Good Frlend!(motovlog)

個人の好きなことを書くブログです。

オートバイを買ったはいいけど…。(番外編vol.2146)

2018-02-15 10:22:30 | 日記

何となく趣味を探してバイクにたどり着いた人、周りの影響でバイクに乗り出した人、

人それぞれバイクに乗り始めたキッカケは様々だと思いますが、

こう言った思い入れが薄い人の場合、最初はちょっと乗ってみたり、触ったり磨いてみたりするのですが、

直ぐに飽きてしまい乗らなくなるケースって意外と多いです。

結局、バイクを買っては見たもののハマりきらないうちに飽きてしまう。

そうゆう人は、本当のバイクの「楽しさを知らない」うちにバイクから離れてしまう残念なパターンだと思います。

そうならないよう、ボクが思う「バイク愛」を持続する方法は2つ。

1つは共有する「仲間」を作ること。

そしてもう1つは「変化」を与えることです。

要するに「仲間と変化」です。(笑)

親しい友達が側にいる場合は、その仲間同士でツーリングクラブを作って定期的にツーリングなどの

イベントを行うことがオススメです。

逆にそういった仲間がいない場合は、購入したバイクショップなどに顔を出して、

そこで仲間を作る、またはSNSを使って近いエリアで活動してるクラブに積極的に入る。

とりあえず1人でいるのではなく「バイク仲間」を作ることが重要です。

そしてもう一つの「変化」を与えるですが、

ただ、バイクに乗るや整備するだけでは、そのうちそれ自体に飽きてしまい、

バイクから離れてしまいがちです、なので例えばパーツを月に1つずつ購入し、

バイクに変化をもたらすことが有効だったりします。

ミラー1つ交換しただけで、俄然乗り気が湧いて新鮮な気持ちになれます。

ボクが言う「変化」とはそうゆうことです。

バイクで「モチベーションを保つ」ことは意外と難しく何らかの行為を継続しないと長続きしません。

結局、バイクって「物欲」のものですから色々カスタムすることは、かなり有効なんですよね。(笑)

この2つをキープすることで、より楽しいバイクライフを長く続ける事が出来ます。

少しの「勇気」と少しの「投資」で楽しさが倍増するんですよね!(笑)








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オートバイの運転、根性と技術。(番外編vol.2145)

2018-02-14 10:53:41 | 日記

オートバイでスピードを出すことは「恐怖」との戦いみたいなところがありますよね。

直線もそうだし、コーナーともなると「ビビリミッター」が効きまくります。(笑)

でも、少しでも「速く走りたい」気持ちはどこかある。

誰にも悟られない様に涼しい顔をしながら、心の底では思いっきり「恐怖」と戦ってる。

そんな場面を繰り返しませんか。(笑)

スピードに関しては、最初からガンガン飛ばすことは危険ですし、その前にとにかく「怖い」はず。

これはオートバイの乗りの嵯峨(さが)の様なものです。

とにかく最初は誰でも怖い。

逆に慣れていても、一つコントロールを間違えると「ドキっ」とする場面がよくあります。

それを少しでも克服、もしくは上達したい気持ちがある人は、

どうすればいいのか?ちょっと知りたいと思いませんか?

ボクが知ってる要因の1つとして、自分とバイクの「限界」を知ることが肝心だったりします。

誰だって「ここまでならイケる!」と最初から分かっていればクリア出来ますよね。

でも、それがどこまでなのか?よく分からないのが現状だとすると、

それを探る方法として最適なのは、やはり「サーキット」です。

1度でもサーキットを走ると、全てにおいて自分とバイクのことがよく分かります。

自分の欠点、バイクの欠点が、走れば走るほど分かってきます。

また、スピードに対する恐怖心も変わってきます。

30分も走れば、100kmが徐行してる様な感じになるんですよね。

要するにスピードに対して「感覚が慣れてくれる」訳です。

こうなってくると必然的に「ビビリミッター」は上がりコーナースピードも上がってきます。

さあ、ここがスタートラインです。(笑)

