宮応ふみ子のいきいきブログ

厚木基地のある神奈川県大和市の共産党市会議員の8期32年の活動を卒業。一市民として、マイペースで時々の活動を綴ります。 

今週は多くの生活相談が持ち込まれました。

2012年10月25日 | 折々のこと

今週は月曜日から水曜日までの3日間、くぼ議員が総務常任委員会の視察で留守でした。  家庭訪問や控室への来客、メールでの労働相談もあり、「困った時の共産党」として、相談の解決への方向をご一緒にかんがえました。 でも、まだ解決しない問題や手が付けられない問題も抱えていますが・・・。

 事情があって各種税金を滞納してしまい、給与や年金の差し押さえを受け、生活できないという相談が立て続けにありました。
給与を差し押さえる時は、全額ではなく「生活費」は差し押さえてはならないことになっていますが、その「生活費」は一人だと約10万円とのことですが、この金額は「生活保護費」より低いのです。  税金を徴収しても、生活保護費という別の税金で手当てしなければならないとはおかしな話ではないでしょうか。
「払える額」で税滞納を解消していくことを当事者ともっと相談すべきだと思います。 

それでも「忙中閑あり」とばかりに、孫の「大和クン」に会いに行ってきましたし、11月から出産休暇を終え、議員活動に復帰する予定のほりぐち議員の「保育園さがし」の資料を集めたり。

来週月・火・水の3日間、環境建設常任委員会の行政視察に行ってきます。
 
①高知県高知市・・・景観条例、景観計画について
②高知県梼原町・・・自然エネルギーについて
③静岡県静岡市・・・焼却灰のプラズマ溶融について   です。


そして、今日、議会報告「大和市民新聞」11月号の1次校正を出し、今月中に発行の見通しがつきました。

あそうそう、夫・宮応かつゆき13区政策委員長が風邪をひき、発熱でダウンしてしまいました。 私の「健康管理」に問題ありか?
反省・・・。


議会報告と神奈川臨調・領土問題を語る集い・BQ・防災訓練と盛りだくさんの一日

2012年10月22日 | 折々のこと

10月21日午後2時から若葉会自治会館をお借りして、9月議会報告と「神奈川臨調」(原則・県有施設の全面廃止と県補助金の廃止)、尖閣諸島問題など領土問題について大いに語ろうという趣向でした。 参加された皆さんお疲れ様でした。

今日は大忙しで、朝は地域の防災訓練に参加し、新しい起震車に乗り、東日本大震災の7・4の揺れを体験し、本当に恐ろしい思いをしましたが、担当者は「一番リアルな反応でした!」と。 舌をかみそうになりホントに怖かったですが、よい体験しました。

その足で、泉の森デイキャンプ場での「大和民商BQ」まつりに参加し、近隣の議員団と一緒にご挨拶し、参加者と懇談しました。


先週の朝宣伝は大和駅北口2回も!

2012年10月22日 | 政治を語る

先週の朝宣伝は大和駅北口で2回も行いました。
16日は定例で南口にいきましたが、先客がいて北口に回り、18日は、急きょ赤旗新聞が取材に来るというので、雨の場合も考えて大和駅南口で行う事にしましたが、この日も先客がいて北口に回りました。
13区国政委員長の宮応かつゆき氏は「領土問題」「オスプレイ配備やめよ」などなど縦横に語りました。

先週、くぼ議員は16日南林間、17日中央林間、18日つきみ野駅での朝宣伝でしたが、くぼ議員は毎月独自の「くぼ 純です」ニュースをつくっています。 議員団のHPの「くぼ純」ページに掲載していますのでご覧ください。

18日大和駅に取材に見えた赤旗記者は、畑野きみえさんの夫君で、翌日の赤旗新聞の全国版に写真が載りました。(私ちょっと堅すぎ・・・・・)


