今日は、午後2時から3時まで大和駅北口で「アベ9条改憲に反対する3000万署名」を行いました。
その後、中央林間駅で3時から4時まで行います。
お一人、お一人にじっくりお話すると、手を伸ばして署名してくださいます。
今日は、「日本共産党」としての行動ですが、共産党以外でもいくつもの市民団体が取り組んでいます。
どうぞ、どの団体でも署名お寄せください。
今日は、午後2時から3時まで大和駅北口で「アベ9条改憲に反対する3000万署名」を行いました。
その後、中央林間駅で3時から4時まで行います。
お一人、お一人にじっくりお話すると、手を伸ばして署名してくださいます。
今日は、「日本共産党」としての行動ですが、共産党以外でもいくつもの市民団体が取り組んでいます。
どうぞ、どの団体でも署名お寄せください。
12月8日は76年前に太平洋戦争が始まった日です。 二度と再び戦争をしてはならないと毎年、大和母親連絡会が赤紙、召集令状を配りますので私も共産党を代表して参加しました。市内の女性団体から18人の方々が参加し、次々にマイクを握り、安倍内閣の九条改憲を許してはならない。と、話しました。
夜は、先日開かれた共産党の中央委員会の報告を聞く勉強会に参加し、皆さんと意見交換をしました。講師は共産党神奈川県委員会の書記長です。解りやすく活発な意見交換が出来ました。
久しく映画を見ていませんでしたが、どうしてもこれだけは「観たい!」と横浜に出かけました。
京急黄金町の「シネマジャック&ベッティ」は100席ほどの小さな映画館でしたが、中高齢者で満杯でした。
沖縄返還運動に人生をかけた「不屈」の人、瀬長亀次郎さんの闘いを描いた記録映画で、それは、今の「辺野古に新たな基地を作らせない」という「沖縄の島ぐるみの闘い」に脈々と繋がっていることを実感させるものです。 監督はTBSの「筑紫哲也ニュース23」のニュースキャスターだった佐古忠彦さんです。音楽は坂本龍一さん。
沖縄が日本復帰を果たして、沖縄選出の沖縄人民党議員として1期、日本共産党に合流して5期国会議員を務め、内閣総理大臣佐藤栄作との国会論戦の貴重な場面もあり、私もテレビで観たことをおぼえています。その前に那覇市長に選出されて、アメリカの横車で辞めさせられる場面も。すごい闘いです。
私を駆り立てたものは、11月3日の「憲法9条をそのまましっかり守る」の思いです。
自民党アベ政権は、今年中に改憲案を国会に出す予定との報道は、危険極まりないものです。 日本をアメリカと一緒に、本当に戦争させることになる危険性を持っています。 そうさせてはなりません。 そのために何ができるか。
全国の「9条の会」の運動とも呼応して、大和でも「9条守れ、3000万署名」の運動がスタートします。 全力で取り組みます。
議員団の夏休みは、各人が「適宜休む」スタイルです。
世の中は「お盆休み」真っ最中ですが、私達は、4人揃うので、「団会議と終戦記念日直前宣伝」を行いました。
高座渋谷、大和、南林間、中央林間の各駅で訴え。
東京都議選での共産党の躍進、95周年たつ共産党の力・信頼に心寄せていただけること、広島・長崎の原水禁大会、アベ政権の支持率急落、北朝鮮のミサイル攻撃危機打開のために米朝は直接対話を、いつあっても受けて立つ総選挙などなど、戦後72年のいまこそ、政治を変えよう、再び戦争できる国にさせてはならないと其々が訴えました。
(バッテリー不足で写真が撮れませんでした!)