安定させて走る・曲がるのテクニックはその状態から学びます。

軸足のニーグリップ、体重移動と体勢の確保。

ブレーキングのタイミングとバンク角の調整。

最速で走れるライン取り。

感覚的に行っていた乗り方が「理論的」な乗り方に変わってきます。

すると、全てにおいて「根性」で走っていたものが「技術」に変わっていくんですよね。

確実に「恐怖心」はなくなっていきますよ!(笑)












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オートバイ事故と免許のあり方。(番外編vol.2144)

2018-02-13 10:58:00 | 日記

この前、ボクの知り合いがバイクで事故を起こし足の骨を折って入院してしまいました。

彼の場合、乗ってたバイクはハーレーのソフテイル系で排気量は1.700ccモデル。

去年、中古で購入したばかりの結構「高額なバイク」です。

で、事故の原因は路面の凍結。

スリップして転倒したんですよね。

バイクはガードレールに刺さって、修理代は100万円以上かかるとのこと。

本人は転倒した時にバイクに足を挟まれ骨折、それ以外にも打撲多数という状態です。

命に別状はなかったのですが、2ヶ月の入院を余儀なくされています。

その事故を起こした知り合いは去年、突然バイクに目覚め初めてバイクを購入した超ビギナー。

それまでほとんどバイクに乗ったことがない人だったのですが、

初めてのバイクがハーレーで、しかも超カスタム仕様。

ボクも購入まもない頃、1度運転させてもらったことがあるのですが、クラッチが足で行うジョッキシフトで、

リアサスペンションはほとんどリジットの状態、思った以上にパワーがあってとにかく乗りにくいバイクでした。

今更ですが正直、最初から初心者が乗りるには余りに「無謀」な感がありましたね。

とにかく上手くコントロールすることが困難で、いつ事故を起こしても不思議じゃなかっただと思います。

本人はゆっくり乗るから「大丈夫」と言っていましたが、

結局、事故を起こしてしまった。

特に不慣れであれば、起こす時には事故は起こると言うことです。

まだ慣れていないライダーの場合「パワーがあって重い大型バイク」は持て余し気味になることは確実です。

そのことを、あらためて実感してしまいます。

以前にも書きましたが、問題は「運転免許の取り方」にある気がします。

今は年齢が高ければ、クルマの免許しか持っていない人が「突然」大型バイクの免許を教習所で取得することが出来ます。

簡単に免許は手に入るんですよね。

ボクは、ここに問題がある気がするんです。

ボクの個人的な考えですが、大型バイクの場合「大型免許と限定解除」の2つに分けた方がいい気がします。

大型免許は教習所で取得出来るけど、上限として900cc以下で100ps以下に限る。

それ以上は、以前の様に限定解除とする訳です。

大型免許も段階を設けることで、初心者が突然、とてつもないバイクに乗れない様にすること。

これで全てが解決する訳ではないけど、危険性が下がることは間違い無いです。

さらに10年以上バイクに乗っていなかった場合、更新するための教習を受ける義務を設けることもあった方がいい気がします。

特に大型免許に関してはそうするべきだと思います。

手軽がゆえに安全性に問題が発生する現状は、事故を誘発してる事と同じですから。

今一度、この事を、よく考えるべきだとボクは思っちゃいますね!(笑)









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シティーバイクの需要が低迷。(番外編vol.2143)