またもや米兵の女性暴行事件、沖縄の怒り、収まらず

2012年10月18日 | 基地

今月16日未明に沖縄で起きた米兵による女性暴行事件に怒りが収まりません。  いつまで続くぬかるみぞ! 
1995年に米海兵隊員による少女暴行事件が発生し、島ぐるみ抗議行動が繰り広げられてから18年が経ちましたが、この間も多くの事件が発生・繰り返され「沖縄県民が「沖縄は植民地か!?」と怒るのは当然ですし、その怒りを共有し、「もう安保はいらない!」との思いをつよくしています。

今日の朝宣伝では、早速、オスプレイの沖縄配備やこの問題を取り上げ、米軍の横暴と日本政府の無責任さ、これこそが日米安保の実態と糾弾しました。(途中、赤旗新聞の取材がありました。)

13区候補のかつゆきは、朝宣伝終了後食事を済ませ、はたの君枝さんやその他の小選挙区候補者の皆さんと共に横須賀基地への抗議行動に向かいました。 厚木基地抗議などでもそうですが、いつもは基地入り口での抗議行動や要望書の手渡しですが、今回は少佐が対応するとのことで基地内に入るための何とかという証明書を昨日警察に証明書を請求していました。 

暴行事件の2人の米兵は、本国の軍隊に所属し、数日前までは厚木基地で働き、その後沖縄入りし事件当日に帰国する予定だったそうです。 旅の恥はかき捨て、沖縄なら何でもありとでも思っているのでしょうか、厳重に処するべきです。



日吉台地下壕見学会に参加

2012年10月17日 | 平和、憲法,

憲法9条やまとの会主催の「日吉地下壕見学会」に参加しました。
約30名の参加で久しぶりにお会いする方も何人かいらっしゃいました。

 初めて「日吉駅」に降りましたが、駅前すぐに慶応義塾大学の立派なポプラ並木がデーンとあるのにはビックリでしたが、東急電鉄が沿線に色々な大学を誘致し、日吉の慶応大学46万m(14万坪)の半分は東急の寄付だったそうです。

 この地下壕には大和市平和推進事業の一環として見学会をおこなったこともありましたが、私は未参加でしたので、今回は絶好のチャンスとばかりの参加です。

太平洋戦争の末期、1944年3月、学徒出陣で学生のいなくなった慶応義塾の校舎に海軍司令部が置かれ、サイパン島陥落後の1944年7月に日吉で巨大地下壕の建設がはじまったとのことです。 

高校生がプレーするテニスコート横から、いよいよ懐中電灯を持って地下壕に入ります。 40センチのコンクリートで覆われ、常時17度くらいの温度、排水設備も整い、縦横に伸びた広大な地下壕は作戦司令部として実際に使われていたのです。 実際には使われなかった松代大本営の地下壕とは異なりしっかり整備されていると感じました。

近くの日吉台小学校では、毎年6年生がここ自分の街の戦争遺跡を見学・学習するそうです。 頂いたパンフレットも小学生にも解るように書かれいました。

このような戦争遺跡は国や自治体がしっかり管理保存し、後世に伝える責任があるのではないでしょうか。
今は、慶応義塾と市民ボランティアに支えられているのです。
今日、ご案内頂い日吉台地下壕保存会の皆さん、ありがとうございました。


甘利明・自民政調会長 奇妙な法定闘争の理由は

2012年10月17日 | 脱原発

一面トップで山中伸弥京大教授のノーベル賞受賞を報道する10月9日付の赤旗新聞14面に 自民政調会長に就任したばかりの甘利明議員の記事が載っていました。


「自民・甘利政調会長VSテレ東  原発問題追及され、番組途中退席」 「国民に知られることなく奇妙な法廷闘争が行われています。」で始まる記事です。 名誉棄損と訴えているのは甘利議員です、お読みください。


詳しく調べた綾瀬市会議員・上田博之さんブログより―――

今現在進行形で、自民党の政調会長である甘利明衆院議員とテレビ東京のあいだで裁判が行われていることをご存知ですか?

