友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏休みの課題?「殴られたら、どうする?」

2024年08月18日 17時19分13秒 | Weblog

 子どもたちが何やら言い合っていた。「殴られたら、どうする?」「俺は殴り返す」「だよなぁー」。そんなことにならないようにして欲しいと思ったが、そう言えば最近、テレビが何度も「万一について、充分備えてください」と言っていたのを思い出した。

 強力な台風が接近している。南海トラフで大規模な地震が起きる。発生は食い止めることは出来ないが、災害被害を最小限にすることは出来る。そのために、日頃から気を配り、備えて置く必要がある。そんな風にテレビは報じていた。

 自然災害はそんなことで、何とか乗り越えられるだろう。けれど、いざ、戦争となるとどうなるのだろう。台湾有事が叫ばれている。「台湾に中国が侵攻してきたら」、米軍は中国軍を攻撃するだろう。そうなれば、中国に近い米軍基地は沖縄だから、中国軍は沖縄基地に報復攻撃してくるだろう。

 戦争に勝つためには、相手よりも強力な武器を備える必要がある。だから、どんな小国でも核ミサイルを持つことで対抗しようとする。「殴られたら、殴り返す」ために、子どもたちは強靭な身体づくりに励むとともに、相手が降参するように武器を隠し持つだろう。

 子どもたちが「やり返す」と口にするように、各国の政治家も「やり返す」と言う。大人も子どもと同じレベルでしかない。けれど大人は、大勢の人を殺し、暮らしを破壊する強力な武器を持っている。

 武器は対面する相手を殺すだけでなく、遠く離れた場所を攻撃出来るまでに発達した。一端、戦争になれば、理由はどうであれ泥沼の殺戮が繰り返される。ウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナ、紛争の続く地域はどこも殺戮の連鎖である。

 「万一に備える」ためには、「話し合う」ことしかない。武器を捨てる覚悟が無ければ、話し合いも成立しない。「殴られたら、どうする?」では無く、なぜ殴り合うのか、その原因を解決する「話し合い」をすることだ。

 大人も子どもも、夏休みが明けたら、早速取り掛かろう。

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リアルな映画が観たい

2024年08月17日 17時26分04秒 | Weblog

 昨夜、金曜ロードショーのアニメ『聲の形』を観た。世界で絶賛された傑作と紹介されていたからだ。なぜ、何が、絶賛された作品なのかと興味があった。それにタイトルに「声」ではなく「聲」を使った意味も知りたかった。

 結論から言えば、疑問の2点は何も分からなかった。アニメ『聲の形』は、小学6年のあるクラスに転校してきた耳の聞こえない女の子と、ふざけてその女の子をいじめていた男の子の「ラブストーリー(?)」だった。

 耳が聞こえないことに同情することも無く、なぜ、男の子は補聴器をむしり取っって捨てたりしたのか、動機がよく分からない。耳の聞こえない女の子がとても可愛い子だったから、いじめという行為で関心を示したのだろうか。

 小学生くらいまでは、好きな女の子をいじめる男の子は確かに居た。でもそれでは、好きな気持ちが伝わらないことは分かるはずだ。5年後、高校生になったふたりは出会い、心惹かれていく。その辺りがどうもスッキリしない。

 アニメを制作は、放火にあった京都アニメーションで、絵はキレイだったが、女性の顔が皆似ていて区別がつかなかった。そして何よりも、一番肝心な点だと思うのは、自己本位でいじめていた男がなぜ変わったのか、描き切れていない気がした。

 私のような年寄りには、若い二人の「愛」を理解する能力が欠けてきているのだろうか。私が漫画を見て、斬新だなと思ったのは、上村一夫の『同棲時代』だった。物語は覚えていないが、絵がリアルでストリーも現実的だった。

 NHKテレビで、フランスのパリに日本の漫画本がフランス語訳して置かれている喫茶店が紹介されていた。「日本の漫画は面白い」と、子どもばかりか大人も話していた。なぜ、「面白い」のか私には理解できない。

 漫画も映画も、観ればストーリーを理解することが出来る。表現にはそこに伝えたいものがある。表現者の技術能力も大事だが、受け取る側も読み取る感性を磨かなければ何も見えてこない。アニメではなくて、リアルな映画が観たい。