「NHKスペシャル」は、3日間連続以下を放映。 力作。
8月12日(土)「本土空襲・記録」66都市2000回の空襲を発掘映像と機密資料で徹底分析・乱射の瞬間。
8月13日(日)「731部隊の真実」スクープ・肉声の記録なぜ一線を越えた?人体実験とエリート医学者。
8月14日(月)「知らぜらる地上戦」樺太・5000人の犠牲者なぜ?終戦後も戦闘が、悲劇の7日間明らかに」
戦争の不条理、犠牲者は常に庶民、「戦争法」に賛成した議員は見るべき。
あっという間に8月も第2週です。
夫は7日から長崎で行われる「原水爆禁止世界大会・長崎」に参加するために出発をしました。 市民代表とともに、議員団からは高久議員が参加です。
6日の平和記念公園で開かれた広島市主催の平和記念式典で、松井市長は「平和宣言」で、国連で採択された「核兵器禁止条約」にふれ、「廃絶に向けて明確な決意が示された」と評価し、日本政府に対して締結するよう求めました。広島県知事、広島議会議長、国連事務総長(代読)もそろって禁止条約にふれる中で、日本政府として反対した安倍首相は、それにふれることなく、「真に核兵器のない世界を実現するには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要」と述べ、被爆者の願いで実現したこの条約を否定する態度を示しました。
そして、今日、11時06分、72回目の長崎原爆投下の日を迎えました。
以下、田上長崎市長の平和宣言です。
2017年8月9日11時18分
長崎平和宣言を読み上げる長崎市の田上富久市長=9日午前11時4分、長崎市の平和公園、日吉健吾撮影
「ノーモア ヒバクシャ」
この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関(かか)わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。
あの日、原爆の凄(すさ)まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原(やけのはら)となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然(ぼうぜん)と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨(むざん)に狂わせたのです。
世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。
世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。
今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。
被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
2017年(平成29年)8月9日
7月29日(土)10時から戦争を語り(継ぐ会が開かれました。主催は実行委員会(年金者組合・新婦人・青年組織の民青)で、昨年は会場いっぱいの参加者で、狭かったとのことで、今年はイコーザの2部屋でゆっくりお話を伺うことが出来ました。
1部はアニメーション「戦争のつくりかた」、第2部は芦沢康江さんの「現在のこわい状況は、戦前戦中とそっくり」でした。
アニメは、14年も前の2004年につくられたものですが、秘密保護法、安全保障法制、共謀罪などが成立してしまった現在を思わせるものでした。 芦沢さんのお話も「いまの状況は、自身が経験された戦前・戦中にそっくりとのこと。
前日の7月28日には、実行部隊である自衛隊の南スーダンのPKOの自衛隊日報の隠ぺい問題で稲田防衛大臣辞任しましたが、隠ぺいの実態はいまだ明らかにされていません。 辞任で逃げ切れたかに見えますが、どっこい更に追求が必要です。
改めて「共謀罪」廃止に向けての思いを強くしました。 帰りにイコーザ近く「農家カフェ」でランチを頂きました。
例年5月に開催していたピースフェアですが、今年は暑い最中の7月開催となりました。
10時から40もの模擬店など開店、その後ピースウオーク。
11時半からピースセレモニィ―。
実行委員長あいさつ、来賓は厚木爆音第5次訴訟団団長の大波修二さん、神奈川労連、自由党代表、共産党の岡崎ゆたかさん等々。
例年に増して、舞台は色とりどりで、トランペット、マネキンシスターズ、国会オンドク、ソプラノ、神奈川合唱団、湘南竜王太鼓、FMB等々。 舞台の進行、司会は若い面々。
前日は炎天下でのテントのライン引きで熱中症寸前、当日の猛暑を心配しましたが、曇天で途中のお湿りも大歓迎で「天も味方」しました。 「来年は、5月開催を実現するぞー!!」と「打ち上げ会場」で冷たいビールを頂きました。
7月23日に「第29回かながわピースフェア」を大和駅東側プロムナードで開催します。
以下、お隣の綾瀬市議上田博之さんのブログより転載させていただきます。
例年以上の力を込めて、さあ、お祭りだ、お祭りだあ。 みんな、よっといでえ。
以下転載
■大和駅東側プロムナードの使用が不可に
ピースフェアは毎年5月に駅脇のプロムナードで開催してきましたが、昨年大和市議会で一部の保守系議員が、ピースフェアに対し大和市が後援していることを問題視したことが発端となり、第29回ピースフェアに対し大和市は市の後援を認めませんでした。
大和市の運用では、市の後援のない企画はプロムナードの使用ができないとされているため、ピースフェアが開催できない事態となっていました。
■国交省から大和市の運用に対し改善の連絡が
ピースフェア実行委員会は、はたの君枝衆院議員とともに国交省に交渉し、後援名義の有無で占有許可の可否を判断すべきではない、ことを確認しました。
■海老名駅自由通路裁判の勝利判決も大きな力に
