Good Frlend!(motovlog)

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モトクロスバイクから、レーサーマシンへイタリアのオートバイメーカー、アプリリア。(番外編vol.3836)

2024-01-14 00:07:14 | 日記

第二次世界大戦が終戦した1945年よりイタリアを拠点とした自転車メーカーとして「アプリリア社」は誕生します。小さな町工場でハンドメイドに

近い製造方法で自転車販売されていましたが、これがそこそこ成功を収める結果となり、1968年より、その息子さんによって初めてのオートバイを

制作する事になります。この時いた従業員は15人ほどで、50ccの排気量マシンをまず作ります。その後スクランブラー系やモトクロス系のオートバイ

を中心に開発を進めていくのですが、それが軒並み成功し大量生産できるだけの大型企業へと成長します。しかし1980年代に入るとオフロード系の

需要が縮小されてく事で、ロード系マシン開発へとジャンルをシフトしていくんですよね。またレース活動に関しては1985年よりロードレース選手権

(WGP)125ccクラス、250ccクラスにて参戦を開始します。で、参戦2年目の1987年に初の優勝を獲得し、さらに1991年よりその後大活躍する事

になっていく「RS250V」を発表します。このマシンで1994年から1996年まで「マックスビアッジ選手」がワールドチャンピオンに輝く事となります。

またその後もステップアップして来た「バレンティーノロッシ選手」が、この「RS250V」で、1999年にワールドチャンピオンに輝き「アプリリア社」

として全盛期を迎えるのですが、2002年以降の2ストマシンで戦っていた「WGP」から、4ストマシンとなる「motoGP」へと移行する中、残念ながら

4ストマシンの開発が進んでいなかった事もあり「撤退」を決定っしてしまいます。その後に関しては少しだけ「スーパーバイク選手権」にも参戦します

が、市販車の売り上げが低下し財政難からベスパやモトグッチなどを運営してる「ピアッジオ」の傘下に入る事となり、思う様にレース活動が出来なく

なってしまいます。それでも2009年より市販車改造レースの最高峰である「スーパーバイク選手権」に再度挑戦し、2010年に「マックスビアッジ選手」

が「RS4」でワールドチャンピオンに輝きその後も良い感じで成績を残していくのですが、2015年の撤退を機に、次は1度諦めた「motoGP」への参戦

を決定します。さてここまで、ざっと流れを書きましたが、この「アプリリア社」ってのは、レース活動を基盤として、市販車を販売してるイタリアの

メーカーで、1990年に唯一、世界最高峰レースの250ccクラスで成功したメーカーであったと言う事になります。また当時の市販車に目を向けて見ると

2ストエンジンを搭載したレーサーレプリカに属する「RS250」ってモデルを販売しており、注目するのは、エンジンがスズキの「RGV250ガンマ」から

供給を受けて搭載してたと言う点だったりします。で、このエンジンがフルパワーで何と最大出力が70psを発生するものだったんですよね。これは当時、

話題となり日本人の我々からすると「と言う事は同じ「RGV250ガンマ」も70psまで出力を上げる事ができるって事?」ってなってましたね(笑)。

実際、1990年代の2ストレーサーレプリカは出力規制から、一律で最大出力は40psとなっていたのですが、実際はもっとパワーが出るとも言われていま

した。まさにそれを実証して見せたのが、アプリリアの「RS250」だったと言う事になります。そんな時代に「WGP」の「GP2」で好成績を残した

アプリリアだったと言う訳です。さて今日はそんなイタリアのレース業界で有名になった「アプリリア社」の一昔前の時代を見て行きましたが、

いかがだったでしょう!(笑)




コメント
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