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しばらく遠慮致します

2024年08月16日 17時24分01秒 | Weblog

 22日から次女とその娘が我が家へやって来る。これに合わせて、長女の上の娘と下の娘も来るというので、カミさんは大張切りで「今日は、隣の家の掃除をするから手伝って」と言う。まだ処分出来ていない植木鉢が18鉢もある。とりあえず、移動させておかないと掃除が出来ない。

 カミさんが買い物に行っている間に、移動させることにする。常滑焼の大きな植木鉢は重いので、1鉢か2鉢に分けてこちらのベランダに運ぶ。すっかり汗びっしょりになってしまい、着替えて隣りの家の掃除にかかる。

 部屋中を掃除機でキレイにする。カミさんは寝具の準備をする。最大で7人が泊まることになるが、「1組、足りないかなー」と心配そうに呟いている。お金を出せば何とかなるなら心配することは無いが、食事の用意が大変ではないかと心配になる。

 朝、昼、晩の3食を、カミさんひとりで賄い切れるのだろうか。メニューを考えなくてはならないし、そんなに毎回作ることが出来るのだろうか。全員揃うと10人にもなる。以前なら、近くの料理店に出かけて行った時もあったが、子どもが4人もいるからちょっと無理だろう。

 孫や曾孫は久しぶりの再会を楽しみにしているが、会場を提供する我が家はいつもてんてこ舞いだ。カミさんは元気だが、私はやはり歳には勝てない。今朝も力仕事の後、立ち眩みに襲われ、よろけて座り込んでしまった。熱中症かも知れないと思い、冷たい水を飲んで落ち着いた。

 今日は、ご先祖がお帰りになる日。立ち眩みはご先祖が、「一緒に行くよ」と誘ってくれたのか。申し訳ないが、ご先祖様。みんなが楽しみにしている集まりがあるので、しばらく遠慮致しますと伝えておこう。

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雷はまだ続いている

2024年08月15日 17時10分38秒 | Weblog

 今日は終戦記念日。熱闘の続く甲子園球場でも、選手も観客も起立し黙祷していた。戦争で亡くなった人々は犠牲者であるが、何の犠牲になったのか。戦没者追悼式をただの儀式にしていいのだろうか。

 スポーツでは、なぜか地元を応援してしまう。戦争はスポーツとは違う殺し合いなのに、相手国にも人が暮らし、家庭があるのに、なぜか殲滅せよと大合唱してしまう。どこの国も、どの時代でも、それは変わらない。

 今も戦いが続いている国や地域では、やっぱり相手をひとり残らず消してしまうことが目標である。人を殺しても、また復讐する人が生まれる。憎しみがある限り、永遠に終わることは無い。

 日本は、天皇がポツダム宣言を受託し、戦争は終わった。皇居前で腹を切る人がいたようだが、天皇は何もしなかった。天皇は奈良時代からズーと、政府の操り人形でしか無かったが、だからと言って戦争責任は無いとは思えない。

 岸田首相が昨日、総裁選に立候補しないと表明した。自民党の裏金問題は何も解決していないが、「責任を取って引退する」と言う。ああ、これでまた、悪いことはトップが責任を取って引退することで、何も無いことになってしまう。

 私の父は教師だったので、国の指示に従い子どもたちに、「皇国の子」と教えたそうだ。「勝てる訳は無かったのに」と戦後になって、父は私に呟いていた。管理職になっていたが、日教組の「子どもたちを再び戦場に送るな」を支持していた。

 戦前の自分への反省からだろうが、自分の中だけに閉じ籠っていた。社会党に1票を投じていても、何も社会は変わっていかなかった。友だちの父親も教師だったが、私の父とは受け取り方が違っていた。

 歌集に、「天皇の御光うすき現し世は 悪き輩のはびこる時ぞ」「わが魂の叫びはつよし皇国に 天皇のしろしめす国」「群集の中に在はせる天皇の お顔を見つつまなこかすみぬ」とある。メーデーで群衆が、天皇をあざ笑うことに悲しみと怒りを覚えたのだろう。

 何を、どうしていくことが、人の生き方なのだろう。先程、大きな雷音が響き、建物が揺れた。雷はまだ続いている。

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ゆっくりと時が過ごせればいい

2024年08月14日 17時20分37秒 | Weblog

 午前中はカミさんの実家に行って、仏壇にお参りしてきた。カミさんは少し前から、「どうしよう」と躊躇していたので、「電話してみたら」と促すと、「午前中ならいいって」と言うので、仏前に備える果物を買って出掛けた。

