「幻の村-哀史・満蒙開拓」 手塚孝典 早稲田新書
今年は満州事変から90年の年だという。著者は略歴によると長野県松本市出身で、97年信越放送に入社。満蒙開拓を取り上げた番組「刻印~不都合な真実を語り継ぐ」(2014年}が日本民間放送連盟賞最優秀賞に輝いた(以下略)。
長野県からも多くの開拓団を送出した。旧大日向村からは村の3分の一の世帯を満州に送り出したが、約650人の開拓団員のうち、敗戦後に引き上げたのは370人余り。半数近くが命を落とした(95頁)。
同じく河野村が開拓団を送り出したのは、戦況が一気に悪化した1944年。総勢95人は、敗戦後に集団自決に追い込まれ73人が命を落とす。その殆どが女性と幼い子どもだった。翌年には送出を決断した村長の胡桃沢盛が42歳の若さで自殺した(146頁)。
著者はあとがきで、日本の戦争責任を曖昧にした。-中略-満蒙開拓とは何か。その問いは歴史の検証にとどまらない。現代を生きる私たち自身のあり方を問うことでもあると思う。と言っている、心しなければ。
今年は満州事変から90年の年だという。著者は略歴によると長野県松本市出身で、97年信越放送に入社。満蒙開拓を取り上げた番組「刻印~不都合な真実を語り継ぐ」(2014年}が日本民間放送連盟賞最優秀賞に輝いた(以下略)。
長野県からも多くの開拓団を送出した。旧大日向村からは村の3分の一の世帯を満州に送り出したが、約650人の開拓団員のうち、敗戦後に引き上げたのは370人余り。半数近くが命を落とした(95頁)。
同じく河野村が開拓団を送り出したのは、戦況が一気に悪化した1944年。総勢95人は、敗戦後に集団自決に追い込まれ73人が命を落とす。その殆どが女性と幼い子どもだった。翌年には送出を決断した村長の胡桃沢盛が42歳の若さで自殺した(146頁)。
著者はあとがきで、日本の戦争責任を曖昧にした。-中略-満蒙開拓とは何か。その問いは歴史の検証にとどまらない。現代を生きる私たち自身のあり方を問うことでもあると思う。と言っている、心しなければ。