友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ホントにラッキー

2008年07月14日 20時40分09秒 | Weblog
 カミさんは朝5時に起きて、旅行カバンに荷物を詰める。私は6時過ぎに起きて、孫娘と自分の朝ごはんを用意する。そして6時45分にカミさんを駅に送る。彼女は今日から1泊のゴルフ旅行だ。東京と名古屋からそれぞれが信州で落ち合い、ゴルフをしようというのである。中学時代の友だちの男女が再びゴルフを通して仲良く行動できるのはいい。

 私も同様に先月、中学時代の友だちの男女で花菖蒲園に行ったけれど、歳を取ると昔の友だちが懐かしいようだ。中学時代からの友だちの中には、「そんな昔のことばかり話して何になるか」と否定する者もいる。彼がそう言うのは、過去にこだわらずにもっと前向きでありたいという思いからだが、中学時代の友だちが集まるからといって、昔話ばかりをしているわけではない。おそらく、中学時代あるいは高校時代の自分を知っている友だちの言葉の中で、自分を見つけ出そうとしているのだと思う。

 話すことで自分の頭の中を整理しているのかもしれないし、相手の話す言葉の中で自分を確認しているのかもしれない。中学・高校という多感な時代を一緒に生きていたこと自体が自分史の宝の山なのだ。カミさんたちもきっと、他人から見れば馬鹿馬鹿しいような他愛もない言葉のやり取りの中で、あの頃の自分とそしてこれからの自分を見出しているのかもしれない。

 カミさんがいないから、今晩は中学2年の孫娘と二人だけだ。そうなると井上真央出演の映画『花より男子ファイナル』を聞くことになるだろう。先ほど、映画館まで連れて行けと言う。「もう映画は観たのじゃないの?」と聞くと、友だちと映画を見に行った時にお金の持ち合わせがなかったからパンフが買えなかった。だからなくならないうちに買いに行きたいというのだ。映画館のパンフはもう残りわずかだったそうで、「ホントにラッキー」と大喜びだ。

 中学時代の私は孫娘のように、あんなに純粋だったのだろうか。映画スターに憧れることはなかった。悪童仲間でエロ本やエロ写真に夢中だった。好きな女の子がいたのに、どうしてそんなことをしていたのか、自分中で葛藤していたはずだ。スタンダールの『赤と黒』、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んで、1個の人間の中に矛盾した相反するものが存在する、それが人間なのだと思った。相反するものをどこまで止揚できるかでその人の品格が創られるのだろう。私自身を捕らえなおせば、まだまだ中学時代の続きでしかない。

 社会を変えるどころか、自分自身も変えられないでいる。愛欲の世界だけが最も純粋な世界なのかもしれないときわめて微小な世界を評価している。
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