54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

私が旅したバッハゆかりの地写真4

2014-03-10 17:48:35 | 『冊子バッハ』
私の旅[Ⅵ] 2001.6/17(日)フランクフルト07:49→ 08:49ギーセン08:54→ 09:44アールスフェルト11:25→
 12:10フルダ13:08→ 15:23ミュールハウゼン Mirage1泊

アールスフェルト2時間弱、フルダ2時間途中下車後、バッハがバルバラと結婚した地ミュールハウゼン
「5回目の旅」で5時間を過ごしたアイゼナッハ(バッハ誕生~10才の地)で乗り換えると車窓は長閑な景色に

地図は手書きで写して持参 ミュールハウゼン駅 駅前に建物なく、日曜でもあり宿を心配したが
駅近くの1軒目で見つかった なぜかだれもいないが教会前のきれいなホテルMirage(109DM約6,000円)
日記に部屋が白で統一、静か、窓からはすぐ下に教会、遥か向こうに丘、雀が鳴いている、と 

日曜の午後、人がいない? バッハが1707年(22歳)オルガニストに任命された「聖ブラジウス」へ16:30

St・マリエンで子供の演奏会(4DM)をやっていたので17:00~17:30 中庭も見せてくれた
可愛い市庁舎入口 小さな町をぐるっと回る 静か! 

2番目:2階窓に兵士の人形が並んでいる 右:町はずれ門まで行き金網越しに撮る

6/18(月) ミュールハウゼン8:54→ ライネフェルト09:10→ 09:57ノルトハウゼン10:08→ 12:06ドライアンネンホーネ
12:35→ 13:18ヴェルニゲローデ Altstadt1泊

朝食7時に行くと広い食堂に私1人だけ、こんなにハムなどが… 駅3分へ、ヴェルニゲローデまでの切符を買う(SL含め34DM 7:30-8:30) ホテル傍に学校あり  右2枚:部屋の前に見えていた教会 

昨日よく見なかった聖ブラジウス(5分)へ急いだ 丁度係りの人が扉を開けているところで、
感動して写真を撮っていたら私が入ったのは知っていたのにまだいることに気付かず、
もう少しで閉じ込められそうになった たまたま開けた時間に出会った不思議!!
小さな町だから8:31発の列車に間に合った 発車は遅れて8:54 SL乗り継ぎ大丈夫?


ノルトハウゼンホームで約30分 これからハルツの森を縦断 右:日常利用のような駅にも止まるSL 

6/19(火) ヴェルニゲロ^デ8:32→9:24ヴォルフェンヴュッテル10:38→10:48ブラウンシュヴァイク13:00→14:21ベルリン

左:テレビ塔とForumと赤い市庁舎 ニコライ地区へ(この辺りがベルリン発祥地)ニコライK(1230年最古) 
ニコライ地区で私が買ったベルリナーベァを持つ店員18:30 右:ニコライ地区からの大聖堂

ウンターデンリンデン→ブランデンブルク門→大聖堂へ なんと19:00~のコンサートありチケット買えた24DM
約1300円で大聖堂の演奏が聴けるなんて夢のよう!おまけに演奏後内部見学自由、写真可
軽食サンドウィッチ、ワイン、ジュースも付いて…お腹空いていたし、もう最高!カメラズームなし安物で残念

 6/20(水)ベルリン滞在 ポツダム往復(アレクサンダー駅09:30→10:15ポツダム17:00→17:30ツォー駅)

ポツダムサンスーシ宮殿へ駅から歩いた フリードリッヒ大王は35歳~74歳までの殆どをここで過ごした
左2番目:大王の「愛犬と共に」という望みが1991年漸く叶えられここに眠っている
広い庭園に案内板がなくやっと中国茶屋(写真なし)右:ローマ風呂の庭、下左:ローマ風呂前?見つけた
 
ポツダムインフォメーションで聞いたペンションへ市電で行った 湖すぐで安くて気に入った(40DM2,200円)
ポツダム宣言のツェツィーリエンホ-フが湖の向こうに見える ツェツィーリエンホ-フ 8DM 1945年7月17日
米・英・ソ連の首脳会談が開かれ、ドイツの戦後処理と日本を降伏させる策が話し合われた部屋が
当時のまま保存されていたのは心に残った ポツダムで6時間45分過ごしベルリンに17:30戻る

ベルリンカイザー・ヴィルヘルム→Ka・De・We屋上でカリーブルストとビール→ベルリンフィル前→ホテル20:30 




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