友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

他人のことより自分のことを考えなさい

2022年07月09日 17時28分20秒 | Weblog

 黒い雲が被ってきた。落雷の音も聞こえる。すると急に、パラパラと雨が降ってきた。それでも校庭から子どもたちの声がする。少年野球クラブが練習を続けているのだろうかと思い、グランドを覗いてみるとクスノキの下に集まって雨宿りをしている。雷が鳴っているときは、校舎の陰の方がいいのに、指導者は何をしているのかと思ってしまう。

 今日は腹部のCT撮影の日。私のような検査の人、いつもの診察の人、リハビリの人、それにワクチンの4回目の接種の人で待合室は込み合っていた。私は待合室に掲げられているポスターの1枚が、はがれかかっているのが気になる。先月来た時と同じだったからだ。事務員さんも看護婦さんも、誰も気が付かないのだろうか。

 患者が多いから看護婦さんもてんてこ舞いだ。事務員さんも受付だけではない、医療明細書を打ち込み、医療費を計算し薬を渡す作業に追われている。検査を受けても診察室に呼ばれるまで、いつもの倍の時間がかかる。患者は黙ってテレビを見ているか、持参した本を読んでいるか、スマホとにらめっこして時間を潰している。

 私は薬をもらう時に、事務員さんに「ポスターがはがれかかっているよ」と言おうか、「私が言うことではないかも知れませんが、ポスター貼り直した方がいいですよ」と言おうか迷っていた。けれど、忙しそうな看護婦さんや事務員さんを見ていたら、余分なことは言うべきではないと考えが変わった。

 「お大事に」と言われ、「ありがとうございます」と答えて薬を受け取った。来月は病院も夏休み期間があるから、私が来院するのは夏休み明けになる。その時になってもまだポスターがはがれかけたままだったらどうしようと、思ってしまった。「他人のことよりも自分のことを考えなさい」とカミさんの声がする。いや、落雷の音だった。

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決してどんな人の命も奪ってはならない

2022年07月08日 17時25分53秒 | Weblog

 カミさんは早朝からゴルフ。さて、私はどうしようかと思っているうちに正午を過ぎてしまった。ひとりでフレンチトーストを作って食べるのが定番だが、新聞を見ていて雑誌を買って来たい気もした。ならばどこかでゆっくりと、玉子サンドでも食べながら週刊誌を見ようと出かけることにした。

 書店に寄って、『文芸春秋』と『Will』を買い、空いていそうな喫茶店に入った。『文芸春秋』には、池上彰氏と佐藤優氏の対談「日本左翼100年の総括」が特集され、「”私党”重信房子と日本赤軍」も掲載されている。『Will』にも「帰ってきた”魔女・重信房子”日本赤軍は死んだフリ」が掲載されている。

 また、『Will』には、安部元首相と櫻井よしこ氏の対談『防衛費GDP比2%は独立国家の覚悟の証だ」も掲載されている。『Will』や『Hanada』は見出しを見るだけで、買う気はしない。しかし、毛嫌いするだけでは批判にはならない。どこが間違っているのか、読んでみるべきだと思って、気になった時はいやいや購入している。

 家に戻って、あれこれやって、何気なくテレビを点けたら、えっ!安部元首相が選挙の応援演説中に銃弾で撃たれ、心肺停止だという。安部さんと私は全く考えが違うが、だからと言って殺してしまえとは一度も思ったことがない。気に入らないとか、敵だとか、そんことですぐ暴力を振るう人を私は軽蔑する。

 嫌な時代になったと思う。個人が個人を殺傷するのは犯罪なのに、国と国が殺し合う戦争はなぜ「正義」の戦いになってしまうのだろう。安部元首相を銃撃した人が、どういう人物でどういう理由で襲ったのか分からないが、決してどんな人の命も奪ってはならない。参院選挙中だからこそ、もっと国民はそういう声を上げるべきだ。

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曾孫よ、人の思いが分かる人となれ

2022年07月07日 18時10分33秒 | Weblog

 1歳8ケ月の曾孫は乗り物に興味があるようだ。昨日も大型スパーへ出かける途中で救急車を見つけるし、バスがやってくれば「バチュ、バチュ」と見るように促す。工事用のシャベルカーやクレーン車を見つけると興奮する。車好きはパパの血を受け継いでいるようだ。

 私は長女が生まれた時、電車や自動車のおもちゃを買って来て与えてみたが、全く興味を示さなかった。生まれながらにして、男の子と女の子は違うことを知り、人間形成は教育だという説を疑った。次女も同様で、人形には興味を示しても電車や自動車は見向きもしなかった。