2018-02-11 00:11:33 | 日記

今、いわゆる「街乗り用」としてオートバイに乗る人が「激減」しています。

全国統計でも10年前に比べ、全体で30%近く減ってるとのこと。

結局はバイク好きのオーナーが、オートバイに求めるニーズはあくまで「ツーリング」にあるとされてるんですね。

普段の「通勤や市街地での移動」にバイクは使わない。

昔に比べ、代わりに自転車かバスや電車などの公共機関を利用してることになります。

街乗りを考えると、スクーターを含め50ccから250ccあたりがその「中核」を締めると思われますが、

既に250ccクラスは「ツーリング」に使われる傾向で、気軽ながら普段の足にはなっていない訳です。

もしかすると125ccクラスすら、そうなのかもしれません。

80年代から90年代にかけては、学生や若いサラリーマンを中心にスクーターが多く利用されていましたが、

そのニーズはすっかり取って代わってしまい、今は「自転車」なんですね。

ちまたで「高級で高性能」な自転車が大流行していることはよく知っていますが、

その影響は少なからずオートバイと直結してる事になります。

ある意味、時代が変わったと言う事ですが、

逆に、スクーターや125ccクラスのバイクが「高額」になったことも大きな要因な気がします。

今じゃ、ちょっとマシな50ccのスクーターでも「20万円以上」出さないと買えない時代です。

昔なら、そこそこ良いスクーターでも15万円以内で買えていました。

20年前と給料はほとんど変わらないのに物価ばかりが上がってる。

このことは日本人の誰もが感じてることだと思います。

250ccクラスのオートバイでもよく売れるのはスポーツバイクだけで、シティーバイクはほとんど売れていませんし、

メーカーも売れないことから廃盤化される傾向です。

生き残ってるバイクはごくわずかで、買う側かららしても選びしろがない。

悪い連鎖が蔓延してて、このままだとシティーバイクは存在自体がなくなってしまう可能性にあります。

日常の足としてバイクには乗らない。

この意識は、バイク全体に大きく影響を及ぼすこととなり、販売店も存続の危機に立たされてしまいます。

本来、たくさん売れるバイクは手軽なものじゃないといけません。

価格もそう、使い道もそう。

ツーリングライダーが増えることは、大いに大歓迎ですが、

バイクが「趣味だけ」のものになると、本当に意味での「将来安泰」とは言えませんよね!(笑)





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200万円を超えるバイクを安いと言うか?高いと言うか?(番外編vol.2142)

2018-02-10 12:31:50 | 日記

現在、大型バイクでもフラッグシップレベルとなると、軒並み「200万円」を超える価格帯となっています。

確かに「スペックや性能」を見れば、それぐらいはしてもおかしくないとも思うのですが、

ただ乗るだけで「実用性」の無いバイクにそれだけのお金をつぎ込むと言うのは、よっぽどとも思えます。

趣味にどれだけ費やすか? は人それぞれの主観や経済力、はたまた家庭事情の問題が大きく影響します。

バイク仲間ともバイクの「価格」についてよく話ますが、

人によって見方や考え方が違ったりします。

ある人は、趣味だけで「200万円」を超えるバイクを買うなんて考えられないって人も入れは、

フェラーリ並みの性能を「200万円」で買えるなら安いものだ!って言う人も。

根本的な「発想」が違うんですね。

正直、ボク個人の意見としては「200万円」出してバイクを買うことは「高い」と思っています。(笑)

仮に、ボクにとって欲しいバイクがそれだけするとしても、妄想するだけで多分無理して買おうとは思いません。

やはりどう解釈しても「200万円」って金額は高いです。

これは個人的な感覚ではありますが、まぁ出して「100万円」までかなぁ。

でも、ノーマルを嫌うボクとしては、それ以降に「カスタム代」として数十万円出すかもしれませんけどね。(笑)

結局は、人それぞれの「主観」の問題と言うことです。

どうしても欲しいと思えば「200万円」以上するバイクでも買う人は買うでしょうし、

買わない人は買わない。

この差は「バイク愛」と比例してる訳ではなく、あくまで「価値観」の違いだと思います。

バイクは大好きだけど、欲しいバイクが「最高峰とか最新とか高性能」を求めているんじゃ無いって人は、

適度な価格でバイクを買うでしょうし、

とにかく「優越感や最新またはステータス」を優先する人はいくらしようが欲しいバイクを買うでしょう。

もちろん欲しいだけでは済まない、経済力や、家庭事情も含まれます。

あなたにとって、欲しいオートバイを買うことに関して「200万円」と言う予算は「安い」と考えますが?

