Good Frlend!(motovlog)

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1980年代に起こったムーブメント、峠小僧。(番外編vol.3984)

2024-06-11 11:26:14 | 日記

今回のテーマに関しては、ある種「当事者」でもあるボクなので、これまで触り程度にしかこの話題につて語ってこなかった、経緯だったりするのですが、

今日は思い切ってこの「峠小僧」って話題について語ってみたいと思います(笑)。そもそもこの「オートバイで峠を攻める」って行為について、多分で

すが、これ自体は、ボクの知らない相当前の時代から行われてたもので、要するに走りに目覚めた人が個人レベルでひっそりと全国の各峠を走ってたって

推測しています。なので、いつ頃から?って話になると明確な事は「イマイチよく分からない」って感じです。ただ、これが「完全なブーム」となったのは

間違いなく1980年代の序盤で、その切っ掛けを作ったのが、ヤマハの「RZ250/350」が新車で登場した頃(1981年〜)からじゃないかと予測できます。

いわゆるその後語られる「レーサーレプリカ」と言う車両の登場で、それまでとは違う「プロレーサー気分」でコーナーを駆け抜けるって行為に、飛ばして

乗りたい人の「運転方向が変化」した事が、大きな要因となってると考えられます。いわゆる当時は「走り屋」と言う言われ方がされてて、ボクがよく書く

「峠小僧」ってのは、ただ今になって言えばそう言った言い方の方が「正しい」って思ってるからです(笑)。まぁ、若さゆえとは言え、散々世間に対して

迷惑(当時は社会現象化してた)を掛けていましたからね。お陰で現在でも「2輪による通行禁止区域」って存在していますよね。これは全て当時の「峠小僧」

たちがやらかした失態で、ある種、当時の集団による暴走族と何ら変わりない行為だったとも言える気がするんですよね。ただヘルメットを脱ぐと、実は

ほとんどが「普通の若者」で、不良とかそう言ったタイプの人ではなかった感じです。もちろん当時のぼボクもそうで、単に「オートバイで攻めればカッコ

良い」とか「オートバイでスリルを味わいたい」とか「人より速く走りたい」って思いだけで、深く考えず「ただ面白く遊んでた」って感じです。多分ですが

ほとんどの人がそうで、確かに中にはその後サーキットに転向して「プロライダーを目指す真剣な人」もいましたが、それは大量にいた集団の中でごく一部に

止まってた気がします。ボク自身は1984年から峠デビューして最終的には1991年頃まで、割と真剣に向き合っていたのですが、辞める発端はオートバイを

ヤマハ「FZR400RR」からカワサキの「ゼファー400」に乗り換えた時点で「引退しよう」って思った感じです(笑)。大きな怪我もせず、生きてた事自体が

ラッキーだったって感じです(笑)。また時代を最初に戻しますが、初期の頃のボクは、ほぼ毎日峠に通ってて「同じ道」をとにかく行ったり来たり、いわゆる

決められた区間を登り下りで走ってたって感じです。なのでオートバイ雑誌では「ローリング族」とも言われていました。また台数が増えるに対して「チーム」

ってのが出現し始めます。多分この現象が始まったのって、1980年代の中頃からだった気がします。ボク自身もあるチームに所属して走っていました。いわゆる

峠で知り合った仲間って感じだったです。とにかく、みんなで同じトレーナーの袖を切ってツナギの上に羽織って走ってたんですよね、またオリジナルのステッカー

なんかも作ってオートバイに貼ってました。更にチーム同士で勢力図が語られ始め「あそこのチームが最速かも」ってな感じで、言われるようになります。無論

ボクが所属するチームではなかったです(笑)。とにかく峠でお祭りでもやってるのか!ってほどオートバイが集まってて、走る人とギャラリーに分かれていま

した。また定期的に移動交番や白バイ隊などがやって来ては、みんなで逃げるって感じでした(笑)。ボクらのチームは隠れる場所を決めてたので、とにかく

そこに逃げて、警察がいなくなったらまた走りに戻るって事を繰り返していました。ボクの地方都市では2箇所有名な峠があって、ボクは仲間と連絡を取り合って

今日はどっちの峠に行くか決めていました。とは言えほとんどが「金甲山」って峠だったんですけどね(笑)。で、衰退ですがこれは早かった気がします。あれだけ

盛り上がっていたにも関わらず、オートバイの流行りが「ネオクラッシック系」もしくは「国産アメリカン」に移行した頃から、忽然と沈静化してしまいます。

その後も数を減して走ってた人もいましたが、もうブームと呼べる状態では無かったです。これが大体1990年代の序盤から中盤あたりだったと思います。ボクが

走るのを辞めた1991年で既に人の入れ替わりが起こり始めてて、数もそれに沿ったカタチで減ってしまった気がします。さて、今日はそんな「峠小僧」をテーマに

少し当時の事情をお話ししてみましたが、いかがだったでしょう!(笑)






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2 コメント

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怖い事は楽しい事 (若おじさん)
2024-06-11 16:24:27
男って怖いもの見たさ、怖い事やりたさってのが女性より有りますよね?私の場合のその先どうなってるか知りたも同じで。スキーも怖さ故に楽しくてハマりました。地元消防団での火事場も魂を揺さぶられ興奮しました。もしかしたら限度決めて守りに入った時点が子供から大人になったターニングポイントかもしれませんね。そして自分が男でそうだったからのこそ息子の事心配したり心配し切れないからと放任するのでしょうね。女から見たらバカですよね〜(笑)
返信する
ありがとうございます。 (ムーニーマン)
2024-06-11 23:40:53
若おじさん、いつもレスありがとうございます。

そうですね!
男特有の「怖いもの見たさ」とかありますね。
そう言った事に関心を感じない人からしたら、ただのバカって思えますが、
本人はそう言った周りの状況なんて気もつかない感じで、
どこか危険だって知りながら、ハマってしまってたりしますよね。(笑)

峠を走ってた頃の自分を思い返すと、まさにその感じで、
ただ「スリル」と「退屈な時間を埋めてるだけ」だった気がします。

今考えると動悸が軽薄な割にリスクの高い事をやってたと強く感じますし、
何より「違法行為」だって自覚が薄かった気がします。

これを真面目に気がつくのが、サーキット通いを始めた時からなのですが、
なんてみっともない一般道で危険な事をやってたのか、一気に分かった気がしましたし、
恥ずかしい気持ちにもなりました。(笑)

昔から「バカは死ななきゃ治らない」ってよく言いますが、
ボクの場合は、死なずに治って良かったです。(笑)

ありがとうございます。
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