 しかし、持って生まれたものが開花するためには、教育の力は大きい。最近のニュースを見ると、教育の何かが欠けている気がする。福岡市の商業施設のトイレで面識のない女性を刺殺した事件の公判が出ていた。犯人は当時15歳の少年で、被害者の女性は21歳、少年は「きれいな人」と思い、後を追って女子トイレに入り、首などを何度も包丁で刺したという。

 どうしてそんなことをしたのかと思った。少年は子どもの頃から虐待を受けるなど不適切な養育環境にあり、9歳から家族と離れ児童養護施設や少年院で暮らしている。学校にも施設にもそして家庭にも、「居場所は無かった」と言う。自殺願望もあったようだ。もう少し、愛される体験があったなら、人を殺すことは無かったかも知れない。

 「男のくせに女みたい」と、保育園で髪型や服装をからかわれたり、棒で胸を突かれた園児は登園できなくなった。学校で転倒して顔面を打ち、保健室に行った児童は、養護教諭から「目をぶつけたのに、なんで吐くの」と言われ、救急車を呼んでもらえなかった。嘔吐するほど強く転倒しているのに、なぜ、状況を把握できなかったのか不思議だ。

 体験から人は学ぶ。学ぶことで成長する。成長することで人は変わっていく。自ら学ぶこともあるが、他人から教えてもらうこともある。人はひとりでは生きられないし、人の中で生きているから成長できる。そんな環境が崩れてきているのだろうか。曾孫よ、人の思いが分かる人となれ。

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ニューファミリー世代のスタイル

2022年07月06日 18時36分24秒 | Weblog

 心配した天気は良好で、暑さがぶり返してきたような一日だった。今日は長女の下の孫娘の誕生日で、そのプレゼントを買いに大型スパーへ上の孫娘とその息子の4人で行くことになった。2台で行くより1台でというので、孫娘の車に乗せてもらい出かけた。

 曾孫は私の顔を見るなら嬉しそうに微笑んでくれる。しばらく会わなかったが、ちゃんと覚えていてくれて嬉しい。中1になった孫娘のリクエストは大人っぽい洋服だった。もう、そんな服が欲しい歳になってしまったのか、驚きとともに寂しい気がした。

 平日の昼間なのに、大型スーパーにはたくさんの人がいた。孫娘と同じように、ベビーカーに赤子を乗せて店内を見て回る人も結構多い。それに皆、夏服なので素手・素足がまぶしい。今日からサマーセールというので50%割引が、中には70%引きの文字もある。

 消費が落ち込んでいるという声もあるが、ここにいると本当だろうかと思ってしまう。けれど、品物は安くさらに値引きしているから利益は少ないだろう。それでも買う人はより安い品を選んでいる。給料が上がらず、年金が下がっている現状では消費が伸びないのは当然だろう。

 けれど大型スパーに人が集まっているのだから、まあ良しとすべきかも知れない。高い品は買わないが、必要な品を必要なだけ買う、それが普通の生活なのだろう。高価な品を買い使わないかも知れない品まで大量に買うなら、景気は良くなるかも知れない。けれど、無駄な買い物をしないのは賢い生活ではないだろうか。

 孫娘と話していて、夏休みや冬休みに娘たちを連れて旅行に出かけていた話になった。家族旅行の習慣のない人から見れば、「そんな無駄なことを」と言うことかも知れないが、それが私の夢だった。戦後のニューファミリー世代のスタイルだったと思っているのは私だけなのだろうか。

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明日は孫が曾孫の息子を連れて来る

2022年07月05日 17時35分34秒 | Weblog

 月曜日の夜7時からは、BS4で合唱団フォレスタが歌う『こころの歌』を見ることが多い。昨夜も『シャボン玉』を聴いていて、昔のことを思い出した。日教組青年部の集まりが三重県の高原であり、私は愛高教青年部のひとりとして参加した。

 夜、焚火を囲んでみんなで歌った。そのひとつが『シャボン玉』だった。同じ歳の青年部長が私に、この歌の意味を教えてくれた。彼は「堕胎の歌」と言ったけれど、幼くして世を去った幼児への「追悼の歌」と言ったのかも知れない。

 彼は国語の先生だったから、私は何の疑いもなく「博識だなあー」と思った。子どもの頃には気づかなかったが、『シャボン玉』には悲しい匂いが漂っている。「屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた」「シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに 壊れて消えた」。