 私たちが出かけることで、弟夫婦に負担をかけたくない気持ちは分かるが、盆なのにお参りに行かない方がもっと無礼な気がする。毎年のことだが、仏壇はキレイに飾られていた。異様だったのは、いつもなら飛びついて来る飼い犬の「ポンタ」の声がしない。

 11日に亡くなり、遺影に花が添えられていた。お父さんたちの仏壇に入れることは出来ないので、食卓の隅に飾られていた。その前から食欲が無くなり、病院に連れて行き、ふたりの娘が家に戻った日に亡くなった。

 弟がひとしきり「ポンタ」の話をする。彼が退職した時に、娘が連れてきた子犬だが、17年も一緒に暮らしてくると、まるでわが子のようだと少し振るえ声で話す。朝から晩まで共に暮らし、ペットのつもりが大切なわが子になっていたのだろう。

 ペット専用の葬儀を行い、骨壺まであるようだから、人の子と変わらない。「ポンタ」の話の後、カミさんの家族の集まりの話となり、いつどこでやるかは弟に一任してきた。さて昼食は、いつもの小牧の和食処へと行く。お盆で家族連れで賑わっていた。

 その後、メナード美術館で企画展『額縁のむこうのフランス』を観た。パリオリンピックを意識しての企画のようだが、いつもながら企画力と展示の解説に感心する。同美術館が所有する作品の展示だから、以前に観たものが多いのに、見る度に新鮮な印象を受ける。

 でも、冷房が強すぎたのか、カミさんは「トイレに行ってくる」を繰り返す。「わかった。熱いコーヒーを飲んで帰ろう」と提案し、以前に卒業生を連れて行った喫茶店に入る。ここも家族連れで賑わっていた。

 週刊誌を読んでいたカミさんは、「眠くなってしまった」と目を閉じてウトウトし始める。しばらくゆっくりと、時が過ごせればいい。「今日のデート、よかったね」と眠たげに呟く。

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「ジジイはすぐ嫌なことを言う」

2024年08月13日 17時59分57秒 | Weblog

 突然に、孫娘がふたりの息子と中3の妹を連れてやってきた。11日に片名漁港の海鮮料理店でみんなで食事をした時、「大人しい子ね」とか、「いいの子ね」と言われていた曾孫のふたりは、我が家では別の子のように元気そのものだった。

 もうすぐ4歳になる上の子は、ブロック遊びが大好きで早速並べ始めた。この前来た時は、横に広い家(?)だったが、今日は高く積み上げていく。2階に車庫を作り、2階へと続く階段は滑り台を置いて、「ブーブー」と車を昇らせたり、急降下させたりして遊んでいた。

 1歳1カ月の下の子は、随分と歩けるようになり、兄の後をチョコチョコと追いかけて行く。兄の遊びの邪魔をすることは無く、ただ付いて回っている。それでも兄の方は時々、邪魔だとばかりに追い払うが、兄に突き飛ばされたりしても弟は不思議に泣かない。

 まだ一緒に遊ぶことは出来ないが、これが一緒に遊ぶようになると、どうなるのだろう。仲良く共同作業をするのだろうか、それとも殴り合いになるのだろうか。私にも兄はいたが14歳も年上なので、教えてもらうことはあっても遊ぶことは無かった。

 ふたりの曾孫を見ていると、兄の方が甘えん坊のような気がする。もちろん弟はまだ手がかかるから、母親はいつも弟にかかりっきりだ。それでも兄の方は、自分の遊びが出来れば満足なのかと思っていたが、急に母親にしがみつき放そうとしない時がある。

 母親が弟を背負っていると、「抱っこ」を要求する。学校へ上がるようになるまでは、母親離れは出来ないものかも知れない。それでも上の子は時々、弟の世話をしようとする。それが嫌で弟は泣きわめくから、兄は母親に叱られるが、叱られて泣いても甘えようとする。

 そんな風にして、人は成長していくのか。それにしても孫娘のタフさには驚く。今晩はダンナの実家へ行くと言う。そうか、もうお盆の入りか、おじいちゃんもおばあちゃんも孫が来るのが待ち遠しいだろう。顔を出してあげることが、何よりの土産である。