それとも「高い」と考えますか?(笑)










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MotoGPで、シリーズチャンピオンになったことがないのはカワサキだけ。(番外編vol.2141)

2018-02-09 10:24:29 | 日記

ボク、この事実に気がつくことがなかったのですが、

よくよく考えて見ると70年代に「WGP500」に参戦していたことがあるカワサキ。

しかし、1つのレースで優勝したことはあっても「シリーズチャンピオン」になったことはありませんでした。

他、ホンダ、スズキ、ヤマハチームに関しては、何度もワールドチャンピオンを排出していますし、

何度もチームとして「シリーズチャンピオン」になっていますよね。

また、4スト到来で新たに参戦した「MotoGP」に関しても「シリーズチャンピオン」になることなく、

現在は撤退してしまっています。

一体何ででしょうね。(笑)

2スト時代の「WGP」で勝てなかったことは、カワサキ自体が2ストに弱いことや開発力の問題だとはっきり分かるのですが、

4ストとなった「MotoGP」で大した成績を残せなかったことは、ちょっと不思議です。

大型バイクのカワサキ、市販車では抜群のマシンを排出していますし、

市販レースの「WSB-ワールドスーパーバイク選手権」では、何度も「シリーズチャンピオン」に輝いています。

しかし「MotoGP」では勝てない。

これも結局は開発力の問題なのか?レースに使う予算が少ないのか?

はたまた、優秀なライダーを引き込む事が出来なかったのか?

謎は多いです。(笑)

ただ、繰り返しますが、はっきりしてるのは「MotoGP」以外ではしっかり結果を残してる事です。

これは間違いない事実なので、決してマシンが遅い訳ではない。

やはり「MotoGP」の様な「最高峰のレベル」になるとそれも通用しなくて「開発力」の問題ということなでしょうか。

カワサキだって決してレースに力を入れていない訳ではない。

しかし「MotoGP」で「シリーズチャンピオン」になったことはない。

巷では、諸説言われていますが、結局のところは「謎」ですね!(笑)






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世間でのオートバイ認知はとても低い。(番外編vol.2140)

2018-02-07 10:09:42 | 日記

オートバイに乗ってる「バイク好き」からすれば、オートバイってあくまで「大人の趣味」であり、

自由を仲間と分かち合う「楽しい乗り物」と思っていますが、

オートバイを全く知らない世間一般の人からすれば、結局どんなバイクに乗っていようが、

全て「同じに見られている」ことが分かります。

例えば、危険な乗り方をしてる人、交通ルールを守らず迷惑をかけてる人、団体であることをいいことに威圧的な行動をとる人。

我が物顔で休憩所やパーキングエリアなどで横柄な態度をとってるヤカラな人たち。

結局、そうじゃないセイフティーなライダーも世間からすれば、そうゆう人と「同じ仲間」と見られているんですね。

これに関してはあくまで「一部のファンにだけ認知されてる」オートバイの世界での悲しい現実です。

中には「クルマ社会」にあって、実用性にないオートバイに何で乗ってるんだって思ってる人も沢山います。

オートバイに全く関心がない人にとっては、ただただ「危険で迷惑」な乗り物だと思われているんですよね。

風当たりが厳しいのが「バイクの盲点」です。

もちろん、そんなことは無視して、自分たちで楽しめば良いのですが、

出来るだけ、世間に悪いイメージを与えない様にはしないといけない気もします。

速さに関しては一般道で体感するのではなくサーキットでする、クルマのごぼう抜きはご法度です。

仲間と歓談するなら関係ない人に迷惑にならない様にする。

無駄にエンジンを吹かさない。

タバコは決められた場所で吸う。

休憩で一番良い場所を陣取らない。

これら以外にも、ボクらが守らなければならないルールはたくさんあります。

世間様に対して、少しでも「悪い印象を与えない」様にしないとね!(笑)