 上の記事はその裁判を伝えるしんぶん「赤旗」の記事です(10月9日付)。裁判の経過は、その記事をご覧ください(このブログ欄の下部に全文掲載)。

 私は、この裁判のことを知り、先日、東京地裁に出向き、この裁判記録を閲覧し、その一部を転記してきました。
 その記録を読むと、テレビ東京の記者が、経済産業大臣の職にたずさわりながら、原発行政についてあまりに無責任な甘利議員の態度に憤慨していることがよくわかりました。

 たとえば、次の記者の証言をご覧ください。この部分は、しんぶん「赤旗」には載っていません。

「福島第一原発の事故は、これは私(=甘利)に責任を押し付けるようなものだと、私には責任はないと、はっきりおっしゃいました。
当時の質問主意書と、またその答弁書の扱いについては、閣議前のわずか2分程度閣僚から説明を受けるだけだと。
そこで話なんて分かるわけないじゃないかと。 ましてや大臣にそんな権限はないだろうと。 全ては安全の指針を作るのは内閣府の原子力安全委員会であって、経済産業省はその指示を受けて伝えているだけだと。

なんでそれに俺に責任があるんだと。 この責任をまた押し付けられたら、私はどうなると。 私の政治生命は終わると。 さらに、私には家族がいる、そして事務所スタッフもいると、そんなものを放送されたらたまらないと。
それで、一連のとにかく私には責任はないというようなことをおっしゃっていて、最後にはもう日本なんてどうだっていいと、今冷静に原発の議論なんかできないんだと。
こう言って、私に恫喝口調で言ってきて、とにかく責任はない、放送は認めない。テープを消せといった話で一貫していました」

「こういう人が原発行政のトップを担っていたんだということを感じた時には、大変許せない気持ちになりました」

「甘利議員は原発行政のトップである経済産業大臣を三期務めた有力議員です。
そしてご自身も原発を推進してきたお考えの方です。 そして大臣時代に外部電源と内部電源を失った時にどうなるかと、原子炉を冷やせなくなると、そうなった時には核燃料棒が焼けてしまって大変な事態が起こるんじゃないかと、それについて評価しているかと、そういった指摘が大臣時代になされている訳です。

それがこの問題の質問主意書です。 それについて、そう起こらないよう努力してると閣僚としてサインして答弁してる訳です。
そういったお立場の方から、この事故をどう見るのかと。
結局、事故は起きた訳です。同じように電源を喪失して同じようにバーンアウトするような大事故が起きた訳です。
それについて率直に、当時そういう指摘があったにもかかわらず、どう思うのかということをたずねて、それについて責任を持って答えてくれるものだと思っていたのですが、インタビューを一方的に中断し、そんなものは認めないと、俺に責任はないと、俺に責任を押し付けるような取材だと、放送は認めない、テープを消せといったお話をされると。
無責任きわまりないと、私はそう思いました」

◆自民・甘利政調会長が、テレビの取材でブチ切れ“取材テープ消せ”“もう日本なんてどうだっていい・・・”!? で記しました裁判記録の書き写しを、資料としてここにアップします。今回は“その1”ですが、機会があれば“その2”も報告できるように取材してきます。

●1●
 2011年5月17日午後1時半から、衆議院議員会館においてテレビ東京が甘利明氏にインタビューを行いました。 
 インタビューの途中で別室に移動した甘利氏は、記者を呼び、インタビューを放送しないように要求したのですが、以下は、そのときのやり取りです。
 裁判資料・乙第7号証・p20下~p21より

甘利「とにかく暗がりでよく分からない上、うる覚えで言った言葉をカメラでしっかり撮っていたじゃないか。それを消せと言っている。消さないと放送するに決まっている。流されたら大変なことになる。あなたも一回そういう目にあった方がよい。誹謗中傷にさらされることがどんなに辛いか」