駅近の公共空間が、行政サイドにたったイベントでしか利用できないのでは、市民の表現の自由、政治的意見表明の自由が失われてしまいます。
実行委員会はこれを非常に重要な問題ととらえ、裁判に訴える準備を進めながら市と交渉を続けてきました。
その結果、ピースフェアに限り、市長決済でプロムナードの使用許可が下りることになりました。
大きな壁を突破し開催にこぎつけたことは大成果ですが、ピースフェアだけの「特例」では、この問題が解決したことにはなりません。
ひきつづき、プロムナードを市民が自由にイベントを行なえる空間にとりもどすため、力をつくしていかなければなりません。みなさんのお力もお寄せください。
海老名駅自由通路裁判とは
海老名駅の通路で行われたマネキンフラッシュモブという静止パフォーマンスに対し、自由通路での集会やデモなどを禁止する条例に違反しているとして海老名市が禁止命令を出したのは憲法違反などとして命令の取り消しを求めた訴訟で、横浜地裁は3月8日命令を取り消す判決を言い渡しました。海老名市は上告せず、この判決が確定しています。
現在、条例の改善を求める運動がすすめられています。
以上転載
実はこの一週間は、議会は休会です。 来週の6月20~22日の一般質問の答弁書を市側が作成する期間なのです。
骨子はすでに通告し、担当者との打ち合わせを済ませ、議員は、一般質問の原稿を書き上げるのです。
週が明けてみたら大忙し。
18日の国会の会期末を睨んでの「共謀罪」審議の行方に備えて、連日朝の駅頭宣伝を行い、「内心の自由を脅かし、スマホやメールを盗聴する社会、戦前の治安維持法の再来を許してはならない」と訴えました。 また、「国会では自公が絶対多数、皆さんの世論が決め手です」と。
14日から15日未明にかけて、国会は参院の法務委員会の採決は実行されず、本会議で「中間報告」をし、記名投票となりました。
午前1時からNHKが放映するとの事でしたが、結局なし! 自公維新の絶対多数に対して、民・共・社・自の野党4党は、結束して、衆参で内閣不信任案など、あらゆる対策を行いましたが、最終、朝7時半すぎに共謀罪は可決されました。
いても立ってもいられず、15日は桜ヶ丘駅東口で、市民の皆さんに、ビラを配り、「公明党委員長の元で、委員会採決もやらず、異常な禁じ手の中間報告での可決は許されない」訴えました。
昨夜来の余りの異常な国会運営に、駅利用者の皆さんも、「思うところあり。」とビラを受け取って行かれたり、目礼されて行かれました。 いつもと違う雰囲気でした。 「さすがにあれは異常だよ」と。
この怒りを都議選勝利で跳ね返そう、この怒りを皆さんと共有しようと訪問や会議、都議選応援と頑張りすぎて、議会準備に追われている週末ですが、新しい出会いもあり、ルンルンでもあります。
6月18日の国会会期末が迫る中、いても立ってもいられず、「やまと共同行動の会」のメンバーと「私の自由を侵すな 共謀罪no」の国会前集会に参加しました。 12時半中央林間駅集合、国会正門前エリアで2時の開会を待ちました。総勢15人でしたが、「桜が丘駅で、杖をついた男性からビラを受け取り、こんな共謀罪許せない!」と素敵な女性も初参加。 うれしいことです。なんでみんな黙っているのかと怒り爆発とのこと。
会場は、国会議事堂を挟んで4エリアで、最終参加者は1万8千人と発表されました。
同時刻沖縄でも「辺野古新基地建設反対」の集会が持たれていましたが、国会前にはオール沖縄共闘会議の共同代表の赤嶺名護市長はじめ各政党代表が連帯の挨拶をしました。「あきらめないことが、私達群衆の力、国民の力だ」と述べましたが、本当にそうです。 共産党からは笠井亮衆院議員が挨拶し、各野党、市民団体からの連帯の挨拶が続き、3時半に終了、今日はデモはありません。 明日は、澁谷行動があります。なかなか国会に行けず、 議会も始まりと気持ちばかり、焦っていたので思い切っての「参加」でしたが、これでまた力が沸いてきました。 皆さんと一緒に諦めない!! さあ、気持ちを切り替えて、一般質問に全力投球です。
今日は、欲張りなスケジュールをこなしました。
友人の永沼京美さん親子が昨年に続いて出演している「第25回がんばれッ 日本国憲法」劇を見に行き(県立青少年センターホールへ、もみじ坂の坂道を登って!) 今年は、アンフィ二資生堂の解雇問題や海老名駅自由通路のアベ政治は許さないなどのフラッシュモブ問題、森友・教育勅語などなど、永沼さんは、稲田朋美防衛大臣役など。
6時半からの「森友問題の真相を問う!かながわ集会」までの間、横浜公園界隈で行われているフラワーフェスティバルを観ました。
横浜球場では試合が行われていて、歓声が沸き上がっていました。 横浜公園から日本大通り、海岸通り、日本郵船記念館を見て、実は私は議員になる前は、この隣のビル内の日本通運に勤めていたのですが、日本郵船ビルに入ったのは初めてでした。 今は記念館になっています。万国橋を渡って、みなとみらい地区、電車に乗ってやっと県民センターへ。
森友問題の「発見者」大阪・豊中市議の木村真さんのお話を伺いました。 学校建設の工事現場に掲げられた看板への違和感(旧漢字使い、靖国神社の大鳥居の写真、生徒募集の日の丸をデザインしたポスター等)からスタート。
疑惑の焦点は、国有地をめぐる疑惑、学校設立認可をめぐる疑惑。
問題の本質は、いびつな愛国心教育・皇民化教育の学校法人にたいする異常な肩入れ
地元地域の「気になる問題」について調べ、市民と情報を共有し、市民と共に動く」ことをこれからもやっていく。
「森友」的な教育」への警戒・・・幼保でも愛国心教育、道徳の教科化、「教育勅語を教材」も可、処分攻撃、銃剣道の導入などなど。
無所属の3期目の議員で、市民と共にをモット―に、これまでも「情報公開訴訟や刑事告発(背任罪・公文書破棄罪)、宣伝や集会などを行ってきたという「行動派」議員で、貴重なご意見を伺うことが出来ました。 ありがとうございました。