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54歳からの欧州一人旅と日々をつれづれに

思いつくまま時、場所を選ばず綴ります。

20回目の欧州一人旅「ドイツ」6

2014-06-11 09:34:42 | 欧一人旅20回 ドイツ
2014.5.21(水)続き  Weimar滞在

リストハウスの次にマルクト広場のバッハゆかりのRotes Schloss(赤城)Gelbes Schloss(黄城)探し
左:リスト像前方の木 近くにシェークスピア像もあるらしいが 次3枚:この歴史的な建造物は何?
イルム公園にはIrm川が蛇行し川向うにゲーテの山荘がある 右3枚:マルクト広場と市庁舎

左:マルクト広場のElephantはバッハ、メンデルスゾーン、リスト、ワーグナー、トルストイ、トーマス・マンも泊まったホテル 次:市庁舎真ん前に建つ画家クラナッハの家(16回目の旅でヴィッテンベルク・ルターシュタットに行った時もクラナッハの家が市庁舎前にあった)城を探していると目の前にバッハ像! えっ!知らなかった~ 

左::カール・アウグスト像 赤城? 黄城? お城だからすぐ分かると思ったが、どれなんだろう…人に地図を示して聞いても“知らない、これかな?あっちじゃない?” の返事 実はその城の周りを歩いていた
 3番目写真の左遠方にバッハ像はある 12:30   

上:ワイマール公の城(今クラナッハのコレクションを誇る美術館)ゲーテも働いた 私は疲れるので入る気なく広い石畳の中庭を「バッハもゲーテも何度も歩いたんだ~」 と思いを馳せ隅の像を見に行った

右:赤城 馬車の御者さんに“これが赤城ですか?”と聞くと“そうです” やっと確認できた

左:ヘルダー教会 ヘルダー像 祭壇(多分クラナッハの絵) 右3番目ヘルダー広場のゲーテが住んだ家13:17 宿に戻りフロントで“明日7:17の列車に乗りたいが朝食は?”と聞いたら「ランチボックス」にしてくれると シャワー洗濯済ませ お湯沸かしてティータイム アールグレイがあり嬉しかった また駅DB窓口へ16:40 担当者は色々で今度はそっけなく感じ悪い そんな時は諦め 出来る範囲の旅行を!と
日本への電話は私のケータイは海外利用できないし借りて持参すると荷物が増えるし複雑になるし…
選んだのはKDDIの「スーパーワールドカード3000(3200円分)」インフォメーションで国際電話できる電話器の場所を聞いたがチンプンカンプン カードの説明しても通じなかった やっぱりケータイ時代 駅でビール1.49€ ジュース1.39€ 買い17:04宿へ、お湯を沸かしコーヒーにクリープも入れ飲みながら日記記入 これで旧東ドイツの旅を終え、迷ったが明日は今回行きたかったアルプス方向に向かうことにした 
 
補足に私の本棚にある左の本から4枚 ヴァルトブルク城からの眺め ワイマールの赤城、ゲーテハウス 
 
コピーしてあった中から 左:ヴァルトブルク城ルターの部屋 (複写機スキャンが上手くできずデジカメ写) 

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20回目の欧州一人旅「ドイツ」5

2014-06-09 11:37:21 | 欧一人旅20回 ドイツ
2014.5.21(水)続き  Weimar滞在

ゲーテとシラー像のある劇場広場(ゲーテがヴァイマール公国のカール・アウグスト公に招かれ1775年に
来た時26歳 以来82才で亡くなるまでの生涯の大半をヴァイマールで過ごした) 
赤ちゃんはこの後大泣きしてしまい謝った 右:前回入場したゲーテハウス前で10:55

Wielandplatz→Marienstr.と来たのでリストの家が近いはずだが大学生5人位聞いて
やっと“すぐそこです”と女子学生が教えてくれた 広いイルム公園の入り口にあった
入館する前に椅子に掛けて一休み あ~… ここをリストが この景色を見て… 

