃいました。
ねむの木は今年で46年を迎えるそうです。
半世紀近くやり続けることは、容易いことではありません。
車いすにちょこんと座ったまりこさんのどこに、そんな
エネルギーがあるのかと思いました。
子供たちの絵は、実に色鮮やかでまるで色が歌っている
ようです。
どのような指導のものと、このように開花されていくのだ
ろうかと、ねむの木学園に行ってみたくなりました。
不自由な体でありながら、心はどこまでも自由なんだなと
思いました。
唯、鮮やかな色彩の中に描かれている人物が、自分だったり
友達だったり、まり子さんだったり…がどこか寂しげなんです。
昔、こんな寂しげな子どもの絵を観たことがあります。
谷内六郎さんの展覧会に行った時、どの絵にも子どもが
描かれているのに、みんなどこか寂しげなんです。
なぜだろうと思ったら、谷内さんは小さい頃病弱で外で
遊べなかったと年譜に書いてあり、谷内さんは小さい時から
孤独を知っていたんだなと思いました。
ねむの木の子供たちの絵の時間を担当していたのは、
谷内六郎さんです。
障害を持っている子ども達は、きっと深い孤独も抱えて
いるのでしょう。
言葉には出来ない心の内を絵にすると、そこには
言葉には出来ない孤独が描かれるのでしょう。
そして、そのことが観ている私たちの心に寄り添って
くれるのかもしれません。
子供たちの絵に囲まれて、静かな豊かな時間が過ぎて
行きました。
谷内六郎さんも同じ空間にいるような気がしました。
の子供たちの美術展に行ってきました。
入口に宮城まりこさんが車いすでいらっしゃいました。
ねむの木は今年で46年を迎えるそうです。
半世紀近くやり続けることは、容易いことではありません。
車いすにちょこんと座ったまりこさんのどこに、そんな
エネルギーがあるのかと思いました。
子供たちの絵は、実に色鮮やかでまるで色が歌っている
ようです。
どのような指導のものと、このように開花されていくのだ
ろうかと、ねむの木学園に行ってみたくなりました。
不自由な体でありながら、心はどこまでも自由なんだなと
思いました。
唯、鮮やかな色彩の中に描かれている人物が、自分だったり
友達だったり、まり子さんだったり…がどこか寂しげなんです。
昔、こんな寂しげな子どもの絵を観たことがあります。
谷内六郎さんの展覧会に行った時、どの絵にも子どもが
描かれているのに、みんなどこか寂しげなんです。
なぜだろうと思ったら、谷内さんは小さい頃病弱で外で
遊べなかったと年譜に書いてあり、谷内さんは小さい時から
孤独を知っていたんだなと思いました。
ねむの木の子供たちの絵の時間を担当していたのは、
谷内六郎さんです。
障害を持っている子ども達は、きっと深い孤独も抱えて
いるのでしょう。
言葉には出来ない心の内を絵にすると、そこには
言葉には出来ない孤独が描かれるのでしょう。
そして、そのことが観ている私たちの心に寄り添って
くれるのかもしれません。
子供たちの絵に囲まれて、静かな豊かな時間が過ぎて
行きました。
谷内六郎さんも同じ空間にいるような気がしました。
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