探し物をしていて、手帳に挟んであった古い新聞記事を見つけました。
横田めぐみさんのお母さんの言葉が切りぬいてありました。
「9月17日、外務省からめぐみが「死亡した」と聞かされた時には、
息が止まるほどの衝撃を受けました。でも、「ちょっと違うな」
とすぐ気が付いて、「こんなことは絶対信用しませんから」と
泣きながら言いました。
先日、新潟で、現場とされる夜の海に行きました。
放送局の照明で、すごく大きな波が押し寄せているのが見え、
拉致のむごさを改めて感じました。
何億人に一人のような出来事が、たまたま私達に降りかかり、
突然、考えたこともない人生になりました。
でも、あの子の悲しみの中にあって、いろいろな方々とめぐり合い
善悪のような、一番大事なものが見えるようになりました。
勿論、人間ですから、完璧なものではありません。
それでも、いろんなことを教えられ、大事なことを考えさせられる
人生にさせてもらった、と思っています。」
と書いてありました。今、読んでも深いものを感じます。
この新聞記事は、2002年の手帳に挟んでありました。
息子が亡くなった翌年の手帳です。
まだ、悲しみの真っ只中にあった時です。
めぐみさんのお母さんの言葉に、自分の人生を見つけようとしていた
のかもしれません。
初女先生は、人に起こることは自分にも起こり得ると言われていました。
そうやって考えると、他人事などというものは、一つもありません。
悲しみと苦しみの中で、めぐみさんのお母さんが自分達の人生を
このように捉えているということに、深く響き私はこの記事を
切り抜いて置いたのでしょう。
8年たってこの記事を読み返してみると、めぐみさんのお母さんの
言葉に重なる私の人生がありました。
横田めぐみさんのお母さんの言葉が切りぬいてありました。
「9月17日、外務省からめぐみが「死亡した」と聞かされた時には、
息が止まるほどの衝撃を受けました。でも、「ちょっと違うな」
とすぐ気が付いて、「こんなことは絶対信用しませんから」と
泣きながら言いました。
先日、新潟で、現場とされる夜の海に行きました。
放送局の照明で、すごく大きな波が押し寄せているのが見え、
拉致のむごさを改めて感じました。
何億人に一人のような出来事が、たまたま私達に降りかかり、
突然、考えたこともない人生になりました。
でも、あの子の悲しみの中にあって、いろいろな方々とめぐり合い
善悪のような、一番大事なものが見えるようになりました。
勿論、人間ですから、完璧なものではありません。
それでも、いろんなことを教えられ、大事なことを考えさせられる
人生にさせてもらった、と思っています。」
と書いてありました。今、読んでも深いものを感じます。
この新聞記事は、2002年の手帳に挟んでありました。
息子が亡くなった翌年の手帳です。
まだ、悲しみの真っ只中にあった時です。
めぐみさんのお母さんの言葉に、自分の人生を見つけようとしていた
のかもしれません。
初女先生は、人に起こることは自分にも起こり得ると言われていました。
そうやって考えると、他人事などというものは、一つもありません。
悲しみと苦しみの中で、めぐみさんのお母さんが自分達の人生を
このように捉えているということに、深く響き私はこの記事を
切り抜いて置いたのでしょう。
8年たってこの記事を読み返してみると、めぐみさんのお母さんの
言葉に重なる私の人生がありました。
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