結婚後数年して長男が生まれ、4年後に次男が生まれました。
長男の時と同じように、次男の時も病院で出産を待っていました。
無事出産した妻に心から感謝し、労をねぎらったのを覚えています。
その後、看護師さんから「先生から少し話があるので」ということで、私一人で先生の話を聞きに。
先生から、次男の置かれている厳しい状況について説明がありました。
当時、頭が真っ白になり記憶が定かでは在りませんが。
説明は、染色体異常があること。心臓に障害があること。生きれて二十歳まで。
出産した西神医療センターから設備の整っている神戸中央市民病院へ転院する必要のあること。
だったと思います。
病室に戻り心配そうな妻の顔を見た私は、先生の説明をそのまま伝えることは出来ませんでした。
妻には暫くして伝えたと思います。
それからの一年間、家内は母として毎日必死に次男に尽くしました。
当時4歳の長男も、兄として一生懸命に頑張ってくれました。
そして、私も家内や長男と同じように、次男がいつか元気になって退院し、
家族で楽しく暮らせると思い、日々、次男と家内が待つ病院へ長男と駆けつけていました。
今の私たちがあるのも、次男と共に過ごした日があったからです。
生きていれば成人式を迎えていました。
今でも、当時の事は色あせることなく私達家族の心に刻まれています。
名前は、「力也」です。
病気に負けず強くなってほしいと名付けました。
「一日一生」普通の生活を過ごせる幸せ。
一日一日を大切にして頂ければ幸いです。