54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

私が旅したバッハゆかりの地写真5

2014-03-12 22:08:57 | 『冊子バッハ』
私の旅 [Ⅵ] 続き1 6/21(木)ベルリン・アレクサンダー12:30→ 13:15ポツダム ポツダムペンション1泊40DM

ベルリン Hフォーラムの朝食 ペルガモン美術館→ニコライK→フラウエンK 12時

ベルリン Hフォーラムに預けた荷物を取りによってポツダムへ

ポツダム ペンションへは市電で 荷物を置いてまた市電でサンスーシ宮殿… 


ポツダム オランジュリー宮殿→サンスーシ宮殿(宮殿内見学16:00~16:40 16DM)
 
ポツダム左:この門近くで焼きソバとビール美味しかったと日記に 隣り:ペンション庭(チロル風だが
いまいちのセンス大きなバスルームあるが寒そうで入らず顔も洗わずズボンもはいたまま寝たと日記に)
右2枚:6/22 朝ポツダム駅7時 

6/22(金)ポツダム07:14→ 08:10マクデブルク09:10→ 10:22クヴェトリンブルク11:36→ 
13:31ケーテン15:33→ デッサウ→ 16:47ライプツィッヒ Hノボテル 2泊
心残りだったが予定通りケーテンへ クヴェトリンブルク滞在10:22~11:36
 
クヴェトリンブルク10分ほどのWegeleben乗り換え時ホーム待ち30分は寒かった 2回乗り換えてケーテン

左:私が買った手作り兎にMimmiと一緒に名付けその兎を持つ店員 右:バッハ広場のバッハ像
バッハが32歳~38歳住みブランデンブルク協奏曲など多数作曲 35歳の時4人の子供を残して妻死去
36歳で16歳年下のマグダレーナと再婚 37歳でライプツィヒに転居(ケーテンの前はワイマール23歳~32歳)

ケーテン2時間滞在13:31~15:33右2番目:聖ヤコビ教会壁のバッハ14:05
デッサウもゆかりの地だが疲れたので下車せず、ライプツィヒ16:47着

6/23(土) ライプツィヒ滞在 駅前のHノボテル2泊は日本で予約済

2番目:ホテルの部屋からの眺め、今回の旅で最高の宿だが1泊6,500円 宿探しはいつも苦労する

ライプツィヒ ゲバントハウスそばで11時の鐘の音 
中:メンデルスゾーンの家と中庭(1847年38歳この家で死去)
右:メークデの噴水

左:ゲバントハウス前のオペラハウス 次:ニコライ教会が見える 次:ニコライ教会2枚(ドイツ統一はここから…)
右:市庁舎前では日曜なので色々賑やか 

6/24(日)ライプツィヒ続き ライプツィヒ12:26→ 14:14ケムニッツ Hメルキュール1泊

ライプツィヒ 戦いの記念碑を見て、再度ゲーテ像、アウアーバッハケラー、マイセンの鐘、マルクト広場…
 
ライプツィヒ日曜でマルクト広場は賑わっていた 真ん中写真の人たちはケムニッツから来ていると 
右:ライプツィヒ駅ホーム  ケムニッツへ 1時間40分車窓満喫 車両にはずーっと2人だけ




この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私が旅したバッハゆかりの地... | トップ | 私が旅したバッハゆかりの地... »