阿部「まだ取材の最中であり、どこをどうするのかなどは何も決まっていない」

甘利「私には肖像権がある。取材を受けた人間が流すなと言っている。放送は認められない」

阿部「いったん引き取らせていただきたい。局に戻って検討する」

甘利「引き取るって言ったって、どうせ流すんだろう。流さないと番組が成立しないじゃないか」

阿部「流すかどうか決めてないが、仮に流さなくても前半の原子力の利点や功罪について聞いた部分などは使わせていただけるんじゃないかと思う」

甘利「何度も言うが、原子力安全委員会が安全基準を決める。彼らが決めた基準を経済産業省は事業者に伝えるだけ。安全委員会は地震や津波の原子力のプロが集まってる組織。そこが決めてるんだ。大臣なんて細かいことなんて分かるはずないし、そんな権限がないことくらい君も分かってるだろう。答弁書だって閣議前の2分間かそこらで説明を受けるだけだ。原発も全部止まる。企業はどんどん海外へ出て行く。もう日本は終わりだ。落ちるところまで落ちればよい。マスコミだって同じだ。おたくも潰れないと分からないんだ。もう私の知ったことではない

阿部「この後、塩崎先生のインタビューの時間が迫っている。いずれにせよ、この扱いは私ひとりでは判断できないので戻って検討したい。そこで必ず連絡する」


●2●
8月28日に行われた公判での本人調書 テレビ東京○○○○氏 (本人調書p6~p9半)

――甘利議員はインタビュー申し込みの際、本件質問主意書について聞くとは言われてなかったという不満を述べているんですけれども、普通、インタビューにおいてどの資料を見せるとかそういったことは事前に話しておくものですか――

記者「通常、この報道の取材ではありません。これまでの原発政策ということについて聞くと言ってる時点で、それはもう十分含まれているものだと思います」

――次に甘利議員がインタビューを中断させたあとのことを聞きます。甘利議員がインタビューを中断して執務室に入ったあとどうなりましたか――

記者「執務室から私に一人だけ来るようにということで呼び入れました」

――あなたが執務室に入ると甘利議員はまずあなたに何かさせましたか――

記者「甘利議員の胸についているピンマイクを外して、この電源を切れということで私に指示しました」

――甘利議員は何のためにそのようなことをあなたにさせたのでしょうか――

記者「やはり録音されるとまずい、それが収録されるとまずい、ということを思ってマイクの電源を切らせたのだと思います」

――あなたは甘利議員からマイクの電源を切るように言われて、これから甘利議員がどのような話をすると思いましたか――

記者「恐らく都合の悪い話をされるんだなと。人に聞かれてまずい話をするんだなと。もちろんそれは当然録音されてはいけない、放送もされたくないという趣旨の話をするんだということで嫌な予感がしました」

――マイクを切らせたあと、甘利議員はあなたに対して何と言いましたか――

記者「まず、これは私を陥れるための取材だと。これは放送は認めないと。テープを消せというふうに言ってきました」

――甘利議員はどのような口調でしたか――

記者「極めて厳しい口調でした。私の方を睨んで、まさに恫喝と言っても言い過ぎではないと思います」

――それに対しあなたは何と答えたんですか――

記者「もちろんそんなことはできませんと答えました」

――甘利議員はテープを消すことを求める理由について、どのように言っていましたか――

記者「つまり、これはもう私に責任を押し付けるものだと、こんなものが放送されたら私はかなわないと、私には責任はないと、だから認めないと、放送は認めない、だからテープを消せと言ってきました」

