友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

寂しがっているのは私たちだった

2021年12月06日 17時13分16秒 | Weblog

 朝、従妹からメールが来て、「来年1月9日の午後2時から一周忌を行ないますので、お参りください」とあった。叔母さんが亡くなってもう1年になるのか。葬儀の連絡をいただいて、通夜には参列させてもらったが告別式は遠慮させてもらった。

 叔母さんは婦人会の会長を務めていたから、市長をはじめ関係者が多数参加されると聞き、従妹も「ありがとう。明日は人が多くなるから話せないわね」と言うので、叔母さんの上の叔母さんの子である従妹と、「告別式は遠慮しよう」ということにした。

 子どもの頃はよく遊んだが、祖母が亡くなってからは疎遠になってしまった。おそらく祖父が亡くなった時の葬式が最後だろう。メールをくれた従妹は私と同じ中学校の卒業生で、私と同じ担任だったのか、先生は「お前の従妹は学校一の美人だな」と褒めてくれた。

 この12月11日には、昨年亡くなったマンションの友だちの一周忌の法要が行われる。娘さんは「母が暮らしていた部屋はそのままにしてあり、法要は部屋で行います」という。友だちとは一緒に旅行に出かけたり、誕生日の月に持ち回りで各家で宴を開いた。

 「一周忌を部屋で行うなら、夕方から『偲ぶ会』を開きましょうか」と娘さんに提案した。友だちは賑やかなことが好きだったのに、コロナ禍もあって何もしていないので寂しい気がしていた。娘さんも同意してくれたので、準備は一切任せてもらうことにした。

 友だちは編み物の先生をしていたし、フラダンスも指導していたから、呼びかければたくさんの人が告別式に参列してくれただろうが、「家族葬で」と言われ、誠にこじんまりと行われた。故人のためにも賑やかに偲ぶ会をと思ったが、考えてみれば寂しがっているのは私たちの方だった。


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