 中3の孫娘は、来年の春に鎌倉へ旅行する計画を立てている。「その前に、高校入試を突破しないとね」と言いそうになって止めた。「ジジイはすぐ嫌なことを言う」と思われるのが怖かった。

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我が家の血筋を伝えておきたい

2024年08月12日 17時15分16秒 | Weblog

 今年の親族の懇親会は長女のダンナが計画してくれ、日間賀島で昼食する、三河湾を堪能するものだった。ところが南海トラフ地震の影響で、海を渡るのは止め、片名漁港の傍の民宿を経営する飲食店「大友」での食事会となった。

 その食事は、タコの姿煮やタイやマグロの刺身、サザエやエビ、イサキの塩焼きなどなど、食べ切れないほどの海鮮料理がいっぱいだった。食事の後、みんなは外に出て、公園でセミ捕りではしゃぎ回り、海岸に出て海を眺めたり、とっても良い夏の一日となった。

 ただ、私は1点だけ気になった。それは、病院で看護師を務める長女の「高潮からどのように身を守るか」という訓示だった。海を渡らなかったのも、いつ招集されるか分からない長女が、いつでも病院に駆けつけられるためであった。

 長女は「まず、自分の身を守ってください。何が何でも高い所へ避難してください。もし杖を突いてヨタヨタ歩いているお年寄りを見かけてても、構わず逃げてください。1分1秒が命取りになります」と言う。

 えっ、それは我が家の伝統的な血筋では無い。母も兄も頼まれたら断らない人だった。物乞いが来れば、何でもあげてしまっていた。困っている人がいるのに、見過ごして行くことは出来ない性格だった。

 兄の嫁となった姉さんは、母の洋裁教室の生徒だったが、姉さんの友だちがドボントイレに財布を落とした時、泣いている友だちに代わって、肥溜めから糞尿を、財布が見つけるまで汲み出した人である。

 自分だけ逃げなさいという訓示は、我が家の血筋には合わない。助け合って、それで自分も命を無くしたとしても、きっと満足な死であっただろう。責任者である長女は、それを良しとは言えないだろうが、我が家の血筋は、おバカなほど、困った人を見捨てられない血筋であることは伝えておきたい。

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わが子が愛おしくてたまらない父

2024年08月10日 17時09分41秒 | Weblog

 こんな暑い中で球児たちは、全く手を抜くことなく試合に挑んでいる。見事なプレーを見せてくれるが、額からは汗がしたたり落ちている。必死に球を追い、足がけいれんしてしまう選手もいる。

 中京高校は宮崎商業と対戦、4回に2点を先取しこれでいけるかと思ったが、6回に宮崎商業に同点とされ、さらに1点取られて逆転された。今年はここまでかと思っていたら、7回に2点を取りそのまま逃げ切った。

 高校野球は何が起きるか分からないから面白いが、炎天下に全力でプレーする選手は地獄の熱さの中にいる。スタンドにもたくさんの観客が来ていたが、本当にご苦労様だ。熱中症に気を付けてくださいと祈る。

 友だちが「暑気払いにお貸しいたします」と、手紙を添えて本を3冊貸してくれた。彼女には悪いが、うち2冊は既に彼女から頂いている。読書感想をこのブログに書いていなかったためだろう。

 彼女のお父さんが書き留めていた短歌をまとめた『みゆき』は、平成11年の発行で印刷はこの町の印刷所である。彼女のお父さんは大正7年生まれとあるから、私の父より9年若い。若くして教職に就いている点は共通している。

 彼女のお父さんは昭和18年に結婚したが、昭和20年から10年間、結核ため療養生活を送っている。戦中・戦後は栄養不足で結核に罹る人が多かった。歌集にわが子を謳ったものが幾首かあった。

 「かすかなる寝息をしつつ眠る吾子の 夢をみつるかにんまりと笑む」「あしらえばにっこり笑うこの頃の 吾子のいとしさひとしおなりけり」「いとし子に乳ふくます吾が妻の 母となりたる姿うるわし」「幼子に乳ふくませてまじまじと 見つめる母のひとみ静なり」

 そんな幼子が少し大きくなってきて、「宵空の星を指差し蛍てふ 吾が子の声のいとけなきかも」と繊細さ、「おさなごは女にあれど凧あぐと 吾の手を引きいかんとするも」と勝気な面を見せる。彼女のことを思い、なるほどと思う。

