Good Frlend!(motovlog)

個人の好きなことを書くブログです。

非常に短期間だった、カワサキの「WGP」参戦。(番外編vol.3832)

2024-01-10 00:19:52 | 日記


ホンダ、ヤマハ、スズキは、世界最高峰レース「WGPワールドグランプリ」に参戦したのは比較的速く1960年代の後半あたりでその頭角を徐々に表し始めて

いたのですが、何故かカワサキだけ中々参戦に踏み込まない時期が続きます。しかし1975年、ついにカワサキもワークス体制を整えて「GP250」である2スト

250ccクラスに「KR250」で参戦を開始します。また1978年にはヤマハに次いで、カワサキからも「KR350」で2スト350ccクラス「GP350」への参戦を

開始。この350ccクラスは、その前年にあたる1977年に日本人ライダーである「片山敬敬選手」がヤマハでワールドチャンピオンに輝いた年で、当時あった

非常に混戦した中間排気量クラスだったりします。1981年に市販でナナハンキラーと言われた「RZ350」が登場したのはこれがあったからと言えます。で、

お話をカワサキに戻しますが、更に1980年より最高峰レースとなる「WGPワールドグランプリ」の「GP500」クラスに「KR500」で参戦を開始。1978年と

1979年に250ccクラスや、350ccクラスでワールドチャンピオンに輝いてた状況からの参戦となった感じでした。とにかく当時の「KR」はとても速かったん

ですよね。その特徴は市販車でも採用されてた「タンデムツイン」と言う特殊なエンジンで、2つのクランクシャフトで2つに分かれたヘッドを持ち駆動すると

言うものでした。しかし残念ながらこの最高峰クラスを含めカワサキワークスとしては1983年をもって「WGP」から「完全撤退」を発表します。その理由は

明らかとなっていませんが、特に成績が悪かったと言う感じでは無かったし、逆に非常に調子をあげてた矢先だったので、戦歴での敗退が理由という感じでは

無かったと考えられます。多分ですが、1982年に早々と撤退してたスズキ同様、当時の「経営不信」が大きな原因じゃないかと推測されている感じなんですよね。

また、この「KR500」が活躍した時代(1980年〜1983年)と言うのはボク(58歳)でもリアルタイムって事じゃ無かったので、全て後で知った時代だった

のですが、当時の天才ライダーで南アフリア出身の「コークバリントン選手」が乗ってた様です。この「コークバリントン選手」は先ほども言った、1978年と

1979年の250cc&350ccワールドチャンピオン(Wチャンプ)でした。更に1981年と1982年には350ccクラスで「アントンマンク選手」が、カワサキのマシン

でワールドチャンピオンに輝いています。この「アントンマンク選手」はカワサキが「WGP」に参戦した年から撤退するまでチームのライダーとして活躍しており、

撤退した後も他社を渡り歩き、1987年にもホンダのサテライトチームから「NSR250」でワールドチャンピオンになった選手です。当時250ccクラスに日本の

「平忠彦選手」がヤマハワークスからフル参戦しており、個人的にめちゃめちゃ応援してたのですが、この「アントンマンク選手」が非常に速かった事を思い出して

しまいます(笑)。今日はとても古い時代のオートバイレースで、2ストエンジンで戦ってたカワサキの一部をご紹介しましたが、いかがだったでしょう!(笑)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする