mitumine 夢幻庵日記

夢うつつで過ごしている日々、趣味の絵・旅行・写真・ハイキング・読書などを写真を交えて気ままに記しています。

3月に読んだ本2冊 「苦界浄土-わが水俣病」 石牟礼道子 講談社、「あの戦争さえなかったら-62人の中国残留孤児たち(上)」 藤沼敏子 津成書院

2021-03-31 09:29:21 | 読書
 「苦界浄土-わが水俣病」 石牟礼道子 講談社
 著者は1927年熊本県天草生まれ、生後3ヶ月から水俣に在住。自殺願望を抱いていた道子は、遺書をしたためていたが長男が病気になったのでかろうじて思いとどまった。その長男が肺結核で入院していた水俣の病院で、チッソ公害患者を集めた奇病病棟の存在を知る(「苦界・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神」 田中優子 集英社新書による)。

 1953年水俣病第1号患者発生以来、十余年にわたって患者1人ひとりから克明な聞き書きを記録し、人間の生命に加えられた耐えがたい汚辱を告発しつづけ-中略-現代の「語り部」として”土語”による"文闘”を執拗に繰り広げている(本書カバー裏書き)。

 Wikipediaによると、「1970年には第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選定されたものの辞退している」とある。

 国が、水俣病は新日本チッソ水俣工場の廃液が原因と認めたのは発生から15年後だった。

 日本が高度成長期に入って生活が豊かになっていく裏側では、このような公害発生の悲惨な現実に暗澹たる思いに駆られる、と同時に著者の人権侵害への一途な行動に共感を覚える。国のもどかしい対応に疑問を感じざるを得ない。これは今のコロナにも共通するともいえる。


「あの戦争さえなかったら-62人の中国残留孤児たち(上)」 藤沼敏子 津成書院

 あの戦争が敗北に終わったのは、1945年8月15日だった。その日に生まれた人も今では76歳になる。

 当時、対戦国である中国北東部(満州国ー日本の傀儡国家)に国策として、満蒙開拓団が日本各地から移住していた人たちが多数いた。一夜にして敗戦国になり中国国民や敵国になったロシアから追われる立場になってしまった。この上巻に収録されているのはその人達45人の貴重な体験談である。

 この著者の凄いところは本書の発行(2020/07/12発行 A5版 579頁)と共に、信憑性を担保するために「インタビューがノーカット編集なしでインターネット公開」していて、本書の内容をこれで検証することが出来る点である(17頁)。

 本書に登場する全ての人が、想像を絶する体験をしていること、今が一番幸せといっている言葉に救われる。

 





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