「小さい時から、近所の子たちとままごと遊びをするのが好きで、私がお母さんの役で女の子にお父さん役を押し付けていた」と彼は言う。化粧して下着をつけて、お母さんになり切っていたようだ。だから小学校へ上がると、男の子だからと黒のランドセルで通学したら、同級生からいじめられ手提げカバンで通学した。ところがある時、担任から「あなたは特殊のクラスに行きなさい」と言われた。
学習は普通に出来るのに特殊の授業は苦痛以外のなにものでもなかった。母親に訴えて、「元のクラスに戻してもらったけれど、学校にはズ~と居場所がなかった」と彼は続ける。男の性であるが心は女、けれども自分のことを本当に理解してくれている女性に出会い結婚している。外見はたくましい男性だが、胸の辺りは大きく膨らんでいる。彼は今、性同一性障害で悩む人たちのための活動をしている。
「自分の居場所のためですよ。あなたが行っている活動も自分の居場所づくりでしょう」と断言され、エッと思ったが、そうなのかも知れないと思い直した。人は誰でも、自分を認めて欲しいと思う。自分を理解してくれる友だちが必要なのだ。友だちでなくて恋人でもいいが、出来れば複数の人から理解されることを欲している。つながりがなければ生きていることが辛くなるからだ。多くの友だちがいてくれたから、私はこうして生きて来られたのだろう。
生け花の先生が、こんな文章を寄せてくれた。「その植物が本来持っている、自然界での生まれ方または育ち方の出生を重んじる活け方です。その出生は似たものもあるし、異なったものもありますが、ある程度忠実に再現し、かつ美しく見えるように活けるのです。植物を細分化してみると、木もの、草もの、水もの、どちらにも属するものがあり、それらはそれぞれが、そのくくりの中で脈々と子孫を残しています。それを一瓶の姿に整える活け方です」。
午前中は曇り空だったが、午後3時過ぎから陽が差してきた。強い風に煽られていたディイゴは可哀想だったけれど、今は青い空によく似合っている。居場所か、なるほどねえー。
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