
まさにボクもこの世代と言えるのですが、基本、1980年代初頭の日本では「16歳を迎えると中型免許までオートバイ免許が取得できる」とされていたのですが、
当時は学校の校則が厳しく、それが故に大半の高校生は学校に内緒で「原付免許」などを取得していました。これは時代的に「暴走族」と言う巨大グループが全盛期
だった事、またそれに伴い未成年のオートバイ事故が多発しており、学校としては「乗らせない」って風潮が強く浸透していたからなんですよね。ボクが通ってた
工業高校もそうで、完全に免許取得は「校則違反」となっていました。しかし、それでも友達の半分ぐらいは原付(50cc)免許を取得して、いわゆる当時あった
原付免許(50cc)で乗れるスクーターや、MT(マニュアル)で操作する「スポーツバイク」に乗ってたんですよね。残念ながらボク自身は「親が厳しかった」事や、
ちょうど、16歳になって取ろうとした時、通ってた高校が運転免許場で一斉検挙を行い、違反とか事故など何もしてないのに免許取得者が軒並み「停学処分」に
なった事で諦めてしまってたんですよね。まぁ、今考えてみれば、当時は個人情報も何もあったものではなかったですね(笑) でもこっそり乗ることは引き続かれ
よく友達のオートバイに無免で乗らせてもらっていました(笑) ここはもう40年以上前のお話なので時効ということでお許し下さい(笑) で、当時人気があった
MT(マニュアル)で操作する「スポーツバイク」たちですが、色々ありましたよ!確か1981年にヤマハから「RZ50」が登場した事を皮切りに、カワサキからも
同系列では一番速いと言われた「AR50」、そして翌年になる1982年にはスズキからは「RG50ガンマ」、そしてホンダからも「MB50」や「MBX50」が続々と
登場することになります。これらのマシンは全て当時の最高出力7.2psを誇っており、2ストのスクーター系と比較しても「原付とは思えない走り」が可能だったと
感じ取られます。個人的には、ヤマハ「RZ50」と、ホンダ「MBX50」そしてカワサキ「AR50」に乗った事があります。もちろん街中を走ると、警察との遭遇を
含め、何があるか分からないので、少し離れた田舎道で友達と乗り回して遊んでいました。いやぁ、今思い出しても楽しかったです。この年齢だとまだオートバイ
自体が新鮮だったですし、運転はぎこちないながらもスリルを感じて興奮していた気がします。またこれらの車両の後をを見てみますと、大体ほとんどが1980年代
までしか売られていなくて、ヤマハ「RZ50」以外は比較的短命に終わってしまいます。で、それに変わる車両としてホンダの「NSR50」や「YSR50」など、もっと
本格的に走るミニバイクが登場し、2000年前後まで売られていく事になります。今じゃ全くと言って良いほど需要が無くなったこの手の原付スポーツバイクですが、
走りに特化した1980年代のオートバイブームでは多くの若い世代に受け入れられていたんですね。で、簡単にこの手のオートバイを紹介しますと、エンジンは全て
2サイクルの水冷式単気筒ピストンバルブで、正式な排気量が49cc、最高出力は先にも書きました7.2ksで、最大トルクは車両によって微妙に異なりますが、大体
0.7kgあたりとなっていました。またフレームはスチール製のダブルクレードル式で、ほとんどが6速MTとなっていました。さらにホイールサイズは前後ともに、
18インチ化されたものが多く、機械式キャブレターを搭載、2ストですからキックスタートで、嬉しかったのは、当時は速度規制の為の装置がついていなかったので
速い車両だと70kmから80km近くまで走ってくれるものもありました。さて、今日はそんな1980年代前半にあったフルサイズの原付スポーツバイクを見て行きました
が、いかがだったでしょう!(笑)
そうなんですよねぇ。
今じゃ、絶対に考えられませんよね。
当時、学校がそんな事をして、一時学校の中が坊主だらけになりました。(笑)
みんな登校謹慎だったからです。(笑)
これを恐れたボクは結局、高校生でオートバイの免許は取得しませんでした。
取得したのは卒業後です。
めちゃめちゃ乗りたかったんですけどね。(笑)
あろがとうございます。