――執務室のあなたと甘利議員とのやりとりは何分程度続いたのですか――

記者「30分から40分程度続きました」

――その間、甘利議員はあなたに対してどういうことを言ってきたんですか――

記者「つまり、福島第一原発の事故は、これは私に責任を押し付けるようなものだと、私には責任はないと、はっきりおっしゃいました。当時の質問主意書と、またその答弁書の扱いについては、閣議前のわずか2分程度閣僚から説明を受けるだけだと。そこで話なんて分かるわけないじゃないかと。ましてや大臣にそんな権限はないだろうと。全ては安全の指針を作るのは内閣府の原子力安全委員会であって、経済産業省はその指示を受けて伝えているだけだと。なんでそれに俺に責任があるんだと。この責任をまた押し付けられたら、私はどうなると。私の政治生命は終わると。さらに、私には家族がいる、そして事務所スタッフもいると、そんなものを放送されたらたまらないと。それで、一連のとにかく私には責任はないというようなことをおっしゃっていて、最後にはもう日本なんてどうだっていいと、今冷静に原発の議論なんかできないんだと。こう言って、私に恫喝口調で言ってきて、とにかく責任はない、放送は認めない。テープを消せといった話で一貫していました」

――この時、甘利議員はあなたが本件質問主意書をインタビューの際に持参していたことについて何か言っていましたか――

記者「言っていません。あ、持参したことですか」

――はい――

記者「持参したことについては言っていました」

――どういうふうに言っていました――

記者「もう最初から私を貶めるために仕組んだインタビューだろという話をしてきました」

――あなたが本件質問主意書を示したのは、甘利議員を貶めるためだったんですか――

記者「まったくそんなことはありません」

――あなたは本件質問主意書についての意見を聞くことが、甘利議員を貶めることにつながると思いますか――

記者「いえ、もう責任を持って答えていただけると思っていましたし、なぜ甘利さんがそう思うのか理解できません」

――あなたは最初から本件質問主意書を甘利議員に示そうと考えて、この質問主意書を持参したんですか――

記者「いえ、話の流れで質問主意書を見せることはあるだろうなとは思っていました。そのインタビューの前には共産党の吉井議員にインタビューしていますし、そのあとには塩崎議員のインタビューを控えていました。当然、誰に見せるか分からないので持っていたということもあります。それに聞くことはたくさんありましたので、その他の資料もたくさん持っていました」

――執務室のことに話を戻しますけれども、執務室での甘利議員の発言を聞いてあなたはどう思いましたか――

記者「政治家ですけれども、本当に無責任だなと憤りを覚えました」


●3●
8月28日に行われた公判での本人調書 テレビ東京○○○○氏 (本人調書p9半~p10)

――あなたは福島第一原発の被災地を訪れたことがあるのですよね――

記者「はい」

――それらの方たち、その被災地の方との関係ではどういうふうに思いましたか――

記者「被災地の方々、特に福島では数万人の方が家やふるさとをなくしているような状態に追いやられていると。そういう方たちは、国が、つまり政治が安全を担保してくれているから、原発を受け入れたんだと。にもかかわらず、こんな状態になってしまったんだと。私たちのふるさとはどうすれば良いんだという声を直前に聞いてる訳です。ですからその人たちの気持ちを思うと、こういう人が原発行政のトップを担っていたんだということを感じた時には、大変許せない気持ちになりました」

――具体的に甘利議員のどのような態度が政治家として無責任だと感じたんですか――

記者「甘利議員は原発行政のトップである経済産業大臣を三期務めた有力議員です。そしてご自身も原発を推進してきたお考えの方です。そして大臣時代に外部電源と内部電源を失った時にどうなるかと、原子炉を冷やせなくなると、そうなった時には核燃料棒が焼けてしまって大変な事態が起こるんじゃないかと、それについて評価しているかと、そういった指摘が大臣時代になされている訳です。それがこの問題の質問主意書です。それについて、そう起こらないよう努力してると閣僚としてサインして答弁してる訳です。そういったお立場の方から、この事故をどう見るのかと。結局、事故は起きた訳です。同じように電源を喪失して同じようにバーンアウトするような大事故が起きた訳です。それについて率直に、当時そういう指摘があったにもかかわらず、どう思うのかということをたずねて、それについて責任を持って答えてくれるものだと思っていたのですが、インタビューを一方的に中断し、そんなものは認めないと、俺に責任はないと、俺に責任を押し付けるような取材だと、放送は認めない、テープを消せといったお話をされると。無責任きわまりないと、私はそう思いました」