Liszt-Haus入館料4€ フラッシュなしで写真OK フランツ・リスト

リストのベッド… リストはバイロイトで亡くなったのだが75歳までの晩年をここで過ごした

老紳士がほゞ一緒に入館し写真を撮っていたが先に帰った 一人で11:10~11:50 

2階の部屋から外を眺めた リストが老体で大変だったろうな~ と思いながら階段を
下りて行くと1階にはリストの曲を選んで聞けるコーナーなどもあった

受付の女性も感じ良く居心地良かった これだけでも今回の旅行は満足だと思った

リスト像が近くにあるはずだが大きな木に隠れて見つけ難く探していたら親切な人が教えてくれた
Lisztは1842年ワイマール宮廷楽士長となり1848~1861ワイマールのアルテンブルクに滞在していた 
1869年まではローマに暮らし再びワイマールに戻って死を迎える1886年までここに住んだ
持参したメモ リスト:1811年ハンガリー生まれ 9歳で最初の演奏会、10歳でウィーンに行きサリエリ、
ツェルニーに学び、シューベルトにも会い、ベートーベンの目前で演奏した際彼の接吻を受けたとか 
1823年パリに行き名声を得 ショパン、ベルリオーズ、パガニーニと交友を結び10年間パリを中心とした生活
1848年ピアニストとしての公開演奏を打ち切りワイマールに居を決めた ここで大公の音楽監督、指揮者と
して活躍、多くの音楽家を援助した ワーグナー(娘コジマの夫)がドイツ憲法戦争に関わり逮捕され
ようとした時はリストを頼ってチューリビで亡命 スメタナのプラハに音楽学校設立の後援も 
ワイマールはリストにとって落ち着いた生活に恵まれた時代で「交響詩」という世界を創建した
1859年ワイマールの職をやめヴィトゲンシュタイン公夫人と結婚するため1861年ローマに赴くが反対され延期
宗教に更に深い関心を向けるようになった 晩年は教育活動に功績を遺した 没する年、
彼は45年間休んだ演奏を再開 コジマの願いでバイロイトへ行き(リストが来ているというだけで
音楽会の名声は上がった)オペラ臨席時の風邪がもとで10日後に死去 墓はワイマールに
  続く→

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20回目の欧州一人旅「ドイツ」4

2014-06-07 12:15:18 | 欧一人旅20回 ドイツ
→5/20(火)続き München8:14→ 11:02Fulda11:40→
12:57 Weimar13:41→ 14:47Eisenach19:06→ 19:50Weimar

Wartburg城から町に入るまで全く人はいないしトボトボと下ること30分位 疲れた~
バッハの家前のバッハ像18:06 5回目の旅で見たバッハの家と全然違う 右と下左 

ルターの家、ゲオルク教会、ルター像のカールス広場 小さな町なので迷うこともなく懐かしさも…
(前々回6/3投稿に1994年訪問時の写真リンクあり)
 
駅に戻ると来た時と反対側にもステンドグラス 18:46 おしゃれな待合所で列車待ち20分
列車は10分遅れ珍しく大勢の人、座る席やっとあった 静かな雰囲気は東ドイツそのもの
右3枚:Weimar 駅 (コーラとサラダ買った 食欲ない) 右:宿泊ホテルの窓から見た教会と宿泊ホテル  
手作り冊子バッハ編BachのEisenach/Weimar時代投稿 

 2014.5.21(水) Weimar滞在

日の出5:37~5:55 暖かいお茶が飲めるホテルは初めて 紅茶ティパックとコーヒーもあり嬉しかった

食事7:15~8:00ゆっくり食べて一日分の栄養補給 

よく食べられたな~と驚くほど 受付も感じよかった 
  
左:部屋から駅と反対の眺め 高台で気持ち良い 次:廊下にこういう絵が並んでいた
昨日疲れたし予定を練らないと… 10時まで休んで駅へ行くと子供たち 次:駅前から私の部屋
DB窓口へ明日のプランの相談に行ったのだが初め感じ悪くて諦めかけた 持参した「これだけドイツを
旅行したという赤丸の100も付いた地図」を見せ“今回は7日間パスでこれから始まる、54才から
旅行している日本人だ”というと対応が急に親切になり大助かり プラン3ヶ所出してもらえた  

花の香りの漂う中、駅前をまっすぐ下って行くとゲーテとシラー像に10分位で着いた 続く→ 
 
 



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20回目の欧州一人旅「ドイツ」3

2014-06-05 11:44:31 | 欧一人旅20回 ドイツ
→5/20(火)続き München8:14→ 11:02Fulda11:40→
12:57 Weimar13:41→ 14:47Eisenach19:06→ 19:50Weimar

