友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

桜散り何が残るか

2009年04月10日 21時46分07秒 | Weblog
 街路樹に桜を植えている通りで、車が通り抜けていくと、桜の花びらが舞い上がっていた。私たちのマンションの桜も風に吹かれて、雪が舞うようにちらちらと散っていた。子どもたちがその花びらを集めては、パッと空中に放り投げて遊んでいた。昨日、五条川沿いを通ったけれど、両岸の桜は見事に満開で、川面には落ちてきた花びらが筋を作って流れていた。

  満開の桜よ泣くな川面にもお前の涙漂い積もる

  立ち止まり桜吹雪のその奥に恋する人は小さく手を振る

  桜咲く朝市の社清々しい父ら奏でる雅楽献上

 先日、井戸掘りに行っていた家の庭にはツツジが咲いていた。そういえば各地で藤まつりの準備も行なわれている。これからはショウブ祭りも各地で行なわれる。昨年は静岡県の菖蒲園へ遊びに行ったけれど、もう1年が過ぎようとしているのか。花とか景色とか、そういう自然のものに心惹かれるのは老いたる証拠と誰かが言っていたけれど、そうかなー?と私は思う。東北の桜を巡って旅をした時も、あるいは紅葉の八幡平を見た時も、アメリカのヨセミテやグランドキャニオンの景色も、それは深く感動した。地球はこれほどに美しいものなのか、生きていて本当によかったと思った。

 美しいものにあるいは優しい言葉に、もし感動しなくなったなら、それは自分の人生の終わりの時だと思う。自然のものも、人が作ったものも、森羅万象どんなものであっても、オオーとかワアーとかスゴイとか、大きな感動があるはずだ。冷静沈着な人よりも感動してしまえる人の方が私は好きだ。穏やかで豊かな毎日もいいけれど、時には何かを無性に求めて生きていく、そんな日々を送れたならば素敵だと思う。

 麻生首相はこれまでに例のない15兆円の補正予算で景気刺激を行なうとブチ上げている。全くいい気なものである。満開の桜を眺めて浮かれているようなものだ。満開の桜は必ず散っていく。桜は次に葉が出てくるが、景気刺激策はどうなるものか定かではない。それに、一体誰のお金だと思っているのだろう。政府は予算を組めばすむかもしれないが、結局このお金は私たちの子どもや孫たちへの借金となっていくだけだ。

 桜散り予算膨らみ後の世に借金ばかり残すわが国
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