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モータースポーツとタバコメーカー。(番外編vol.2139)

2018-02-06 15:51:43 | 日記

ひと昔までの、モータースポーツのスポンサーと言えば、何と言っても「タバコメーカー」でした。

自動車レースもそうですし、もちろんオートバイレースでもそうです。

特に80〜90年代は、マルボロを筆頭にロスマンズ、HB、キャビン、キャメル、ラッキーストライクなどなど、

多くの「タバコメーカー」がメインスポンサーとなっていましたよね。

ボクからしたらそれがカッコ良かったのですが、喫煙すら厳しい今のご時世にあって厳しく規制されるようになっています。

とにかく、今ではすっかり無くなってしまった「タバコメーカー」ですが、

その最大の原因はヨーロッパでの「宣伝規制」が厳しくなったからだと言われています。

元々、ヨーロッパ圏では50〜60年代にかけてタバコの一般広告が出せないようになり、

新たに目をつけたのがレースのスポンサーだったんですよね。

タバコのロゴを描いたレースマシンが新聞や雑誌に掲載されれば、広告を出すのと同じ「宣伝効果」が得られるという訳です。

しかし、それも2000年を超えた頃から、世界的により厳しくなり今では完全に廃止されてしまったということなんですよね。

ボクの中ではヤマハと言えば「マルボロ」、ホンダと言えば「ロスマンズ」、スズキと言えば「ラッキーストライク」でした。

特にホンダのロスマンズに関してはボクが「NSR250R-SP」に乗ってた時のカラーリングです。

思い入れがあるんですよね。(笑)

今でも、この時代のスポンサーカラーのバイクを見かけることがありますが、

ロスマンズカラーのホンダ車を見かけると、つい見ちゃいます。(笑)

現在はMotoGPを始め「複数のスポンサー」でカラーリングされるチームが多い為、

レプソルホンダ以外は、昔のようなインパクトが無くなった気がします。

あの頃が良かったとまでは言いませんが、それから考えるとやっぱり「タバコメーカー」のカラーリングはインパクトがありましたね。

戻って欲しいとは思いませんが、レースマシンのカラーリングは今でも重要で「魅了される」部分です。

有名であればあるほど、強いチームに感じますし憧れます。

昔の様な「タバコメーカー」のカラーリングであって欲しい気持ちは正直ありますし、

とにかく、ごちゃごちゃしたものより良かったです。(笑)







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ライダーにとっても大迷惑、暴走族の存在。(番外編vol.2138)

2018-02-05 10:34:04 | 日記

今でも世間でオートバイの印象を悪くしてる最大の要因に「暴走族」の存在がありますよね。

ボクら、一般ライダーにとってはいい迷惑で、

出来れば、完全にいなくなって欲しい存在です。(笑)

現在では小さな組織で少数の「暴走族」が夜中の街中を、爆音コールで走り回っていますが、

以前はもっと集団で走っていた時期もありました。

で、そもそも、この「暴走族」の存在って何なのか?

普通に暮らしている我々には「不可解で意味不明」な部分がありますよね。

人からどう見られようが、とにかく目立ちたいという行為が発端にあるのか?

それとも、もっと深い納得の理由があるのか?