Fuldaで乗り換えた列車も空いていた 

駅前のホテルKaiserin Augustaが決まり部屋からの眺めにも満足 右2枚:Weimar駅
 
アイゼナハへ 約1時間 14:47着 ヴァルトブルク城までのバスはどこから出る?何分間隔?
Eisenach駅がきれいになっていて驚いた バスの乗り場は駅前にあった 聞く人みな親切
止まっていたバスの運転手さんが“そこに待ってればもうじき来るよ”とにっこり

10分後15:00私一人乗せて発車 切符は1.50€運転手さんから買えた 町を抜け山を登る
右4枚:バス下車後、坂を10分位登り素晴らしい空気の中城を目指す 15:30頂上着 





Wartburgの山頂に1067年にチューリンゲン伯爵が建て現在残る主要部分は1170年のもの
想像以上のチューリンゲンの眺め ゲーテが幾度となく訪れ、ワーグナーの「タンホイザー」にも登場
ヴァルトブルク城とネット検索するとたくさん記事も写真も 

30分只々感動し景色を眺めた 私はルターがWorms会議で持論を曲げず破門国外追放され
これを受けザクセン候がこの城に1521.5~1522.3 10ヶ月住まわせ その間の10週間で
新約聖書をドイツ語に翻訳したといわれる小部屋Lutherstubeはどうしても見ておきたかった
チケット売り場は土産物売り場にあった 9€ 16:09刻印のスーパーと同じレシートしか残ってない
“4時20分にあの緑の門が開くのでそこから入るように”と言われたが早いドイツ語の説明
時間になったら10人位入口に集まりガイドの説明を聞きながら(ドイツ語)内部見学
騎士の間、食事の間、エリザベートの間、歌合戦の間… ここまでで30分以上かかった
タンホイザーの曲が流れる間に移る時ガイドさんに“私は時間がない、ルターの部屋はぜひ見たい”
と言ったら“それなら一人で先に進んで良い”と優しく行き方を教えてくれた 17:10 
写真はダメの表示見当らずフラッシュなしOKの所も多いので4枚だけ撮らせてもらった17:13-17:18
日本語の資料を持参したので内容は大体理解できた 帰りのバス乗り場に急いだら目前で
出てしまい1時間待ち、さっきバスが登ってきた道を30分位歩いた 右:17:53  5/20続く→
 




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20回目の欧州一人旅「ドイツ」2

2014-06-03 14:50:14 | 欧一人旅20回 ドイツ
5/19 Munich 定刻より早く現地an 17:00 (時差7時間) 搭乗時間11時間半
いつものことながら薬を飲んでも一睡もできない クラシック音楽を聴いて我慢 
Mathiasさん(技術職 もうじき結婚する)のおかげでホテルまで行けそうで最初の不安は減った

同機に仲間もいて機内から出てくるのを待った その人は大曲に出張3週間だったとのこと  
大曲しか行ってないが寿司も刺身も天ぷらも美味しかったと 右:ミュンヘン空港
   
Mathiasさんは空港からタクシーで帰るのでその先輩が一緒に中央駅行のSバーンに乗ってくれた
ミュンヘン空港から中央駅まで遠くて驚いた 片道10.40€ (約1500円)14駅もあった(40分)
車窓は殆んどこんな景色 中央駅が大きくて迷った ミュンヘンは16回目の旅行で2泊した その時
ミュンヘン空港からコペンハーゲン経由で帰国したのだが空港も小さくこんなに遠いと感じなかった
駅DBで[German RailPass 7days2ndClass]にパスポートを見せヴァリデーションスタンプ貰いこれで
また1つクリアー Hゲルマニアは前に泊まったホテルのそばなので見つけるのは簡単だった

最上階の隅っこの部屋は気に入った 帰国前の2泊も同じ部屋にしてもらった 
近くのピザ屋で買ってきたピザ余り美味しくなかった 駅周辺は雰囲気も悪い

5/20(火)München08:14→ 11:02Fulda11:40→ 12:57 Weimar13:41→
14:47Eisenach19:06→ 19:50Weimar