 明日は親族の親睦会のため、ブログは休みます。

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どんな試合になるのか楽しみ

2024年08月09日 17時18分09秒 | Weblog

 やっぱり高校野球は面白い。オリンピックよりもプロ野球よりも面白い。オリンピックを観ていて、勝敗を決するのだから勝者と敗者に分かれるのは仕方ない。どちらの選手にも物語があって、観ていて涙が出てきてしまうことがある。競技なのだから勝敗がつくのは当然なのに、どちらも勝たせてあげたくなるからスポーツは余り好きでは無い。

 今朝も朝8時15分から、テレビを観てしまった。埼玉の花咲徳栄と新潟の新潟産大付の試合だった。これはもう、花咲徳栄の勝ちだろうと思って観ていた。新潟のような雪深いところの高校では、練習も充分できないだろうし、花咲徳栄はよく耳にした高校だ。ところが高校野球は分からない、分からないから面白い。

 そのままテレビを観続け、長崎平和祈念式典を初めから終わりまでしっかり観た。長崎市が式典に、イスラエルを招待しないと決めたことで、アメリカやイギリスやフランスなどG7の大使が不参加を表明した。無差別に人を殺傷している国を、世界平和を願う式典にどうして招待出来るだろう。

 私は長崎市の決断に賛同し、どんな市長なのかと思って観ていた。頭は剥げていたけれど、まだ若く必死さが伝わってきた。世界で唯一の核被爆国である日本は、核兵器廃絶の先頭に立って呼びかける責務がある。核の傘の下にいて、核兵器を無くしていくと呼びかけて誰が信じると言うのだろう。

 長崎や広島の市長の言うように、現地に足を運び、被爆の実態を見て、人々の話を聞くべきだろう。全国からあるいは世界から、広島・長崎を訪れる若者のツアーを行うべきだ。私の市も以前、広島と長崎へ子どもたちの代表を送っていたが現在も続けているのだろうか。続けて欲しいと願う。

 午後5時からは三重県代表の菰野高校が登場する。どんな試合になるのか楽しみだ。東の空に大きな入道雲、思わず撮りました。

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暑さはまだまだ続くという

2024年08月08日 18時30分51秒 | Weblog

 外に出たら、熱中症でぶっ倒れるのではないかと思うほど暑かった。陽陰を選んで歩くが、このまま外に居たら倒れてしまうだろう。でも街中だから、誰かが気付いてくれるかも知れない。部屋に居て倒れたら、カミさんが帰ってくるまで、誰にも見つからない孤独死だ。

 そんな馬鹿なことを、暑さの中で考えた。11日に日間賀島へ出かけるため、床屋へ行って来た。店主がすぐに、椅子に座るように用意してくれたが、「暑すぎてダメ。ちょっと待って」と断って、冷房の空気に当たらせてもらった。店主はいつの間にか太ってしまい、傍に近づくだけでも暑苦しい。

 日間賀島は長女のダンナが企画してくれた、毎年行ってきた懇親会の新しいバージョンである。兄貴が亡くなり、兄弟は姉と妹と私だけになった。それで3人の家で、持ち回りで開くようになった。子どもたちも参加していたが、今は、妹夫婦と姉の子ども夫婦と兄のふたりの子ども夫婦、そして私の子ども夫婦と私たち夫婦の12人で集まっている。

 兄は事業に失敗し、子どもたちがまだ小さい時に家を出てしまった。姉はひとり娘を育ててきたが、嫁に出して自分がひとり暮しになり亡くなった。姉も兄も孤独な死だった。それでも、血がつながっていることを伝えたくて集まりを続けてきた。けれど、姉の娘は母を喪ったことでウツになり、夫婦で参加できないし、妹夫婦は共に腰痛で参加できない。

 そういう時がきっと来るとは覚悟していたけれど、そうなってみるとなぜか寂しい。床屋の店主が、「早く結婚して、孫の顔を見せて欲しい」と息子たちに言っているそうだが、「結婚すれば、おやじのことなど忘れてしまうよ」と言って笑った。まずは、家族を第一にして、親兄弟は二の次でいい。

 床屋から帰る時もまだまだ暑かった。ミニスカートでノースリーブの女子大生の真っ白な肌が眩しかった。暑さはまだまだ続くという。

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