 


日本共産党はやる気・本気です。 第5回中央委員会総会が開かれました。

2012年10月16日 | 政治を語る

10月14~15日の二日間、東京・代々木の中央委員会本部で第5回中央委員会総会が開かれました。 インターネットでのライブやビデオ、DVD作成など一刻も早く全党に徹底し、国会の解散総選挙で、もっと民意が生かされる国会を創り、国民主権の日本をつくりたいと切に望みます。

全国で650万票の支持を得て、衆院議員を現有9議席から、倍の18議席にしたいと打ち出し、単なる「前進」ではなく、「衝撃的な前進を」を目指そうと目標が提案されました。 

3年前、 新自由主義の格差拡大の自公政権はもうイヤダと「政権交代」を望んでの「民主党政権誕生。」
しかし、この3年間の結果は、マニュフェスト投げ出しの「自民党より自民党的な民主党。」 たしか、「これで二大政党時代到来」と言われても、今ほど政党が増えた時はないという皮肉。
それでは「自民党」に戻るのか?!

 国民の皆さんの模索はどこへいくのか。 その選択肢に「共産党」を。

ウーン、今のやり方ではそれは至難のワザ、 大いなる自己変革が求められています。 
13区候補者である夫・「宮応 かつゆき」とともに、共産党議員としての私の決意と資質も問われています。 


ラジオ体操初めて2か月が経ちました。

2012年10月15日 | 議会

 8月中旬から始めて、今は10月中旬ですから約2か月が経ちました。 なかなか快調です。

 先日の「新婦人新聞」の1面にも「ラジオ体操」の効能が書かれた記事があり、ウンウンと頷きながら読んでおりました。
 週に2~3回の参加ですが、寒くなっても続けたいと思っています。 心成しか体も締まってき、体重もわずかに減ったようです。(夫は首を傾げています)

 「体を前に倒して・・・」とやっていると8月には、目の前に蝉の抜け殻があったりしましたが、今はカサコソと枯葉が舞っているのをみると季節感じます。

大体自分の位置が決まっていて、周りの方にご挨拶するのも気持ち良いもので、一石三鳥です。


市議会報告と尖閣・竹島・領土問題を考える集いを行います。

2012年10月13日 | 政治を語る

9月議会が終わって、ニュースや市民新聞の作成に追われています。
それと並行して各ブロックで議会報告と領土問題・神奈川臨調を考える集いを開いています。 既に10月6日に「高久地域」、7日には上和田団地など南部の「ほりぐち地域」で行いました。

宮応地域では  日 時     10月 21日 (日)   午後2時 ~4時
          会 場      柳橋4丁目  若葉会自治会館

               どなたでも参加できます。
               また、相談ごとなどありましたら、御遠慮なくどうぞ

               連絡先   宮應 ふみ子  携帯 : 090-5576-2387    


はたの君枝さんを乗せて共産党キャラバンカーが大和入り。

2012年10月13日 | 政治を語る

神奈川県内をくまなく回って共産党の政策を訴える「全県キャラバンカー」が13区入りしました。 

相模原市内を回って午後2時半に座間の小田急相模原駅で再選を果たした守屋座間市議、次に中央林間駅、大和駅は私が受け持ち、 両駅頭では比例代表予定候補のはたの君枝さんと小選挙区神奈川13区予定候補の宮應かつゆきさんが其々消費税、領土問題、脱原発などの共産党の政策を訴えました。

13区宮應かつゆき予定候補は時間の許す限り、駅頭に立って、ハンドマイクを握っていますが、駅頭宣伝も熾烈を極めています。 大和駅では3陣営が「激突」します。(今からこれでは先が思いやられます。)

