
国際レースでも「オートバイの最高峰」と言えば、現在の「motoGP」となる訳ですが、2サイクル500ccエンジンで戦ってた時代って、元々は
「WGP(ワールドグランプリ)」と言う言われ方がされていました。また1980年代から本格的にホンダも「HRC」と言うワークス体制を整え
てこの最高峰レースに参戦を開始してたのですが、初期は得意の4サイクルエンジンを備えた「NR500」で勝負を挑んだのですがイマイチな結果
を残す中、新たに開発されたのが2サイクルエンジンからなる、今回の主役「NS500」だったんですよね(笑)。このマシンは当時、他社が2サイ
クルV型4気筒エンジンを主流とする中、2サイクル「3気筒」と言う独自のエンジンを搭載しており、相対的なパワーでは若干劣るものの車体が
軽量であったり、マスの中心化(重いパーツは全て車体の中心に配置)の徹底によりハンドリング性能が高かった事もあり、1982年の登場から
早々に好成績を残す事になります。初年度は天才ライダー「フレティースペンサー選手」が総合3位、日本の「片山敬済選手」が総合で7位。さらに
翌年の1983年には「フレティースペンサー選手」が初のワールドチャンピオンに、「片山敬済選手」も総合で5位に入る健闘を誇る事になります。
1984年には2サイクル4気筒エンジンを搭載した初代「NSR500」が登場した事で「NR500」自体はワークスチーム以外のサテライトチームで、
使われる様になるのですが、この初期型「NSR500」の設計ミスもあってHRCのエースライダーだった「フレティースペンサー選手」に与えられて
いたのですが、結局、全体レースの半分は信頼性の高い「NR500」に乗ると言う状況だったりしてたんですよね。そんな中、無冠の帝王「ランディー
マモラ選手」がこの年に総合で2位を獲得します。また1985年は2世代型「NSR500」と併用して使用される様になり「NR500」に関しては「ワイン
ガードナー選手」が総合で4位、「ロンハスラム選手」が総合で5位と大健闘します。1986年以降に関しては全チームに「NSR500」が供給された
事で、ごく一部のプライベーターチームに使われますが、流石にこの時期に入ると戦闘力で劣る部分があり、吐出した成績を残す事は出来ません
でした。ここから2サイクルエンジンが廃止される、2003年まで「NSR500」として熟成を重ね使われ続けるのですが、逆に「NS500」は、ホンダ
の博物館行きとなってしまいます。今になってこの時代を振り返りますと、まだまだマシン自体での基本フォーマットが統一されておらず、例えば、
1982年式のモデルだとホイールサイズがフロント16インチ、リア18インチだったものが、1984年式では前後ともに16インチとなったり、点火方式
が1982年式だとトランジスタ点火だったのに対して1983年式以降はCDI点火に変更されてたり、フレームに関しても1982年の初期までスチール製
だったのに対してそれ以降はアルミ製に変更されてたりします。良くも悪くも進化が凄まじかった時代だったと言う感じだったんですよね。またこの
3気筒エンジンは市販でもフィードバックされれ「NVX250F」や「NS400R」などに搭載され販売される事になります。この時代を知ってる人は確実
に55歳以上となりますが、今年59歳を迎えるボクにとっては、まさにオートバイに乗り始めた最初の頃の事で、リアルタイムだったりするんですよね(笑)。
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