母と娘、父と息子は、どういう訳か心を開き合えないようだ。誰でもがそうだとは思えないが、そういうケースがある。彼女は子どもの頃、おとなしくて人前に出ることができなかった。小学校でも積極的に手を挙げる方では無く、ぼんやりと運動場を眺めていることが多かった。テストを受けても真剣に考えることの大切さを低学年の頃は知らなかった。
消極的で成績のよくない彼女を何とかしたいと思っていた母親に、「この子は可愛いから子ども劇団に入れたら」と言う、知人の言葉は神の啓示であった。ダンスや歌は嫌いではなかったし、学校のように画一的な指導ではなかったから、彼女自身も劇団が好きだった。けれども友だちを差し置いて目立とうとする積極性は育たなかったから、主役になることはなかった。
学校の成績は上がらず、劇団の主役にもなれず、可愛い顔だけの我が子に母親は、「あなたは何をしてもダメな子ね」と嘆いた。母親は友人に、「この子は少しも心を開かない」とボヤいたと言う。「そんな暗い子なの?」と私が聞くと、「ウチに来る時はとても明るい笑顔の素敵な子で、私が頼む前に気が付いて何でもやってくれる子。きっと、お母さんにも認めてもらいたいんだけど、どう表現していいのか分からないのだと思う」と答える。
昔気質のお父さんは、「ケンカしたっていいが、悪いことだけはするな」と息子に言い聞かせてきた。その息子が友だちのピンチを救うために家の金を持ち出した。それを知った父親は理由を聞く前に、息子の頬を思いっ切り叩いた。以来、息子は決して父親に逆らわず、父親と会話をしなくなった。父親はそれを、息子が「親の権威を認めているからだ」と言うが、私には逆らっても無駄だと思っているようにしか見えない。
親子が分かり合うのは意外と難しい。親は子に、こうあって欲しいと期待が大きいし、子は親に、何をどう話していいのか分からない。それが親子というものと思ってしまえば幾分気が楽になる。ましてや他人である夫婦は更に難しいように思うが、なのに意外と何十年も一緒に暮らせるのだから不思議だ。
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