ちょっと調べて見ると時代の流れで、その理由に「違いがある」ことが分かってきました。

元々は50〜60年代に起こった社会現象で、いわゆる「カミナリ族」が発端になってることは良く知られています。

彼らの行為は、あくまで「遊びの一貫」で、比較的豊かな家の「富裕層」の中で起こったムーブメントだったようです。

これが70年代に入るとバイクが安く手に入るようになったことで状況は一変し、暴力が横行し始め「狂走族」と呼ばれるようになります。

集団化が進み、各地でチームが「組織化」され、抗争などが起こるようになったのもこの時期からです。

この時代の思想としては、いわゆる「ヤクザ」の仁義を重んじる傾向にあり、

仲間を助け縄張り争いの中で他のグループを「敵」とみなし、徹底的に撲滅させることが心情とされていたようです。

さらに同じチームの中でもルールを犯した者に対しては、徹底して許さない傾向で、

チームの中でも「厳しい縦社会」が存在していたようです。

70年代の中盤あたりからいわゆる「暴走族」と言われるようになり、

80年代でピークを迎え、より暴力的で集団化し「社会現象」になっていくのですが、

その思想は70年代からの流れをくんだもので、相変わらず厳しいルールを課せられていたことがあったようです。

しかし、90年代に入って「暴走族」が時代遅れと見られるようになってからは、

自然と集団化することはなくなり、ごく一部の残党で生き残りをかけて暴走行為を続けているのが現状のようです。

また、厳しい仲間同士のルールもなくなり、ただ憧れだけの「遊び感覚」で走ってる傾向で、

暴力的な行為もほとんどありません。

逆に全盛期を知る「元暴走族」の高齢化が進み「旧車会」ならぬ、チンドン屋集団が新しく登場することになります。

彼らは以前のような行為を行うことはせず、ある程度の交通ルールを守って走る集団となり、

あくまで「バイクチーム」として活動しています。

ここまでが発端から今に至る「暴走族」の流れとなっているのですが、

わかりやすく言えば、富裕層の遊び→暴走・暴力集団→目立ちたがり屋のファッション族→というのが流れです。

これらは日本独特のムーブメントということになるのですが、

彼らの存在が、オートバイのイメージを悪くしてることは間違いないです。

今でもその余波は一般的に残っており、バイクブームの妨げとなってることも事実です。

いやいや、大迷惑な話ですね!(笑)










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結局、バイクも出会いが運命。(番外編vol.2137)

2018-02-03 12:06:53 | 日記

ここのところ、ボクの周りでバイクの買い替えや、新たに購入する人が増えつつあるのですが、

結局は、バイクって「出会い」なんですね。(笑)

どんなカタチで「購入の話」が進んだとしても、その「出会い」が運命のようなものになっている気がします。

これだ!ってものに出会えれば最高!そうでなくても乗り出して良かったと思うバイクでも同じように最高です。

要は、所有する事で人ってバイクに「愛着がわく」ものです。

比較していいのかどうか?ある種「彼女」と同じで一緒に居れば愛着もわくし、どんどん好きになる。

人と人の関係に近い、物に対する思いも不思議です。(笑)

特にバイクのような「乗り物」となると付き合い方も格別でしすし、深く知る事で多くを学びます。

そして、また強い「愛着」が生まれるんですね。

ただ、ちょっと難しいのは、

本来、バイクと自分との「一対一の関係」で完結できれば良いのですが、

周りに対しての「アピール度」に関しては、また別だったりしますよね。

いわゆる「愛着」とは違う所有に対する「優越感」です。

これに関しては、他の誰かと比べて自分の方が良いバイクに乗ってるとか、良くないとの判断なので、

また意識が変わってしまいます。

本来なら、自分が満足できればそれで「OK」ですが、

人と比べて良し悪しが発生すると「優越感」に違いが出てしまい、

純粋に喜べないことも…。

そんな、ジレンマを感じたことがある人も多いんじゃないでしょうか。

バイクってそうゆう部分も多いのですが、最終的にはやはり「愛着」です。

人にどう思われるかは二の次で「愛車と自分」との関係が全てなんですよね。

思い出してください、今乗ってるバイクとの最初の出会いを。

そのバイクが自分の近くに居てくれることが、自分にとって「運命」だったって思いませんか!

なんてね!(笑)




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