 童謡には何となく怖いような悲しいような歌がある。江戸時代から子どもたちが遊びながら歌ったという『かごめかごめ』も意味がよく分からない。「かごめ」は囲むの意味なのか、「いついつ出やる」も「鶴と亀がすべった」もどうしてなのと思ってしまう。

 みんなでよく歌った『赤いくつ』、どうして異人さんに連れていかれたのか,子どもの頃は考えたこともなかった。幼稚園の時、歌って演技もした『月の砂漠』も不思議な歌だ。王子と姫は部下も連れずにいったいどこへ行くのだろう。新婚旅行なのか里帰りなのか、考えても意味の無いことを思い巡らしてしまう。

 台風4号が長崎県に上陸し、熱帯低気圧となったが雨風には注意するようにとテレビは伝えている。今は雨もなく、風も吹いていないが、これからどうなるのか心配だ。明日は孫が曾孫の息子を連れてと来るという。天候は大丈夫だろうか。

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みんながそう考えるなら戦争は起きない

2022年07月04日 17時31分28秒 | Weblog

 最近、トイレで紙虫(シミ)を見かけることがある。人体に影響はないというが何となく気味が悪いので、見つけた時は静かに近寄って潰しているが、いったいどこから出てくるのかと不思議に思った。

 トイレの前の床に、水漏れなどの点検口がある。懐中電灯を用意し、腹ばいになって中を覗いてみた。もっとよく見てみようと思って身体を回した時、左側の肩甲骨あたりに激痛が走った。ぎっくり腰ならぬ80肩で、左手が上がらない。

 いよいよ高齢化の極みかと覚悟する。私はペースメーカーを装着するサイボークである。勝手に心臓が動くせいで心臓の筋肉が疲労し、突き刺すように痛む時がある。この推論は私が作り上げたもので、医師に話せば笑われてしまうかも知れない。

 昨日のブログにコメントしてくれた人がいた。「ウクライナを支援する政党は信用出来ません。もちろんロシアのやっていることは正当化できるものではありません。今、ウクライナのしていることは国家総動員体制で戦前の日本と同じ状況。このような国を支援する政党は同じ穴の狢」。

 私も同感だ。けれど目の前で、家族が虐殺されたり愛する人が強姦されたら、怒りを抑えられる自信はないが、ウクライナ大統領の「最後まで戦え」とか「必ず奪還せよ」の姿勢には、「それではますます死傷者を増やすことになる」と反対したい。

 ロシアの侵攻に対して、大統領として自分を差し出し、戦争を回避すべきだったと私は思っている。政治家がやらなくてはいけないことは、国民を守ることで領土を守ることではない。狂人プーチン大統領と話し合いで解決するのは至難の業だろうが、それをしなければ国民の血が流れるばかりだ。

 「戦争になったら国家のために戦いますか?」という問いに、堂々と「戦いません」と答えられる人が増えて欲しい。みんながそう考えるなら、戦争は起きないだろうから。

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何を基準に選択するのだろう

2022年07月03日 18時03分16秒 | Weblog

 昨夜から雨が降っている。猛暑から逃れられると思ったが蒸し暑く、今日もエアコンは点けっぱなしだ。雨はシトシト降っていたが午前中の一時期、ドバドバと大きな雨音とともに激しく降ってきた。マンションから外を眺めても景色が見えないほどだった。

 小牧市で1時間に100ミリを超す雨量が観測されたようで、危険な区域から避難するようにとテレビ画面にテロップが流れた。私が住む市も洪水警報の地域になった。北に五条川、南に庄内川の氾濫を抑えるための新川に囲まれている。

 水田には適していた土地だっただろうが、宅地開発で水田はもうわずかに残っている程度だ。市では洪水に備えて学校や公園などの公共施設の地下に、水を貯める水槽を設けている。水だけでなく土砂も流れ込むから定期的な清掃も必要になる。

 私は市の中央部にある用水路の堤防をずらして拡幅し、いざという時は川原が貯水池になるようにすればもっと効果は大きいし、新しい堤防を桜並木にすれば市民の憩いの場になると提案した。建設部長は「いいね」と言ってくれたが、市は受け入れてくれなかった。

 大雨が降る度に、排水が悪くてどこかで水が溢れている。きっとそんなことを繰り返しながら人々は生活していくのだろう。人々の関心もそれぞれだから、一気に変えることは難しいが、少しずつ良い方向へと進むだろう。