最初の宿探しをどこにするか? とにかく早く着き探してダメなら違う町へ まずはフルダを選んだ
この駅の近くHessischerHofに1994年6月に2泊したのでその時の写真を持参した 
ホームで待つ間に近くにいた青年にフルダかアイゼナハかワイマールのどこを薦めるか?天気が良いし
ヴァルトブルク城には今日行きたいのだが…と言ったらワイマールを薦めてくれた まずアイゼナハで下車し
ヴァルトブルク城に行きそれからワイマールに行ったらいいと でも部屋探しが心配な私は先にワイマールにし
部屋が決まったらアイゼナハに行くことに 列車がアイゼナハに近づくと青年が教えに来てくれたが
ワイマールの部屋探しを先にするというとニッコリ ワイマール駅前の素敵なホテル KeiserinAugsta
2泊朝食付128€ 決まりラッキー すぐアイゼナハへ 
前回はフルダからアイゼナハとワイマールを1日で往復
したのでとても心残りだった 
今回の旅でヴァルトブルク城とワイマールのリストの晩年の家には絶対行きたかった 

左:ミュンヘン朝部屋から5:25 朝食は7時からと言われたので7時に行ったら日本人ツアーが10人以上 
8:14の列車なので急いで済ませ駅へ 何人にも聞いて乗る番線やっと分かった 


ICEフルダまで2時間50分ずーっと後ろ向き座席 静まり返り車窓も単調 フルダで乗り換え 続く→

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20回目の欧州一人旅「ドイツ」1

2014-06-01 21:20:30 | 欧一人旅20回 ドイツ
2014.5.19~5.30(12日間) 
出発までの不安
昨年2013.10.2~9ウィーンへ8日間、2005年以来の欧州一人旅に挑戦した時も
勇気が必要だったが何度も行ったウィーンに滞在するのだからそれほど心配しなかった
パスポートが2017.5まであるので何とかまた挑戦したいといつも考えていたら
羽田~ミュンヘン往復 ルフトハンザ諸経費含め128,080円という安さ キャンセル料即日100%だが
4/27支払 今回は鉄道パスを使い部屋探しをしながらの旅 どこに行くか… スイスにも行きた
かったのだがホテルなど余りに高いので止めることに 滞在数を何日に? 結局ドイツを12日間
ジャ‐マンレイルパス 2等 7日40,700円を購入したのだがそれでもネット検索に振り回され(ホテルの
値段の乱高下の謎…)不安は募るばかり 出発間際まで自信がなくキャンセルしようかと悩んだ 
ドイツは2004年以来行ってないが10回目 滞在日数も多く100ヵ所以上の町を歩いた 
準備
とにかく荷物は最小限に軽く機内持ち込みのみ 重くなる資料を絞るのに時間が掛かった
アイゼナハのヴァルトブルク城のルターが聖書をドイツ語に翻訳した部屋、ワイマールでバッハを忍ぶ…その資料
ミッテンヴァルト、オーバーストドルフ、フィリンゲン、コンスタンツ、シュツットガルト… 鉄道時刻表のドイツ部分は必携
もし病気になったり…何かのため、ドイツ旅行の記録や写真 お守りも毛越寺と大崎八幡を持参

   
眼鏡、セーターや下着 化粧品はほんの少し おせんべい、いちじくと繊維の栄養食品も2袋づつ
実現したコース
19日ミュンヘン1泊→20・21日ワイマール2泊(20日アイゼナハ往復)→22・23日ミッテンヴァルト2泊→24日
オーバーストドルフ1泊→25・26日シュトゥッツガルト2泊(ホルプ・フィリンゲン・チュービンゲン往復)→27・28ミュンヘン2泊

この間にたくさんの人に助けられ楽しい時間を過ごせた もし役立てばと持参したブログアドレスだけの
小さな紙片20枚は、みなさん見たい!と言って大事に仕舞ってくれたり仲間が多い時はコピーすると
言って興味津々、最終日には手書きのものを渡した その人たちがブログを見るためにも今回地名は
なるべくドイツ語表記するつもり(殆んどローマ字読み)このブログを見てくださる方にもその方が良いかと
写真は1000枚位 ピントが合わないのや色の悪いのが多いが記録・思い出として投稿予定

Haneda12:20→17:25Munich
都営大江戸線から浅草線に大門乗り換え羽田国際空港に9時に着いてしまい時間を持て余した



定刻発 真中の写真に富士山写ってま~す 私は通路席希望 隣席のドイツ青年が写してくれた
隣席のMatias32才 大曲に出張で3回目 今回1週間滞在 家はミュンヘンに近いローゼンハイム 
心配だったミュンヘン中央駅までの切符の買い方心配しなくて良いと言われ一安心 


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