はたの君枝さんは「比例南関東ブロック」ですから、神奈川、山梨、千葉の3県を飛び回って「今度こそ!」の意気込みです。

それにつけても、政治への不信、閉塞状況は異常です、一刻も早く国民の信を問うことが必要ではないでしょうか。


第8回 松風園まつりに参加しました

2012年10月13日 | 福祉

好天に恵まれて第8回 松風園まつりが開催され、夫の宮応かつゆきと一緒に参加しました。 南林間に寄ったり、パーキングを探していたりで少し遅くなって園に到着すると「来賓紹介」をやっていましたので、急いで受付を済ませ、遅れて「来賓紹介」を受けました。

このお祭りは、「地域の皆さんに支えられている」感が強くあり、いつも楽しく参加させていただいています。 まず、お豆腐プリンを二つ、パン、傘、ランチボックス、一人ほっこり鍋などを購入し、大和の障碍福祉について知りたいという宮応かつゆきがぜひ視察したいというので後日お願いをすることにしました。 


ほのかちゃんのお祝に行ってきました。

2012年10月12日 | 折々のこと

9時から産休中の堀口議員の代わりに「議会報編集委員会」に参加し、週末の仕事をこなし、生活相談の電話を済ませ、今日は午後堀口議員宅を訪問しました。

上和田団地の5階です、ふうふう言いながらたどり着き、これでは重たくなったほのかちゃんを抱いて、買い物を持っての帰宅は大変でしょう、まっ、若いから大丈夫か、母は強しです。

母乳はタップリ出るようで、ほのかちゃんがむせるほどで、日中の母子だけの生活は大変で時々夫さんが早めに帰宅するようです。 条件が許せばそのような勤務にすることは必要ですね。 また、色々な方がほのかちゃんの誕生を喜び、援助を申し出てくれているそうで、ぜひ皆さんの力を借りるといいですね。

そろそろ、保育園探しや復帰へのウォーミングアップの準備も必要ではとの話もしました。


1日から議会活性化に関わっての議運の視察です。

2012年10月03日 | 議会

10月1日は、熊本県合志市、ここは2008年から9月決算時に行政事業評価を議会も巻き込んで行い、来年度予算に反映させるシステムを試行し、2009年から本格実施しています。 常任委員会を中心に施策評価を行い、その結果を市長に提出し、意見書を受けた執行部は議会の意見を新年度予算に反映させるというものです。 試行錯誤のシステムづくりでどうやったのか質問すると、コンサルタントに当初3年間で4千万円で依頼したとのことでした。 大和市も事業評価を行っていますが、行政側が自らを評価するものです。 合志市のことは今年のガバナンス4月号に掲載されています。 中々のもので「目からウロコ」でした。

10月2日は佐賀県鳥栖市へ。ここでは「議会基本条例の制定について」を視察しました。
ここの議会基本条例では、「政策提言」の項があり、「議会は、決議等による議会意思の表明により、市長等に対し、積極的に政策提言を行うものとする」と第15条に定めています。

10月3日は佐賀県嬉野市で、ここでも「議会基本条例と議会改革の取り組みを伺いました。
ここの特徴は、18人の議員は会派をつくらず、全議員が議会活性化特別委員会と議会広報編集特別委員会に属し、議会改革や議会だよりに関する視察には議員が全部対応しているとのことで、とりわけ昨年度の議会改革ランキングで3位になったそうです。(日経グローカル誌)
 議会改革もさることながら、議会だよりも全部議員が作成しているとのことでそちらにも興味がわきました。 また、視察での来場者には、必ず嬉野市内(嬉野温泉)に宿泊することをお願いしているとのことで、私たちも温泉宿に宿泊しました。 これも経済対策とのことです。
こういう手もあるか・・・・。

 


ブログランキングに登録しています。よろしかったら、↓のボタンをクリックしてください

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村