 参議院選挙の選挙公報を見ても、どの政党も「正しい」ことを言っているので選別しにくい。私は二度と戦争をして欲しくないので、現憲法を守る政党に投票するつもりだ。皆さんは何を基準に選択するのだろう。

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妄想ばかりが生まれてくる

2022年07月02日 18時05分44秒 | Weblog

 「あ゛〜〜〜〜〜」

 ブログにこの1行しかなかった。いったいどうしたのかと心配になり、翌日のブログに注目した。ところが、「出稼ぎ先の大学で 昨年見つけたシャワー室 のぞいてみたらちゃんとシャワーがあった。(略)今年のこの猛暑。シャワー浴びたい時に使えるかも…。大学に授業に行った時にお湯も出るかチェックしてみた。ちゃんとお湯も出る!!! いいとこ見つけた!!!」とある。

 おいおい、いったいどうしたのだと思ったが、その時、気が付いた。確かにこういう子だ。ちょっとばかりおっちょこちょいで、慎重な方ではない。私が地域新聞を初めて5年経った時、広告会社を辞めて移ってきてくれた。彼女のおかげで新しい企画を作り出すことが出来た。

 パソコンの操作が出来たから、企画書を作成してもらった。文章がうまいという訳ではなかったが、面白い文章だったので囲み記事を続けてもらった。最近、紙面の面白さに欠ける気がするが、今のスタッフの皆さんで奮闘してもらう以外に手立てはない。彼女は今、新聞の編集長と2つの大学の講師を務めている。

 先生になりたかった彼女だったから、編集長よりも講師の方がイキイキとしているようだ。よく編集室で話し合ったが、彼女とは考えが一致していた。そのころからおっちょこちょいで、編集室の電話が鳴ると、机の上に飛び乗って受話器を取ったことがあった。下着が丸見えで、ドキッとした。

 不妊治療の末、男の子を授かった。編集室にも連れてきていたので、彼女が仕事をしている間は私が遊ぶ相手をした。とても可愛くて賢い子だった。彼女は普通に育てたつもりだっただろうが、あまりにも可愛がり過ぎた気がする。ひとりっ子は母親の方が子離れできないようだ。

 それにしても、「あ゛〜〜〜〜〜」はいったい何だったのか。どこかでちゃんと説明してくれないと、どうにもすっきりしない。まさか、猛暑の悲鳴なのか、あの時の歓喜の叫びなのか、説明がないと妄想ばかりが生まれてくる。今日も暑かった。

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心頭滅却すれば、火も又涼し

2022年07月01日 17時53分17秒 | Weblog

 猛暑が続いている。山形の勝沼、埼玉の鳩山と熊谷、岐阜の多治見が40度を超えた。名古屋は40度超えと予想されていたから、ほぼ同じくらいの暑さだっただろう。煮えるような猛暑の中、ますます頭がおかしくなっていく。

 それを友だちに伝えたら、「心頭滅却すれば、火も又涼し」と返された。私は俗人でそんな仙人のような心境にはなれない。これは確か、織田信長軍に攻められた甲州の禅寺の僧侶が、火を放された山門の上で吟じた言葉で、「心の雑念を打ち払えば、火の中にあっても涼しく感じる」という意味である。

 火中にあるのに、涼しいとはなんという超人かと思うけれど、僧侶もきっと熱さにもがき苦しんだに違いない。「暑いとか寒いとか」感じるものを、心構えで乗り越えろと言われても無理なものは無理なのだ。

 パソコンで「心頭滅却すれば、火も又涼し」を検索したら、真っ先に森高千里さんが出て来た。森高さんはこれを題名にして、禅寺を背景に美しい足のシルエットを見せて歌っているのだ。「迷いながら歩く くじけながら生きる 悩みは絶えないもの それが人生だわ」「男と女がいて 出逢ったり別れたり 世の中そういうもの 単純で複雑ね」。

 作詞は森高さんで、禅宗の僧侶とは真逆に、人生の喜びや悲しみを素直に歌っている。聞いている私は「そうだよね」と嬉しくなった。心の持ち方で人生は変わると若い時は言ってもきたが、先の無い老人になって、「心の命ずるままに」生きればいいと思うようになったのだ。

 しかしこれも、猛暑のせいで、頭がおかしいのかも知れない。10日投票日の参議院選挙の広報紙が届いた。選挙ハガキも4枚届いた。誰に投票するのか、どこに私の1票を入れることが、世の中に役立つのかをじっくりと考えたい。

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